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2015年9月21日 (月)

坂井豊貴「多数決を疑う─社会的選択理論とは何か」(5)

第3章 正しい判断は可能か

法定で1人の被告が罪を問われている。有罪か無罪かを決めるのは陪審員たちの多数決だ。しかしどの陪審員も罪の有無を100%の確率で判断することはできない。間違える可能性があるわけだ。間違えるとは何か。有罪が真実のときに無罪と判断してしまうこと、無罪が真実のときに有罪と判断してしまうことだ。人間は神ではなく、常に正しいとは限らない。しかし、身の有無を、コイントスで決めることに比べれば、人間の理性による判断の方が優れているのではないか。つまり人間の理性による判断の方が優れているのではないか。人間の理性による判断が正しい確率の値は1よりは低いが、0.5よりは高い。

ここで、仮に1人陪審員が正しい判断をする確率を0.6としたときに、これに対して3人の陪審員によって多数決で結果が正しい確率を計算すると、3人中2人以上が正しい確率ということになり、0.648と計算されるという。つまり、0.6より高い確率となり、陪審員3人で判断するほうが、1人で判断するよりも正しい確率が高くなる。これは、陪審員の数を増やすに従い高くなっていく。

これは、言われてみれば当たり前のことだろうが、1人だけで正しく判断できるのは、その1人が正しい時だけだ。1人中1人という全員である。所が3人ならどうなるか。3人のうち2人が正しければ、多数決の結果は正しくなる。3人全員まで正しくある必要はない。このハードルは陪審員の人数を増やすとさらに下がる。多数決のもとでは、正しい判断をする者が半数をわずかにでも越しさえすれば、結果が正しくなるからだ。これは統計学でいう「大数の法則」の応用である。陪審員の数は有限だが、人数が増えるに従い確率は100%に近づいていくこれを陪審定理という。自分は「有罪」を投じたが、多数決の結果が「無罪」であった時には、自分の判断は高い確率で間違えていたというわけだ。自分の意に沿わない、気に入らない結果が出たと考えるべきではない。自分が間違えていたわけだから。

この陪審定理が成り立つためには以下の二条件が満たされている必要がある。

条件1.陪審員は被告人と事件に関する情報を適切に与えられており、自分の理性を働かせようと努めること。いわば情報開示が為されており、また偏見や思い込みで判断しない。

条件2.陪審員は自分の頭で考えて有罪か無罪かを判断すること。投票の前に討議の機会はあってもよい。ただし、その場の雰囲気に流されたり、勝ちそうな方を予想してそちらに投票したりはしない。

なるほど条件1と条件2が成り立つよう陪審の場を整えることが大事なのだ、と話は終わらない。むしろことは出発点である。

これを通常の投票で考えた場合、「正しい」判断とは何を意味するのか。投票において有権者は、自分だけに関わる私的な利益ではなく、自分が関わる公的な利益への判断を求められているのだ。こう読むと陪審定理における「正しい」の意味は投票でもひとまず通じる。これは、ルソーが「社会契約論」の一般意志の考えのもとにある。多数決を巡る最大の倫理的課題は、なぜ少数派が多数派の意見に従わなければならないのか、というものだ。従わなければ罰されるからというのは服従する理由であって、従うべき義務の説明にはなっていない。また「結果がこうなったのだから従うのが義務だ」というのは義務の押しつけであって、その「義務」の正しさを生じさせることに成功していない。すなわち多数決においては結果に従うべき正当性が求められる。陪審の評決については、多数派の判断が正しい確率が非常に高い、というのがその正当性を支えていた。では法案の審議ではどうか。多数派の判断が一般意志に適う確率が非常に高い、とはどのような正当性を与えるのか。

 

著者は、まず、判断の正しさということを確率で示そうとする。いかにも統計をやっている人の考え方と思う。とりあえずきいておけばよい。問題は、選挙の投票にしろ、議会で物事を決定するにしろ、その結果が正しいというのはどういうことか、つまり正しいということの内容であろう。どういう結果であれば、正しいということになるのか、それが多数決の結果と一致するということになるのは、どうしてなのか、ということです。

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