野口悠紀雄「1940年体制 さらば戦時経済」(5)
第5章 終戦時における連続性
太平洋戦争の終結により、日本は連合国の占領下に置かれた。占領軍司令部は日本民主化のための五大改革として、婦人解放、教育の自由、専制政治からの解放、経済民主化、労働者の団結権を内容とするものであった。ここから、財閥解体、農地改革、新教育制度などの戦後改革がスタートする。
戦後改革によって日本経済の仕組みは大きく変わったはずである。しかし、官僚制度、とりわれ経済官僚の機構は、ほぼ無傷のままで生き残った。終戦によって、政府の機能は戦争の遂行から経済再建へと大転換し、国家公務員法の改正や人事院制度などの改革は行われた。しかし、行政実務的な意味での制度とその運用の実態は、戦時の体制が継承されたのである。官庁で解体されたのは軍部と内務省だけであった。さらには、地方自治がうたわれたにもかかわらず、財源は依然として国に集中されたままで、国策会社や軍需会社、預金部資金制度、食糧管理制度なども存続したのである。
官僚機構が無傷で残った要因は、占領軍が直接軍制ではなく、日本政府を介して間接統治を行なったからである。しかし、本当の理由は占領軍に、日本の経済システムを根底から変革しようとする意図はなかったといえる。占領軍の主目的は武装解除、潜在戦争能力の除去だったからだ。経済政策に関しては、連合軍司令部の経済問題に対する無理解に対して、日本の官僚が巧妙な抵抗をしたことにより生き残った。そして、1948年の逆コースで占領政策は大きく転換した。この背後には、中国情勢の変化を始めとする冷戦の激化があった。アジア唯一の工業力を共産主義からの防波堤として活用すべきであり、日本の経済復興に手を貸すべきだと言う方向に転換したのである。
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