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2016年1月20日 (水)

三谷博「愛国・革命・民主:日本史から世界を考える」

明治維新を他国の近代社会への革命との比較で考え、それをもって現代を見ようとした著作。

論点は多彩で興味深く、それをフィードバックして明治維新に再び目を向けると、その特異性が際立ってくるという、読書の楽しみを満喫させてくれる著作です。明治維新について述べながら、フランス革命や辛亥革命との比較に視点が飛び、その視線が現代の民主制や紛争に及んで、アクチュアリティーと身近さに驚くとともに、それらが見慣れた局面と異なる姿を現してくるので、興味は尽きません。著述は、民主とか革命といった項目に分けられますが、ハッキリ区別させるわけではなく、単に議論の入り口という程度で、関連しあって、さながら迷宮の様相を呈示します。

例えば、ナショナリズムと民主化との関係は、現代では相反する対立的に扱われるのが常識ですが、明治維新においてはナショナリズムこそが民主化を進めていた、という事実を示します。幕末からの幕府という将軍を頂点とした権威主義的体制が崩壊した大きな要因に公論とか公議ということがあったという。これは、現在の視点では民主的な議論といったことになるかもしれなませんが、当時は、老中の寄合の結論を将軍が決裁するという手続が幕府の当初からあって、その展開と考えれば、これは現代でいえば、会社の決定手続きに置き換えれば稟議制に近いイメージが可能です。これが幕府の体制が形骸化するにつれて、形式化が進み、将軍といえども、この手続きを踏まないと権力を行使できなくなっていきました。近代の立憲君主制、例えば、太平洋戦争に際して君主である天皇は主体的に権力行使ができなかったと言われていることに近いイメージといえます。つまり、正当性の根拠が手続を踏むことなのです。これは、お役所の前例踏襲主義、手続を踏まないと何も進まないのと同じです。外観からは近代ヨーロッパの民主政体の法の支配とそっくりな形にみえます。その体制が成熟化したころにペリーの来航があり、老中の安倍正弘が前例を破り広く意見を求めたことを契機にいわゆる雄藩の大名が、その手続に参加しようという空気が一気に広がりました。そうなると実力のある大名が新たに幕政に参加しようとするのと、従来の小藩の大名で実力のない老中との権力争いが生じ、将軍の継承争いも絡み、対立が先鋭化していきます。そのひとつの噴出が安政の大獄です。一方で、この雄藩の家来の西郷隆盛や橋本佐内、あるいは水戸の藩士たちが藩主のために根回しの奔走していたのが、ボトムアップの議論の発生を促すことになります。このとき、雄藩の大名たちが自身の政策的意見の根拠としたのが、国のため、いわゆる人為的なナショナリズムでありました。ただ、幕府内で、その主張するためには幕府=国としてしまうと、幕府の手続主義を認めることになってしまうので、公議を進めるという改革ができないことになります。そこで持ち出したのが天皇という別の権威だったということです。それが勤皇ということでした。一方、ボトムアップの方向の議論が広がり長州などではエスカレートしていきました。そして、正しい主張をしているのだから手段は正当化できると暴力と結びついていき、そのプロセスで勤皇が尊王に変質していった。それが討幕に発展していきます。つまり将軍は公論の邪魔になるという正当化。ここに近代的な民主ということはは出てこない。

それが民主と結びつくのは、明治維新後の自由民権運動のころです。こんどは反政府の主張は薩長の専横は国のためにならない公議を歪めるという、討幕の論理を逆に突きつけていくのです。この自由民権運動を支援したのが、地方の有力者、豪商や地主といった武士以外の人々です。かれらは経済活動に従事していたので、内乱は経済活動の障害となることから、内乱を嫌い、議会での討論を支持しました。これが全国展開するのです。これが西欧列強からは市民に見えたわけです。それを目ざとく発見した伊藤博文のような元勲たちが、西欧への受け狙いと、著者はエエカッコしいとか見栄を張ったという言い方を著者はしていますが、後世へのかっこうつけのような、いい意味での矜持があったから、国会開設を決断したのではないか、というのです。それは、目先にとらわれず、遠く将来を見据え、評価は後世の歴史家に任すという英雄的な決断でもあったわけです。

一部を抜き出しただけですが、NHKの大河ドラマのような怒鳴り散らしながら若い男の子が刀を振り回す幕末ドラマなんぞより、意外性もあるし、展開に手に汗握るほどの面白さがあります。

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