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2015年10月20日 (火)

歴史と解釈?

大雨が降り、1時間後に洪水が起こった。論理的には、二つの事実は時間の前後という関係しかない。両者に因果関係をみるのは解釈、つまり、人が二つの事実が関連しているように見るということにすぎない。それは、見方にすぎず、それによって一連の事実であるかのような、まとまった物語として捉えることができる。歴史で言えば、歴史的事実と歴史的解釈との区別はこれにあたるか。こう言うと、違いは明らかなようだけれど、実際には分けるのは難しい。過去の歴史的事実を、現在のことのようにすべて知ることはできない。その事実の記録や証拠がすべて残されているとは限らない。歴史家は、残されたものから事実をさがす。洪水の記録が残されている時、因果関係という解釈をもとに大雨があった記録や痕跡を前述とは逆方向になるが遡るように探すことをする。それは、何の方向性もなく単に探すというより、探すということに関しては効率的ということになるだろう。そして、大雨があった証拠を見つけ出したら、そこで確認できたことになる。解釈によって事実が明らかになるという。簡単に言うところの歴史理論。このようだと、「あった」ことは探して、みつけることはできるが、「なかった」ことは見つけることはできない。そもそもなかったのだから。「ある」ということは「ない」ことがあってこそなのだから。それゆえに、歴史と歴史解釈とを混同してしまいがちだ。例えば、四半世紀前の事柄に対する解釈の相違を事実があったかなかったかのように言い争うのは、歴史と解釈をお互いに都合のいいように混同して議論を混ぜ返しているに過ぎない。はっきりしているのは、互いに正面から共通の基盤を探して冷静に論理的な議論を進めようとは考えていないということだ。どっちもどっち。それを見ていて、歯痒い。

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