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2015年8月21日 (金)

速水御舟とその周辺─大正日本画の俊英たち─(3)~第2章 赤曜会─今村紫紅と院展目黒派

Hayami2015setaこの展覧会は速水御舟の展覧会であるはずですが、展示の章立てでは今村紫紅がメインのような錯覚をおこすほどです。この展示を見ていると、速水という人が今村などがリードしていたグループの中にいて、引っ張られるようにいて、今村が夭折したり、グループの兄貴分のような画家たちが離れていった後で、いつに間にか残された速水が、その遺産を集約するように成果を一人受け取ったという点が分かります。速水は主体的に自らの個性を追求して行ったのではなくて、今村や他の画家たちが追求していったことに相乗り(?)して、そこで速水は、今村にたいして、いかに差別化するかを追求することが、今村の追求のユニークさをベースに、それに対する差別化を進め、言うなれば二重の差別化を進めていたのに、そこで今村が死んでしまったことで、まるでハシゴを外されるように残された速水の作品が、きわだって差別化されているように見えたという経緯が、想像できます。

Hayami2015shiomi例えば、人家の風景を描いた作品では、今村の大振りな斑点を重ねるようにして、さらにその色を滲ませて、立体の面の存在を前面に出し、線で輪郭を区画させる平面的な書き割りのようなものから、空間を感じさせるようなつくりがベースになって、作品が制作されています。今村の『瀬田風景』や『潮見坂』といった作品を見ると、今言ったような方法の試みが現れていると思います。しかし、私には、その試みが先行して、作品として、どうかと問われれば、立体的な空間が表現されているかということもありますが、空間が感じられるかといって何なのか、という作品自体の魅力というのか面白味が感じられないものに終わっていると思います。傲慢な言い方で、かなり偏った見方であると思いますが、これらの作品を見て、新しいことを試みる必要があるのか、その効果が表われていない、たんにヘタウマの味わい程度のことしか感じられない作品になっていると思います。

ここで、速水の作品を見てみると、今村に対して色遣いの点で繊細な注意を払っているのが特徴的であるように思います。それゆえでしょうか、今村のような空間の追求とか、面で立体的に捉えるという試みよりも、それでつくられた作品画面の完結性に重点が置かれている。つまり、立体的とかそういうことではなくて、結果として画面効果が、幻想的だったり、叙情的だったりに見えるということに重きを置いているように見えるということです。

Hayami2015snow_2『暮雪』という作品を見てみましょう。画面全体がセピア色が基調となって、日暮れの黄昏の薄ぼんやりとした光が、降り積もった一面の雪景色の中で映えている。家々には灯りが点り、それが障子から仄かに漏れている。そういう風景でしょうか。降り積もった雪の蒸気と黄昏の陽光とで、全体に靄がかかったような画面が幻想的な雰囲気をかもし出し、一面の雪が日暮れの陽光でセピア色に染まったなかで、家々の障子の淡い光が映える様は、光の一瞬のドラマを切り取ったような趣があります。まるで墨絵のように色彩を抑えて、セピア色を帯びた雪の白い世界と背後の木々の緑を雪が積もらないでいて、日が暮れて影となったのと、家々の壁を黒くして、モノクロームにすることで、画面は静謐さを帯びて、それは雪の降り積もって音が雪に吸収されてしまったような世界です。その中で、家々の障子に映る灯りは、障子全体ではなく、一部が淡く光が漏れて出しているのは、つまり、一様でないのは、それぞれの家の中の人々の動きを想像させます。このような時間が止まって、音が聞こえてこないような世界の中で、画面の表面には表われてこないような障子の向こう側の家中では人々が動いていることを想像させ、そこに静と動の対照が仄めかされている。そのような、幾つかの点で、対照性が重層的に構成されて画面が作られているように見えます。今村のおおらかな単純さに対して、速水の作品は、神経質なほどです。おそらく、速水は今村に触発されながら、彼に対して差別化を図っていくことで、自らの個性を作ろうとしていたかもしれません。

この『暮雪』を今村の『瀬田風景』を見比べてみると、民家の形や各々の事物を面として描いていく描き方などは、今村の風景画の基本的なつくりを踏襲しているのが分かります。つまり、速水は今村のつくった土台や骨組みに乗って、枝葉のところで今村ではない別のことを試みて、観る者には今村とは違う画面として見せていると見えます。これは、後年まで速水の作品についてまわる印象なのですが、主体がみえないというのか、何を描こうとしているのか骨がわからないという、多分、速水本人にも、強烈な主体のようなものがなかった点はあると思います。それと、この『暮雪』をみれば分かるように精緻で繊細な配慮を細部まで施している細工物のようなことをしていると全体を見通すことが難しくなる。そこで、今村の骨に乗っかるかたちで、細部にこだわった作業を思い切りやってみる、ということではなかったのかと思います。これは、絵画の世界ではありませんが、小説の世界で芥川龍之介のことを思い出します。彼の初期作品は今昔物語などの古典を題材に取って、そこに近代主義的な要素を加えていくことで病的といえるほど精緻で心理的な使用説世界を作っていました。例えば、『羅生門』という小説は、今昔物語の中の「羅城門登上層見死人盗人語第十八」を題材に取ったといわれています。まず、冒頭について今昔物語ではこうです。

“今は昔のこと、摂津の国のあたりより盗みをするために京へ上ってきた男が、まだ日が高かったので、羅城門の下に隠れて立っていたが、朱雀大路の側には往来が絶えないので、人通りが静まるまでと思い、門の下で待っていると、山城の側から人が大勢近づいていくる音がしたので、姿を隠さなければと思い、門の二階へ音を立てないようによじ登ったところ、かすかに火がともされているのが見えた。”

これを、芥川龍之介の『羅生門』になると、このように膨らんでしまいます。

“ある日の暮方の事である。一人の下人が、羅生門の下で雨やみを待っていた。広い門の下には、この男のほかに誰もいない。ただ、所々丹塗の剥げた、大きな円柱に、蟋蟀一匹とまっている。羅生門が、朱雀大路にある以上は、この男のほかにも、雨やみをする市女笠や揉烏帽子が、もう二三人はありそうなものである。それが、この男のほかには誰もいない。何故かと云うと、この二三年、京都には、地震とか辻風とか火事とか饑饉とか云う災いがつづいて起った。そこで洛中のさびれ方は一通りではない。旧記によると、仏像や仏具を打砕いて、その丹がついたり、金銀の箔がついたりした木を、路ばたにつみ重ねて、薪の料に売っていたと云う事である。洛中がその始末であるから、羅生門の修理などは、元より誰も捨てて顧る者がなかった。するとその荒れ果てたのをよい事にして、狐狸が棲すむ。盗人が棲む。とうとうしまいには、引取り手のない死人を、この門へ持って来て、棄てて行くと云う習慣さえ出来た。そこで、日の目が見えなくなると、誰でも気味を悪るがって、この門の近所へは足ぶみをしない事になってしまったのである。その代りまた鴉がどこからか、たくさん集って来た。昼間見ると、その鴉が何羽となく輪を描いて、高い鴟尾のまわりを啼きながら、飛びまわっている。ことに門の上の空が、夕焼けであかくなる時には、それが胡麻をまいたようにはっきり見えた。鴉は、勿論、門の上にある死人の肉を、啄みに来るのである。――もっとも今日は、刻限が遅いせいか、一羽も見えない。ただ、所々、崩れかかった、そうしてその崩れ目に長い草のはえた石段の上に、鴉の糞が、点々と白くこびりついているのが見える。下人は七段ある石段の一番上の段に、洗いざらした紺の襖あおの尻を据えて、右の頬に出来た、大きな面皰を気にしながら、ぼんやり、雨のふるのを眺めていた。作者はさっき、「下人が雨やみを待っていた」と書いた。しかし、下人は雨がやんでも、格別どうしようと云う当てはない。ふだんなら、勿論、主人の家へ帰る可き筈である。所がその主人からは、四五日前に暇を出された。前にも書いたように、当時京都の町は一通りならず衰微していた。今この下人が、永年、使われていた主人から、暇を出されたのも、実はこの衰微の小さな余波にほかならない。だから「下人が雨やみを待っていた」と云うよりも「雨にふりこめられた下人が、行き所がなくて、途方にくれていた」と云う方が、適当である。その上、今日の空模様も少からず、この平安朝の下人の Sentimentalisme に影響した。申の刻下さがりからふり出した雨は、いまだに上るけしきがない。そこで、下人は、何をおいても差当り明日の暮しをどうにかしようとして――云わばどうにもならない事を、どうにかしようとして、とりとめもない考えをたどりながら、さっきから朱雀大路にふる雨の音を、聞くともなく聞いていたのである。雨は、羅生門をつつんで、遠くから、ざあっと云う音をあつめて来る。夕闇は次第に空を低くして、見上げると、門の屋根が、斜につき出した甍の先に、重たくうす暗い雲を支えている。どうにもならない事を、どうにかするためには、手段を選んでいる遑はない。選んでいれば、築土の下か、道ばたの土の上で、饑死にをするばかりである。そうして、この門の上へ持って来て、犬のように棄てられてしまうばかりである。選ばないとすれば――下人の考えは、何度も同じ道を低徊した揚句に、やっとこの局所へ逢着した。しかしこの「すれば」は、いつまでたっても、結局「すれば」であった。下人は、手段を選ばないという事を肯定しながらも、この「すれば」のかたをつけるために、当然、その後に来る可き「盗人とになるよりほかに仕方がない」と云う事を、積極的に肯定するだけの、勇気が出ずにいたのである。下人は、大きな嚔をして、それから、大儀そうに立上った。夕冷えのする京都は、もう火桶けが欲しいほどの寒さである。風は門の柱と柱との間を、夕闇と共に遠慮なく、吹きぬける。丹塗の柱にとまっていた蟋蟀も、もうどこかへ行ってしまった。下人は、頸をちぢめながら、山吹の汗袗かざみに重ねた、紺の襖の肩を高くして門のまわりを見まわした。雨風の患うれえのない、人目にかかる惧おそれのない、一晩楽にねられそうな所があれば、そこでともかくも、夜を明かそうと思ったからである。すると、幸い門の上の楼へ上る、幅の広い、これも丹を塗った梯子が眼についた。上なら、人がいたにしても、どうせ死人ばかりである。下人はそこで、腰にさげた聖柄の太刀たちが鞘走らないように気をつけながら、藁草履をはいた足を、その梯子の一番下の段へふみかけた。それから、何分かの後である。羅生門の楼の上へ出る、幅の広い梯子の中段に、一人の男が、猫のように身をちぢめて、息を殺しながら、上の容子を窺っていた。楼の上からさす火の光が、かすかに、その男の右の頬をぬらしている。短い鬚の中に、赤く膿を持った面皰のある頬である。下人は、始めから、この上にいる者は、死人ばかりだと高を括っていた。それが、梯子を二三段上って見ると、上では誰か火をとぼして、しかもその火をそこここと動かしているらしい。これは、その濁った、黄いろい光が、隅々に蜘蛛の巣をかけた天井裏に、揺れながら映ったので、すぐにそれと知れたのである。この雨の夜に、この羅生門の上で、火をともしているからは、どうせただの者ではない。下人は、守宮のように足音をぬすんで、やっと急な梯子を、一番上の段まで這うようにして上りつめた。そうして体を出来るだけ、平にしながら、頸を出来るだけ、前へ出して、恐る恐る、楼の内を覗のぞいて見た。”

『羅生門』の「今昔物語」の比べて異様なほど、細かくなって、様々な要素が加えられているのが分かります。その一つに、下人の心理が多重人格のように重層的に書き込まれ、羅生門とそれを取り巻く風景までもが、彼の真理の反映か、何らかの意味を与えられたような過剰な心理と意味の象徴が溢れています。そこに、芥川龍之介の病的で神経質な小説の世界が展かれています。

速水御舟の一見、のんびりとした牧歌的な山村風景のように見える『暮雪』には、このような芥川龍之介に通じるような、それ自体で自立できないような不安定で神経質な世界があるように、私には見えます。

Hayami2015short_2『短夜』という作品を見てみましょう。鬱蒼とした木々の中に家が立ち、タイトルが『短夜』ということなので、夏の夜なのでしょうか、その暗いところで蚊帳の中の人影がぼんやりと見えてくるという作品です。ここでは、『暮雪』とは違った暗さの風景です。こちらは、対照の活用ではなくて、暗さのグラデーションのなかで、木の葉の緑や下草の中に青を混ぜたりと、微かな色彩を効果的に使おうとしています。趣向としてはバロックの画家レンブラントの『夜警』のような夜の暗さの中でのかがり火で照らされたところから夜の暗闇までのグラデーションの中で人々を浮かび上がらせたのを、暗さを基調に地味にしっとりと試みたような作品といえるでしょうか。ここでの木々の葉などは、一枚一枚を描くのではなく、点描のように絵の具を落として、その点を重ねて、しかも、それぞれの色を変えていくことで、葉の重なりや月か星明りの光線の陰影を表わしているように見えます。この作品での家は、『暮雪』以上に今村の作品で描かれている家の形や輪郭そっくりです。そこで、速水は同じような形状で描かれている家ですが、夜の帳の中で見えているということからでしょうか、今村の太くたくましい輪郭線に対して、か細い線で輪郭を引いています。それが、今村の作品には、どっしりとした重量感があるのに対して、存在感が薄く、現実か夢かはっきりしないような夜のうつろなフワフワとした雰囲気を感じさせるものとなっています。これは、きわめて繊細なものになっていると思います。その一方で、芥川龍之介の小説もそうですが、作り物めいた作為が感じられるのも事実です。それは、家が、何となく歪んで見えるような、キッチリとした構造物に見えないところ、例えば、開いた戸からのぞいている家の中の床や敷かれた布団が傾いているようにしか見えないことや、蚊帳の中の人物が形になっていなくて雑に見えてしまうことで、私なぞがみると白けてしまうところがある。雰囲気を描こうとして、肝心の本質的な形というのか、核心が等閑にされているように見えてしまう。これは、速水の作品をいろいろ見ていて、共通して感じられることですが、どこか中心的な核が空ろで、小手先のみてくれにはしっているように感じられるところがあり、その核を今村をなぞることで補おうとしている。そういうところが露になっている作品でもあると、私には見えます。

Hayami2015wara_2では、グループのリーダーである今村以外の画家と比べるとどうでしょう。牛田雞村の『藁家』という作品です。速水の『暮雪』の家屋の形状は似ているところがあります。感じでいうと、ホンワカしたテレビアニメの日本昔話のような丸っこい輪郭で、立体とか奥行きを意識していない描き方です。基本的には、今村の『瀬田風景』とも通底していると思います。面でもって、結果的に形状ができてくるという行き方です。それをベースにして、速水は家屋という対象そのものを描くというよりは、我々と対象の間のメディアを描こうとしていたと言えます。言うなれば、対象と我々の間の薄いヴェールのような、“もの”ではない“こと”に近いと言えるような、それは例えば空気であったり、光とそれによって作られる影であったり、陽光によって染め上げられるということであったり、ということです。ただ、速水の場合には、それらを描こうとしてそうなったのか、描き方が色彩のグラデーションとか、色遣いを重視しているうちに、それが効果的に生かせることとして、結果としてそういうことになったのか、私には何とも言えません。それは、この牛田の『藁家』を見ていて、牛田が家屋を描く際のベースとなる面をダイレクトに描き込もうとしていたのと比べるとよく分かります。牛田の場合、家屋全体もそうですが、壁とか藁屋根等がダイレクトに存在感とか、どっしりとした重量感とかそういうものを持っているように見えてくるのです。これは、速水の描く家屋の、どちらかと言うと薄っぺらでフワフワしているのとは全く違うものです。牛田の作品では、そういう存在感に不可欠なのでしょう、例えば藁屋根の藁葺きの質感を藁の一本一本が分かるかのように描かれています。そして、手前の竹の葉の一枚一枚が明確に描かれていることで、全体の基調を決めていて、そういうものとして、この作品を見る者は、その向こうの藁家をみるように準備させられます。実は、私のような鑑賞眼のしっかりしていない人間には、二人の作品をブランドと見分けることはできないほどなのですが、それでも、あえて、この両者の方向性の違いを言うならば、牛田は対象があるということを描こうとしたのに対して、速水は対象が見えることを描こうとしたのではないかと思います。

Hayami2015yokohama風景画では、速水の作品は、他にも『横浜』という作品が展示されています。見る眼のない私には、アマチュアの水彩画だと言われれば、それを真に受けてしまうでしょう。私には、その程度にしか思えない作品です。正直に、誤解を恐れずに申し上げて。同じ、横浜を題材にした作品として小茂田青樹の『横浜海岸通り』という作品も展示されていました。これも、私にはアマチュアの水彩画でしたが。これらを見る限りでは、二人の違いは、よく分かりません。それは、この次の章の展示で追求されることになるので、ここでは、それほど違わないというというのを、二つの作品を見比べてみれば、いいのではないかと思います。

Hayami2015yokohama2_2




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