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2015年9月10日 (木)

学問って、胡散臭い?

私の在学した大学の法学部は法学科という単一学科で、法律を勉強する者と政治学を勉強する者とが分かれていなかった。学校は総合的に学んでもらうことを考えていたのかもしれないが、入学試験を受けるときには、あまりそんなことは考えなかった人が多かったのではないか。それで入学すると、法学部だからということで法律を勉強しようとする。しかし、法律は煩瑣でややこしい、条文や判例など覚えることがたくさんある。どうせ司法試験を受けるわけでもないので、と挫折するものが出てくる。それで、別のコースということで政治学に流れてくるというパターンが結構あった。私は、日和って政治学に傾いたクチだが。そんなわけで、政治学っていう学問分野はなんとなく胡散臭い感じがつきまとって離れなかった。第一、政治学を学んでも政治家になるわけでもない。学んでいる内容も、政治家向けではない。それがさらに昂じたのは、就職活動のときだった。企業の担当者と面接したり、話を聞いたりしたときに、政治学って何の役に立つのか、そもそも学問なのか、そんなことを訊かれた。そのとき、自信をもって答えることはできなかった。 ただ、そういう胡散臭さがあったことと同居ように、そうであったからこそ、自問することをするようになったと言えるかもしれない。そもそも、政治学に限らず、学問というのは胡散臭いものではないかと思っている。学問のおおもとと言える哲学は、フィロソフィーで知(ソフィア←セント・ソフィアって上智大学のことだっけ)を愛するということなのだから。そして、プラトンはその行為自体をエロスといったわけで、これを胡散臭い言わずに何と言えるだろうか。

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