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2015年10月 5日 (月)

ジャズを聴く(26)~ブッカー・アーヴィン「ザ・フリーダム・ブック」

Jazervin1930年テキサス州デニソン生まれ。

ブッカー・アーヴィンという人は、テナー・ソックス奏者としては、ソニー・ロリンズやジョン・コルトレーナといったメジャーなプレイヤーに比べて知名度は格段に落ちる。しかも、彼を聴く人々の間では、アーヴィンの見方が極端に二つに分かれる。ひとつは南部のテキサス出身という本場で見についたブルース感覚に根差した泥臭いプレイヤーというもの、もうひとつは、まさに正反対のエリック・ドルフィーの行き方をさらに新しくした前衛的なプレイヤーというものだ。そこに共通しているのは、アーヴィンのテナー・サックスがかなり特徴的だということ。

アーヴィンの演奏について、一聴しただけでも分かる大きな目立った特徴というのは、彼の演奏するフレーズが一発でキマらないということなのだ。切れ味の鋭いフレーズがビシッと決まるのは一種のカタルシスを生み、それだけでスカッとするプレイヤーもいる。スタン・ゲッツ等がそうなのだけれど、そういう場合、聴く方としては、フレーズが決まった時点で一区切りとなる。これに対して、フレーズがキマらないと、何となく終わったとか、区切りがついたという感じがしない。それが繰り返されると、くどいと感じることになる。とくに、アーヴィンのサウンドは低音の良く響く、俗に腰の低いどっしりしとたトーンでサックス全体が反響するような鳴りっぷりのいい音なので、そういう音でくどくプレイされると、聴く方は、濃い、感じを持つことになる。そういうキマらなさとアーヴィン独特の吹き方によって、彼の演奏を好意的に捉える人には、アーヴィンが彼の魂や身体の奥底から湧き上がってくるものの発露として、そうした形のないものに音楽という形を与えている(多分アーヴィン本人もそのようにプレイしているところもあるのだろうと思う)と聴くことができることになると思う。そういう演奏だから、計算したようにフレーズがキマらないこともある、というわけだ。これはクラシック音楽でアントン・ブルックナーという作曲家の交響曲の聴かれ方と似ている。ブルックナーはドビュッシーやシェーンベルクといった新時代の音楽が出て来ていた時代に時代錯誤とも言える長大な交響曲を多数残した。彼のつくりだすメロディは分かりにくく、繰り返しの多い長大な作品は、作曲当時は退屈と言われた。しかし、彼のメロディを分解してみると、アーヴィンのように上手くキマらないフレーズがまず出てきて、それでは聴く者に伝わらないのではないかと作曲家が考えたかのように、何度もくどいほど手を変え品を変え繰り返し、その挙句に作品は長大なものとなっていった、と捉えられる。そう捉えると、ブルックナーの1時間を超える長大な交響曲は素朴な老人の感情の吐露として感情移入することができるようになる。

一方、納まりがいい、キマるというのは、完璧に形式にハマるということで、所謂古典といわれるもの、それは古いのではなくて普遍的なもの。しかし、完璧なものなど、そう作れるものではなく、そこから自分独自のものを作ろうと古典の形式を脱する試みが為される。そういうものが新しかったり、古くなったりする。アーヴィンの演奏は、古典という形式にキマらないもので、古典から抜け出ようという動きに含まれると見ることもできる。それはアーヴィンのフレーズがそうで、形式に納まりきれないアーヴィンのフレーズは、それを従来の形式にない形式を作ろうとしていると考えれば、新しい試みと見ることもできる。とくに、アーヴィンの活躍した時代はバップという形式に行き詰まりを感じる人々が出てきて、この少し後にフリー・ジャズのようなバップという形式を考えないものも出てくることを考えると、アーヴィンのフレーズは、エリック・ドルフィーなどとならんでバップとフリーとの間の橋渡しと捉えることもできる。そういう意味で、アーヴィンをアバンギャルド(前衛的)と言う人もいる。実際、彼のフレーズで用いられるハーモニーは、当時の一般的に使われていたものとは違うので、響きのテイストが変わった感じがする。また、アーヴィンはよく音を伸ばすことをするが、その伸ばした音を、微妙にベンド~ある音程を吹きながら、唇の締め具合で(キーを使わずに)その音程を低く(高く)したりすること~させながら、意図的にその音程を不安定な感じにしている。それは・・・何かを堪(た)えている人が、咽(むせ)び、叫んでいるかのようだ。バラードの演奏ではとりわけそうだし、それがアーヴィンの作り出すフレーズにうねりを生む。このようなアーヴィンのプレイは斬新にものに見えたと思う。また一方では、そういう演奏だから感情移入できるものとなっていたと思う。

アーヴィンの魅力とは、この両面性ということではないだろうか。 

 

The Freedom Book    1963年12月3日録音

Jazervin_freebLunar Tune

Cry Me Not

Grant's Stand

Day to Mourn

Al's In

Stella Starlight

 

Alan Dawson (ds)

Booker Ervin(ts)

Jaki Byard (p)

Richard Davis(b)

 

アーヴィンは1963年末から翌年にかけてという4枚のアルバムをレコーディング、これらをブック・シリーズとして彼の代表作と見なされている。この『Freedom Book』は、そのシリーズの第1作目にあたる。このタイトル故と言うこともないが、アーヴィンの自由奔放なプレイをもっともよく聴くことのできるアルバムとなっている。世評ではアーヴィンの代表作とされている『The Song Book』に比べると、同じワン・ホーンのカルテット編成は同じだけれど、スタンダード曲中心のピアノが名手トミー・フラナガンで、まとまりある印象を与える『The Song Book』に対して、こちらはジャッキー・・バイアードの奔放なピアノでオリジナル曲中心となっていて、アーヴィンのプレイは『The Song Book』にあった枠から解放された(制作は『The Song Book』の方が後)ように奔放に見える。

例えば第1曲目の「Lunar Tune」からもう、最初から全開バリバリ!アップ・テンポではあるのだけれど、快速という感じではなくて全力疾走している感じ。タイプは全く異なるけれど、エリック・ドリフィーの有名なライブ・アルバム「アット・ファイブ・スポット」の最初の疾走感を想わせる。実は、アーヴィンとは異質なドルフィーを敢えて持ち出したのは、この曲でアーヴィンが吹いているフレーズにドルフィーとよく似たものが部分的に顔を出すからなのだ。しかも、ドルフィーはアルト・サックス、アーヴィンはテナー・サックスと楽器は違うのだけれど、メタリック気味でストレートなトーンは共通しているように聞こえる。ここでのアーヴィンのプレイを聴く限り、結果的にドルフィーに近いところに来てしまっているとおもう。しかし、ドルフィーとは違う。ドルフィーの場合には理論的というのか頭で考えてある形式に辿り着いた感じがある(だからと言ってドルフィーの演奏が頭でっかちの理論先行だというのではない)、これに対してここでのアーヴィンは全力疾走のプレイを他のメンバーと続けていて、もともと自身の体内から溢れ出るになんとか音楽の形を与えていたのが、ここでは精一杯を越えたところで、追い付かなくなり不定形なまま楽器を吹いていてそんなプレイになったという感じがする。だから、似たようなフレーズでも、ドルフィーの場合にはどこかしら重々しいところがあるのに対して、アーヴィンの場合はカラっとして、あっけらかんした感じで重さを感じさせない。だから、アーヴィンの極端な演奏を聴いていても、スポーツ的な快感、聴いていて「もっとやれ!」と嗾けたくなるようなワクワク感がある。それをアーヴィンと一緒になって、煽っているのがリズム・セクションであり、ピアノのジャック・バイアードの存在ではないかと思う。

2曲目の「Cry Me Not」ではスロー・ナンバーとテンポが急に落ちるが、フレーズを歌うということは、あまりなくて、ひとつひとつの音が長くなるというあり方に感じられる。だから、単にテンポが落ちただけで受ける印象は1曲目と変わらない。ただ、音を息長く吹くためからか、抑えた感じで吹いていて、ブローをかますようなこともしていない。スロー・ナンバーの演奏で、つまり、リズミックな乗りで推進するということがなくて、ワン・ホーンで音色のバラエティが少なく、とくに目立ったメロディーもそうは表われず歌に浸ることもなく、アドリブの冴えもそうあるわけではない、そのようなないないづくしで、10分近い演奏を聴く人に飽きさせないで通してしまうのだから、これは凄いことと言わざるを得ない。ここでは、長い息のコントロールにより、持続しているサックスの音がゆるやかにうねることで、音に動きを与え、それが演奏を生き生きとさせて、ある種のノリを生み出していて、それが聴く人の心地よさにつながっているのではないかと想像する。

そして、5曲目の「Al's In」(6曲目はボーナストラックになるため、正規録音では最後の曲となる)に至って、自由奔放さが最高潮に達する。ドラムスが大きくフィーチャーされて、リズムが前面にでてくると、アーヴィンのプレイも躍動感あふれるリズムの刻みで全体をドライブされて、あっちこっちに音がめまぐるしく飛び回り、バイアードのピアノがそれに対して、冷や水を浴びせたり煽ったりと丁々発止のやりとりを、テニスのゲームのラリーを見ているかのように楽しむことができる。

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