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2015年9月 3日 (木)

鴨居玲展─踊り候え─(4)~Ⅲ.神戸時代~一期の夢の終焉

鴨居の欧州から帰国後、神戸に居を構え、新たな画題を求めて模索を繰り返すが、従来の作品の焼き直しにとどまり、そのプレッシャーから自らを追い詰めていったという伝記的な説明が為されている晩年の作品です。

Kamoi1982『1982年 私』という作品です。上にあるような伝記的な“ものがたり”がたっぷりと付随して、作品の解説でも次のような“ものがたり”の要素のたっぷり詰まった説明が為されています。“画面中央の真っ白なカンヴァス、その前に憔悴しきった鴨居が座る。その手に絵筆はない。足元に廃兵がにじり寄るが、まわりには、老婆、道化、裸婦、ボリビアのインディオ、愛犬チータなど、鴨居がそれまで描き続けてきた人物が、魂を抜かれたように彷徨っている。明らかにクールベの《画家のアトリエ》の構図を模しているとされるが、画家を親しげにとりまくモデルたちや、誇らしげに筆を走らせる画家のクールベの作品とは対照的である。いわば鴨居と哀楽を共に生きたモデルたちに囲まれた鴨居自身の半開きの口は、「これ以上何が描けるのか」と、声なく叫ぶようで痛々しい。長い滞欧生活を満たす、スペイン時代のような画題にはついに巡りあえなかった。過去をなぞる制作のなかで、焦燥感と苦悩に陥った鴨居が、自身を凝視して辿りついたのが自画像であり、その集大成がこの作品である。鴨居のカタルシスは、この作品の真の主題である白いカンヴァスに、無の境地として象徴されている。”

なんとも大仰な、けれども、作品のそれぞれのパーツに象徴的な意味づけを施して“ものがたり”をつくりだして、それが作品の価値であるというように説明されているのが、よく分かります。べつに批判するつもりはありませんが、この解説者は作品自体の美しさとかそういうものには無頓着で、“ものがたり”という付加価値にもっぱら注目しているように見えます。もしかしたら、鴨居自身も、そういうものに引き摺られたのかもしれません。鴨居作品のキャラ大集合というこの作品を見ると、鴨居の作品は、スペイン以降、画面上にキャラを幾つか生み出し、それが画面の中で組み合わされることで作品が制作されていたものが分かります。それらが集まった画面の全体が暗い色調で、悲劇的な様相を呈しているように見えるところに、鴨居という画家の特徴、あるいは、彼の作品の本質的な魅力があるのではないかと、私には思えます。

Kamoimushipro_2この作品と比較して見ていただきたいのが、手塚治虫のヒーロー大集合といったものです。中央に手塚の自画像が配されて、その周囲に手塚の作品で御馴染みのヒーローが取り囲んでいます。これは、商品として、いわゆる芸術とは異なるといわれればそれまでですが、ここにあるポジティブな明るさは、鴨居の作品に比べて対照的です。それに、油彩とマンガは違うというかもしれませんが、手塚の作品のキャラたちが生き生きとしているのに対して、鴨居の作品のキャラたちは生気がありません。この比較だけをもって短絡的な結論は出したくはないのですが、鴨居の作品にキャラたちは、以前にも自画像のヴァリエーションという解説がありましたが、それ自体が独立していて、本質的な価値のあるものとは、私には見えません。それは、私には、鴨居の自画像も同様であるように思えるのです。このようなことを言うと、作品解説で述べられた“ものがたり”を否定するようですが、そうです、私には、鴨居がどのような生涯を送ったとか、どのような人となりであったかとか、作品制作にあたり悩んだとか、それらはどうでもいいことです。むしろ、作品を見る際には、邪魔でしかないのです。そのように見ると、作品の解説にある“ものがたり”は作品についてオマケでしかない。そういう目で作品を見ると、手塚のキャラクター集合の図案の大きな魅力の要因は、彼独特の線と、その線で形作られる曲線です。その象徴的なものが、その曲線で構成されるキャラクターたちの顔です。それによって、キャラクターたちは生命を吹き込まれていると言えます。他のマンガ家と比べるとこのような点で手塚という人は唯一無比であることが分かります。ここは、手塚を論じるところではありませんでした。では鴨居の場合はどうかといえば、私には絵の具の塗りが鴨居の本質的な特徴ではないかと思います。執拗に、何色もの絵の具を何度も塗り重ねて、作品表面は凸凹になり、たくさんの色を重ねていった結果、色が混ざって、色調は鈍く重くなっていく。さらに、その塗りが刷毛で一様にぬられたのではなく、点描のように細かく一点一点を重ねるように塗られていった結果として塗りが一様でなく、そのムラがうねったり、重層的だったり、それらが画面にダイナミクスを与えているというところです。それが、時には情念をぶつけるように見えたり、心情の揺れが反映しているように見えてきたりする効果を見る者に与えているのです。それは鴨居の習作時代の幻想的な作品や抽象的な作品からキャラを配した具象的な作品を通じて一貫しています。そのような視点で見ると、鴨居の作品では、幻想絵画でも抽象画でも具象画でも、実は変わりないのです。つまり、題材はどうでもいい。このような塗りが生かせるものであればいいのです。

Kamoising『望郷を歌う(故高英洋に)』という作品です。“チマ・チョゴリを纏い硬く握り締められた拳を持ち上げ、朗々と歌いあげる女性が、空中に浮かび上がるように描かれ、高ぶる感情と、力強い存在感が表わされている。鴨居の作品中、ここまで堂々と生を謳いあげ、また生の昂揚感に溢れる人物像は他に類を見ない。”と、ほとんど賛美のような解説がされていました。たしかに、タイトルといい、人物のポーズといい、深いグリーンの空間に白いチマ・チョゴリの衣装で浮かび上がるように、仰角気味に人物像を描いている構図が、そういう“ものがたり”を触発するものとなっているのでしょう。しかし、私には、この作品中の人物が歌っているようには見えないのです。何か、敢えてあら捜しをしてイチャモンをつけているように見えますが、この作品の魅力は、そんな人物の描き方などではなく、鴨居の他の作品では無秩序に見える絵の具の塗りの方向性が、ここでは縦方向と人物の頭の部分の輪郭をなぞるような秩序で、波紋がひろがるように塗り重ねられている点です。それが、見ようによっては人物の光背のように見えてくることで、人物を強調し、見る者の昂揚感を煽るような効果を与えている点です。そして、作品の中心となる人物は、ヨーロッパのバロック絵画の聖母マリアの被昇天を描いた作品のポーズを彷彿とさせるポーズと構図になっている点も、この効果をさらに盛り上げていると思います。そして、このような鴨居の作品が、我々に親しく“ものがたり”を思い起こさせ、感情移入させる傾向をもつのは、何度も触れているような、絵の具の塗りによって、もたらされる効果の副次的なものといえるのではないかと思います。この作品でもそうですが、例えば、この作品では、歌っているとされる女性はこちらを向いて訴えることはせず、むしろ上方を仰ぎ見るように顔を向けて、口を開けています。これはいったい誰に向けて歌っているのでしょう。タイトルの通り、望郷を歌っているのであれば、ステージから客席にいる聴衆に向けて訴えるように歌いかけるのが普通です。その際には、そういう感情を顔に表わして、歌に思いを託すようなポーズをとるのが普通でしょう。しかし、鴨居の作品ではそういうことは全くなくて、むしろ人物の表情を窺い知ることはできないように、描きこまれていません。単純に一般論に置き換える危険は敢えて踏んで、単純化を試みていうと、日本の絵画作品は、もともと全部を描きこまず、細部は省略してしまって、余白を残したりして分析的に鑑賞するものではなくて、情緒的に雰囲気を味わうようなものでした。これに対して、伝統的な西洋の油絵は余白を許さず、部分に絵の具を積み重ねるような描写を積み上げ構築して作品を設計して作り上げるものと言えます。そのような作品は、日本の絵画に比べて濃いもので、押しつけがましく、窮屈に映ります。気楽に眺めるというわけには行かないのです。その点で、印象派というのは、点描的な絵の具の塗り方によって、光で映された光景という見た目の効果に重きをおくということで、対象を客観性をもたせて構築的に描きこむということをしないため、日本の絵画のような一見大雑把に見えます。それだから、日本人に印象派の絵画が人気があるのかもしれません。そこで、鴨居の作品です。鴨居の作品は、西洋の油絵の濃い作品のように見えながら、形態を精緻に描写するのではなくて、大雑把な描き方で、見る者に細部を想像させる余白を巧みに作ることに成功していると思います。それは、点描のような、絵の具を塗りたくるような使い方による効果によると思います。その一方で、確かなデッサン力によって、西洋絵画の体裁を備えているために、ちょっとしたお勉強のような、見る者にとって等身大の目線ではなく、少し仰ぎ見るような目線で作品を見る姿勢になることで、真面目な感情移入をすることの衒いを払拭させている効果を生んでいると思います。だからこそ、『望郷を歌う(故高英洋に)』のようなクサい作品でも、見る人は、それを感じることなく、比較的素直に感情移入することができるようにできているのだと思います。

Grecocon私は、そういう質の高いギミックさがあるという点で鴨居の作品を面白いと思います。それは、鴨居自身は、そのようなことなど露ほども思っていなかったでしょうけれど。

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