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2015年10月18日 (日)

ルーチンはクリエティブ

ラグビーのワールドカップでの日本チームの好成績、とりわけプレース・キックのキッカーのユニークな仕草が注目され、「ルーティン」という言葉が、これほどポジティブな意味合いで語られていることに驚いている。従来は、ルーティンというと効率化と、その反面として機械的とか派生してルーティン・ワークというと退屈な作業とか、エスカレートすれば人間性の疎外というほどのニュアンスとか、また創造性がないとか、どちらかというとネガティブなニュアンスで語られることが多かったのではないかと思う。

でも、プレース・キックの場面は、フィールドの状態や風向き、ボールの状態その他諸々が全て異なるはずで、機械的に決まったことだけを反復するのみでは、必ずしも高い確率で成功するとは限らないのではないか。そこでは状況に即した微妙な変化は必要なのではないか。状況に応じた即興性というのか、ある意味では創造性が発揮されているのではないかと思う。そこで、ルーティンということとは二律背反ということになろうか。

私見だけれど、ここに創造と形式ということが実践の場面で凝縮して表われているように思える。例えば、音楽では即興的に音を発しても、何らかの形式を備えていないと音楽にならない。形式という枠を敢えてはめて、その枠の中に創造性を凝縮させる。クラシック音楽の楽譜で決まりきった繰り返しのような曲でも、実際に初めて聴くかのような瑞々しい印象を与えるのは、そこに形式に絞られ圧縮された中で創造の爆発があったが故だと思う。スポーツと音楽は違う、と言われれば反論はできないけれど、クラシック音楽の素晴らしいプレイのどこに創造が働いているか、そこだけ抽出することはできないけれど、あのプレース・キックのわずか数秒間に、凝縮された創造があるのではないか。いわば、ルーティンは音楽でいえば形式のような在り方なのではないか、と思ったりした。

その意味で、いわゆるルーティン・ワークということを、今までは、違った視点でみると、別の可能性があるような気がしてくる。気のせいかもしれないが。

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