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2015年10月

2015年10月31日 (土)

夜道のスマホはちょっと恐い

郊外のひとけのない淋しい夜道を一人で歩いていると、暗い中で、ポッと淡い光がかすかに揺らめき、何か怪しい。いぶかしく思っていると、少しずつ、こちらに近づいてくる。まわりを見渡しても誰もいない。だんだん不気味になってきた。と思ったら、高校生がスマホやりながら歩いてきたのだった。ゲームなのか動画を見ていたのか、画面の動きが光の明滅のように、それが遠目には怪しい光が浮かんでいるように見えた。そんなところでもスマホやるのか・・・。正直、ちょっと恐かった。

2015年10月30日 (金)

~かな・・・への違和感

いいトシこいた頑固オヤジが、アナクロめいた愚痴をこぼす。ショートギャグのようですが、「最近の若い者は~」のフレーズをひとつ。「~できたらいいかな、と思う」という言い方をされると、やりたいのか、そうでないのか、ハッキリしろと言いたくなる気持ちを抑えるのに苦労する。まるで他人事のようで、誤魔化されたような感じがする。「~したい」と言わない。何回か、そう言われたときに、「どうなの?あなたがやるの?」と聞き返したら、引かれてしまった。

「~であれば、・・・」とか「~できれば、・・・」と言われると、「だったら、どうなの?」と訊きたくなってしまう。それも、きいたら、やっぱり引かれてしまった。

意地悪なオッサンです。でも、そういうのに調子を合わせるのには、抵抗がある。

2015年10月27日 (火)

明治維新て変?

明治維新は世界史の中で見ると、極めて特異な政変だという。それは、政変によって政権を奪取した人々が自己否定するかのような施策を行っていることだ。ヨーロッパ近代の革命、例えばフランス革命でも、合衆国の独立戦争でも、ロシア革命でさえ、市民革命といわれるように革命の主体となった市民が政権の主体となって、市民による政体を作った。これに対して、明治維新では、旧政権である幕府を倒した薩長といった藩が新政府の主体とならず、むしろ廃藩置県で廃止してしまった。さらに、志士たちをも、その出身階級である武士(下級武士)の特権性も四民平等で廃止し、生活の基盤すら秩禄処分で奪ってしまう。政変後の新政権の権力基盤を自ら進んで崩壊させてしまったということになる。だから、市民革命の場合の反革命のような抵抗運動は旧秩序の人々であったのに対して、明治維新の場合は、その革命を担った新秩序の側の人々であったという特異ですらある。

その原因として考えられるのは、明治維新を主導した人々は、最初から具体的な新体制のビジョンを持っていたのではなく、その時々の目前の課題を解決する最善の施策を採っていたことの積み重ねた結果として、最終的に行き着いたのではないか、という。

つまり、最初から廃藩置県、四民平等、秩禄処分といった自分たちの基盤を否定してしまうようなビジョンを持っていて、そんなことに自分たちの生命を賭していくようなことは、それも、一部のエリートだけでなく、多くの人々を巻き込んだムーブメントにはなり得なかったと考えられるからだ。

そういう視点で見ていくと、明治維新を担ったリーダーたちの一貫性のなさは、軽薄ともいえるもので、およそポリシーというものを持ち得ず、ひたすら現実的で、その場しのぎに終始した結果そうなった。

2015年10月26日 (月)

通勤定期のひがみ

通勤の経路はJR東日本の路線で、毎日の乗車券には定期を購入して充てているが、ICカードの定期である所謂SUICAではなく、旧来の型式の定期券を使っている。JR東日本の定期利用者の大部分はSUICAにしているように見えるが、そうでない者からみると、けっこう面白く見えるものがある。例えば、比較的大きな駅の改札口は、横に何台もの自動改札機が並んでいて、その半分はSUICA専用の自動改札になっている。普通に考えれば、SUICAの利用者のためにわざわざ設置されたもので、SUICAでない人は通れないのだから、そこを通行する人はSUICA利用者に限られる特権的な改札のはず。しかし、人の流れをみていると、多くの人はSUICA専用ではない改札機を通ろうとする傾向があるように見える。長時間にわたり観察したというのはないけれど、私の見た印象ではSUICA専用の改札機より、そうでない改札機の方が混み合っている。しかも、SUICA専用の改札機は多くの場合、改札の並んだ中の真ん中の人の流れのメインストリートに設置されている。たぶんJRは利用者を増やしたいために、そうしているのだろう。それにもかかわらず、あえて脇の専用でないところを通ろうとする人が多い。これは、以前に、高速道路でETCが導入されたときに、ETCを設置しているにもかかわらず、ETC専用ゲートを使わない車があったことを思いだした。

あまり、意識していないだろうけれど、自然とそうしてしまう、何か傾向があるように考えてしまう。実際のところ、旧来の定期券を使っている者としては、SUICA利用者は専用の改札機を通ってくれた方が、私は、そこを通れないので、乗り降りの改札が空いてくるのでありがたいのだけれど。

2015年10月22日 (木)

N社の決算説明会に行ってきた

ある証券アナリストのご厚意で、昨日第2四半期決算発表のあったN社の決算説明会に行ってきた。決算説明会なのだけれど、決算の数字は前日に短信を公表し、今日の説明会でも説明資料を配布しているので、業績数字の直接の説明は一切ない説明会だった。第2四半期で、以前の言い方で言えば中間決算なので、細かい数字をいちいち説明するほどでもないとは思うけれど、業績が順調なせいもあって、これからの年度後半の方向性と、中期の戦略、とくにもともとの本業であったパソコンのファンモーターに取って替わって主力事業になるように注力している自動車の車載モーターの事業の説明に大半の時間を割いていた。これは会社の自信のあらわれと言えるかもしれない。ドイツVW社のディーゼル・エンジンに対するスキャンダルは、CO2の排出に対する規制の強化とともに、内燃エンジンそのものから離れる傾向が加速するという動き。あるいは2020年を期して、日米欧で自動運転が本格化すること、また、先日トヨタが2050年までにはガソリンエンジンから離れるという発表(コンサバのトヨタのことを考えると、もっと早い時期にそうなってしまうと言われる)。これらのことから、2020年までには日米欧の大手自動車メーカーは一斉に電気自動車や自動運転、自動ブレーキに転換する。そのために、大手自動車メーカーが車体プラットフォームの大転換の準備に着手している。そこで生産体制の大転換がおこり、素材、部品、モジュールが全面的に入れ替わるために、関連市場は大規模なプロジェクトが目白押しになっている。その関連する主事業は空前の飛躍のチャンスである反面、自動車メーカーも混じって、生き残りをかけて、勝てば大飛躍、負ければ致命的という熾烈な競争が始まる、という。何か、話を聞いていて、ワクワクしてしまう説明会だった。N社長は、やる気まんまん。元気をもらった感じ。

そうであれば、なかなか進まないエコカー向けの電池の本格的量産の拡大が急テンポで進むように変わるということなのだろうか。ちょっと期待・・・。

2015年10月21日 (水)

コーポレートガバナンスコードそもそも(17)

コーポレート・ガバナンスということを、日本企業の実践の場で単純化して考えると、一面的に過ぎるかもしれないけれど、ある種の会社、といってもかなりの会社に当てはまると可能性は高いと考えられるのだが、社長に対する目の上のタンコブのような存在を置いて、常時ではないが時折機能させる、ということで、けっこう成果が出てしまうのではないか、と思う。

あくまでも目の上のタンコブの程度で、前社長が会長として君臨して院政のような影の実力者で隠然と権力をふるうのではない。社長が名実ともにリーダーシップをとって、攻撃的な経営を推し進めることができるように、経営陣はバックアップする。その一方で、行き過ぎないように歯止めの役割としてタンコブが必要。会社内部の者は、社長のリーダーシップの下にいるから、そういう役目を引き受ける者は現われにくい。だから、それを社外取締役に担わせるのだ。だから、ある意味、社外取締役は消耗品のようなものでいい。何社かで、社外取締役を掛け持ちしていて、仮に当社で社長に叱言を呈して睨まれても、それほど堪えないでいられるという立場。

そうであれば、体制としては情報が伝わる透明性が担保されることに、ガバナンスは集中すればいい、ということだ。

単純化しすぎかもしれないが。

2015年10月20日 (火)

歴史と解釈?

大雨が降り、1時間後に洪水が起こった。論理的には、二つの事実は時間の前後という関係しかない。両者に因果関係をみるのは解釈、つまり、人が二つの事実が関連しているように見るということにすぎない。それは、見方にすぎず、それによって一連の事実であるかのような、まとまった物語として捉えることができる。歴史で言えば、歴史的事実と歴史的解釈との区別はこれにあたるか。こう言うと、違いは明らかなようだけれど、実際には分けるのは難しい。過去の歴史的事実を、現在のことのようにすべて知ることはできない。その事実の記録や証拠がすべて残されているとは限らない。歴史家は、残されたものから事実をさがす。洪水の記録が残されている時、因果関係という解釈をもとに大雨があった記録や痕跡を前述とは逆方向になるが遡るように探すことをする。それは、何の方向性もなく単に探すというより、探すということに関しては効率的ということになるだろう。そして、大雨があった証拠を見つけ出したら、そこで確認できたことになる。解釈によって事実が明らかになるという。簡単に言うところの歴史理論。このようだと、「あった」ことは探して、みつけることはできるが、「なかった」ことは見つけることはできない。そもそもなかったのだから。「ある」ということは「ない」ことがあってこそなのだから。それゆえに、歴史と歴史解釈とを混同してしまいがちだ。例えば、四半世紀前の事柄に対する解釈の相違を事実があったかなかったかのように言い争うのは、歴史と解釈をお互いに都合のいいように混同して議論を混ぜ返しているに過ぎない。はっきりしているのは、互いに正面から共通の基盤を探して冷静に論理的な議論を進めようとは考えていないということだ。どっちもどっち。それを見ていて、歯痒い。

2015年10月19日 (月)

憲法内のヒエラルキー?

日本国憲法を見ていて、基本的人権に関する条文は第3章にまとめられ、第4章以下は統治機構に関する条文が続いている。この順番はより前の章の方が基本的なもので、統治機構は基本的人権を尊重するために規定されているという重要度の違いを表しているのではないか。とすると、戦争の放棄は第2章で基本的人権よりも、より基本的で優先させるということなのか。であれば、極端な場合、戦争放棄のためなら人々の基本的人権が犠牲になってしょうがない、ということになる。もしそうであれば、今回の法案が違憲であるということは明白だけれど、そうであれば自衛隊の存在も違憲ということになる。でも、自衛隊の違憲を明確に主張する声は聞こえてこない。

また、そもそも憲法とか立憲制とはどういうものか、とか原則論に立ち帰れば、基本的人権を尊重し、そのために戦争の放棄ということをするというストーリーになると思う。ただし、そう考える根拠は憲法の条文を読む限りない。ただし、憲法学者の人たちの話を聞く限りでは自衛のためになら戦争をしてもいいということらしい。しかし、そんなことは第9条には一言も書かれていない。憲法学者の人たちが言う自衛というのは何を守るのか、ちゃんと説明してくれていないので、昨日の自衛隊の人のように悩むことになってしまうが。基本的人権というか、日本の人々の生存と社会生活が保障されるためにその体制を守るということであれば、そのためにどのように守るかは、それこそ時代や状況が目まぐるしく変化しているわけだから、金科玉条に縛ることが有効なのかと常識で思う。自衛ということに、個別とか集団とか、果たして明確に分けられるのか、そうであれば、集団はいけないのであれば、日米安保条約や国連への加盟は違憲ではないのかという疑問が湧いてくる。

企業の戦略と一緒にするのはおかしいのかもしれないが、基本戦略を変更して新たなことをしようとする場合には、かならずチャレンジする場合としない場合のメリットとリスクを分析して定量的な検証を必ずするはず。だから、新たな政策に対する危惧が個別に出されているけれど、それらが全体してどの程度のリスクを生むのか、と現状継続のリスク、そしてそれぞれのメリットを全体として分析して全体としての較量をしないのはなぜなのだろうか。安保法案について、どちらの側の議論も全体が見えないけれど、ビジネスの場の会議の議論では、たいていの場合、反安保のような性格の議論は負けてしまう可能性が高いのではないか。それとこれとは違うと言われそうだけれど。自分も関わる問題なのだけれど、他人事のように喋ってしまった。

2015年10月18日 (日)

ルーチンはクリエティブ

ラグビーのワールドカップでの日本チームの好成績、とりわけプレース・キックのキッカーのユニークな仕草が注目され、「ルーティン」という言葉が、これほどポジティブな意味合いで語られていることに驚いている。従来は、ルーティンというと効率化と、その反面として機械的とか派生してルーティン・ワークというと退屈な作業とか、エスカレートすれば人間性の疎外というほどのニュアンスとか、また創造性がないとか、どちらかというとネガティブなニュアンスで語られることが多かったのではないかと思う。

でも、プレース・キックの場面は、フィールドの状態や風向き、ボールの状態その他諸々が全て異なるはずで、機械的に決まったことだけを反復するのみでは、必ずしも高い確率で成功するとは限らないのではないか。そこでは状況に即した微妙な変化は必要なのではないか。状況に応じた即興性というのか、ある意味では創造性が発揮されているのではないかと思う。そこで、ルーティンということとは二律背反ということになろうか。

私見だけれど、ここに創造と形式ということが実践の場面で凝縮して表われているように思える。例えば、音楽では即興的に音を発しても、何らかの形式を備えていないと音楽にならない。形式という枠を敢えてはめて、その枠の中に創造性を凝縮させる。クラシック音楽の楽譜で決まりきった繰り返しのような曲でも、実際に初めて聴くかのような瑞々しい印象を与えるのは、そこに形式に絞られ圧縮された中で創造の爆発があったが故だと思う。スポーツと音楽は違う、と言われれば反論はできないけれど、クラシック音楽の素晴らしいプレイのどこに創造が働いているか、そこだけ抽出することはできないけれど、あのプレース・キックのわずか数秒間に、凝縮された創造があるのではないか。いわば、ルーティンは音楽でいえば形式のような在り方なのではないか、と思ったりした。

その意味で、いわゆるルーティン・ワークということを、今までは、違った視点でみると、別の可能性があるような気がしてくる。気のせいかもしれないが。

2015年10月16日 (金)

軽薄な外来文化吸収?

中国文化が一般レベルでブームと言えるほど多数の人が受容しようとしたのは江戸時代からではないだろうか。武家の階級が中心ではあったが漢文の素読が日本国中の至るところで、子供から老人まで。武家以外でも伊藤仁斎は町人の出ではあったというし、かなり広く普及したと言えるのではないか。その漢文とりわけ漢語にあって日本語にはなかった観念的な概念というツールは、それまで仏教以外ではほとんどできなかった学問的な議論ができるようになったという点で、実は中国文化に激しく反発した本居宣長のような国学も漢語による概念なくしては成り立ちえなかった、といえる。しかし、それほどまでに熱狂的に中国の文献が学習されたにもかかわらず、本場に留学しようとする人がほとんどいなかったようなのは、なぜなのだろうか。鎖国と言う理由もあるが、幕末に西洋に密航を試みた人がいたのだから、それより近い中国ならば、もっと行くのは容易だったろうに。それだけ、中国の文化を深く正面から理解しようというものではなかったということだろうか。それは漢文の書き下しという便利な言い換えで文献を読んだことにも表われている。さっきの概念について、その意味内容を突き詰めて追求すれば、文化的なベースに遡らざるをえない。しかし、書き下し(いわゆるレ点などをつけて漢文を、そのまま日本語で読んでしまう)によって漢文を日本語として読んでしまうことで文化的な軋轢は生じない。それゆえ深い理解にまでは至らない。スムーズに日本語に置き換えてしまうので、表面的な理解に限られる。それは例えば、実践的なところの終始する、技術面とか、今でいえば理系の面。だから、当時はたくさんの人が漢文を日本語としてスラスラ読めた人がたくさんいたとしても、中国語のニュアンスとか語感を感じ取れる人は、ほとんどいなかった。その証拠として当時の日本人の作った漢詩は、中国人には稚拙で評価に値しないとされていた、という。それが、明治以降、こんどは西洋の学問を、中国語である漢語を使って日本語に置き換える、ということにつながる、という。そこに、異文化と交流し、理解するのではなく、使えるものをパクろうという、ある意味ユニークな学習姿勢があったのではないか。それを軽薄というか、したたかというかはよく見るか悪く見るかの違いでしかない。日本人は、巧みに外国の文化を吸収し、自分のものとしていまうというのは、このような表面的なレベル、つまりは軽薄さのゆえではないか。

2015年10月13日 (火)

他人の褌で?

連日のノーベル賞を日本人が受賞したというニュース、新聞の号外が配られたり、テレビのニュースや情報番組で時間を割いて取り上げられている。受賞が決まった人には、他人事ながらおめでとうという気持ちに偽りはない。だから、テレビ番組で映し出される街頭インタビューで、街の人々がおめでとうと素直に口にするお祝いのことばには、その通りだと思う。しかし、また、日本の誇りとかいう言葉はいかがなものか。それは、その人の業績を素晴らしいと言うのではなくて、ノーベル賞を受賞することが素晴らしいということではないだろろうか。極端なことを言うと、その人の業績はどうでもいいからノーベル賞をとったのが素晴らしい。ノーベル賞をとったのだから業績がすばらしいのだろう。それは、日本人が何個ノーベル賞を取ったという言い方に如実に表われている。言うなれば、他人が評価したことをもって、あたかも自分が評価したことにすり替えてしまう。日和見とか権威追従とか、いってみれば見識を持てないでいることを、図らずも自ら公言してしまっているように見える。私だったら恥ずかしい。

挙句の果てに、ノーベル賞をとったということで、急遽、文化勲章なんかを決めてしまうなどということにならなければよいのだが

もし、ノーベル賞を何人も取った日本はすごいというような紹介をするならば、ノーベル賞を受賞した人いがいにも、日本には、こんなに凄い研究者がいるのだということを、どんどん国民に紹介する方がずっといいのに、と思う。

2015年10月12日 (月)

未来への責任?

ニュース映像や雑誌、新聞の記事で見かけるパターンで、幼子を抱いた母親がデモに参加している光景で、「この子が大人になったときのために」というような理由でやむにやまれず、というコメントをきくことがある。次の世代のために、とかいうフレーズ、このごろの安保法案反対もそうだし、反原発の官邸前デモのときもよく聞かれた。では、この人たちが反対している立場の人たちは、そういうことを考えていないのか、というと、そんなことはないだろう。だから、冷静に考えれば「子供の未来のために」というのは理由として成立しえないはず。そこで、あえて正々堂々とそういうコメントを言うことが少し恐ろしいと、感じることがある。その主張していることが子供のためになるというのは誰が判断したのか、というと客観的な合意があるのかというと、それはないはず。それがあれば、ここで賛成と反対と議論が分かれることはない。とすれば、子供の未来のためになるというのは、その人個人の思い入れでしかない。せいぜいが、その人と主張を同じくする人々の思い、願望と言えるだろう。そして、そこに、その当の子供の考えが反映しているとは思えない。タテマエを言えば、子供の未来は最終的に子供自身が決めることではないか。そういう視点に立つと、子供のためにと相手を批判している、その批判は、批判している側にも跳ね返ってくるはず。私には、そういっている人々が、自己批判を知らず、繰り返しているように映る。

また、そういう提案をしたメンバーを選挙で選んでしまったことで、穿って言えば、間接的に、批判している当の動きに加担したとも言えなくはない。そこで、あたかも無垢な被害者のように、批判を展開しているように見える。そこには、自身が国民としてすでに、プロセスに参加しているという自覚と責任感がみられなくて、傍観者、あるいは被害者という立場。

かくいう、私も傍観者的なものいいをしているかもしれないが

2015年10月11日 (日)

ジャズを聴く(30)~ブッカー・アーヴィン「ザ・ブルース・ブック」

The Blues Book    1964年6月30日録音

Jazervin_blueEerie Dearie

One for Mort

No Booze Blooze

True Blue

 

Alan Dawson (ds)

Booker Ervin(ts)

Carmell Jones(tp)

Gildo Mahones (p)

Richard Davis(b)

 

ブック・シリーズ4作の中で、トランペットが入り2管編成となっている作品。ブック・シリーズでは、4作それぞれ共演メンバーが異なっている。アーヴィンは同じメンバーで固定グループを組んで、緊密なアンサンブルを作って、自分のプレイをその中で生かしていく、ということをしていない。その代りに、『The Song Book』ではトミー・フラナガンのピアノを中心としたトリオは、繊細でアーヴィンの奔放なプレイをカバーするように演奏を巧みにまとめている。それによってスタンダード・ナンバーの演奏が聴きやすく、親しみやすくなっている。これに対して、『The Freedom Book』ではジャッキー・バイアードのピアノを中心としたトリオと組むことによって、ピアノがアーヴィンに負けない奔放なプレイをすることによって、演奏全体がフリーキーでスリリングになっていく結果となる。このアルバムでは、アーヴィン自身のオリジナル曲やバイアードの曲を取り上げている。このように、アルバムによって編成を変えているのは、多分、アーヴィンのプレイの性格に起因するのではないかと思う。アーヴィンのプレイは、周囲のプレイヤーと強調したり触発し合ったりしてプレイを作り上げていくインタープレイのタイプではなくて、自身の内側から湧き上がってくるものに振り回されるように、先へ先へと、どんどん吹いていってしまう、ゴーイング・マイ・ウェイのタイプと言える。極端に言うと、アーヴィン本人がどんどん吹いてしまうのを、他のプレイヤーが何とかついていくという形になるのではないか。その場合、同じメンバーといつもプレイしていてアンサンブルの質が高くなりプレイにフィードバックするというのではなくて、演奏がマンネリ化してしまう危険の方が高くなってしまう。ゴーイング・マイ・ウェイで独り先へ行ってしまうアーヴィンにたいして、共演のメンバーを変えることによって、伴奏に変化をつけてヴァラエティを与える、というのがブック・シリーズで行われたのではないか。

この『Blues Book』で、バックにいるリズム・セクションは、他の2作に比べて手堅くシンプルなパッキングをしている。むしろ単調といっていいかもしれない。そこで、トランペットというフロントのもう一つの色を付けることで色彩感をだそうとしたのか。演奏している曲はアーヴィンのオリジナル曲ばかりだけれど、曲としては、イマイチでそれ自体の魅力に欠ける。むしろ、アーヴィンが思う通りにサックスを吹いていくための材料としての意味合いのものだろう。演奏も、時折、トランペットやピアノのソロも入るけれど、アーヴィンのソロが中心で、それぞれが順番にソロを取って、それぞれのソロに関連性は薄い。だから、このアルバムはアーヴィンのソロを聴くということが徹底された作品として聴く者だと思う。ここに収められた、個々の曲がどうだ、というのではなくて、アーヴィンのプレイを聴くかどうか、といのが、このアルバムであると思う。

2015年10月 9日 (金)

ジャズを聴く(29)~ブッカー・アーヴィン「ザ・ブック・クックス」

The Book Cooks    1960年6月録音

Jazervin_cooks_2Blue Book

Git It

Little Jane

Book Cooks

Largo

Poor Butterfly

 

 

 

Tommy Turrentine (tp)

Booker Ervin (ts)

Zoot Sims (ts)

Tommy Flanagan (p)

George Tucker (b)

Dannie Richmond (d)  

 

ブッカー・アーヴィンの初のリーダー・アルバムで、編成がピアノ・トリオのリズム・セクションにもう1本のテナー・サックスとトランペットという6人編成。ここでのアーヴィンは部分的には特徴を出しているが、全体として窮屈な印象を受ける。ただ、メンバーは手練れの人たちなので、演奏はまとまっているので聞きにくいということはない。聴き方によっては、全体のバランスとよく、まとまっているし、凝縮されたアーヴィンのプレイ自体は充実している。ただし、延々と垂れ流すようにプレイが続くことによって、諄いという特徴が際立ってくるので、そこまで行っていない。だからアーヴィンの諄いプレイが好きで、堪能したいという人には、物足りないかもしれない。

アルバム冒頭で、何も聞こえてこないと耳をそばだてていると、ベースのイントロから始まる。耳が慣れれば、ベース自体は強い音で腹に響いてくるようではある。その後で、3管によるテーマが提示されるのだが。このベースの始まりが喩えていえば、地を這って来るような印象で、テーマがブルージーな雰囲気を湛えているので、最初からアーシー(泥臭い)世界が始まる。この後にピアノのソロは、この雰囲気を壊さずに、しかも落ち着いた(沈んだ)ものにさせているため、ベースのイントロから重さを引きずり、続くトランペットのソロがフリーキーな要素を交えつつ荒っぽいプレーをしている。それが、この曲のアーシーで重い雰囲気に妙に合っている。実際、この曲ではプレイの時間もそうだが、トランペットが最も印象的。その後のサックスはアーヴィンのプレイではなく、続いて2本のサックスの掛け合いに入り3本のユニゾンでテーマに戻る。演奏としては、メンバー全員がアーヴィンをバックアップして彼独特の雰囲気を盛りたてようというものとなっているので、アーヴィンの世界という点では個性が鮮明に感じられる。しかし、アーヴィンのプレイの諄さ、飽きるほどのしつこさまで行かない。これはアルバム全体の他の曲の演奏にも言えることで、2曲目の「Git It」でも、ユニゾンによるテーマに続くのは、ズート・シムズのソロで、その後にようやくアーヴィンのソロが続くのだけれど、特徴的な抑揚を排した音を長く伸ばすようなフレーズが出てくる、曲はアーヴィンのオリジナルだけあって、曲調にハマったものになっているけれど、プレイ時間はそれほど長くはなく、途中から2本の絡みになって終わってしまう。4曲目の「Book Cooks」でようやくアーヴィンのソロが長く展開されるけれど、もう一人のサックスとの絡み(バトル!)の方が中心となっている。最後の「Poor Butterfly」はスタンダード曲で佳演と言えるもの。

2015年10月 7日 (水)

ジャズを聴く(28)~ブッカー・アーヴィン「クッキン」

ブッカー・アーヴィンの特徴的な音楽性は、何時、どのように形成されたのか、ということは興味のあることだが、よく分らない。出身地であるテキサス州という南部の土着的な音楽環境とか、リズム・アンド・ブルースのバンドでプレイしていたとか、チャールス・ミンガスとプレイしたとかいう解釈があるが、実のところはどうなのか、具体的な説明は何もないので、私には、それらのどれも確かなことは分らない。

ただ、上で述べたアーヴィンの特徴というのが、彼自身の身体の内側から湧き上がる表現衝動の勢いが激しく、音楽として十分にまとまらないうちに噴出してしまうのを、後追いで何とか演奏としてまとめようとした結果、コテコテの諄い印象を与えるものとなってしまったのではないか、という推測を、聴いていて思ってしまう。では、アーヴィンは単に衝動の趣くままに吹き散らしていたのか、というとそうではない。もしそうなら、何枚もアルバムを録音し十年近くリーダーとして第一線でプレイを続けることは出来なかっただろう。このことを彼自身は強く自覚していたのではないか、それゆえにこそ、アーヴィンのプレイが少しずつ変貌して行ったように思える。これは、勝手な私の憶測で、事実かどうかは分からず、検証するすべもない。ただし、アーヴィンのプレイする音楽に対して、このような捉え方をすることから、彼の残した録音に対しての、私の私的な評価、つまりは好き嫌いの基準がある程度はっきりしたと思う。つまりは、アーヴィンの衝動と表現とのバランスの変化だ。細かいことは、個々のアルバムに対するコメントを参照してもらうとして、大雑把な流れで、ここに取り上げたアルバムの位置づけを簡単に説明したい。

アーヴィンの伝記的事実に目を向けると、20代後半から30歳にかけてチャールス・ミンガスのバンド・メンバーとしてプレイをしていて注目されるようになったということで、この時期では、ミンガスのアルバムの中でプレイを聴くことができるという。そして1960年に初のリーダー・アルバム『The Book Cooks』をリリース。この初のリーダー・アルバムを聴く限りにおいて、アーヴィンの特徴的なスタイルは出来上がっているように見える。そして、これが死ぬまで一貫していた。つまりは、ワンパターンだった、というのが一般的な声のようだ。だから、どのアルバムを聴いてもアーヴィンのプレイは同じで、共演するメンバーによってサウンドが違ってくる程度の違いしかない、ということになる。しかし、初リーダーから10年の間に、録音されたアルバムを聴くと、アーヴィンのプレイが徐々に変化してきているように思う。

初のリーダー・アルバム『The Book Cooks』で、すでにアーヴィンのプレイ・スタイルは出来上がっている。しかし演奏全体では、他のメンバーのバック・アップで盛り立てられているようだが、アーヴィン自身がこころゆくまでプレイし切っていない、どこか窮屈な印象が残る。これは、アーヴィンの他にズート・シムズという同じテナー・サックス、そしてトミー・タレンタインというトランペットがいたため、彼らのソロや彼らとの絡み(バトル)に時間を割かざるをえず、アーヴィン自身のソロの時間が限られてしまったため、長くなりがちな自身のソロを短めにまとめて切り上げざるをえなかったためではないかと思う。全体の雰囲気は、アーヴィンの他のアルバムと同様にアーシーで黒っぽいものとなっているので、アーヴィンの長いソロに、それほど付き合わなくていいので、アーヴィンの作り出す世界の雰囲気を、あまり疲れることなく味わいたいという人には格好のアルバムになっているのではないか。

同じ年の末にリリースされた次の『Cook'n 』では、ワン・ホーンの編成で、最後の「枯葉」を除いてオリジナル曲ということで、彼自身の全開のプレイを聴くことができる。このアルバムは、好き嫌いが極端に分れるのではないだろうか。私は、アーヴィンが抑えてきた衝動を初めて解放させたという、勢いと、ある種の瑞々しさが感じられるいい作品であると思う。

そして、1963年に入り「ブック・シリーズ」4作を次々と制作する。タイトルは似ているが、4作それぞれ変化があり、それが、ちょうどアーヴィンのプレイの変化する時期に重なって、4作のアルバムがちょうどそのドキュメントとなっているのではないかと思われる。そう思って聴くのも楽しいことではないだろうか。「ブック・シリーズ」最初の『The Freedom Book』ではジャッキー・バイアードというアーヴィンの個性をプッシュしてくれるピアニストと出会ったことで、彼自身の特徴を『Cook'n 』以上に伸び伸びと発散させている。『Cook'n 』が彼の100%のプレイだったすれば、『The Freedom Book』ではバックの後押しによって120%まで、ここでプレイすることによって自分自身をさらにエスカレートさせて、行き着くところまで追求しきった作品となっている。その結果、アーシーとかブルージーとかいう世界を突き抜けて前衛的な響きが聞こえてきている者となっている。私は、このアルバムをもってアーヴィンのプレイのひとつの頂点を見たと思う。

「ブック・シリーズ」の次作『The Song Book』では正統的なトミー・フラナガンのトリオと組んでスタンダード・ナンバーを中心にプレイしている。フラナガンは、バイアードとは逆に逸脱しようとするアーヴィンのプレイをカバーするように道に戻そうとする機能を果たし、スタンダード・ナンバーをプレイしているということもあり、前作と違って破綻の少ない、まとまりのあるアルバムとなった。ただし、まとまりがあるといっても、アーヴィンの他の作品に比べてのことで、他のミュージャンのアルバムと比べれば、これはこれで十分個性的な作品と言える。アーヴィン自身、前作でやり尽くした感はあったのではないか、スタンダートという明確なテーマ・メロディがある曲の演奏ということもあるのか、ダラダラと吹き続けることから、ひとつのまとまりをもったメロディを吹く、垂れ流すのではなく言い切る方向に、少なくとも演奏に区切りをつけようとする方向に向かっている姿勢が感じられた。

次の『The Blues Book』では、編成が変わってトランペットが入って、ワン・ホーンではないところでアンサンブルをやろうとしたのではないか。『The Book Cooks』では、手練れの周囲に盛り立ててもらいながらだったのを、ここではアーヴィンが盛り立てることをしながら彼自身が主導権をもってプレイしようとしたのではないか。そういう傾向が、このアルバムから見られるような気がする。それまでであれば、強引にプレイを続けていたようなところで、アーヴィンが引いてしまうようなところが、これ以降のアルバムでところどころ見られるような気がするからだ。しかしそうはいっても、このアルバムでは、従来のプレイを続けていて、少し中途半端だったのか、彼のプレイの強引さが薄まってしまったように聞こえる。

「ブック・シリーズ」の後、何枚かのアルバムを録音しているが『Heavy』と敢えて言わなければならなくなったと思われるタイトルのアルバムでも、『The Blues Book』の試みをしようとしている過渡期の姿が見て取れる。丁度、周囲の環境が、ジャズの新たな試みが行われていた時期でもあり、アーヴィンもそれを耳にしていたことも、ひとつの理由ではないかと思われる。そして、最後のまとまった録音となった『The In Between』では、過渡期からの抜け道が見えてきて、彼のプレイが少し枯れた感じが出てくるとともに哀感が感じられる風情が出てきたとこがある。しかし、惜しいことに、ここでアーヴィンが亡くなってしまいこの後の展開の可能性のままで終わってしまった。

Jazervin_cookn

Cook'n    1960年11月26日録音

Dee Da Do

Mr. Wiggles

You Don't Know What Love Is

Down In The Dumps

Well, Well

Autumn Leaves

 

いわゆるBOOKシリーズ以外にも佳品はたくさんある。アルバム全6曲のうち4曲がアーヴィンのオリジナルで、それゆえにアーヴィンの個性が全開で、それ以上に2曲のスタンダード曲での演奏が個性的だ。最後に収められている「Autumn Leaves」、シャンソンの名曲「枯葉」で、スタンダードとして多くの人が取り上げている。とくにマイルス・デイビスとキャノンボール・アダレイによるムードたっぷりの演奏が有名だれども、ここでの演奏は、そんなムードを吹き飛ばすようだ。ミュートをつけたトランペットがテーマの前に短いアドリブするという珍しい展開の後で、アーヴィンのサックスがテーマを吹き始める。そこには情緒もムードもない。速いテンポで、スローなバラードで歌うなどということには一顧だにせず、素っ気ないほと。まるで屋台のチャルメラのようにも聞こえてしまう。アドリブに入ると、ドラムスが荒っぽく、ベースが重い音で煽るように走り、そこにアーヴィンが全開で吹きっ放しで、フレーズを即興的にキメる、というよりは熱くサックスを吹くためにフレーズを繰り出すという様相で、荒っぽい印象。これは、サックスを鳴らしたい、身体の奥底から湧き上がる息を吐き出したいと勢いが強くて、それにフレーズを創りだしていくのが追い付かない、というように見える。楽器を鳴らすという不定形の音が、形となったフレーズになる前に、とりあえず出てきてしまうという感じだ。そのタイムラグ激しいので、不定形の音が、また繰り返される。それを聴く人は、諄いとか荒っぽいと受け取る人もいるだろうし、不定形の音を前衛的と見なす人も出てくる。この「Autumn Leaves」の剥き出しのような直截的なプレイに接していると、私には、そう思える。この鳴らしたいというものが、アーヴィンのプレイを突き動かしているからこそ、諄いプレイをワンパターンのように繰り返し行うことを可能にしてしたと、私には思える。

スローなナンバーを聴くと、違った方向ではあるけれど、息を吹く、サックスを鳴らすという動きのストレートな表出が見える。それは、例えば5曲目の「Well, Well」というスロー・ナンバー。かなり遅いテンポで息の長いメロディをずーっと吹いている。引き伸ばされたようになったフレーズを、まるで息を吐き出すのにちょうどいい、と言わんばかりに。そして、バラードなので、そうムチャクチャにブロウするわけではなく、伸ばす音で大きな流れにゆったりとノルようないいソロを。それは、聴く人によっては単調になるし、前衛的にもなる。

これらの演奏に象徴されるように、このアルバムは、アーヴィンの後年のBOOKシリーズ以上にアーヴィンの特徴がより直截的に剥き出しにされている。だから、BOOKシリーズ以上にアーヴィンが好きな人には魅力的である反面、そうでない人には受け入れにくいだろうと思う。

2015年10月 6日 (火)

ジャズを聴く(27)~ブッカー・アーヴィン「ザ・ソング・ブック」

バイオグラフィー

ハードで情熱的なトーンと未だコードをベースとした即興に基づくエモーショナルなスタイルを持った、かなり特徴的なテナー、ブッカー・アーヴィンは真実オリジナルなプレイヤーだ。最初はトロンボーン奏者だったが、1950~53年の空軍にいた時に独学でテナーを習得した。2年間ボストンで音楽を勉強した後、1956年にアニー・フィールズ・リズム・アンド・ブルース・バンドと自身のレコードデューを果たした。1956~62年の間に空白を挟みながらもチャールス・ミンガスとプレイしている時に、移り気なベーシストやエリック・ドルフィーと出会い、名声を得た。彼はまた、60年代には、カルテットを率いて、ランディ・ウエストと何度かプレイしている。腎臓病による若すぎる死の前の1964~66年の大半をヨーロッパで過ごした。
Jazervin_songb_2
The Song Book
    1964年2月27日録音

Lamp Is Low, The

Come Sunday

All The Things You Are

Just Friends

Yesterdays

Our Love Is Here To Stay

 

Alan Dawson(ds)

Booker Ervin (ts)

Richard Davis (b)

Tommy Flanagan(p) 

 

ブッカー・アーヴィンは何枚もアルバムを録音しているが、基本的な彼のプレイは変わらず、一貫している。あえて言えば、小賢しく考えて小手先のスタイルを変えていくタイプではなく、身体に染み付いた、これ以外にないというワンパターンを執拗に繰り返すというタイプだからだ。後は、好き嫌いの世界と言うしかない。と簡単に言うけれど、これは実は大変なことなのではないか。よくロックやポップスで若いバンドが青春の発露とでもいうような瑞々しい感性の音楽性を売り物にデビューして注目を浴びたものの、その後は消えてしまうということを聞く。録音というのは恐ろしいもので、自然な魂の発露で演奏したものでも、録音したものを繰り返し聞かされているうちに、人は飽きてしまうのだ。あるいは、もっとと、さらに高い要求をする。だから、音楽家はより質の高いの演奏をするとか、音楽性を変化させていくとか、何らかの対応を迫られることになる。音楽を消費する側としては、いくら素晴らしい演奏といっても、その人の熱狂的なファンでもない限り、同じようなアルバムを2枚も3枚もお金を払って買う必要はない、というのが自然なのだ。だから、ミュージシャンが感じるプレッシャーはいかばかりになるか。ドラッグに手を出したり、1作目の後で次作を出せなくなったりといった人が出てくるのは、だから仕方がないことだ。その中で、何枚ものアルバムを一貫して(同じようで)、しかも毎回高いレベルで出していたアーヴィンという人のすごさが分かるというものだ。こんなことができるのは、全く何も考えないバカか、ブローをかますことだけのイロモノ芸人か、そうでなければ、途方もない努力でプレッシャーに打ち勝って、ベストのプレイを続けている、ということだ。途方もない努力などと書いているが、実際のアーヴィンにとっては半端ない、身を切るような戦いだったのではないか。それを聞く人は豪放磊落なブローなどと言っているところから見ると、アーヴィンはそういう努力を微塵も他人に見せていない。

そんな、アーヴィンのアルバムの中でも、タイトルに“BOOK”という語の入った数枚のアルバムはBOOKシリーズと称して彼の代表作と言われている。その中でも、この『The Song Book』はスタンダード曲を取り上げ、トミー・フラナガンの堅実なパッキングもあって親しみ易いアルバムと一般に評価されている。

1曲目の「Lamp Is Low」では、最初から走るようにサックスが飛ばしている。アドリブに入るとさらに速くなり、ブッ飛び気味、しかもずっと吹きっ放しで、よく続くと呆れるほど、しかも、同じような節を少しずつズラしながら何度も繰り返すように、くる。目まぐるしいけれど、基本的に繰り返しなので翻弄されることはなく意外とついていける。アーヴィンについて、よく言われる諄さというのは、実際に、このカッ飛ぶようなプレイでは気にならないで、むしろそのスピードではちょうどいい。テンポを合わせてソロをとっているピアノのトミー・フラナガンの方が所々で冴えをみせるので、かえってピアノの方がついていけなくなるほど。そして、アーヴィンの音色がメタリックでドライなものなので、もたれることも少ない。そう考えると、この曲に関しては結果オーライだったのかもしれないが、バランスのとれたノリノリの演奏になっている。続くバラードも、だから前の曲との対照をうまく考えてのことになっているのではないか。このアルバムの中ではスローな曲を2曲演奏しているが、2曲ともマイナーで、それ以外の曲では疾走するという、完全な二極分化。

2015年10月 5日 (月)

ジャズを聴く(26)~ブッカー・アーヴィン「ザ・フリーダム・ブック」

Jazervin1930年テキサス州デニソン生まれ。

ブッカー・アーヴィンという人は、テナー・ソックス奏者としては、ソニー・ロリンズやジョン・コルトレーナといったメジャーなプレイヤーに比べて知名度は格段に落ちる。しかも、彼を聴く人々の間では、アーヴィンの見方が極端に二つに分かれる。ひとつは南部のテキサス出身という本場で見についたブルース感覚に根差した泥臭いプレイヤーというもの、もうひとつは、まさに正反対のエリック・ドルフィーの行き方をさらに新しくした前衛的なプレイヤーというものだ。そこに共通しているのは、アーヴィンのテナー・サックスがかなり特徴的だということ。

アーヴィンの演奏について、一聴しただけでも分かる大きな目立った特徴というのは、彼の演奏するフレーズが一発でキマらないということなのだ。切れ味の鋭いフレーズがビシッと決まるのは一種のカタルシスを生み、それだけでスカッとするプレイヤーもいる。スタン・ゲッツ等がそうなのだけれど、そういう場合、聴く方としては、フレーズが決まった時点で一区切りとなる。これに対して、フレーズがキマらないと、何となく終わったとか、区切りがついたという感じがしない。それが繰り返されると、くどいと感じることになる。とくに、アーヴィンのサウンドは低音の良く響く、俗に腰の低いどっしりしとたトーンでサックス全体が反響するような鳴りっぷりのいい音なので、そういう音でくどくプレイされると、聴く方は、濃い、感じを持つことになる。そういうキマらなさとアーヴィン独特の吹き方によって、彼の演奏を好意的に捉える人には、アーヴィンが彼の魂や身体の奥底から湧き上がってくるものの発露として、そうした形のないものに音楽という形を与えている(多分アーヴィン本人もそのようにプレイしているところもあるのだろうと思う)と聴くことができることになると思う。そういう演奏だから、計算したようにフレーズがキマらないこともある、というわけだ。これはクラシック音楽でアントン・ブルックナーという作曲家の交響曲の聴かれ方と似ている。ブルックナーはドビュッシーやシェーンベルクといった新時代の音楽が出て来ていた時代に時代錯誤とも言える長大な交響曲を多数残した。彼のつくりだすメロディは分かりにくく、繰り返しの多い長大な作品は、作曲当時は退屈と言われた。しかし、彼のメロディを分解してみると、アーヴィンのように上手くキマらないフレーズがまず出てきて、それでは聴く者に伝わらないのではないかと作曲家が考えたかのように、何度もくどいほど手を変え品を変え繰り返し、その挙句に作品は長大なものとなっていった、と捉えられる。そう捉えると、ブルックナーの1時間を超える長大な交響曲は素朴な老人の感情の吐露として感情移入することができるようになる。

一方、納まりがいい、キマるというのは、完璧に形式にハマるということで、所謂古典といわれるもの、それは古いのではなくて普遍的なもの。しかし、完璧なものなど、そう作れるものではなく、そこから自分独自のものを作ろうと古典の形式を脱する試みが為される。そういうものが新しかったり、古くなったりする。アーヴィンの演奏は、古典という形式にキマらないもので、古典から抜け出ようという動きに含まれると見ることもできる。それはアーヴィンのフレーズがそうで、形式に納まりきれないアーヴィンのフレーズは、それを従来の形式にない形式を作ろうとしていると考えれば、新しい試みと見ることもできる。とくに、アーヴィンの活躍した時代はバップという形式に行き詰まりを感じる人々が出てきて、この少し後にフリー・ジャズのようなバップという形式を考えないものも出てくることを考えると、アーヴィンのフレーズは、エリック・ドルフィーなどとならんでバップとフリーとの間の橋渡しと捉えることもできる。そういう意味で、アーヴィンをアバンギャルド(前衛的)と言う人もいる。実際、彼のフレーズで用いられるハーモニーは、当時の一般的に使われていたものとは違うので、響きのテイストが変わった感じがする。また、アーヴィンはよく音を伸ばすことをするが、その伸ばした音を、微妙にベンド~ある音程を吹きながら、唇の締め具合で(キーを使わずに)その音程を低く(高く)したりすること~させながら、意図的にその音程を不安定な感じにしている。それは・・・何かを堪(た)えている人が、咽(むせ)び、叫んでいるかのようだ。バラードの演奏ではとりわけそうだし、それがアーヴィンの作り出すフレーズにうねりを生む。このようなアーヴィンのプレイは斬新にものに見えたと思う。また一方では、そういう演奏だから感情移入できるものとなっていたと思う。

アーヴィンの魅力とは、この両面性ということではないだろうか。 

 

The Freedom Book    1963年12月3日録音

Jazervin_freebLunar Tune

Cry Me Not

Grant's Stand

Day to Mourn

Al's In

Stella Starlight

 

Alan Dawson (ds)

Booker Ervin(ts)

Jaki Byard (p)

Richard Davis(b)

 

アーヴィンは1963年末から翌年にかけてという4枚のアルバムをレコーディング、これらをブック・シリーズとして彼の代表作と見なされている。この『Freedom Book』は、そのシリーズの第1作目にあたる。このタイトル故と言うこともないが、アーヴィンの自由奔放なプレイをもっともよく聴くことのできるアルバムとなっている。世評ではアーヴィンの代表作とされている『The Song Book』に比べると、同じワン・ホーンのカルテット編成は同じだけれど、スタンダード曲中心のピアノが名手トミー・フラナガンで、まとまりある印象を与える『The Song Book』に対して、こちらはジャッキー・・バイアードの奔放なピアノでオリジナル曲中心となっていて、アーヴィンのプレイは『The Song Book』にあった枠から解放された(制作は『The Song Book』の方が後)ように奔放に見える。

例えば第1曲目の「Lunar Tune」からもう、最初から全開バリバリ!アップ・テンポではあるのだけれど、快速という感じではなくて全力疾走している感じ。タイプは全く異なるけれど、エリック・ドリフィーの有名なライブ・アルバム「アット・ファイブ・スポット」の最初の疾走感を想わせる。実は、アーヴィンとは異質なドルフィーを敢えて持ち出したのは、この曲でアーヴィンが吹いているフレーズにドルフィーとよく似たものが部分的に顔を出すからなのだ。しかも、ドルフィーはアルト・サックス、アーヴィンはテナー・サックスと楽器は違うのだけれど、メタリック気味でストレートなトーンは共通しているように聞こえる。ここでのアーヴィンのプレイを聴く限り、結果的にドルフィーに近いところに来てしまっているとおもう。しかし、ドルフィーとは違う。ドルフィーの場合には理論的というのか頭で考えてある形式に辿り着いた感じがある(だからと言ってドルフィーの演奏が頭でっかちの理論先行だというのではない)、これに対してここでのアーヴィンは全力疾走のプレイを他のメンバーと続けていて、もともと自身の体内から溢れ出るになんとか音楽の形を与えていたのが、ここでは精一杯を越えたところで、追い付かなくなり不定形なまま楽器を吹いていてそんなプレイになったという感じがする。だから、似たようなフレーズでも、ドルフィーの場合にはどこかしら重々しいところがあるのに対して、アーヴィンの場合はカラっとして、あっけらかんした感じで重さを感じさせない。だから、アーヴィンの極端な演奏を聴いていても、スポーツ的な快感、聴いていて「もっとやれ!」と嗾けたくなるようなワクワク感がある。それをアーヴィンと一緒になって、煽っているのがリズム・セクションであり、ピアノのジャック・バイアードの存在ではないかと思う。

2曲目の「Cry Me Not」ではスロー・ナンバーとテンポが急に落ちるが、フレーズを歌うということは、あまりなくて、ひとつひとつの音が長くなるというあり方に感じられる。だから、単にテンポが落ちただけで受ける印象は1曲目と変わらない。ただ、音を息長く吹くためからか、抑えた感じで吹いていて、ブローをかますようなこともしていない。スロー・ナンバーの演奏で、つまり、リズミックな乗りで推進するということがなくて、ワン・ホーンで音色のバラエティが少なく、とくに目立ったメロディーもそうは表われず歌に浸ることもなく、アドリブの冴えもそうあるわけではない、そのようなないないづくしで、10分近い演奏を聴く人に飽きさせないで通してしまうのだから、これは凄いことと言わざるを得ない。ここでは、長い息のコントロールにより、持続しているサックスの音がゆるやかにうねることで、音に動きを与え、それが演奏を生き生きとさせて、ある種のノリを生み出していて、それが聴く人の心地よさにつながっているのではないかと想像する。

そして、5曲目の「Al's In」(6曲目はボーナストラックになるため、正規録音では最後の曲となる)に至って、自由奔放さが最高潮に達する。ドラムスが大きくフィーチャーされて、リズムが前面にでてくると、アーヴィンのプレイも躍動感あふれるリズムの刻みで全体をドライブされて、あっちこっちに音がめまぐるしく飛び回り、バイアードのピアノがそれに対して、冷や水を浴びせたり煽ったりと丁々発止のやりとりを、テニスのゲームのラリーを見ているかのように楽しむことができる。

2015年10月 2日 (金)

ヘレン・シャルフベック─魂のまなざし(6)~5.死に向かって:自画像と静物画

Schjerfbeckparette_2最愛の母親と死別し、フィンランドが第二次世界大戦に巻き込まれるような状況、あるいは自身の老境に入ったことによる衰えなどがあったことから、シャルフベックの自画像には死の影が漂い始めるとして、つぎのような解説がありました。“「私は新しいことを何も始められない。私は弱く、家庭もない。自分の人生で私が得たものは絵を描き続けることのみ!」。シャルフベックの自画像による自傷行為は、社会から隔絶した疎外感が根本にあるのだろう。骸骨のように、影のように消え去る自己の表現は、社会の中で自らのボディ・イメージ─それはアイデンティティの確立に繋がる─を築けなかったことも関係していよう。おそらくシャルフベックは、自分の姿を醜く描くことで、迫り来る死に対する不安感や、自分の人生を振り返ったときの空虚感から一時的にでも救済されることを願っていたのではないだろうか。”なるほど、“ものがたり”というは完結していますし、分かり易いです。それは、実際に作品を見て行きながら、確かめていきたいと思います。

Schjerfbeckself3_2『パレットを持つ自画像Ⅱ』という1937年の作品を見て行きましょう。以前のシャルフベックの自画像と比べて顔の左右の対称性がなくなってきているのが目に付きます。顔の左右を分けるように額に影の線が左上に向かって伸びていますが、その線が太くて実体があるように見えます、そのため、顔が痙攣して左上にひきつっているようにピンとハネ上がっているように見えます。下顎も左にむかって飛び出ているような感じのするし、まるで顔の左側は輪郭線が崩れてきているように見えます。眼の形も左側は崩れているよう感じです。

1913年から26年にかけて制作された『自画像』は、ここで見ている晩年の自画像の先駆的作品と言えるでしょうが、次のように解説されています。“確かに表現が強調されたとはいえ、私たちを強くとらえるのは、むしろえぐり取られたような頬をもつ顔の左半分である。右半分には若い頃の美しい自分の姿が残されているものの、左半分はピカソの『アゴニョンの娘たち』のような変形を見せている。灰色の背景に灰色で自分の顔を描いたのは、身体性を後退させる意識に他ならず、頭部はまるで透明になったようだ。13年という年月に彼女の身に起こったことは、ロイターへの失恋であり、パリのアートシーンの変化であった。そのどちらもが、顔の左半分に反映されている。まるで腐敗し変形している過程を記録したかのようなこの顔は、彼女が苦悩を絵画表現に昇華することに成功したことの証でもある。”また、同じ説明の中で、ムンクの『叫び』との類似にも触れています。

Schjerfbeckblackmou_2『黒い口の自画像』という作品では、顔の左半分の崩壊は進み、さらに肥大化しているようです。上で引用した解説を読んでいて気がついたのですが、シャルフベックは、類似の作品として挙げられていたピカソやムンクの作品との大きな違いは、肖像画という範囲にかろうじてとどまって、その一線を越えずに踏みとどまっているということです。そのことによって、解説で少しだけ触れられているような“ものがたり”を見る者に想い起こさせるものとなっていることです。例えば、ピカソの『アビニョンの娘たち』は純粋に絵画として“ものがたり”を生む余地がないように見えます。それよりも、何が描かれているのか、を追いかけるだけで精一杯なのではないでしょう。シャルフベックの晩年の自画像で左半分が、ここで見ているように変形し、肥大化してきたのは、そういう“ものがたり”を見る者に想い起こさせるという点で、作品全体で統一的な“ものがたり”を生んでいくということから、例えば、顔の左半分だけでも“ものがたり”を生み出すようになったというように、全体の構成が変ったと私は思います。ただし、顔の左半分は全体の中では部分でしかありませんから、そこから生まれる“ものがたり”は断片的にならざるを得ません。これに対して、顔の右半分は崩れていないでしっかりしているのです。これは左半分とは違った“ものがたり”が生まれてくる余地があります。ほかにも、もっと小さな断片かもしれませんが、“ものがたり”の断片が生まれてくる余地があるようです。それで、作品全体をみると、どうでしょう。そこでは、さまざまな“ものがたり”の断片を見る者が見つけられるようになっている、反面、全体としての統一的な“ものがたり”は、もはや見えてこなくなってしまった、ということになりそうです。それは、見る者の手に委ねられた、と言ってもいいのではないでしょうか。そこに、制作者であるシャルフベックすら意図していなかった断片を見る者が見出す可能性も生まれます。その結果、これらの作品を見る者は、画家の自画像でありながら、それぞれに隠された“ものがたり”を自分なりに発掘し、それらを自分なりに解釈しつなぎあわせて、自身に適った“ものがたり”をつくり出すことができるのです。そこに、見る者がコミットするという余地が生まれます。そして、このコミットは、別の言葉に置き換えれば、作品への没入と言えると思います。

Schjerfbeckself4『黒とピンクの自画像』は1945年制作で、油彩による最後の自画像だそうです。“生命が消え行くのに同調するかのように、絵画は透明性を帯びている。イエスの顔から汗が拭きとられ、その尊顔が布に写った「ヴェラ・ウコン」のように、カンヴァスという人工物の存在が失われ、その表面は皮膚そのものと化した。それはもはや再現ではなく、行き場を失った彼女の顔が浮かび上がっているようなのだ。”という見事な“ものがたり”が解説されています。これは、作品としてまめられたものなのか、未完ではないか、ちょっと私には分からないので、何ともいえません。しかし、引用した解説のような、私には過剰ともいえる“ものがたり”になっているのをみると、ここに至って、画家本人の意図とか意識は、ある意味どうでもよくなってしまって、作品を見る者が自由勝手に、自分の“ものがたり”をそこに作り出してしまうことをするようになった作品ということができると思います。これは、シャルフベック本人の、そういう描き方というところもあるのでしょうけれど、個々にいたって、環境の勢いがついて、まわりが煽るように、見る者の側に自発的に、そのような接し方をするような環境が作品を育てることになったということなのではないかと思います、シャルフベック晩年の作品は、そういう点から見ることができると、私は思います。

Schjerfbeckgreen_2また、ここで静物画が数点まとまって展示されていました。今までの印象からは、あまり静物画や風景画を書きそうにないように思われました。初期の習作期は別にして、それらは“ものがたり”ともっとも離れたところにある題材に思われたからです。かといって、物体の存在感や形態といった外形に注目する眼の画家ではありえません。『緑の静物』という1930年制作の作品を見てみましょう。白い皿の上に数個の果物が乗せられているのでしょうか。それにしても、平面的で奥行きがなく、とくに、皿の上の果物は同じような色のため輪郭線でかろうじて、それぞれが分別できるのみです。また、背景も乱雑に彩色されているだけで、静物がどこに置いてあるのか分かりません。かといって、静物だけを取り出して描いてみせたという意図も感じられません。そうであれば、静物をとりたてて注目すべきものとして描くはずでしょうに、ベタッと絵の具を塗ったというにしか、私には見えません。

Schjerfbeckpump『かぼちゃ』という1937年制作の作品では、皿の上の野菜が色違いのため、それぞれが判別できることはできます。シャルフベックは自画像のように、配色を人工的に実際にモデルの色と変えてしまうことも、静物画では施さなかったのでしょうか。これらの作品を見ている限りでは、どういう物なのか、シャルフベックが何をしようとしていたのか、分かりません。という言い方では不正確ですね。これらについては、見ている私は、相応しい“ものがたり”をみつけることができないでいます。少なくても、自画像を見た“ものがたり”は、これらの静物画では当てはまらないことだけは確かです。自画像の晩年の諦念というのでしょうか死を間近にした、というよりは、これらの静物画には、別の方向性があるように、私には感じられます。それは、画家の死にとって途中で投げ出されてしまった、新たな方向性だったかもしれません。そうであれば、自画像を中心とした人物画に行き詰まりを感じて、静物画という別の方向への転換を試みようとしていたと考えられなくもありません。私としては、そう考えた方が、作品を面白く眺めることができます。

 

2015年10月 1日 (木)

ヘレン・シャルフベック─魂のまなざし(5)~4.自作の再解釈とエル・グレコの発見

Schjerfbeckhari2ここでの展示を見ているとシャルフベックの自発性というのか、何らかの刺激に触発を受けることで創作をしていただろう、ということが分かります。この人の場合、創作というのは、何もない無から新たにオリジナルなものを創り出すということではなくて、先行する既存のものから影響を受けつつ、自分なりに消化しながら差異をみつけ加味していくことで新たなものとしていく、というものであったと思うのです。前にも述べましたが、私の見るシャルフベックの特徴、というより、この人のウリは、フィンランドというヨーロッパの周縁地域、文化の中心から距離をおいた後進地において、パリ等の先進的な芸術をいち早くもってきて、流行の最先端の気分を当地の流行に敏感な人々に堪能させつつ、現地の文化的土壌に適合するように融和的にアレンジして受け容れやすくするところにあったと思います。そして、シャルフベックの個性は、先端の流行と現地の文化との絶妙なブレンドの調合にあった、クリエイターというよりプロデューサー的な仕事にあった、私には思えます。そんな、シャルフベックの仕事ぶりをストレートに見ることができるのが、この展示ではないかと思います。

Schjerfbeckhari3『お針子の半身像』は1927年の制作で、第2章の展示で見た1905年制作『お針子(働く女性)』の自身による再解釈と言える作品です。これは、アイディアで勝負するタイプの画家が晩年近くに創作力の枯渇したかのように過去作の焼き直しのような作品を描くのとは違います。ひとつは、技量の問題もあるのでしょうが、シャルフベックという画家は、過去の自作をコピーしようとしても、全く同じに描くことができない人だったのではないか、と思えることです。そして、より大きな理由として、上述のように元々、オリジナルに作品を創るというタイプではないので、自作だろうが、他人の作品だろうが、それの作品に倣うことは制作上当たり前のことだったと思われることです。一見、シャルフベックの作品というのは、画家のテンペラメントの動きに引っ張られるように絵画の約束事にとらわれることなく天衣無縫に筆を動かしたかのような印象を受けるところもあります。それは、当時である19世紀の芸術の業界においてアカデミズムという権威主義的な体制で男性社会のヒエラルキーができていて、女性はそこでは部外者、アウトローの立場に立たされてしまって、権威のシステムに従った作品の教育をうけたり、またそういう作品を描いても評価されることはほとんどなく、評価されるとすれば、そのような規格を外れたものを面白がってもらうしかなかった。当時の女性の評価は理性よりも感情的とかいうようなところで、絵画の規格外の捉われ方にしても、男性の理性の範囲外のところで女性“特有”の感情に引っ張られるようなというところで面白がられた、というところがあるとおもいます。シャルフベックにも、そういう点はないとは言えません。

Schjerfbeckrockしかしまた、他方で、上述のようなマーケティングの冷静な分析をしたとしか思われないような作品を見る人に与える効果を十分に考慮したコンセプトで制作をしていた面を持っている。この両者が同居している、しかも矛盾対立することがないということは、普段はありえないことだと思います。それが同居しているのが、シャルフベックの特徴でしょう。それは、例えば、流行の最先端の先行作品の影響を受けて、それを倣うように作品を描いても、“女性”らしいテンペラメントゆえか技量のゆえか、同じように描くことができない。それが差異を生んで、結果的に新しい作品を創りだす、ということだったのではないか。つまり、シャルフベックは偶然の即興的な要素が生まれる部分をコントロールして、その効果を最大限にするために冷静な計算により描いて、作品の中で、たくみに自由なところと、それ以外のところのメリハリをつけていくということをやっていったのではないかと思います。

Schjerfbeckrock2実際の作品に戻りましょう。1927年と1905年制作の両作品の構図はほとんど同じで、同じスケッチを元にしているかのようです。明らかに違うのが分かるのは絵の具の塗り方です。1927年の作品は、手抜きと勘違いするほど、薄塗りで、塗り残しというか余白が目立ちます。その結果、1905年の作品には感じられた、人物の3次元的な肉体の厚みが感じられなくなっています。肉体の存在感がなくなっているかのようです。1927年の、例えば、お針子の黒い服は、人の着ている服ではなくなって、黒い描き割り、塗り絵を稚拙に塗ったような感じです。それゆえに、画面全体が平面的です。それは、外形を抽象的に取り出したのでもありません。面白いことに、その平面的で、人物の存在感が稀薄になっている画面を見ていると、そこに見ているものが「何があったのか?」と想像させるところがあるのです。「そこに何か意味があるのか?」とかです。シャルフベックの作品の特徴は、作品そのもので完結した完全体ではなくて、そこから“ものがたり”の想像を触発して、見る者にコミットさせる、言ってみれば引き込みによってはじめて成立するものであることが、ここで図らずも、1905年とはちがった“ものがたり”を見る者に想像させるものになっているのです。そしてまた、1905年の作品でちがった“ものがたり”を想像させること自体が、そこから派生した“ものがたり”を生んでいくことになります。それが、シャルフベックの作品の広がり、とか豊かさになっていると思います。

Schjerfbeckgureco会場に並べて展示されている『岸壁に落ちる影』もそうです。1883年の作品と1927年の作品は、シャルフベックは意図して違うように描いたとは思えません。多分、両作品を重ねてみると、下絵の時点ではほとんど重複してしまうのではないでしょうか。同じように描こうとして、結果は違ってしまった。しかし、見る者は、その結果の違いが、別の“ものがたり”を生んでしまうのです。

当時のフランスで。スペイン絵画、その中にはエル・グレコも含まれていたということでしょうか。『天使断片(エル・グレコによる)』という1928年制作の作品を見てみましょう。ある意味で、当時の流行とも言えるのかもしれません。歴史の教科書を見れば、グレコは16~7世紀のスペインで活躍したバロック美術に分類される画家ということになっていますから、美術史に位置するような過去の権威で著名な画家というように考えがちです。それは、現代の情報が整理された状況でのことで言えることなのであって、当時は歴史の中に埋もれていたといえるのかもしれません。それが、新たな光を当てられて再認識されたのでしょうか。グレコの原画と、シャルフベックが倣った『天使断片(エル・グレコによる)』を見比べてみると、シャルフベックが殊更にアレンジした形跡は顕著ではなく、シャルフベックはグレコの作品をGrecocon_2倣っていてそうなってしまったというように見える作品です(これを作品といっていいのかわかりませんが)。しかし、グレコという名前を外してみれば、当時の現代作品のようにも見えてくるのが不思議です。私の見るシャルフベックの特徴として、前にも述べたように、既存の作品の影響を消化して、それを見る人の効果を考えつつ、巧みにアレンジして差異を生み出し加味することによって自身の作品を創り上げていくというものです。その既存の作品は、自身の過去の作品でも、当時の芸術の中心であるパリで学んだ作品でも、あるいはエル・グレコのような過去の作品でも、いいということになるようです。そういう無節操さが、シャルフベックにはあるかもしれません。そこに、印象派のようなアカデミズムに権威に反抗するのとは違って、権威に捉われない、むしろ権威を巧みをすり抜けて換骨奪胎してしまうことによって、新しさと保守的な人々にも受け容れられる懐の広さを得たと言えるのかもしれません。それは、パリのような多くの画家が様々な傾向の作品を制作して競争している環境と周縁地域の保守的な土壌が色濃く残り、文化面での流動性が激しいとはいえないフィンランドとの環境の違いもあるのでしょう。シャルフベックの、調整的な創造の性格にも因っているのではないかと思います。

Schjerfbeckgureco2『横顔の聖母(マクダラのマリアの横顔)(エル・グレコによる)』という1943年制作の作品。『天使断片(エル・グレコによる)』から15年を隔てて、同じような作風に見えているのも不思議です。ちょうど、この『横顔の聖母(マクダラのマリアの横顔)(エル・グレコによる)』と同じ頃には、次の章の展示に現れているような晩年の死の影が濃厚になると説明されているような作品を描いていたそのころです。この作品には、その影はあまり見られず、むしろ15年前の『天使断片(エル・グレコによる)』と並べても何の違和感も感じられません。そういうところから、シャルフベックという画家は、豊かすぎる才能に引きずられて、“これしか描けない”という天才肌の人ではなくて、時と場合に、見る人のニーズに合わせて計算しながら適切な描き方を選択していくようなタイプだったのではないかと思います。だから、同じ時期に違ったタイプの作品を描き分けることもできたわけです。そういう意味では、ものごとを絶対化しないで、相対的に捉えていく、こじつけかもしれませんが、ポストモダンの考え方をある意味で先駆け的に制作で体現していたのではないか、と考えられるところがあります。だから、展覧会の説明で触れられているシャルフベックの伝記的なエピソードは、相対的に、作品に“ものがたり”を付加させる一種の装飾としてシャルフベック本人も巧妙に活用したのではないか、と私には想像することができるのです。それは事実でないかもしれませんが、そのような想像を起こさせるところ自体に、一見単純そうでありながら、この人の作品を見る楽しさがあると思います。屈折した見方ではあるかもしれませんが。

 

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