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2015年10月 1日 (木)

ヘレン・シャルフベック─魂のまなざし(5)~4.自作の再解釈とエル・グレコの発見

Schjerfbeckhari2ここでの展示を見ているとシャルフベックの自発性というのか、何らかの刺激に触発を受けることで創作をしていただろう、ということが分かります。この人の場合、創作というのは、何もない無から新たにオリジナルなものを創り出すということではなくて、先行する既存のものから影響を受けつつ、自分なりに消化しながら差異をみつけ加味していくことで新たなものとしていく、というものであったと思うのです。前にも述べましたが、私の見るシャルフベックの特徴、というより、この人のウリは、フィンランドというヨーロッパの周縁地域、文化の中心から距離をおいた後進地において、パリ等の先進的な芸術をいち早くもってきて、流行の最先端の気分を当地の流行に敏感な人々に堪能させつつ、現地の文化的土壌に適合するように融和的にアレンジして受け容れやすくするところにあったと思います。そして、シャルフベックの個性は、先端の流行と現地の文化との絶妙なブレンドの調合にあった、クリエイターというよりプロデューサー的な仕事にあった、私には思えます。そんな、シャルフベックの仕事ぶりをストレートに見ることができるのが、この展示ではないかと思います。

Schjerfbeckhari3『お針子の半身像』は1927年の制作で、第2章の展示で見た1905年制作『お針子(働く女性)』の自身による再解釈と言える作品です。これは、アイディアで勝負するタイプの画家が晩年近くに創作力の枯渇したかのように過去作の焼き直しのような作品を描くのとは違います。ひとつは、技量の問題もあるのでしょうが、シャルフベックという画家は、過去の自作をコピーしようとしても、全く同じに描くことができない人だったのではないか、と思えることです。そして、より大きな理由として、上述のように元々、オリジナルに作品を創るというタイプではないので、自作だろうが、他人の作品だろうが、それの作品に倣うことは制作上当たり前のことだったと思われることです。一見、シャルフベックの作品というのは、画家のテンペラメントの動きに引っ張られるように絵画の約束事にとらわれることなく天衣無縫に筆を動かしたかのような印象を受けるところもあります。それは、当時である19世紀の芸術の業界においてアカデミズムという権威主義的な体制で男性社会のヒエラルキーができていて、女性はそこでは部外者、アウトローの立場に立たされてしまって、権威のシステムに従った作品の教育をうけたり、またそういう作品を描いても評価されることはほとんどなく、評価されるとすれば、そのような規格を外れたものを面白がってもらうしかなかった。当時の女性の評価は理性よりも感情的とかいうようなところで、絵画の規格外の捉われ方にしても、男性の理性の範囲外のところで女性“特有”の感情に引っ張られるようなというところで面白がられた、というところがあるとおもいます。シャルフベックにも、そういう点はないとは言えません。

Schjerfbeckrockしかしまた、他方で、上述のようなマーケティングの冷静な分析をしたとしか思われないような作品を見る人に与える効果を十分に考慮したコンセプトで制作をしていた面を持っている。この両者が同居している、しかも矛盾対立することがないということは、普段はありえないことだと思います。それが同居しているのが、シャルフベックの特徴でしょう。それは、例えば、流行の最先端の先行作品の影響を受けて、それを倣うように作品を描いても、“女性”らしいテンペラメントゆえか技量のゆえか、同じように描くことができない。それが差異を生んで、結果的に新しい作品を創りだす、ということだったのではないか。つまり、シャルフベックは偶然の即興的な要素が生まれる部分をコントロールして、その効果を最大限にするために冷静な計算により描いて、作品の中で、たくみに自由なところと、それ以外のところのメリハリをつけていくということをやっていったのではないかと思います。

Schjerfbeckrock2実際の作品に戻りましょう。1927年と1905年制作の両作品の構図はほとんど同じで、同じスケッチを元にしているかのようです。明らかに違うのが分かるのは絵の具の塗り方です。1927年の作品は、手抜きと勘違いするほど、薄塗りで、塗り残しというか余白が目立ちます。その結果、1905年の作品には感じられた、人物の3次元的な肉体の厚みが感じられなくなっています。肉体の存在感がなくなっているかのようです。1927年の、例えば、お針子の黒い服は、人の着ている服ではなくなって、黒い描き割り、塗り絵を稚拙に塗ったような感じです。それゆえに、画面全体が平面的です。それは、外形を抽象的に取り出したのでもありません。面白いことに、その平面的で、人物の存在感が稀薄になっている画面を見ていると、そこに見ているものが「何があったのか?」と想像させるところがあるのです。「そこに何か意味があるのか?」とかです。シャルフベックの作品の特徴は、作品そのもので完結した完全体ではなくて、そこから“ものがたり”の想像を触発して、見る者にコミットさせる、言ってみれば引き込みによってはじめて成立するものであることが、ここで図らずも、1905年とはちがった“ものがたり”を見る者に想像させるものになっているのです。そしてまた、1905年の作品でちがった“ものがたり”を想像させること自体が、そこから派生した“ものがたり”を生んでいくことになります。それが、シャルフベックの作品の広がり、とか豊かさになっていると思います。

Schjerfbeckgureco会場に並べて展示されている『岸壁に落ちる影』もそうです。1883年の作品と1927年の作品は、シャルフベックは意図して違うように描いたとは思えません。多分、両作品を重ねてみると、下絵の時点ではほとんど重複してしまうのではないでしょうか。同じように描こうとして、結果は違ってしまった。しかし、見る者は、その結果の違いが、別の“ものがたり”を生んでしまうのです。

当時のフランスで。スペイン絵画、その中にはエル・グレコも含まれていたということでしょうか。『天使断片(エル・グレコによる)』という1928年制作の作品を見てみましょう。ある意味で、当時の流行とも言えるのかもしれません。歴史の教科書を見れば、グレコは16~7世紀のスペインで活躍したバロック美術に分類される画家ということになっていますから、美術史に位置するような過去の権威で著名な画家というように考えがちです。それは、現代の情報が整理された状況でのことで言えることなのであって、当時は歴史の中に埋もれていたといえるのかもしれません。それが、新たな光を当てられて再認識されたのでしょうか。グレコの原画と、シャルフベックが倣った『天使断片(エル・グレコによる)』を見比べてみると、シャルフベックが殊更にアレンジした形跡は顕著ではなく、シャルフベックはグレコの作品をGrecocon_2倣っていてそうなってしまったというように見える作品です(これを作品といっていいのかわかりませんが)。しかし、グレコという名前を外してみれば、当時の現代作品のようにも見えてくるのが不思議です。私の見るシャルフベックの特徴として、前にも述べたように、既存の作品の影響を消化して、それを見る人の効果を考えつつ、巧みにアレンジして差異を生み出し加味することによって自身の作品を創り上げていくというものです。その既存の作品は、自身の過去の作品でも、当時の芸術の中心であるパリで学んだ作品でも、あるいはエル・グレコのような過去の作品でも、いいということになるようです。そういう無節操さが、シャルフベックにはあるかもしれません。そこに、印象派のようなアカデミズムに権威に反抗するのとは違って、権威に捉われない、むしろ権威を巧みをすり抜けて換骨奪胎してしまうことによって、新しさと保守的な人々にも受け容れられる懐の広さを得たと言えるのかもしれません。それは、パリのような多くの画家が様々な傾向の作品を制作して競争している環境と周縁地域の保守的な土壌が色濃く残り、文化面での流動性が激しいとはいえないフィンランドとの環境の違いもあるのでしょう。シャルフベックの、調整的な創造の性格にも因っているのではないかと思います。

Schjerfbeckgureco2『横顔の聖母(マクダラのマリアの横顔)(エル・グレコによる)』という1943年制作の作品。『天使断片(エル・グレコによる)』から15年を隔てて、同じような作風に見えているのも不思議です。ちょうど、この『横顔の聖母(マクダラのマリアの横顔)(エル・グレコによる)』と同じ頃には、次の章の展示に現れているような晩年の死の影が濃厚になると説明されているような作品を描いていたそのころです。この作品には、その影はあまり見られず、むしろ15年前の『天使断片(エル・グレコによる)』と並べても何の違和感も感じられません。そういうところから、シャルフベックという画家は、豊かすぎる才能に引きずられて、“これしか描けない”という天才肌の人ではなくて、時と場合に、見る人のニーズに合わせて計算しながら適切な描き方を選択していくようなタイプだったのではないかと思います。だから、同じ時期に違ったタイプの作品を描き分けることもできたわけです。そういう意味では、ものごとを絶対化しないで、相対的に捉えていく、こじつけかもしれませんが、ポストモダンの考え方をある意味で先駆け的に制作で体現していたのではないか、と考えられるところがあります。だから、展覧会の説明で触れられているシャルフベックの伝記的なエピソードは、相対的に、作品に“ものがたり”を付加させる一種の装飾としてシャルフベック本人も巧妙に活用したのではないか、と私には想像することができるのです。それは事実でないかもしれませんが、そのような想像を起こさせるところ自体に、一見単純そうでありながら、この人の作品を見る楽しさがあると思います。屈折した見方ではあるかもしれませんが。

 

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