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2015年10月12日 (月)

未来への責任?

ニュース映像や雑誌、新聞の記事で見かけるパターンで、幼子を抱いた母親がデモに参加している光景で、「この子が大人になったときのために」というような理由でやむにやまれず、というコメントをきくことがある。次の世代のために、とかいうフレーズ、このごろの安保法案反対もそうだし、反原発の官邸前デモのときもよく聞かれた。では、この人たちが反対している立場の人たちは、そういうことを考えていないのか、というと、そんなことはないだろう。だから、冷静に考えれば「子供の未来のために」というのは理由として成立しえないはず。そこで、あえて正々堂々とそういうコメントを言うことが少し恐ろしいと、感じることがある。その主張していることが子供のためになるというのは誰が判断したのか、というと客観的な合意があるのかというと、それはないはず。それがあれば、ここで賛成と反対と議論が分かれることはない。とすれば、子供の未来のためになるというのは、その人個人の思い入れでしかない。せいぜいが、その人と主張を同じくする人々の思い、願望と言えるだろう。そして、そこに、その当の子供の考えが反映しているとは思えない。タテマエを言えば、子供の未来は最終的に子供自身が決めることではないか。そういう視点に立つと、子供のためにと相手を批判している、その批判は、批判している側にも跳ね返ってくるはず。私には、そういっている人々が、自己批判を知らず、繰り返しているように映る。

また、そういう提案をしたメンバーを選挙で選んでしまったことで、穿って言えば、間接的に、批判している当の動きに加担したとも言えなくはない。そこで、あたかも無垢な被害者のように、批判を展開しているように見える。そこには、自身が国民としてすでに、プロセスに参加しているという自覚と責任感がみられなくて、傍観者、あるいは被害者という立場。

かくいう、私も傍観者的なものいいをしているかもしれないが

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コメント

わたしはああいう場に参加することが嫌いなので、ああいう場で正義を叫ぶ人も苦手ですが、その人はその人なりの世界観があるのでしょうから、一概に論理的に破綻していると決めつけられないと思っています。

OKCHAN さん、コメントありがとうございます。ただ、仰られていることの意図がよくわからないのですが、私はどうすればいいでしょうか。

CZT様
特に意図はありません。
わたしが感じたことをただ申し上げただけで、CZTさんにどうして欲しいというつもりもありません。

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