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2015年8月 4日 (火)

冷静に・・

第一次世界大戦の惨劇への深刻な反省から、欧米ではパワーポリティクスから国際協調の潮流が生まれてくる。しかし、自国が戦場にならなかった米国や日本では、その認識が生まれなかった。その結果、国際連盟に米国は参加せず、日本では国際情勢に敏感な理想主義的な動きは失望を生み、視野の狭い軍部を中心としたグループがリーダーシップを握っていく。その認識のズレが日本の孤立化に連なっていく。実に、1930年の満州事変が、第一次世界大戦後、不戦条約を締結した国際秩序による平和状態をブチ壊す戦争だった。それはヨーロッパでは深刻に受け取られたが、日本でそれに気づいた人は皆無で、日本の防衛と経済進出という国内事情しか見えていなかった。(このことは、後世の私も、恥ずかしながら知らなかった。)それは、国際的に日本に対する不信を生み、日中戦争における錦州の戦略爆撃(世界最初の非戦闘者を巻き込む無差別爆撃)や南部仏印進駐でどんどん国際的な不信を増幅し、日本が孤立していった。一方、日本国内では自国の事情のみを考え、世界で孤立状態から情報が隔絶され、自国の状況を見誤り、袋小路に自らを追い込まれていった。当時のリーダーは文字通り追い込まれたとの認識で責任意識を持てなかった。

それとよく似た、国際認識とのズレによる孤立のおそれは、現代にも生まれる危険はあると指摘する。それは戦前の軍国主義とは一見正反対の平和主義に名を借りたもの国際情勢や国際法に留意することなく正義や平和を語ることは、自国以外の安全保障に無関心な利己的な姿勢と紙一重といえる。そもそも、日本国憲法は前文において、「われらは平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思う」と宣言し、「われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであって、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従うことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務である」と謳っている。私、個人の感想として、憲法学者たちは、条文の文言についての逐語的な解釈に拘泥して、この前文との整合性について言及する人がいないように見える。

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