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2015年10月 7日 (水)

ジャズを聴く(28)~ブッカー・アーヴィン「クッキン」

ブッカー・アーヴィンの特徴的な音楽性は、何時、どのように形成されたのか、ということは興味のあることだが、よく分らない。出身地であるテキサス州という南部の土着的な音楽環境とか、リズム・アンド・ブルースのバンドでプレイしていたとか、チャールス・ミンガスとプレイしたとかいう解釈があるが、実のところはどうなのか、具体的な説明は何もないので、私には、それらのどれも確かなことは分らない。

ただ、上で述べたアーヴィンの特徴というのが、彼自身の身体の内側から湧き上がる表現衝動の勢いが激しく、音楽として十分にまとまらないうちに噴出してしまうのを、後追いで何とか演奏としてまとめようとした結果、コテコテの諄い印象を与えるものとなってしまったのではないか、という推測を、聴いていて思ってしまう。では、アーヴィンは単に衝動の趣くままに吹き散らしていたのか、というとそうではない。もしそうなら、何枚もアルバムを録音し十年近くリーダーとして第一線でプレイを続けることは出来なかっただろう。このことを彼自身は強く自覚していたのではないか、それゆえにこそ、アーヴィンのプレイが少しずつ変貌して行ったように思える。これは、勝手な私の憶測で、事実かどうかは分からず、検証するすべもない。ただし、アーヴィンのプレイする音楽に対して、このような捉え方をすることから、彼の残した録音に対しての、私の私的な評価、つまりは好き嫌いの基準がある程度はっきりしたと思う。つまりは、アーヴィンの衝動と表現とのバランスの変化だ。細かいことは、個々のアルバムに対するコメントを参照してもらうとして、大雑把な流れで、ここに取り上げたアルバムの位置づけを簡単に説明したい。

アーヴィンの伝記的事実に目を向けると、20代後半から30歳にかけてチャールス・ミンガスのバンド・メンバーとしてプレイをしていて注目されるようになったということで、この時期では、ミンガスのアルバムの中でプレイを聴くことができるという。そして1960年に初のリーダー・アルバム『The Book Cooks』をリリース。この初のリーダー・アルバムを聴く限りにおいて、アーヴィンの特徴的なスタイルは出来上がっているように見える。そして、これが死ぬまで一貫していた。つまりは、ワンパターンだった、というのが一般的な声のようだ。だから、どのアルバムを聴いてもアーヴィンのプレイは同じで、共演するメンバーによってサウンドが違ってくる程度の違いしかない、ということになる。しかし、初リーダーから10年の間に、録音されたアルバムを聴くと、アーヴィンのプレイが徐々に変化してきているように思う。

初のリーダー・アルバム『The Book Cooks』で、すでにアーヴィンのプレイ・スタイルは出来上がっている。しかし演奏全体では、他のメンバーのバック・アップで盛り立てられているようだが、アーヴィン自身がこころゆくまでプレイし切っていない、どこか窮屈な印象が残る。これは、アーヴィンの他にズート・シムズという同じテナー・サックス、そしてトミー・タレンタインというトランペットがいたため、彼らのソロや彼らとの絡み(バトル)に時間を割かざるをえず、アーヴィン自身のソロの時間が限られてしまったため、長くなりがちな自身のソロを短めにまとめて切り上げざるをえなかったためではないかと思う。全体の雰囲気は、アーヴィンの他のアルバムと同様にアーシーで黒っぽいものとなっているので、アーヴィンの長いソロに、それほど付き合わなくていいので、アーヴィンの作り出す世界の雰囲気を、あまり疲れることなく味わいたいという人には格好のアルバムになっているのではないか。

同じ年の末にリリースされた次の『Cook'n 』では、ワン・ホーンの編成で、最後の「枯葉」を除いてオリジナル曲ということで、彼自身の全開のプレイを聴くことができる。このアルバムは、好き嫌いが極端に分れるのではないだろうか。私は、アーヴィンが抑えてきた衝動を初めて解放させたという、勢いと、ある種の瑞々しさが感じられるいい作品であると思う。

そして、1963年に入り「ブック・シリーズ」4作を次々と制作する。タイトルは似ているが、4作それぞれ変化があり、それが、ちょうどアーヴィンのプレイの変化する時期に重なって、4作のアルバムがちょうどそのドキュメントとなっているのではないかと思われる。そう思って聴くのも楽しいことではないだろうか。「ブック・シリーズ」最初の『The Freedom Book』ではジャッキー・バイアードというアーヴィンの個性をプッシュしてくれるピアニストと出会ったことで、彼自身の特徴を『Cook'n 』以上に伸び伸びと発散させている。『Cook'n 』が彼の100%のプレイだったすれば、『The Freedom Book』ではバックの後押しによって120%まで、ここでプレイすることによって自分自身をさらにエスカレートさせて、行き着くところまで追求しきった作品となっている。その結果、アーシーとかブルージーとかいう世界を突き抜けて前衛的な響きが聞こえてきている者となっている。私は、このアルバムをもってアーヴィンのプレイのひとつの頂点を見たと思う。

「ブック・シリーズ」の次作『The Song Book』では正統的なトミー・フラナガンのトリオと組んでスタンダード・ナンバーを中心にプレイしている。フラナガンは、バイアードとは逆に逸脱しようとするアーヴィンのプレイをカバーするように道に戻そうとする機能を果たし、スタンダード・ナンバーをプレイしているということもあり、前作と違って破綻の少ない、まとまりのあるアルバムとなった。ただし、まとまりがあるといっても、アーヴィンの他の作品に比べてのことで、他のミュージャンのアルバムと比べれば、これはこれで十分個性的な作品と言える。アーヴィン自身、前作でやり尽くした感はあったのではないか、スタンダートという明確なテーマ・メロディがある曲の演奏ということもあるのか、ダラダラと吹き続けることから、ひとつのまとまりをもったメロディを吹く、垂れ流すのではなく言い切る方向に、少なくとも演奏に区切りをつけようとする方向に向かっている姿勢が感じられた。

次の『The Blues Book』では、編成が変わってトランペットが入って、ワン・ホーンではないところでアンサンブルをやろうとしたのではないか。『The Book Cooks』では、手練れの周囲に盛り立ててもらいながらだったのを、ここではアーヴィンが盛り立てることをしながら彼自身が主導権をもってプレイしようとしたのではないか。そういう傾向が、このアルバムから見られるような気がする。それまでであれば、強引にプレイを続けていたようなところで、アーヴィンが引いてしまうようなところが、これ以降のアルバムでところどころ見られるような気がするからだ。しかしそうはいっても、このアルバムでは、従来のプレイを続けていて、少し中途半端だったのか、彼のプレイの強引さが薄まってしまったように聞こえる。

「ブック・シリーズ」の後、何枚かのアルバムを録音しているが『Heavy』と敢えて言わなければならなくなったと思われるタイトルのアルバムでも、『The Blues Book』の試みをしようとしている過渡期の姿が見て取れる。丁度、周囲の環境が、ジャズの新たな試みが行われていた時期でもあり、アーヴィンもそれを耳にしていたことも、ひとつの理由ではないかと思われる。そして、最後のまとまった録音となった『The In Between』では、過渡期からの抜け道が見えてきて、彼のプレイが少し枯れた感じが出てくるとともに哀感が感じられる風情が出てきたとこがある。しかし、惜しいことに、ここでアーヴィンが亡くなってしまいこの後の展開の可能性のままで終わってしまった。

Jazervin_cookn

Cook'n    1960年11月26日録音

Dee Da Do

Mr. Wiggles

You Don't Know What Love Is

Down In The Dumps

Well, Well

Autumn Leaves

 

いわゆるBOOKシリーズ以外にも佳品はたくさんある。アルバム全6曲のうち4曲がアーヴィンのオリジナルで、それゆえにアーヴィンの個性が全開で、それ以上に2曲のスタンダード曲での演奏が個性的だ。最後に収められている「Autumn Leaves」、シャンソンの名曲「枯葉」で、スタンダードとして多くの人が取り上げている。とくにマイルス・デイビスとキャノンボール・アダレイによるムードたっぷりの演奏が有名だれども、ここでの演奏は、そんなムードを吹き飛ばすようだ。ミュートをつけたトランペットがテーマの前に短いアドリブするという珍しい展開の後で、アーヴィンのサックスがテーマを吹き始める。そこには情緒もムードもない。速いテンポで、スローなバラードで歌うなどということには一顧だにせず、素っ気ないほと。まるで屋台のチャルメラのようにも聞こえてしまう。アドリブに入ると、ドラムスが荒っぽく、ベースが重い音で煽るように走り、そこにアーヴィンが全開で吹きっ放しで、フレーズを即興的にキメる、というよりは熱くサックスを吹くためにフレーズを繰り出すという様相で、荒っぽい印象。これは、サックスを鳴らしたい、身体の奥底から湧き上がる息を吐き出したいと勢いが強くて、それにフレーズを創りだしていくのが追い付かない、というように見える。楽器を鳴らすという不定形の音が、形となったフレーズになる前に、とりあえず出てきてしまうという感じだ。そのタイムラグ激しいので、不定形の音が、また繰り返される。それを聴く人は、諄いとか荒っぽいと受け取る人もいるだろうし、不定形の音を前衛的と見なす人も出てくる。この「Autumn Leaves」の剥き出しのような直截的なプレイに接していると、私には、そう思える。この鳴らしたいというものが、アーヴィンのプレイを突き動かしているからこそ、諄いプレイをワンパターンのように繰り返し行うことを可能にしてしたと、私には思える。

スローなナンバーを聴くと、違った方向ではあるけれど、息を吹く、サックスを鳴らすという動きのストレートな表出が見える。それは、例えば5曲目の「Well, Well」というスロー・ナンバー。かなり遅いテンポで息の長いメロディをずーっと吹いている。引き伸ばされたようになったフレーズを、まるで息を吐き出すのにちょうどいい、と言わんばかりに。そして、バラードなので、そうムチャクチャにブロウするわけではなく、伸ばす音で大きな流れにゆったりとノルようないいソロを。それは、聴く人によっては単調になるし、前衛的にもなる。

これらの演奏に象徴されるように、このアルバムは、アーヴィンの後年のBOOKシリーズ以上にアーヴィンの特徴がより直截的に剥き出しにされている。だから、BOOKシリーズ以上にアーヴィンが好きな人には魅力的である反面、そうでない人には受け入れにくいだろうと思う。

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