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2015年9月16日 (水)

野口悠紀雄「1940年体制 さらば戦時経済」(9)

第11章 経済危機後の1940年体制

世界経済は、2007年から09年頃にかけてつね大きな経済危機を経験した。それは1970年代生じた石油ショックと同等、あるいはそれ以上の打撃を世界経済に与えた。ここで注目したいのは、石油危機と今回の危機では、危機後の日本経済のパフォーマンスに大きな違いがあったことである。70年代には、日本経済は石油ショックによって大きな打撃を受けたものの、比較的早期に立ち直り、80年代以降の世界経済で目覚しい躍進を遂げた。その反面で、アメリカやイギリス経済はスタグフレーションに陥り、長期にわたって立ち直ることができなかった。今回の世界経済危機においても、日本経済は大きな打撃を受けた。しかし、危機の原因を作ったアメリカ経済が危機から脱却したにもかかわらず、日本経済は10年にいたっても、危機前の経済活動水準を取り戻すことができない。日米間において、石油ショック時とは逆の現象が生じている。石油ショックと金融危機という二つの経済危機の結果で、なぜこのように大きな違いが生じるのだろうか?その疑問を解く鍵は、1940年体制にある。石油ショックの克服過程で40年体制がポジティブな役割を果たしたのに対して、今回の危機の克服に対してはネガティブな影響を与えたのだ。

1970年代の石油ショックは、第四次中東戦争の中で中東産油諸国が原油価格を引き上げたことによってもたらされた。それまで先進工業国は安価な原油の安定的な供給を基礎に経済成長を謳歌してきたのだが、石油ショックは、こうした経済構造を根底から揺るがした。石油ショックまでは「物価が上がれば失業率が低下する」という関係にあったのが、石油ショック後には「物価も上がるし、失業も増える」というスタグフレーションの状態に陥ってしまった。その後、世界経済は徐々に回復していったが、国によって大きな差があった。アメリカやイギリスなどの欧米諸国では経済停滞が長引いたが、日本経済は比較的早期に立ち直り、ドイツと並んで世界経済をリードした。イギリスやアメリカでは、経常収支の赤字が拡大し、その結果、為替レートが減価した。本来であれば、これによって国際競争力が回復し、経常収支赤字は縮小に向かうはずだ。しかし、為替レートの変化が貿易数量に効果を及ぼすのには時間がかかる。それにより早く為替レートの減価が輸入物価を引き上げ、それによって国内インフレが亢進する。それが賃金を押し上げ、為替レート減価による国際競争力向上分を打ち消してしまうのである。こうして、イタリアやイギリスの通貨に対する信認が失われ、1976年にはリラ危機、ポンド危機が発生した。これに対して、日本では賃金上昇圧力が低かったため輸出が増大し、経常収支黒字が拡大した。これにより円高が実現し、輸入インフレを軽減できた。このため国内インフレが抑制された。また輸出拡大によって不況も克服された。かくして好循環を実現できた。このように、石油ショックへの対応において、賃金決定のメカニズムが決定的な重要性をもったのである。欧米諸国では、物価スライド条項を含む賃金協定が普及していたので、インフレが亢進すると賃金が上昇する。したがって、不況であるにもかかわらず賃金が上がる。これがスタグフレーションに他ならない。こうした事態に対処するため、ヨーロッパでは所得政策の導入が論議された。これは、賃金などの所得を政府が統制して、生産性上昇の範囲内に抑えようとするものだ。しかし、これは統制であるから、自由主義経済では実現は難しい。ところが日本では、所得政策と同じことが、自然発生的に実現できた。戦時経済体制を引き継いだ日本では、労働組合が企業ごとに作られており、企業別賃金交渉を基礎にして賃金を決めるという仕組みが定着していた。しかも、家族的企業観のもと、インフレにあわせて過大な賃上げを要求すると会社が沈んでしまう。だから、労働組合は経営者と一体となり、賃上げよりも会社の存続を優先した。

また、イギリスのように労働組合が強いと、配置転換に対する反対が強く、労働の流動性が阻害される。このため、イギリスでは、経済の構造変化に対して労働力を弾力的に移動させることが求められるのにも関わらず、それが実現しなかった。これに対して日本では、企業内での配置転換は比較的容易に行なえた。このため、経済の構造変化に対する対応が柔軟に行なえたのである。

この経験から、「日本型システムはどんな場合にも優れたものだ」という過信が広がった。同時に戦時経済システムが生き残るばかりでなく、むしろ強化する結果となったのである。仮に石油ショックがなかったとしたら、こうはいかなかった可能性が高い。戦時経済システムは徐々に変質し、より自由主義的で、グローバル・スタンダードに近い経済が実現されていたことだろう。もっとも、40年体制は全ての面で元のままの形で残ったわけではない。80年代から90年代を経て変化を余儀なくされたのである。1940年体制の中核的な部分は官僚制度と金融・税財政制度であるが、金融制度と官僚制度における40年体制は大きく変質死、主要な要素は変質した。しかし、現在に至るまで余り変化が見られず、依然として根強く残っている分野もある。その第一は税財政制度だ。給与所得税と法人税を中心とする税制の構造は、ほとんど変わっていない。また、地方財政が国の財政に大きく依存する構造も変わっていない。そして第二に、日本型企業の閉鎖的体質だ。そして市場メカニズムを大きく否定する考えである。

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