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2015年12月 9日 (水)

借り物の言葉

この年齢になり、会話に際して、相手の話している言葉が借り物であることが、何となく分かるのではないか、と思うことがあるようになった。その相手が自分の言葉で話していない、何というか肚の底に落とし込んで、その底から言葉が出てくるのではなく、表面を舐めるだけの、その人の本音が込められていない話をしている、とでもいおうか。他人の言葉の受け売りが、その典型的なものだ。自分で考えたことではないので、安易に使うことができ、その内容に責任を持たない。日常の他愛のない会話でならかまわない。しかし、誠実でなければならない議論であるとか、状況を左右する影響を及ぼすような交渉の場で、そういう言葉を持ち出されると、後で痛い目をみることがある。しかも、ほとんどの場合、その当の話している相手自身も、そのことを自覚していない。

それは、なんとなく感じるというものなので、説明し辛いけれど、決まったパターンを踏むことが多い。例えば、官僚や政治家の証言で使う言葉づかいや不祥事を起こした企業の経営者が記者会見で発する言葉のような、リスクを踏まないように、過去に使われ安全であるという実績が重ねられているパターンのようなもの。よくよく考えてみると、そういう会話とそうでない会話を岐けるのは、次のような点ではないかと思う。

自分の言葉ではない借り物の言葉での会話というのは、

ひとつは、話している人が、その当人に言及しないで、すべて他人事になっている。それは、そこで話していることの対象に当人が入っていないのだ。みんなこうすべきだ、という議論で、話している当人が、それをやる気がない、というようなことだ。こんなこと、あり得るのかと思う人がいるかもしれないか。極論とか、タテマエの正論を押し通す人に、よくあるケースだ。

ふたつは、話している話題に筋が通っていない。議論や対話をしていると、話の流れは、あっちこっち様々な方向に飛んで行ってしまうことが多い。そのときに、議論の本筋があるはずなのだけれど、その本筋から、離れてしまって、見えなくなってしまうような話の進め方をするというようなことだ。例えば、セールスを受けていて、顧客のためと言いながら、実際には顧客のことは考慮されず売り込んでいる自身のみのためであることが明らかになってくるようなケース。

みっつめに、こちら側の話していることを、ちゃんと聞いていない、だから理解しようとしていない

さて、このように書いている私自身は、この書いている内容について自分のことは借り物の言葉を話すということから外しているのではないか。そうであるとすると、このように書いている、当の私の言葉が借り物であるかもしれない。そうでないという保証はない。話すということは、じつは大変なことなのだ。

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コメント

同感です。自戒しなければ、と思いました。

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