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2015年9月 7日 (月)

野口悠紀雄「1940年体制 さらば戦時経済」(1)

本書で描きたいと思うのは、「現在の日本経済を構成する主要な要素は、戦時期に作られた」という仮説である。私は、日本の経済体制はいまだに戦時体制であることを指摘し、それを「1940年体制」と名付ける。これは、二つの意味を持っている。第一は、それまでの日本の制度と異質のものが、この時期に作られたことである。日本型企業、間接金融中心の金融システム、直接税中心の税体系、中央集権的財政制度など、日本経済の特質と考えられているものは、もともと日本にはなかったものであり、戦時経済の要請に応えるために人為的に導入されたものである。第二の意味は、それらが戦後に連続したことである。これは、終戦時におおきな不連続があったとする戦後史の正統的な見方には反するものだ。制度の連続性は驚くべきだが、さらに重要なのは、官僚や企業人の意識の連続性である。私は、40年体制の基本理念が、それまでの日本人がもっていたものとは異質であること、それにもかかわらずそれがいまだに日本人を支配し続けていることを指摘したい。 第1章 われらが出生の秘密 日本の金融界は戦時体制が続いている。現行の日本銀行法は1942年に戦時金融体制のなかで制定されたままであり、市中銀行についても終戦時から銀行数に変化はほとんどない。また、日本を代表する企業の多くは、戦時期に成長してものである。これらは、個別的、限定的なものではない。 これらは、日本経済の基本的なメカニズムの本質に深く関わっている。この体制こそが高度経済成長の中核であり、それだけでなく、現在の日本経済で改革を成し遂げるために大きな障害となっているのも、この体制である。 戦時経済体制に向けての諸改革は、1940年前後な集中して為された。この時期は日本が太平洋戦争に突入する直前であり、総力戦戦うためにさまざまな準備が費用だったのである。そこで、この時期に形成された経済体制を、「1940年体制」と呼ぶことができる。それらが、現在に至るまで日本経済の基本的な仕組みを形作っている。 日本がいまだに戦時体制だとの見方は、従来の定説と著しく異なるものである。正統的な見方によれば、日本の現代史は終戦時に大きな断絶があり、そこが「新生日本の出発点」になったとされているからである。もちろん、こま感化瀬得方は、戦後改革の重要性を否定するものではない。これらの改革が日本社会の上部構造を大きく変えたことは疑いない。ここで指摘したいのは、経済成長の基本的部分では戦時体制が敗戦にもかかわらず生き残ったこと、そして、高度経済成長に対して本質的な役割を果たしたということである。 以上で指摘したのは、戦時体制が戦後に連続したことである。一方、1940年頃の時点に注目すれば、この時点とそれ以前との不連続性の方が重要といえる。日本型企業や業者行政など、しばしば日本特有と考えられているものは、昔から存在していたのではなく、総力戦遂行という特定の目的のために導入されたものだった。しばしば、日本の経済制度は、日本の固有文化を背景にした民族的特性であると言われる。日本型企業や官僚制の原型は、江戸時代の「藩」や「家」に求められる。あるいは連帯意識や平等主義の根源は、農村共同体にあるという見方である。本書が主張する考えは、40年時点での不連続性を強調する点では、不連続仮説のひとつと言ってよい。ただし、不連続が生じた時点について、従来と異なった理解をしているのである。以上のような認識の差は、現在の日本の経済体制が改革可能なものか否かに関して、重要な結論の差をもたらす。日本型システムが日本の長い歴史や文化に根ざしているとの考えは、往々にして、「だから変えられない」という運命論に結びつきやすい。現存しているものが歴史的必然であるという「歴史主義の貧困」に落ち込む危険があるのである。本書はこれに対して、現在の経済体制は日本の歴史においても特殊例外的であり、したがって原理的には変革可能であるという認識に立つ。これは、変化する国際環境の中で、現体制の改革が今後の発展にとってますます重要な条件になりつつあるからである。

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