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2015年9月25日 (金)

構造というストーリー

大学に入り、政治学のゼミの最初の時間に教授から1868年に明治新政府が憲法に当たる文書を発表して維新のスタートを宣言したというが、それは何か、と訊かれ、五箇条のご誓文と答えてしまった。憲法と歴史を勉強し直せと言われたが、近代民主主義の憲法とは、アメリカ合衆国憲法、フランス革命後の共和政で制定された憲法を見ると、政府の統治への規制の規定しかない。日本国憲法でいえば第4章以降の部分。五箇条のご誓文には政体や機構の規制がないので、いわば新政府の心構えの宣言。ちなみに、人権条項は民主制の前提で当たり前なので法律にするものでもない(法律にすれば改定されてしまうおそれもある)。合衆国憲法は後に修正条文として追加された。それは、国民の権利や自由は天賦で不可侵であるものとして、政府はそれを護るために義務付けられ、そのための具体的方針と規制が憲法ということ。

そう考えると、現代の日本国憲法の条文の中でも絶対に変えてはいけない条文とそうでない条文がある、ということになる。つまり、重要度の軽重が分かれるということ。

で、そういうことを前置きとして、第1章は措くとして、第2章の戦争の放棄は、第3章の国民の権利という神聖不可侵の条項の前に置かれているのは、日本国憲法の中で、どのように位置づけられているのだろうか。つまり、憲法というのが日本という国の基本となる方針を具現させたものであるはずなのが、統一的なストーリーとかイメージが容易にできないもので、それを憲法学の先生たちでもやってくれていない、私には思える。それは、昨日触れた、憲法前文と条文の矛盾がどのように整合できるように説明されるか、ということも含めて。それは、条文の解釈についても、根拠となるものだろうと思うからだ。

何か、ガバナンスとか経営方針とか戦略ストーリーとかに頭が凝り固まって、発想も引っ張られているようだ。

自分で考えてみてもいいかもしれない、構造はひとつの思想でもあるということを

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