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2016年1月

2016年1月31日 (日)

プラド美術館展─スペイン宮廷 美への情熱(1)

都心の大手町周辺に終日用事があって、うろうろ歩き回った。そのやりくりのなかで、ポッカリとまとまった時間が空いてしまったが、会社に戻って出直すには中途半端な時間で、近くにあったので、時間潰しも兼ねて寄って見ることにした。平日の昼間で、しかも展覧会の会期としては始まったばかりであるのに、かなり拝観者が多かった。上野の美術館で印象派やルネサンスの名画を展示する展覧会のような雰囲気といえばよいだろうか。拝観者の年齢層は高めなので、うるさいというのではなかったが、落ち着いてゆっくりと鑑賞できる環境ではなかった。今後は、もっと混雑するかもしれない。

Pradopos この展覧会は、スペインのプラド美術館の膨大なコレクションの一部をピックアップして持ってきたものなので、全体としてどうなのか、というよりも、展示された中で気になる作品を取り上げて、個々に感想を述べるのが適当と思います。ただし、作品の一部をどのようにしてピックアップしてきたのかは、何となく気になるので、長くはなりますが主催者の一方である、プラド美術館の関係者の挨拶を引用してみます。

“プラド美術館は間違いなく、ヨーロッパ美術史における大河のひとつです。このたび私どもは、広い河床を流れるあふれんばかりの所蔵品群から最も小さな作品に着目し、ゴールドハンターのごとくその偉大さ、独自性をすくい取りました。そうして集められたのは、岸辺に控えめな姿を見せる作品ばかりですから、私たちはじっくりと、注意深く鑑賞する必要があります。「プラド美術館展─スペイン宮廷 美への情熱」はプラド美術館の収蔵品の高い質と歴史的アイデンティティの要約といえます。小さなサイズという共通項を持った100点以上の絵画を集めた本展覧会は、15世紀から19世紀の終わりまでの西洋美術に向け、比類ないツアーを提案いたします。

本展覧会で私たちは、実際にプラド美術館に行ったかのように、ルネサンス期の芸術家によってよみがえった古代の古典様式と出会い、またバロックにおける自然と超自然的なものを、恍惚に我を忘れるほど大胆に解釈する傾向を見ることができます。近代芸術のあらゆる様式は、芸術家の主観と内面性が手を取り合う途中でついに混ざり合い、やがて現代の入り口に到達して、我々の時代の断片的なものの捉え方のなかに溶けていくのです。これはまた、ボス、ティツィアーノ、エル・グレコ、ルーベンス、ベラスケス、ゴヤ、フォルトゥーニといったプラド美術館の偉大なる芸術家たちの匠の技に関する物語でもあります。ここでは、手に取って見るために作られたかのような小品ならではの独特の視点から、これら巨匠の技を鑑賞することになります。

このなかに来館者は、作品の依頼者が私的に楽しむため細心の仕上げが施されたものや、大きな作品の縮小版、ラフな下絵スケッチ(ボツェット)や、より綿密に描かれた小型の下絵雛型(モッデリーノ)、自然写生といった、重要な芸術家たちの天分と創作過程を余すことなく表わす作品を見出すことでしょう。多種多様な技術と素材(木板、カンバス、石板、銅板)を用い、あらゆるジャンルの用に供され、美術史上可能な限りのテーマで描かれた作品の数々。まずは宗教的イメージと肖像に始まり、時代が下ると自然と人間が織りなすドラマ、その奇想と創意が表現されています。本展覧会は、プラド美術館で2013年に開催されたものです。その成功によりバルセロナでも展示され、そしてこのたび、東京の三菱一号館美術館で特別バージョンにて紹介する運びとなりました。今回は新しい作品やテーマを加え、特に女性の世界とその固有の美しさの側面を強調し、より豊かな内容となっています。プラド美術館を、最小かつまばゆい小品群で再構成して展示するという本展覧会は、感受性の鋭い日本の観客への挑戦として新たに提起されました。日本人は古来、小さなサイズで細部まで表現に凝った作品のなかに囚われた美を評価し、理解するという習慣を持っているからです。ここに選ばれた作品を鑑賞するということは、自分と作品との関係を明らかにし、また作品を判断する際に行使する自由と自分との関係をも明らかにすることであります。そのようにしてはじめて、非常に複雑な行為の褒美を得ることになります。すなわち、知識と美をわがものとするのです。”

つまり、端的に言えば、サイズの小さい作品を、著名な画家の作品の中から、万遍なく選んだ、というものです。

ということで、たぶん膨大なコレクションなのであろうプラド美術館の所蔵作品の中から、ある種の視点で作品をピックアップしたというのであれば、そこに趣向とか世界観があるはずですが、今回は、そういうのではないらしい単なる見本市のようなものらしいので、私の見た中で、いつくかの作品を取り出して、感想を加えていきたいと思います。たぶん、とりとめのないものになるだろうことを、ご了承願います。展示は年代順だったようなので、その展示順にしたがって見ていきます。

2016年1月23日 (土)

恒例N社の説明会の印象

また、ある関係者の厚意により、N社の決算説明会に行ってきました。第3四半期の決算です。アメリカで金利の引き上げがあったり、中国の経済成長が失速してきたり、原油価格が低迷したりと、最近は株価が世界的に暴落してしまったりと、このような景気の先行きがどうなのか、いいのか悪いのか、どっちなのか?という状況で、オピニオン・リーダー的な経営者でもある、この会社の社長の話を、こういう時こそ聞きたいと思いました。

N社の第3四半期までの業績は全体としては順調(この会社の場合は高い成長率を続けているので、他の会社であれば、特筆すべき好業績になると思うのですが)ということでした。ただし、一部で中国市場の不景気とスマートフォンの頭打ちで、それに関係した製品の業績が落ち込んだようです。これは、新聞等で連日話題とされるとつながるので納得です。他の部門の好調が、これを補って、全体としては順調ということだったようです。説明会では、こころなしか、いつも元気のいい社長の口調に迫力を感じられなかったのです(私だけがそう感じたのかもしれませんが)。そう感じたことから、これらの2部門のことに触れたくない、それでか、第3四半期の単期業績については、ほとんど触れようとしなかった。そんなことを気にしているのは、私だけかもしれません。で、説明の大半は中長期的な経営戦略で、その説明はとても興味深いものだったのはたしかだけれど、あえて、そちらの話題に逃げたと、私には思えてしまったので。しかも、説明はすぐに終わって、今までの説明会では社長さんの強い自信に圧倒されていたのですが、今回は、それが薄まった印象です。好意的にみれば、目先の業績よりも、先行きの戦略の方について、むしろ、このような時だから語りたいという、という見方も可能です。だから、私の印象は一面的かもしれません。

ただし、中長期の説明は、とても興味深いものでした。社長さんは、現在が技術の大きな転換期にあると言います。この時に新たな技術による製造の変化によって新たな部品、素材、製造装置の市場を切り開く余地が急激にひろがっていると言うのです。だから、この機にあらたな視点での素材、部品、製造プロセスのありかたを創り出すことによって先取り特権のシェアを占めることができる、というわけです。例えば、プロセッサーをいち早く市場投入し、パソコンのキーデバイスになって、パソコン市場を支配したインテルのようなチャンスが、今、開けようとしているのです。かつて、日本の電機メーカーや機械メーカーは、既存の製品を低価格、高品質で提供することにより、世界的な競争に打ち勝って成長しました。しかし、中国や韓国といった新興国のメーカーとの価格競争に負けてしまいました。それでは、と新たな製品を開発しましたが、それについても、またたく間に新興国に追いつかれて、価格競争となってしまいました。その場合の新製品というのは、実は既存の製品の枠組みの中での新しいバージョンというのか、性能を高いものにしたり、オマケのような付加価値を加えたり、というものだったと思います。これに対して、今は、そのような既存の枠組みそのものが変わろうとしている。そのようなことを、社長さんは話していました。例えば、自動車の世界での自動運転に象徴されるシステム、燃料電池やPHVの制御などでは、今までにないセンサや様々な制御機構が多数車載される。そのような自動車は、もはや、それまでの自動車とは別のものになってしまいます。実際、自動運転で目的に運んでくれるということになれば、今までの自動車の売りであった、スピードとか加速とか運動性といったことで自動車が選ばれることはなくなります。そうであれば、エンジンの性能を上げることに意味があるでしょうか。その代わりに、自動車には、さまざまな制御や制御のためのセンサ、そして、それらをコントロールするシステムを多数搭載することになります。しかも、たんに機械的というのではダメで、人が安全で快適に移動できるように、気まぐれに対応して、突然の危険を避けるために極めて曖昧なところで統一的に動くことができる、人と機械のあいのこのようなシステム、ロボットのようなものになっていくということになると言います。そういうものに対応するものを作る。そのためには、従来の技術の発想では対処できないというのです。例えば、部品を作るという従来のものづくりから、その部品が機能するシステムを提供する。そして、それらを統合的にコントロールするシステム。その技術を開発したというだけではだめで、それが製品として普及しなければならないので、画期的技術であることに加えて、大量生産できなければ意味がないのです。もし、そのシステムを自動車に組み込むのであれば、それらの細々としたシステムを、自動車の大量生産と同じスピードで、コストや製造の手間をかけないで、また、製造後のメンテナンスを容易にすることができなければなりません。だから、新たな技術を開発するだけでなく、そのような新技術を低コストで大量に生産する生産技術(従来の製造ラインでは生産に多大な手間がかかるだろうから)までふくめて、全部開発しなければならないのです。具体的には、従来では制御機構というのは制御装置というハードで制御していたのが、ソフトがそれに取って替わるということ。制御装置と言うハードは、可視化されているもので標準化ができるためコモデティ化し、(つまり、他社が容易に真似できてしまう)他社が参入し価格競争に巻き込まれることになってしまう。しかし、ソフトであれば、ブラックボックスにできるので、他社が真似できないので、価格競争になる可能性が低くなるといのです。このような分野は、ほかにLOTだったり、ロボティックスだったり、ALだったりとする。さこで、他社、そして、新興国メーカーが追いつくことの出来なくなるわけです。

つまりは、社長さんの言うことが、現実におこっているのであれば、日本の他の電子部品メーカーや素材メーカー、そして産業機械(ロボット)のメーカーにとっては、千載一遇のチャンスにあるということになるのです。またそのような生産工程となれば、生産ラインを低賃金の海外に置く必要はなくなり、日本国内に置く方が有利になってくるのではないか、と思いました。その意味では、希望を持たせてくれたことは確か。そういう点で、経営者は人々に希望を与えることができる人だ、というのを社長さんは示してくれた。そういう説明会でした。

しかし、最初に言いましたが、気になるところもあるのです。

2016年1月20日 (水)

三谷博「愛国・革命・民主:日本史から世界を考える」

明治維新を他国の近代社会への革命との比較で考え、それをもって現代を見ようとした著作。

論点は多彩で興味深く、それをフィードバックして明治維新に再び目を向けると、その特異性が際立ってくるという、読書の楽しみを満喫させてくれる著作です。明治維新について述べながら、フランス革命や辛亥革命との比較に視点が飛び、その視線が現代の民主制や紛争に及んで、アクチュアリティーと身近さに驚くとともに、それらが見慣れた局面と異なる姿を現してくるので、興味は尽きません。著述は、民主とか革命といった項目に分けられますが、ハッキリ区別させるわけではなく、単に議論の入り口という程度で、関連しあって、さながら迷宮の様相を呈示します。

例えば、ナショナリズムと民主化との関係は、現代では相反する対立的に扱われるのが常識ですが、明治維新においてはナショナリズムこそが民主化を進めていた、という事実を示します。幕末からの幕府という将軍を頂点とした権威主義的体制が崩壊した大きな要因に公論とか公議ということがあったという。これは、現在の視点では民主的な議論といったことになるかもしれなませんが、当時は、老中の寄合の結論を将軍が決裁するという手続が幕府の当初からあって、その展開と考えれば、これは現代でいえば、会社の決定手続きに置き換えれば稟議制に近いイメージが可能です。これが幕府の体制が形骸化するにつれて、形式化が進み、将軍といえども、この手続きを踏まないと権力を行使できなくなっていきました。近代の立憲君主制、例えば、太平洋戦争に際して君主である天皇は主体的に権力行使ができなかったと言われていることに近いイメージといえます。つまり、正当性の根拠が手続を踏むことなのです。これは、お役所の前例踏襲主義、手続を踏まないと何も進まないのと同じです。外観からは近代ヨーロッパの民主政体の法の支配とそっくりな形にみえます。その体制が成熟化したころにペリーの来航があり、老中の安倍正弘が前例を破り広く意見を求めたことを契機にいわゆる雄藩の大名が、その手続に参加しようという空気が一気に広がりました。そうなると実力のある大名が新たに幕政に参加しようとするのと、従来の小藩の大名で実力のない老中との権力争いが生じ、将軍の継承争いも絡み、対立が先鋭化していきます。そのひとつの噴出が安政の大獄です。一方で、この雄藩の家来の西郷隆盛や橋本佐内、あるいは水戸の藩士たちが藩主のために根回しの奔走していたのが、ボトムアップの議論の発生を促すことになります。このとき、雄藩の大名たちが自身の政策的意見の根拠としたのが、国のため、いわゆる人為的なナショナリズムでありました。ただ、幕府内で、その主張するためには幕府=国としてしまうと、幕府の手続主義を認めることになってしまうので、公議を進めるという改革ができないことになります。そこで持ち出したのが天皇という別の権威だったということです。それが勤皇ということでした。一方、ボトムアップの方向の議論が広がり長州などではエスカレートしていきました。そして、正しい主張をしているのだから手段は正当化できると暴力と結びついていき、そのプロセスで勤皇が尊王に変質していった。それが討幕に発展していきます。つまり将軍は公論の邪魔になるという正当化。ここに近代的な民主ということはは出てこない。

それが民主と結びつくのは、明治維新後の自由民権運動のころです。こんどは反政府の主張は薩長の専横は国のためにならない公議を歪めるという、討幕の論理を逆に突きつけていくのです。この自由民権運動を支援したのが、地方の有力者、豪商や地主といった武士以外の人々です。かれらは経済活動に従事していたので、内乱は経済活動の障害となることから、内乱を嫌い、議会での討論を支持しました。これが全国展開するのです。これが西欧列強からは市民に見えたわけです。それを目ざとく発見した伊藤博文のような元勲たちが、西欧への受け狙いと、著者はエエカッコしいとか見栄を張ったという言い方を著者はしていますが、後世へのかっこうつけのような、いい意味での矜持があったから、国会開設を決断したのではないか、というのです。それは、目先にとらわれず、遠く将来を見据え、評価は後世の歴史家に任すという英雄的な決断でもあったわけです。

一部を抜き出しただけですが、NHKの大河ドラマのような怒鳴り散らしながら若い男の子が刀を振り回す幕末ドラマなんぞより、意外性もあるし、展開に手に汗握るほどの面白さがあります。

2016年1月18日 (月)

自由とかの普遍概念は普遍ではないかと議論してみてもいいのでは

同じ言葉や、それによって示される概念というのが、同じように使われ、同じ内容であるか、それが通時的(いつの時代でも)にも共時的(世界中のどこでも)にも同じであって、共通なのか。そしてまた、誰でもが使っている基本とも言える概念が、そのように誰にでも共通であること以上に、絶対的なように見えているのは、そうしたものとして、あまり考えず不用意に扱うことができるのか。

それを、例えば、「自由」という言葉を、ちょっとした思考実験のようなことで、それよりも妄想と言った方がいいかもしれません、ぶっちゃけたところではコジツケといったほうが当たっているかもしれません。自由と欲望とは切っても切れないのではないか、ということを。

18世紀の啓蒙思想でやったような自然状態を想定してみます。こういう想定をしてみましょう。現在でいえば、未開ジャングルの奥地で文明と隔絶された石器時代といったような狩猟によって生きている小集団があったとします。この人たちは、生き延びるために集団の男たちが獲った動物の肉や女たちが探した木の実を老人や子供もいる集団内で平等に分かち合っている、そういう集団です。『はじめ人間ギャートルズ』のような家族、村落の集団です。このような集団では、男たちで狩りが上手でも下手でも、また狩りができない者でも、皆で獲物を分け合うことで生きています。そこには、平等が、結果の平等が成立している、と考えてもいいでしょう。みんなで分け合わなければ生きていけません。そしてまた、腹が減らないように、無駄なエネルギー消費は抑える、というよりは、生きていくだけで、狩りをしていないときは、昼寝とかしてウダウダしています。このような集団の生活では、平等というのは、狩りが上手でより多くの獲物を獲ってきた男が集団内で価値があるということにはなりません。余計なエネルギーを使って、沢山狩りをして、食べきれなければ、無駄です。また、狩りをすることは危険に遭遇することでもありますから、余計な危険を招くことになります。だから、狩りが巧い人を、集団内で価値ある人として、能力に応じて分け前をより多く取ることにするとかすると、不平等の原因ということになります。また、獲物を獲った男が、自分が獲った獲物は自分の所有物として占有するということは考えられません。(ここで、自分のものだ、と所有を主張すれば、ルソーの『人間不平等起源論』と同じストーリーということになるでしょう。「これは俺のモノだ、と宣言したところから不平等が始まる」というフレーズです。)

ここで、現代のいわゆる資本主義的な考え方であれば、獲物を多く獲った男は、その獲物を自分のものとして、まず自分の空腹を満たした後、集団内の他のメンバーで獲物を獲れなかった者と、獲物以外の何かと交換して何らかの価値を得る、あるいは他の集団に出向いて交換を試み、価値を蓄積するのが正当ということになるでしよう。その次には、より多く獲るために労務の対価を獲物で払うことにして誰かを助手にして、より多くの獲物を獲ろうとするかもしれません。資本主義の経営でいう事業の考え方です。これは、この男が私有財産ということを、集団の平等な共有とは別の考え方に変わったこと、それに伴いより多く獲たいという欲望を発見したことになります。このときの、事業化を進めることは、集団の平等といういきかたに反抗することになります。このとき、欲望を満たし事業化を進めようとするとき、男が主張するのが自由の始まりということなのではないか。それが、発生論的な妄想です。

つまり、といってまとめてみましょう。未開のジャングルで獲物をメンバーで平等に分け合って飢えをしのいでいる小集団では、ギリギリの厳しい環境にあるけれど、メンバー共同で平等に苦しみに耐えて、助け合って生き延びようとしているわけです。メンバーの関係性は家族とか親族のような同質性の強いものでしょうから、集団内では些細な揉め事程度はあっても、争いや競争が起こることはなく、集団内では平穏な状態が保たれているはずです。諍いで集団が分裂することは、メンバーにとっては危険でもあります。そこには、旧約聖書のエデンの園のような貧しいけれど牧歌的な平和な状態のイメージが当てはまると言えるのではないでしょうか。ちょっと脱線しますが、日本人が「平和」という言葉から連想するのは、そういうイメージではないか、と思います(それは、競争や紛争が日常化しているグローバル・レベルからは、一般的とは言えないのではないでしょうか)。こういう集団は、別の視点からみれば停滞した社会と言うこともできます。メンバーの生存とか、そのために集団を維持することが第一で、危険を避けることが最優先ということになります。そういう社会では、実際には、これまでの先例通りにやっていくことが重視されています。新たなことを行うと、それはあらたな危険を招くことになるからです。つまり、行動は先例という決まりきったことに制限されることになります。そこに自由の生じる余地はありません。これは、歴史を顧みれば、このような状態に近い実例として、日本の江戸時代の停滞した社会を考えてもいいのではないか。この時代には戦争や内乱は起こらなかったけれど、経済的な成長はなく、社会的な変革は起こらなかった。武家の社会は先例の踏襲が日常的で、身分や役職は家柄が代々の踏襲となり、新しいことへの挑戦は、「出る釘は打たれる」でもないが、抑制された、という時代という見方もできます。(マルクスなんかの社会科学がアジア的停滞というのは、このようなイメージでしょう)これが幕末から明治維新の初期に内乱の暴力行使が噴出するが社会は活力を生み、トップダウンの秩序から、庶民が起業をするなどの新しいことへの挑戦が至るところで起こり、経済成長が、民主的な社会への移行が始まる、それが明治維新による近代化のスタートです。

例えば、仮にメンバーに行動の自由が認められたとすると、やりたいこと、例えば、狩りの方法の工夫とか、新しい猟場を探すとかに挑戦すると、それがうまくいくと当人のモチベーションは上がり、獲物は増えるということがあるかもしれません。しかし、それは同時に集団の先例に縛られた行動の秩序が崩れることを招きます。狩りの目的は集団の食物をとることから、狩りの獲物自体を多くすることに変質していきます。そのことによって、狩りの獲物は集団の飢えを満たす以上の分量となる。そこに余剰品がうまれる。一方、狩りの結果に個人差という認識が生まれる。働かざる者食うべからず、です。成果を得た者が、相応の配分を受けるという発想の転換がおこります。これによって集団内に競争が生まれる。それは、勝ち負けがうまれ、不平等という見方が生まれることになります。

このように考えると、自由ということが導入されることによって、獲物の増加による集団の生活の向上が成果として得ることができる一方で、集団内に競争が始まり、不平等して格差が生まれ、そのことによって集団のメンバーに軋轢が生じます。

この思考実験(妄想)の結論では、アダムとエヴァが知恵の実を食べて平和なエデンの園を追放された神話に擬えて、自由を獲得したことにより、楽園にいられなくなった、という考えに至ります。

自由と言うのは、そういう社会経済の条件と不可分であって、そのような考え方には、そのような体制を充実させ、促進させていくメリットの大きいものでありますが、その反面で不平等とか格差の原因ということもでき、の結果として諍いや争いを生むものです。そういう毒の要素もある。それは、誤解をおそれずに言えば麻薬のようなものです。

そう考えた時に、自由を求めて闘争する、時には生命をかけるということは、ある社会(西欧の自由主義社会?)では、誰も疑うことのないことかもしれませんが・・・。それを、無前提に無制限に受け入れるかのように疑いなく、そのようなものとして議論をしてもいいのでしょうか。

他にも、民主とか平和とかルールを守るとか、そういうことは、それぞれある条件のもとで成立していることであって、その違う条件のもとで、議論をして、どうしていこうということが、ということを考えてもいいのではないでしょうか。

 

2016年1月14日 (木)

正月の雑煮とかお節とか

お正月には、お節料理とか雑煮とかというパターンは実際に、昔からみんなそうやっていたというのではなくて、多分、昭和初期とか、昭和30年代の高度成長期の社会変化のプロセスあたりで、そういうフィクションができて、マスコミなどを通じて全国的な情報となり、いつのまにか、みんなそうだという共同幻想ができたものではないかと思っています。多分、お節の由縁はどこかの地方とか、どこかの家の話をまことしやかに広められた(食品メーカーとか、作法や料理教室とかマスコミとか)ではないかと思います。

だから、私の場合、サラリーマンとして社会生活を営んでいることによる社会的な約束事を最低限おつきあいしている以外は、個人生活においては、年末年始のことは面倒臭いので、そんな無理をするのをやめています。例えば、年越しそばとか、正月のお節とか、お餅とか、お雑煮とか、初詣とか、帰省とか。

剝きになっているわけではありませんが、敢えて正月を否定するつもりはありませんが、年末年始をやっている人々は、私には無理をしているように見えてしまいます。

2016年1月13日 (水)

デビット・ボウイ『ロウ』

51sedz9qq4l ロック・ミュージックではデビュー作で瑞々しい作品を提供したバンドが、それに続く作品がそれほどでなく、しりすぼみとなって、いつの間にか消えてしまうケースが多い。ロックの初期衝動とか言われる、表現衝動とか、ある場合には怒りとか感情の発露とか、とくに思春期の世代にはフラストレーションが鬱積したものが表現として噴出するとかうると思う。ただ、それは、ある種の排泄物のようなもので、一度排出してしまうとスッキリとしてしまって、後は続かないということだろうと思う。その後、さらに表現が進化するのが才能ということになるのかもしれない。そんな中でも、ロック・ミュージックは、その衝動を特徴としている音楽でもある。そこで、衝動を保つということに真剣に取り組んだ、さまざまな試行錯誤をしてきている。例えば、キング・クリムゾンというバンドは、自分たちの衝動をパロディ化させ客観性を持たせようとした。また、レッド・ツェッペリンは衝動のコアの部分を抽出しスタイルとして固定化しようとした。

そして、ここで紹介するデヴィット・ボウィは自身が様々なキャラクターを演じることによって、その様々な演じた対象、それはSFの世界のスペース・オデッセイだったり地球に落ちてきたスターのジギー・スターダストだったり、それぞれの衝動をフィクションとして提出して見せようとした。そのために舞台で俳優が演技をするのに扮装するように、衣装や舞台化粧のようなことが、グラム・ロックと名づけられ、今でいえばビジュアル系の元祖のように言われてしまった。

そんなボウィが、演じることをやめて、化粧を落とした素面で提供したアルバムが『ロウ』という作品。あまり、セールスは良くなかったのだけれど、一方でパンク・ニューウェイブ、また、ドイツあたりからテクノ・ポップが台頭し始めたころで、ボウィなどのメジャーなロック・ミュージシャンはオールド・ウェイブなどと揶揄され色褪せた存在と見られ始めたころ。ボウィ自身も『ジギ・スター・ダスト』の前衛性と大衆性を微妙に均衡させていたという位置づけが、もはや認められなくなり、試行錯誤の中で制作された作品だったと思う。そういう時代の状況が他人を演じるということが通用しなくなったのかもしれない。ブライアン・イーノとかロバート・フリップ(キング・クリムゾン)といった環境音楽とかプログレッシブ・ロックの、彼とは異質の人と共演した「ワルシャワの幻想」という、およそ彼のイメージからすると異質なナンバーが一番印象に残っている。地味で陰鬱な曲なんだけれど。だからといって、ボウィが他人を演ずることをやめて、自身をさらけ出したというのとは違う。敢えて言えば、自身を演じることを試みようとしたものと、言えるかもしれない。そのような『ロウ』で提示されたのは、環境音楽という、いわば無内容の音楽っぽいとこもあり、瞑想をさそう精神性を思わせる後期ロマン派っぽい響きところもある、すごく重層的で多面的に響いてくるのだった。

2016年1月11日 (月)

『戀戀風塵』の感想

お正月の時間に、DVDを借りて見た映画。

台湾の侯孝賢の1987年監督作品。山中を縫うように、小さなトンネルを何度もくぐるローカル線の鉄道の車中で、並んで吊革につかまる少年と少女から物語は始まる。少年は学校の卒業と同時に台北に出て、働きながら夜間高校に通う。少女は、その後卒業を待って、後を追うように台北に出る。台北で働く2人は、強い絆で結ばれ、お互いに助け合いながら、お盆の里帰りを何よりも楽しみにしていた。やがて時がたち、お互いを意識し始めた2人だったが、少年は兵役につくことになる。少女は少年にたくさんの手紙を書く、彼も手紙を楽しみに待ち、返事をするが……。

このような粗筋を書くと、幼馴染の男女が恋心を抱く青春の淡い初恋と、そのほろ苦さということになってしまうのだけれど、引き気味のカメラアングルは若い二人を突き放すように遠目に映すので、細かな顔の表情をうかがわせることはない。空間の広がりのなかで二人の姿を捉える。カメラはずっと固定で、移動やパンのようなケレンは交えず、ほとんど常に正面から二人の姿を同じ画面の中に収める。しかも、二人は恋人同士が向き合うという位置関係でなく、志を同じくする同志のように同じ方向を向いて横に並ぶ位置関係でいることがほとんど。二人が向き合うときは、テーブルをはさんだり、窓ごしであったり、間に介在物をはさんでという。サイレント映画のような映像に語らせるところで、説明的になることなく、二人の(心理的あるいは物理的、社会的)距離を見せているので、沢山の表現がされているにも関わらず淡々とした、端正な印象を与える。二人の距離が一気に縮まるように各々の姿を正面から映す切り返しショットで向かい合うよう場面は、少年がオートバイを盗まれる直前と、病に倒れた時という不穏さと同居していて、このあとの不吉さを仄めかす。他にも、雲とか靄とか煙のようなたゆとうものの扱いもそう。たとえば、冒頭の緑の木々は心なしか微かな靄につつまれているようだし、少年の乗るオートバイが別れを告げた印刷工場の玄関口に残す排気煙、多くの人が吸う煙草の煙、線香や冥銭を燃やす煙、それらは風塵として画面に刻まれていく。中でも強い印象を残すのは少年が兵役に就くために駅に向かうのを見送る祖父が鳴らし続ける爆竹の白煙。少女が働く仕立て屋を少年が尋ねた時に隣が火事になる不穏な煙は、最後の雲を仄めかす。やがてカメラは再び上空の雲を捉える。少年が軍務に服する金門の林の梢を一面蔽う、その雲だ。少女の結婚を知り慟哭する少年をじっと見据えたのちに映し出されるこの雲は、それまで描かれてきたそれらとは明らかに違う様相を呈している。それはあたかも永遠に時を止めたかのように、重苦しくそこに停滞している。だが真に驚くのは次の瞬間だ。この不動の雲を捉えたカメラはやがて、カメラのほうが、横滑りに動いていくのだ。悲しみと悔恨で一処に滞り続ける彼の痛みを、まるでそっと押し流すように。単なる横移動に過ぎないこのオーソドックスなカメラワークなのだけれど、この移動は、それまでの固定していた画面を破り、見るものに大きな衝撃を与える。ラスト、分厚い雲間から洩れる陽光が山あいをゆっくりと移動しながら照らしていく。再び流れはじめたその雲と同じ速度で人物のセリフで口にしたり、感情をあらわにしたり、ストーリーでそれらしい決着をつけるわけでもない。しかし、この見る者を切なくゆさぶるのは、どうしてなのだろうか

2016年1月 8日 (金)

ダイバーシティとか企業の多様性についての異論

コーポレートガバナンス・コードがらみで、そこから派生(脱線?)した話題としてひとつ。企業の経営の多様性、多元性の必要性が議論され、実際の現場で採用とか、人員構成とかでダイバーシティをガバナンスコードでは原則のなかで、企業に対策を求めています。企業の中には、そういうガバナンスコードが作られる前から、ダイバーシティを標榜するところもありますし、そういう企業は徐々に増えているということです。その中身としては、今年の4月から、大企業は女性活用の数値目標を公表しなければならなくなるとか、外国人の登用とか、また、アメリカではマイノリティの人種を一定程度以上雇う義務があるとか、さまざまなことがあると言えます。

そこで、いくつかのことを考えてみたいと思います。

第一に、企業が多様性ということを標榜するとか、ダイバーシティに取り組むということは、多様な考え方とか発想とかを求めているがゆえにということになるのでしょう。そこで、その多様性ということについて、レベルで考えているのでしょうか、ということです。つまり、このような多様性を求める思考方法には多様性がないのではないか、一貫していて揺らぐことはないのではないか、ということです。なんか、こんがらがってきたぞ、と言われそうです。

具体的に考えていきましょう。ダイバーシティとか多様な人材を求めるということをいうとき。女性の採用を増やすとか、もっと活躍できるようにする。そうすると、企業の動きとか発想が多様性がでてくるので、あらたな事業とか製品とかに結実する可能性がでてくる、というようなことでしょう。身も蓋もない言い方でしょうが。そういう多様性を求めるそもそもの目的は企業が儲けを出していくことに揺らぎはありません。そのための手段、戦術として多様性というツールを得るということのように見えます。だから、仮に女性を採用し、活用するとしても、そこでは企業が儲けるという、そのベースの資本主義の発想、そのまたベースの資本主義を成り立たさせている、合理的思考、つまり、一時的な感覚とは感情に左右されず、目先の物事を冷静に抽象化して、論理という筋道を立てて説明を構築させていくという思考は、絶対ゆらぐことはありせん。そして、それはジェンダーとしては、まさに男性原理による、男性的な行動様式を純粋昇華させたものです。身も蓋もない言い方をすれば、そういう男性原理が貫かれているベースで女性を受け入れるとしては、そういう要素を持っている女性、つまり、本質的な多様さというよりも、男性原理の枠内の許容できる範囲を少しだけ広げたということではないかと思います。

強引な議論かもしれせんが、合理的思考のルーツとしては、古代ギリシャのプラトンが『国家』のなかで主張していた哲人皇帝によるロゴスの支配に始源するロゴス(理性)中心主義、プラトンの出身地盤は男性中心のいわゆるファロス主義に遡ることができます。近代以降では、それを偏向と考えるひとは、まずいないでしょうけれど、世界的に広まったのは、ここ最近の3世紀程度ではないか、というのは極論、あるいは議論の遊びということしかならないでしょうが。

 

第二の点です。多様性のレベルの方向性ということです。ダイバーシティとかいって多様な人材を企業が受け容れるという方針を開示する企業が、けっこう現われてきました。それは、努力しているとは思うのだけれど、何のためという切実さが、そこから私にはピンとこないのです。私の偏見ということなのかもしれませんが、それよりも、そういう方針が、どこか固定的⇒形式的⇒形骸のように見えてしまうのです。本来、人(人材といってもいいかもしれません)というのは、採用基準などの枠に当てはめてしまった弊害が出てきてしまったから、その弊害を取り除くために、型にハマったような人ではない人に入ってもらうという意味で、多様性ということを企業の経営サイドは考えた、という点があると思います。これは私の想像だけれど。しかし、ダイバーシティとか多様性の方針とか、それに従って人を採用するということは、従来とは別の新たな枠をあてがっただけのように見えてしまうのです。そうであるとしたら、ダイバーシティ策自体の先に待っているのは、数年で形骸化していく運命です。

本来、人というのは、もっと流動的というのか変化するものであるのではないでしょうか。実際のとことして、採用について考えてみれば、方針があって、それに基づいて人を入れるという方向と、こういう人が来たので、それによって方針が変わっていくという方向性もあるはず、というように考えられないでしょうか。だから、人についての方針は経営方針からブレイクダウンしてくるという方向性と、現場の採用担当者から人についての方針が形作られボトムアップで経営方針を動かしてしまう。そういう動き、ある意味、ダイナミクスと言ってもいいわけです。そういうこと自体が多様性ということではないかと思うのです。それは、単に女性が増えるとか、そういうことではないのではないと、思います。

2016年1月 7日 (木)

イーユン・リー『千年の祈り』

「修百世可同舟」という中国のことわざ。誰かと同じ舟で川をわたるためには、三百年祈らなくてはならない。つまり、どんな関係にも理由がある。人と人とが互いに会って話をするには、長い年月の深い祈りが必ずあった。夫と妻、親と子、友達、敵、道で出会う知らない人、どんな関係でも。例えば、愛する人と愛を交わすには、そう祈って三千年かかる。父と娘なら、千年は祈る。人は偶然に父と娘になるのではないのだ。その関係がよくないものになったことにも理由がある。いいかげんな祈りを千年やった結果なのだ。短編『千年の祈り』で、留学先の米国で離婚した娘をなぐさめようと、中国から、わざわざ娘のいる父親が米国にやってきます。そその父親は離婚の痛手に打ちひしがれているだろう、だから慰めなくてはと、盛んに娘に話しかけます。しかし、当の娘は、それをうるさがって、話をしようとしません。そこには、まだ娘が小さなころに父親がおかした些細な過ちから嘘が生まれ、父親は虚偽の露見をおそれ家族に対して会話をしなくなってしまった事情も要因としてあるようです。はからずも、それをこんどは反対に、父親は娘に会話を拒まれることになってしまったわけです。しかし、実は、娘は父に余計なお節介をしてもらいたくはなかったのでもあるのでしょうが、父に対して口を閉ざしていたのは、優しさからだったということが、娘が思わず口走ったことから明らかになります。父親の嘘を娘は知っていた。つまり、家族は互いに嘘を演じていた、それを十年以上に渡っていたということなのです。ことわざの祈る、つまり、相手をおもうことと、話すというコミュニケーションと口を閉ざすという行為の3つのことが、父と娘、男と女などといった関係のなかで重層的に交錯し、物語をつくっていきます。ここでは、もう一人、父親はイラン人の女性と親しく会話を交わします。しかし、中国人とイラン人、英語が拙い二人は共通の言葉を持ちません。二人は通じない言葉を交わし、交流するのです。ここで、言葉を交わすことと祈る(相手をおもう)ことの別の交感が生まれます。この作品の中で、話すということ、コミュニケートするということのイメージの豊かさ、多様さは、それぞれが交錯するように読み手のイメージを増殖させます。ものがたりなのですが、その言葉の内包するイメージの豊かさは詩ではないのですが、ポエティックと言いたくなります。非常の密度の高い短編で、ずっしりとした重量感をもった10篇の短編で盛られた短編集です。ただし、語り口は平易で、決して読み難い作品集ではありませんない。一見地味ですが、繰り返し読んでも飽きることがない、滋味溢れる短編集です。

2016年1月 4日 (月)

最近の各社のコーポレートガバナンス報告書を見た感想

12月いっぱいで、6月に株主総会を開催した上場企業のコーポレートガバナンス・コードに対応したコーポレートガバナンス報告書の提出期限となりました。つまり、各社のコーポレートガバナンス・コード対応による報告書が出揃ったことになります。ちょうど年末年始の休みがあったので、その時間をつかって、それらの報告書をできるだけ見てみました。それらを見て全体としての私的な感想を少し述べようと思います。そこには何となく違和感を持ったということを最初に明らかにしておきましょう。それは、コードに対する私の認識が大勢とはズレているというのか、それとも各社とも現時点において現実的な限界を無意識なのか意識してなのか、見えない枠のなかにとどまってしまったということなのか、何とも言えません。そこで、そもそも、コードの目的はなんだったのか、ということから考えてみます。簡単に言うと、コーポレートガバナンス・コードは政府の企業活性化策の一環とか伊藤レポートの精神の具体化とかと言ってもよいでしょうが、企業に中長期的な投資を呼び込んで、経営者が先を見越してアグレッシブな経営ができる環境にしようというものだったのではないかと思っています。とくに海外の中長期的な投資を呼び込む際にネックになっているのが、ガバナンスの問題、つまり、日本の経営者は株主の方を向いた経営をしないということでした。それを払拭するためにどうするかということで、その機会としての報告書があった、というのが私のコーポレートガバナンス・コードの捉え方です。実際に、このような説明をした論者や機関投資家を何人も目にしました。だからこそ、ここでIR担当者や経営者は、これをいい手段として投資家に投資先として興味を引いたり、投資意欲を掻き立てさせるアピールできる絶好のチャンスと考えることができるはずなのです。しかし、実際のコーポレートガバナンス報告書を見ると、そう感じられるものは、私の見た限りありませんでした。例えば、コーポレートガバナンスの方針とか、サスティナビリティとか取締役の選任基準とか報酬の考え方とか、それぞれがガバナンスの重要な要素として各個の説明は通り一遍には為されているけれど、どうしてそのような方針を採ったのかという理由とか経営者の考えとか、そういう方針を採ったことによって今後の経営はどのようになっていくのかといった説明にふれることはありませんでした。実は、投資する側が一番聴きたいのは、そういう話ではなかったのか。つまり、その企業の経営から、最終的に株主にとってメリットを生む筋道のようなことです。ガバナンスとは、そのための手段で、手段だけ諄々と説明されても、肝心の目的が見えてこなければ意味がないのではないか、と思いました。そのようなものでなければ、コーポレートガバナンス報告書を読んだ投資家、その企業に対して投資対象として興味を持つということは起こらないのではないでしょうか。そうであれば、そもそもの、このコーポレートガバナンス・コードの目的から外れてしまっているのではないか、と感じたのが、私の違和感です。ただし、このような感想に果たして、経営の側からも、投資の側からも、現実性があるのかは分からないことですが。

ちなみに、私であれば、こういう報告書ならば興味をおこす可能性があるかもしれないという一種サンプルをこちらにつくってみました。このような形の報告書を届けた企業のないので。現実味はないのかもしれませんが。

2016年1月 3日 (日)

松本大輔「クラシック名盤復刻ガイド」

クラシック音楽の復刻名盤ガイド本のひとつなのでしょうが、ここで主として紹介されているのが1940~50年代の録音で、クラシック音楽の演奏様式がプレイヤーの主観的な解釈を重視し極端な場合には作品の改変も許容するロマン主義から楽譜に忠実に従う新古典主義に、音楽の聴き方が演奏会というライブ中心で録音はその記録という二次的な位置づけからライブと録音は別物でそれぞれ異質な一次的な位置づけ、また録音媒体がSPからLPへの、等といった過渡期のもので、とくに音楽に限ったことではなくても、過渡期とか転換期は伝統的な枠組みのタガが外れたような時期で、従来の常識では考えられないような例外的なといえるようなものたちです。そして、その一部に新たな様式として継承されたものもありますが、決して後の世に繋がることなく、その時だけしか生まれえないような時代のあだ花としてしかありえないようなものもあわせて出現したのです。しかも、ここではさらに、第二次世界大戦の極限の経験、とくに、ここで紹介されているのはドイツ人の演奏家が多いのでナチスの支配体制への何らかのコミットメントとその戦後の彼らの人生を大きく捻じ曲げてしまったことの影響。これらが、ここで紹介されている名盤と呼ばれる録音に、実際に音として表われていることが活写されています。ここで紹介されている録音を実際に追いかけていくと、背後、あるいは底流のそれらのことが具体的に浮かび上がってくるようです。例えば、有名な例であれば、フルトヴェングラーが1943~44年の戦時下のベルリンフィルを指揮した録音は、切迫した戦時下で演奏する人も聴く人も文字通り生命をかけた(明日は死ぬかもしれないという現場)で録音された鬼気迫る演奏。あるいは新進気鋭のピアニストとして将来を約束されたにもかかわらず、戦争に巻き込まれ、ユダヤ人であったために家族、親類、友人をすべて殺され、本人も命からがら脱出したものの神経衰弱で人格が崩壊寸前まで追い込まれる。そこから不死鳥のように復活し、往時の華麗なテクニックを取り戻すことはできませんでしたが、余人をもって届き得ない深い響きで、聴いた人をとらえて離さないものだったという演奏。それほどでもないのでしょうが、カラヤンがナチス党員であったために追放され、下積みのような時代にローカルオーケストラを指揮した追い込まれたような演奏。それらの録音をはじめとして、どのようなところに聴き取ることができるかを、ひとつひとつ地道に具体的に剔抉していくように、紹介していきます。この著者は単にそれをエピソードとして、演奏そのものとは別の付属のものがたりの付加価値を殊更に引き立てるのではなく、演奏そのものを、例えば“爆演”などといった平易な表現で紹介してくれるものです。ガイド本としては、珍しく音楽が聴こえる本です。

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