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2015年9月16日 (水)

野口悠紀雄「1940年体制 さらば戦時経済」(10)

1990年代以降の世界経済の大きな潮流は、日本やドイツなどの産業大国が没落し、その半面で、アメリカ、イギリス、アイルランドなど脱工業化を実現した国が目覚しい発展を遂げたことだ。このような現象が生じた原因は80年代以降の世界経済構造の大変化である。第一に、アジア新興諸国が工業化した。韓国、台湾、シンガポール、香港に続いて中国が工業化し、これらの諸国が安い賃金で工業製品を安価に製造できるようになったため、先進国における製造業は、優位性を失い、製造業中心国が立ち遅れたのだ。

大量生産の製造業において重要なのは、新しいものの創造ではなく、規律である。全員が共通目的の達成を目指して、与えられた職務を正確に遂行することが求められる。また、金融も、市場メカニズムに従って資金配分が為される直接金融よりは、資金配分を政府がコントロールできる間接金融の方が都合がよい。この体制は1940年頃の世界では決して特殊なものではなかった。第二次大戦後の社会でも、70年代までは、技術の基本的性格はそれまでと同じものであり、したがって産業構造もそれまでと同じものだった。この時代の中心産業は、製造業、とりわれ鉄鋼業のような重厚長大型装置産業と、自動車のように大量生産の組み立て産業である。そのような環境の中で、戦後も戦時経済体制を維持し続けた日本が良好な経済パフォーマンスを実現できたのは、当然のことである。

しかし、1980年代以降の世界では、技術体系に大きな変化が生じた。それは情報処理と通信の技術が、集中型から分散型に移行したことだ。この変化は、経済構造の根幹に本質的な影響を与えた。情報処理システムが集中型だった時代には、経済システムでも中央集権型が有利だった。日本の戦時経済体制も、中央集権的な色彩が強いので、古いタイプの情報システムに適合していた。所が、90年代以降の情報技術の変化は、このパラダイムを根本から変革した。分散型情報システムが進歩すると、分権型経済システムの優位性が高まる。したがって計画経済に対して市場経済の有利性が増し、大組織に対して小組織の優位性が高まるのである。具体的な経済活動の内容でも、産業革命型のモノ作りでなく、金融業や情報処理産業の重要性が増す。中国等の工業化の影響と共に、このような技術上の大変化が、産業構造の変革を要請したのだ。こうした経済活動においては、ルーチンワークを効率的にこなすことでではなく、独創性が求められる。したがって、集団主義でなく個性が重要になる。政治的にも、地方分権が望まれる。統制色の強い戦時経済的な経済体制は、新しい体系の下では、優位性を発揮できず、むしろ変革と進歩に対して桎梏となるのである。

 

1940年体制を構成するいま一つの重要な要素は、企業別労働組合、年功序列賃金、終身雇用制によって構成される「日本型企業」である。これらについても、1990年代後半以降、製造業の成長が頭打ちになるにつれて、労働組合の影響力は低下し、終身雇用制は保障されなくなった。雇用構造が正規労働者を中心とするものから転換し、非正規労働者が増加した。賃金構造も変わった。しかし、日本企業の特徴である閉鎖的で、外に向かって開かれていない点は変わっていない。終身雇用制や年功序列賃金は崩れつつある。しかし、企業間の労働力移動はいまだに限定的だ。とりわけ、企業の幹部や幹部候補生が企業間を移動することは、めったにない。経営者が内部昇進者であることは、少なくとも大企業に関する限り、全く変わらない。日本には経営者の市場が存在しない。経営が組織の範囲を超えた普遍的な専門技術であるという認識がないからだ。このため、日本大企業で、内部昇進のルートを通らない最高幹部が誕生したのは、経営破綻した日本長期信用銀行の後身である新生銀行、経営危機に陥った日産自動車、破綻した日本航空など、破綻した企業または破綻の危機に瀕した企業でしか見られない。大企業の幹部は、経営の専門家でなく、その組織の内部事情の専門家であり、過去の事業において成功してきた人たちだ。従って、企業経営の究極的な目的は、これまで続いてきた企業の姿と、従業員の共同体を維持することに置かれる。時代の変化に適応して企業の事業内容を変化させることは、それに比べれば下位の目標とされる。従って、環境が変わっても、過去に成功した事業を捨てることをしない。過去に成功した人々が実権を握っているため、過去の成功に囚われて、変化する世界の中で変革を拒否しているのである。このため、本来を未来を開く推進力となるべき企業が、変革の意欲を持たず、現状維持勢力になってしまう。世界経済の大変化にもかかわらず、これまでのビジネスモデルを継続することに汲々とし、企業の存続だけを目的とするようになる。

日本企業の第二の特徴は、市場システムに対する否定的な考えに強く影響されていることである。利益の獲得を罪悪視し、従業員の共同体的性格が強い組織の存続を何よりも重要な目的とする。株式会社制度は、株式の売買が自由に行われることを前提にしたものだ。それによって、業績の振るわない企業の株価が下落し、経営に影響が及ぶことが期待されているのである。しかし、日本の大企業の多くは、株式の持合によってこうした圧力から守られている。また、外資の参入に強く抵抗する。このため、市場の圧力が経営に影響しない。この意味においても、日本の大企業は閉鎖的である。

以上で見た日本企業の特性は、日本社会の必然であり、日本社会に固有のものであると考えられることが多い。しかし、戦前の日本企業は、戦時の日本企業とは極めて異質のものであった。日本にも「欧米流の資本主義」があったのだ。だから、いまの体制が日本に固有のものだと考えるのは、間違いである。

日本企業が変革できない基本的原因は、日本企業が資本面で国際競争にさらされていないことである。資本面から見ると、日本は鎖国しているしとか言いようのない状態だ。このため、経営者が直接に競争にさらされることがない。競争は経済パフォーマンスを向上させる最も基本的な手段であるが、日本では製品の競争はあっても、経営者や資本面の競争はないのだ。

 

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