無料ブログはココログ

« 読書のスタイル? | トップページ | 平等とみんないっしょ(2) »

2015年8月22日 (土)

速水御舟とその周辺─大正日本画の俊英たち─(4)~良きライバル─速水御舟と小茂田青樹

Hayami2015moonhayaHayami2015moonkomodaこの展覧会を見ていると、速水という画家のアイデンティティは集団的と言うのでしょうか、人間は多からず少なからずあるのかもしれませんが、とりわけ、この人に特徴的と思われるのは、集団とかグループの特定の人に寄りかかるように、その人物との距離感から画家としての自我を形成していったという依存的な性格であったと思われるところです。解説本などでは、速水に対する形容として“孤高”という言葉が使われることがありますが、この展示を見ていると、そういう“孤高”という言葉のイメージとは正反対の面影が見えてきます。前章では今村というグループのリーダー的な人物に寄りかかるような自我の形成がみられ(ただし、私には、この今村という画家のどこが良いのか、さっぱり理解できませんでした。これは、今村の作品をそれほど見ていないのか、後知恵で作品を眺めているからで、同時代の人が見ていたのは、別の姿だったのかもしれません)、その後、今村が亡くなってしまうと、今度は、同じグループで同年代の小茂田青樹との関係から、それまでは違う方向に画家としての自己を発展させていった、というのが見えてきます。その後、小茂田も夭折してしまって、取り残された速水は、こんどこそ自立するということだったのが、数年を経たずに亡くなってしまった。この展覧会もそうですし、以前に見た展覧会においても、速水の作品の変遷をみていると、様々なことを試行しながら、あっちこっちに寄り道するようにかわっていくのが、どこか取ってつけたような、表層の小手先をいじっているような、浮ついた印象を拭えないでいるのは、そういう速水が、自立して自らの根元から核心を吐出すような画家としての自己が形成され得なかったというように、私には見えてくるのです。こんなことは、一般的な速水像から見れば、言いがかり、中傷以外の何ものでもないかも知れませんが、だからこそ、そういう表層に終始している点に、実は速水という画家の魅力があるのではないか、そう思わされたこともまた事実です。何か、屈折して、わかりにくい言い方をしています。

速水の『仲秋名月』(左側)という作品です。会場では、この作品と並んで小茂田の『月涼』(右側)という作品が展示されていました。両者を見比べると、二人の画家の違いは、私には全く区別できなくて、同じ画家の作品と言われても、疑うことはできないでしょう。これらを見ると、二人の同質性ということが、よく分かります。むしろ、このように同じようだということは、二人とも分かっていて、それゆえに互いに危機感を持っていたのではないでしょうか。他の画家と同じようだというとは、個性がないと同じことです。他の画家とは違うから、その画家の作品を買ってもらえるのですから。そこで、速水にしろ、小茂田にしろ、急き立てられようにして互いに違いを追求しようとして、個性化の方向性を探っていったのではないか、私はそんなストーリーを想像してしまいました。

Hayami2015catkohayamiHayami2015catkomodaそこで、また、二人の似た傾向の作品を見比べてみましょう。速水の『山茶花に猫』(左側)という作品と小茂田の『朧日』(右側)という、猫を題材にした作品です。この二つの作品についても、私には、はっきりと区別することができません。作者名を伏せられて、どちらが速水の作品で小茂田の作品であるかと、問われれば答えることはできないでしょう。私の知識が貧弱で、鑑識眼がないことを棚上げして言うわけではないのですが、いろいろと尤もらしい解説はあるものの、速水とか小茂田という画家の作品の個性とか、いわば作品のブランドとしての差別化というのは、その程度のものかもしれません。後は、作者名というラベリングと、それにサイドストーリーを批評家とか評論家とか学者といった業界人が箔付けするように、あたかも付加価値があるようにして、商品価格を引き上げている。ちょっと口が過ぎますでしょうか。私自身も、そのような口車に乗って、あたかも歴史上の大家の名作であるかのように考えて、わざわざ美術館に足を運び、入館料を支払って、頼まれもしないのに、こんな文章をネットに出しているのですから、片棒を担いでいると同じなので、あまり、大それたことを言うと、天に向かって唾を吐くようにことになってしまうことになります。さて、ここで、速水の『山茶花に猫』という作品ですが、猫の位置が変な感じがしませんか。顔を仰向けにして視線を上に向けているようですが、その先には山茶花の花があるわけでもなく、意味不明なのです。また、全体のバランスを考えてみても、画面左側は山茶花が占めていて、それと対峙させるように猫を右側に置くのでもなく、画面の中心は猫であるとして中央に置くのでもなく、こころもち左寄りに山茶花に寄りかかるような位置関係になっています。これでは、画面が左に傾いているような印象で、右側に空間を取りたかったのか、そうだとしても余白の分量が中途半端です。画面下方を見てください。足元です。山茶花の根元が前面で猫はそこから少し上、つまり足元を見ると後ろの方に位置することになります。それでいて、全体として猫が山茶花の奥にいるような描き方になっていないし、そういう位置関係が考えられていないような、ちぐはぐさがあって、画面全体が、なんとも居心地の悪いものになっています。これは、速水という画家に画面を全体として構成させるパースペクティブの能力を欠いているためなのでしょうか。私には、そうではないとは、言えないとは思えるところもあります。それよりも、私には、速水の中には、そうせざるを得ないものが、やむにやまれぬところがあったのではないか。あえて言えば、速水と小茂田を分かつのは、そのやむにやまれぬものの有無ではないか、と私には思えるのです。

そういう、速水のやむにやまれぬものが、ある面ではっきりと、しかも、画面にポジティブな効果をもたらしたのが、有名な『洛北修学院村』という作品ではないかと思います。この作品の、画面全体を見ていると、ちょうど上部の4分の1ほどのはるかな山の風景は見上げるように描かれているのに、その下の村の風景は見下ろすように描かれています。では、速水は、このような風景をどこから見て描いたのでしょうか。そういう統一した視点が、この作品にはないのです。もちろん、この作品のそういう特徴は、多くの人の気付いているところで、それがこの作品の特徴とされていて、村を見下ろすようにして描いたのは、村のあちこちのたたずまいを同時にくまなく描こうとしたから、とか細密描写がリアリティを与えているとか解説が付されていることが多いのではないかと思います。私には、そういうことは、速水があとから効果として附加したことで、速水は、このようにしか描けなかったのではないかと思えるのです。というのも、もし、解説されているような効果を狙って意図的に、このように描いたとしたら、速水のほかの作品では、きちんとした視点がはっきりしていて、それでかっちりとした画面構成が為されているはずです。ところが、さきほど見た『山茶花と猫』にしても、前章の展示で見た『暮雪』や『短夜』にしても、視点が統一されていないのです。前章で芥川龍之介の「羅生門」の一節を引用しましたが、その文章は下人が羅生門の梯子を上がって見えてくる風景について、下人が見ているところに、話者の主観が混入し、それだけでなく別に芥川龍之介の主観が入り込んできて、風景をみている主体が分裂して、視界の意味づけが二重三重に過剰に溢れてくる、どこか病的なものとなっています。多分、そういうところが芥川の作品が思春期の若者の不安定な感性に適って、未だに支持を得ている理由なのではないかと思います。そういう芥川の性向というのは、時代環境の影響もあると思われ、ほぼ同年代で、同じ東京銀座界隈という環境で育った速水にも共有されていたと考えられなくもありません。速水の画風から想像するに、繊細で感受性が強いのも芥川と共通していると思われます。

Hayami2015rakuhoku前章の芥川龍之介の「羅生門」の文章と、そのネタ本である「今昔物語集」との比較で一目瞭然ですが、芥川の「羅生門」の文章は細部を微に入り細を穿つように、重箱の隅をつつくかのように執拗に描写し、その各々に心情を仮託したりして過剰に意味づけていきます。同じように、速水の『洛北修学院村』の農村風景の描写は精緻を極め、田んぼの稲の一本一本、畦の葉っぱの一枚一枚まで執拗なほど丹念に描き込まれています。芥川の「羅生門」の文章のような分裂した心情を押し込めたような過剰な意味づけがされているようには見えませんが、田んぼの稲の一本の茎にまで丁寧に細い緑色の線を丁寧に描いている様は、多少の病的な印象も与えるものです。このような肥大した細部に充たされた画面全体は、分裂した歪みがあるのです。おそらく、芥川は過剰な細部を内に抱え込んで、それをまとまった作品として統合することができず、古典にすがるようにものがたりの骨格を借りて、いわばヤドカリのようなやり方で小説を書いたように、速水は同じグループにいた今村の作品の骨格を借りて、自身の細部を、そこに置いて行くというやり方で作品を作ろうとしたのではないかと思います。それは、速水のこの作品を見ていると、画面全体のプロポーションだけでなく、それこそ細部の各部分のパーツに眼をやると、ひとつひとつの形状がしっかりしていないで歪んでいるのです。たとえば、作品の一部を取り出してみた3人の農夫の描写を見てみると、サラって形状をなぞっているようで、存在感も動きも感じられません。3人の位置関係での人物の大きさも背景との関係を考えるとバランスが取れているようには思えません。また、田んぼの周辺の草原や森の草木は田んぼの稲との大きさが不釣合いですし、木の形は外形をなぞったようなパターンを繰り返しているようで、もうちょっと描き込んでもいいのでは、と思わせるところがあります。これだけ執拗に細部に筆を入れているにもかかわらず、形状への配慮は無頓着のようにも見えてくるのです。

Hayami2015rakuhoku2_2だから、この『洛北修学院村』という作品を、パッと一見した印象は風景画とか作品タイトルのような農村というのではなくて、青い靄がかかった幻想絵画というのか象徴的な心象風景のように見えるのです。全然関係はないのでしょうが、マルク・シャガールが異郷のパリで故郷の農村を思いつつ描いた幻想画に似ているような気がしてしまいます。それは、シャガールと似たようなブルーの色調でグリーンを効果的に使っている点も似ているせいかもしれません。これは、ひとつの妄想なので、そういうことで聞いていただきたいのですが、前回の展示でみたように今村のグループにいた速水は、今村をはじめとした他の画家たちとの関係の中から、自己の居場所をつくるように彼らと差別化するプロセスの中で自身の個性を作ろうとしていったと思います。つまり、グループの中で自分の個性を作ろうとしたら、他の画家にないもの、他の画家では弱くて自分でもこでは勝てるだろうと思われるところ、それがグループの中の彼の個性と言うことになっていったのではないかと思います。その一つは色遣い、とくに明暗や同系統の色のグラデーションを効果的に配することで独特の雰囲気をつくりだすことでした。それはまた、今村が始めた点描的に色をまとまって画面に置いて行く方法で、陰影とか移ろう感じをうまくかもし出すことができたのでした。そのような、個性を前面に出して、一種開き直ったような作品が、この『洛北修学院村』ではないかと思いまHayami2015rakuhoku3す。だから、上で述べてきた、速水の弱点というべきものが、実は個性であるグラデーションを活かした色遣いを際立たせる結果となっている、というより色彩のグラデーションの注目してもらうために、ほかの要素は目立たなくされている。例えば、ブルーの濃淡とグリーンとの対照を見てもらいために、人物とか森の木々の形体をはっきりさせると見る者の視線がそっちに行ってしまうので、曖昧になって、しかも形状がしっかりしていないので、見る者の注目を集めない結果になっている、というわけです。しかし、よく見ると細部の線は細かく引かれているので、全体として画面が濃密な感じをかもし出して、青の色彩が分厚く浮き上がってみえるような錯覚を見る者に起こさせる。たぶん、作者である速見の当初の意図を超えて成功してしまった作品になったのではないと思います。

Hayami2015gyoson風景画であれば、小茂田青樹の『漁村早春』という作品を見てみましょう。この作品も、速水の『洛北修学院村』に負けず劣らず、細かい描写が追求されています。例えば、茅葺屋根の茅の一本一本が細かく描かれて、そのケバ立った様子が目立つほどです。しかし、一見した印象は、速水の『洛北修学院村』が全体に薄ぼんやりして見えるのに対して、小茂田の『漁村早春』ははっきりしすぎるほど明確に見えます。一点の曇りもないほど、タイトルの早春のもやっとした空気はあまり感じられず、言いすぎかもしれませんが地中海の透き折るような明確な輪郭の風景を想わせるところがあります。それは、ひとつには画面の切り分けがスッパリと気持ちいいほど為されていることと、構成の主だったところに直線が効果的に配されていて、それが明確な印象を強調しているためだと思います。速水の作品に見られる点描的な絵の具の置き方は、グループのリーダーだった今村がパリの印象派に倣ったということらしいのですが、印象派の作品はそういう絵の具の置き方をしていった挙句が画面全体がぼんやりとした作品、たとえばモネが典型的ですが、全体が靄のような画面に至ってしまいます。速水の『洛北修学院村』などは同じようなものです。それは、絵の具をダイレクトに画面においたり滴らせたりすれば、画面上で滲んだりして塗った境界が曖昧になってしまいます。これに対して、この小茂田の『漁村早春』では違う色を塗ったところとの境界線がはっきりしています。例えば、画面右上から左下に向かって民家の屋根から土手の輪郭が対角線のように一直線になって青い空と茅葺屋根と草叢の土手の茶系統の黄色と明確な境界わけが為されています。その対角線に水平線がくっきりと交叉して空と海を区分しています。さらに、右側の屋根の斜線との間で海の部分が下向きの青い三角形を形作っていますが、これは手前の部落の民家の屋根の茶系統の三角形と対照的で、この画面が三角形の配置で構成されていることがまた、構築的な印象をさらに強くしています。このような、まるで設計図のような構成的な画面で細部を詳細に描き込む筆の動きは、あまりに明確なために、却ってうそ臭ささえ感じさせ、不思議と現実感を感じさせません。それは、ある意味で非現実の幻想的要素を速水とは正反対の方向で見る者に抱かせる作品となっています。速水と小茂田が、細密な画面を追求したと解説されていますが、その作品から受ける印象は、このように異質です。

Hayami2015season2小茂田の作品をもう少し見て行きましょう。『四季草花図』という屏風です。『冬図』の方を見てみましょう。左半分を占める赤い実をつけ、雪を乗せた木が前景に中景に雪の中の川の流れが左上から右下に流れて画面を分けるようにして、右上の部分は後景の上から雪の積もった葉が垂れ下がるような高木の枝と、三景を中計である川の対角線を境界として、そして、一面の雪の白で、その境界を曖昧にすることで、平面的で装飾的な描き方でありながら、重層的な奥行きを備えた画面を作り出しています。これらの作品を見ると、小茂田という人は、画面に描く時の全体の設計とか構成に先に考えるタイプで、特に幾何学的な秩序を志向するところがあって、そこに細部を当てはめて、そのなかで全体の構成の中での意味を考慮しながら細かな描写とか、色合いとか陰影を加えていった人のように思えます。それ故にでしょうか、速水の作品のような細部が暴走してしまって、画面全体のバランスが崩れてしまうような不安定さを感じさせることがありません。『夏図』の方を見ると、金色の靄の中に色とりどりの朝顔のHayami2015season花が浮かび上がるというものでしょうが、左手前に垂れ下がる木の枝と葉が輪郭くっきりと描かれて、その奥に靄にけぶるように薄ぼんやり描かれている朝顔を対照をとって、手前の木の葉がぼんやりとした曖昧な、いってみれば幻想的な世界に対して、リアルな現実の世界を対峙させるように構成されているわけです。つまり、見る者が靄の中からぼんやり浮かび上がってくる朝顔の幻想的な世界に陶酔することを、手前の葉が明確な現実を示すことで、引き止めるのです。その結果、幻想的な朝顔の美しさを対象として愛でることを可能としている、そういう構成になっていると思います。ここに見られるのは、現実にしっかりと根を下ろした主体を持った目が、対象を客観性をもって観るという視線です。あとは、その視線に写った対象をいかに描くかということです。だから、小茂田にとって、日本画というのは一つの手段ということになろうとしていたのではなかったのか、と思います。

Hayami2015olvet_3このようにして、他の画家と比較して見てくると、速水という画家の特徴が、私にも、ようやく分かりかけてきたような気がしました。例えば、1930年に渡欧したときのスケッチが展示されていましたが、『オルヴェートにて』という作品は、それらしく仕上げられているようですが、構成とか、つくりをみれば、幼児のお絵かき“おうちの前でパパと遊んでいたら、窓からママが見ていました”とでも言ってしまいそうな、絵画的な思考とか、認識とかの構造的な面が至って幼稚に見えないものです。速水に対して大変失礼な物言いをしていることは百も承知ですが、空間ということが把握されていないし、思いついたものをとりあえず描いた、というようにしか見えません。『彼南のサンバン』という作品などは、古代エジプトの壁画のように見えてきます。画家として、評価を得た後で、渡欧したときのスケッチをもとに描かれた作品に、象徴的に見えてくるのは、こういう姿です。つまり、絵画的な視点とか、認識とかが確立されていなくて、主体的に、自分が何をどのように描こうかというのが、キッチリしていなくて、今村とか小茂田とか周囲の画家との距離感がとれず、そのプロセスで、彼らではない作品を描くことで、ネガティブに自分を差別化していった。けれど、もともとの主体の空虚さを克服しえたわけではなく、その一方で描く技量だけは上達してしまった。その結果として、ひとつの表われが、細部の肥大化、あるいは意匠の独走です。『洛北修学院村』では、それが作品の趣向として許容範囲の中に、結果的に収まるものであれば、個性的な作品として見ることのできるものとなった。しかし、それでも、どこか不安定な崩壊感が底にある、病的なものを秘めている、と私には思えました。端的に言えば、出たとこ勝負です。だから、弟子をとって自らの日本画を教え、継承するということはできなかった。そのため、第4章の弟子という画家の作品展示は、私にはまったく無意味で、興味も湧きませんでした。かつまた、そう見る私を、惹きこむほどの魅力を持った作品ではありませんでしたので、感想を書くほどの印象はありません。

Hayamilady今回の展示でも、『洛北修学院村』と並んで、特別に入り口すぐのロビーに展示されていた『女二題』などは、そのような矛盾が表面化した不安定な作品ではないかと思います。一方、小品では、構成とか視点を、それほど問われることがないので、むしろ技量を活かして、よく見られる作品があったと思います。と、曖昧な書き方をしているのは、あえて取り上げて感想を述べるほど印象に残っていないせいです。ただし、骨董品として市場では高い値段がつくのだろうと想像させる、という程度でした。

速水に対して、ネガティブな物言いをしましたが、ある意味日本画と近代主義の矛盾を真正面から引き受けてしまって、玉砕してしまった潔さは、この展示を見て、何となく分かり、そこが速水という画家の作品を見ていく手がかりになるのではないか、という収穫があった展覧会だったと思います。

« 読書のスタイル? | トップページ | 平等とみんないっしょ(2) »

美術展」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/564097/62136735

この記事へのトラックバック一覧です: 速水御舟とその周辺─大正日本画の俊英たち─(4)~良きライバル─速水御舟と小茂田青樹:

« 読書のスタイル? | トップページ | 平等とみんないっしょ(2) »