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2015年10月13日 (火)

他人の褌で?

連日のノーベル賞を日本人が受賞したというニュース、新聞の号外が配られたり、テレビのニュースや情報番組で時間を割いて取り上げられている。受賞が決まった人には、他人事ながらおめでとうという気持ちに偽りはない。だから、テレビ番組で映し出される街頭インタビューで、街の人々がおめでとうと素直に口にするお祝いのことばには、その通りだと思う。しかし、また、日本の誇りとかいう言葉はいかがなものか。それは、その人の業績を素晴らしいと言うのではなくて、ノーベル賞を受賞することが素晴らしいということではないだろろうか。極端なことを言うと、その人の業績はどうでもいいからノーベル賞をとったのが素晴らしい。ノーベル賞をとったのだから業績がすばらしいのだろう。それは、日本人が何個ノーベル賞を取ったという言い方に如実に表われている。言うなれば、他人が評価したことをもって、あたかも自分が評価したことにすり替えてしまう。日和見とか権威追従とか、いってみれば見識を持てないでいることを、図らずも自ら公言してしまっているように見える。私だったら恥ずかしい。

挙句の果てに、ノーベル賞をとったということで、急遽、文化勲章なんかを決めてしまうなどということにならなければよいのだが

もし、ノーベル賞を何人も取った日本はすごいというような紹介をするならば、ノーベル賞を受賞した人いがいにも、日本には、こんなに凄い研究者がいるのだということを、どんどん国民に紹介する方がずっといいのに、と思う。

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