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2015年8月19日 (水)

速水御舟とその周辺─大正日本画の俊英たち─(1)

2015年5月世田谷美術館

Hayami2015pos_25月のゴールデンウィークに出かけることなどというのは、久しぶりのことだ。世田谷美術館は、私の地元からの交通の便がよいわけではなく、しかもおそくまで開館してくれないので、なかなか訪れることのできないところ。10年以上前に一度訪れたことはあったが、ほとんど初めての訪問のようなものだ。用賀の駅から住宅地の中の道を歩き、世田谷公園の中のある美術館に行くのは、散歩道として、そういう雰囲気が好きな人には、いいのだろうと思う。美術館のロケーション自体は悪くはないと思うが、私には行く難さの方が先にたつ。連休の最終日で世田谷公園は子供連れのファミリーでいっぱいだったが、美術館は展覧会の会期が始まって間もないこともあるのだろうか、人影は多くはなく、静かにゆっくりと過ごすことができた。

速水御舟という画家については、以前に山種美術館で「速水御舟 日本美術院の精鋭たち」という所有コレクションを中心とした展覧会に行ったことがあった。このときは、展示の拙さもあって、近代の日本画に対する違和感と速水という画家が文献等で高い評価を受けていることに対して強い違和感を持った。著名な画家で評価が高いということだが、下手くそで、自分が何をやろうとしたのか分かっていない愚かな人だったと思わせるものだった。つまり、はっきり言って「つまらない!」という印象だった。今回の「速水御舟とその周辺」を見た印象では、速水という人は、それほど酷い画家ではないに変わった。何か、えらそうなことを言っているけれど、私の個人の印象なので、独断と偏見ということです。また、展示によって、こうも印象が変わるのか、ということがよく分かったのと、どちらにしても速水と画家は見せ方によって評価が変わってくると言う、私にとっては、その程度の画家に評価が上がったということです。このあたりの展示の見せ方を含めて、主催者のあいさつを引用します。

“速水御舟は1895年、東京・浅草に生まれ、14歳にして生家の筋向いにあった当時歴史画の大家とされていた松本楓湖の安雅堂画塾に入門し、粉本模写などを通して日本画の基礎を学びました。御舟は師と同様歴史画から出発しますが、兄弟子で後に日本画改革のリーダーとなる今村紫紅と出会い、紫紅の影響から印象派の点描に似た表現を用いて、当時新南画と呼ばれた自由な画風へと作風を変化させてゆきました。紫紅は御舟ら安雅堂画塾の若手メンバーと赤曜会を立ち上げ、旧態依然とした旧来の日本画の殻を打ち破り、日本画の革新を目指しましたが、赤曜会は紫紅の突然の逝去によりわずか一年あまりで解散となってしまいました。御舟は紫紅の影響を脱し、新南画が中国の宋代院体画の花鳥画や北方ルネサンスの画家・デューラーの極端なまでの写実絵画へと突き進みます。型にはまることを嫌う御舟はその後、琳派の奥行を排した金屏風の大画面へと再び舵を切ります。渡欧後、御舟は西洋絵画の群像表現に魅せられて人体表現へと向かい、女性群像の大作に取り組もうとしていた矢先に、病に倒れ夭折してしまいます。享年40。御舟の突然の死は画壇に大きな衝撃を与え、その才能を惜しむ声が各界から寄せられました。本年は速水御舟の没後80年の節目の年に当たり、本展はそれを記念して、師の松本楓湖から院展目黒派と呼ばれた今村紫紅、小茂田青樹、小山大月、牛田雞村、黒田古郷ら赤曜会のメンバー、そして御舟一門の高橋周桑、吉田善彦など、御舟とその周辺の作家たちの作品を一堂に集め、展観いたします。近代日本画の頂点のひとつとされ、今なお燦然と光り輝く御舟芸術がどのように誕生し、継承されたかを検証しようとするものです。”

Hayami2015rakuhoku公立美術館と言うことなのでしょうか、教科書のような卒のない文章で、主張のはっきりしないところがあります。展覧会を見た後で、注意して読み返してみると、特徴がようやく分かってきます。また、別のところで美術館の学芸員がこの展覧会の経緯を説明しています。ここでも展示されている吉田善彦の回顧展の準備していたときに、吉田は速水の許で若年時に薫陶を受けた人で、そこで見ることができたスケッチやメモなどをきっかに調査をしてみると、“御舟は孤高の画家のように思われているが、御舟の作品は誰の影響も受けずに生まれたものではなく、御舟が入門した安雅堂画塾の兄弟子の今村紫紅や御舟も加わった院展目黒派と呼ばれた小茂田青樹ら赤曜会の仲間たちとの切磋琢磨から生み出されたものであることが徐々に分かってきた。今村紫紅とそっくりな作品や小茂田青樹と似た作品もかなりあるので検証してみたいと思った。金地の色紙に描かれた宋代院体画風な静物画などは赤曜会のメンバーのほとんどが描いていることも分かってきた。”そういうことを踏まえて、私が捉えたことは、ちょっと違うと思いますが、この展示の特徴は、速水という人を単独の自立した芸術家(画家)としてではなく、彼が含まれる芸術家たちのグループの中の一人、つまりワン・オブ・ゼムとして提示しようとしたところです。そうしてみると、一見、速水の作品を通しに見ると感じられる主体性のなさ、一貫した人格というか視点が見えてこないところは、速水が修行時代からグループの画家たちの様々な動きの中で翻弄され、時には引きずられ、ときには差別化したりして、グループの中での差異により自分の存在を表わしてきたと考えると納得できる。そう考えると、速水の作品を、夭折した気鋭の画家などと考えずに画家のグループの中で坊やみたいな存在で、からかわれるか、いじられるかのように周囲の画家たちの、あっちこっちの方向にふらふらして、グループの中で自己を確立させるような人だったことが分かります。日本画とか、画壇というより、数人のグループという閉じられた空間の中で息づくような内向的な傾向の作品傾向というのでしょうか。速水の作品の特徴は、作品として際立っているというのではなく、グループの他の画家たちの作品との些細な差異に見出されることで、はじめてそれと認識できるとわかります。それは、ここで、速水の作品を他の画家の似たような作品と並べて展示して見せてくれたことでよく分かりました。

Hayami2015shiomi美術館の受付で入場券を買うと、長い廊下を通り、最初のロビーのような展示室にあいさつと並んで、真っ先に目に付くように、章立てとは別に展示されていたのが『洛北修学院村』という作品を見て行きましょう。これは速水の作品の中でも著名なもののようです。それもあってか、特別にこの作品をロビーに展示したということなのでしょうか。縦長の画面を利用して、斜め上から奥行きを見下ろすようなアングルが設定されています。しかも、細長い画面を利用して、そこにつづら折のように斜面に曲がりくねった道をいれて、その道を追いかけるように見る者の視線を追わせるようにして、空間を感じさせる。それだけでなく、物語の展開のような筋を画面につくり出している、という画面の構成を作り出しています。これは、別の部屋で展示されていた、今村紫紅の作品、例えば、『潮見坂』という作品と構成がよく似ています。それだけでなく、『潮見坂』では画面の右手の樹林などで緑を点描のように絵の具の色を混ぜずに塗り分けて、離れたところで見ると樹々の緑の折りなす様や陰影を厚みを感じさせるような効果をあげていますが、『洛北修学院村』では、ほぼ画面全体にわたって、その方法が使われています。初めての私のような人間が『洛北修学院村』を眺めると、へんなデフォルメをした、現代でいえばギャグマンガのようなヘタウマっぽい描き方でトンチンカンにしか見えませんが、他に、例えば今村の『潮見坂』のような先行作品をみると、そういうものがあるという環境の中で制作されたことが理解できます。これは、こういうものだと、という前提に立って、この『洛北修学院村』という作品を、とにかく見てみようという気にさせてくるのでした。(ただし、『洛北修学院村』という作品は、それだけ終わるような作品ではなく、『潮見坂』と、どのように異なっているかを見ていくと、たいへん興味深いところが多々見えてくる作品なのですが、それは、この後の具体的な感想のところで、できれば書いていきたいと思います。)そういう効果を、見ている私に及ぼしてくれたという点で、この展覧会は、私にとっては速水というエキセントリックな画家への入門の役割を果たしてくれたと思います。

では、いつものように作品を見ていきたいと思います。章立ては次の通りです。

第1章 安雅堂画塾─師・松本楓湖と兄弟子・今村紫紅との出会い 

第2章 赤曜会─今村紫紅と院展目黒派 

第3章 良きライバル─速水御舟と小茂田青樹 

第4章 御舟一門─高橋周桑と吉田善彦 

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