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2015年12月 1日 (火)

水木しげる が亡くなった

今はもう読みこなす力が失せてしまって、まんが(かつて平仮名で“まんが”と表記することが思想信条の表明だった時代の端くれにいた名残を捨てきれずにいる)を読むこともなくなってしまったが、かつてリアルタイムで読んでいたまんがは、ひとつには少女マンガも含めて手塚治虫の丸ペンの幾何学的なスマートさを持ちながら柔らかな温みを帯びた曲線で構成された、リアリズムをベースに丸っこいデフォルメを施してまんが的な空間をつくるメインストリームと、劇画と一括されるGペンによる太さが極端に変化する、ゴツゴツし、角張ったとげとげしい直線で構成された表現主義的な突出したカウンターパワーの二つの大きな潮流があった。私の知る限り、その潮流から全く無縁なところで、孤高ともいえる作風を貫いたのは、杉浦茂と水木しげるだったのではないかと思う。

私の思う水木の特徴は、背景と人物の異常なギャップだ。とくに、その背景の偏執的といえるほど執拗に細かく、まるで磯江毅かアントニオ・ロペス(ちょっと言い過ぎか)かと思わせるほどのリアルに描きこまれて、それだけで強烈に存在感を放つコマの中に、まるで場違いのようにバランス欠くほどリアルさを欠いたまんが的な人物を同じ画面に同居させてしまったところにある。虚心坦懐に彼の描くコマをみれば分裂症ではないかと感じさせるほど統合さを欠いている。しかも、リアルに描きこんだ背景の強烈さは、それ自体で生きているような錯覚を起こさせるほどで、現実の風景が、何か超現実の呪術的に見えてくる。それが、怪奇ものというジャンルと結果的に結びついていったのではないか、と彼の絵が、そうさせていると思わせるほど強い個性を持っていたと思う。だから、彼の作品の物語とかキャラクターは、ほとんど覚えていない。そして、水木の数少ないフォロワーたち、つげ義春や宮谷一彦、そして石井隆は、ある時期、熱中して読んだ人たちだった。水木しげるという作家は、まんがの毒のある一面を代表していたと思う。合掌

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