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2016年1月 8日 (金)

ダイバーシティとか企業の多様性についての異論

コーポレートガバナンス・コードがらみで、そこから派生(脱線?)した話題としてひとつ。企業の経営の多様性、多元性の必要性が議論され、実際の現場で採用とか、人員構成とかでダイバーシティをガバナンスコードでは原則のなかで、企業に対策を求めています。企業の中には、そういうガバナンスコードが作られる前から、ダイバーシティを標榜するところもありますし、そういう企業は徐々に増えているということです。その中身としては、今年の4月から、大企業は女性活用の数値目標を公表しなければならなくなるとか、外国人の登用とか、また、アメリカではマイノリティの人種を一定程度以上雇う義務があるとか、さまざまなことがあると言えます。

そこで、いくつかのことを考えてみたいと思います。

第一に、企業が多様性ということを標榜するとか、ダイバーシティに取り組むということは、多様な考え方とか発想とかを求めているがゆえにということになるのでしょう。そこで、その多様性ということについて、レベルで考えているのでしょうか、ということです。つまり、このような多様性を求める思考方法には多様性がないのではないか、一貫していて揺らぐことはないのではないか、ということです。なんか、こんがらがってきたぞ、と言われそうです。

具体的に考えていきましょう。ダイバーシティとか多様な人材を求めるということをいうとき。女性の採用を増やすとか、もっと活躍できるようにする。そうすると、企業の動きとか発想が多様性がでてくるので、あらたな事業とか製品とかに結実する可能性がでてくる、というようなことでしょう。身も蓋もない言い方でしょうが。そういう多様性を求めるそもそもの目的は企業が儲けを出していくことに揺らぎはありません。そのための手段、戦術として多様性というツールを得るということのように見えます。だから、仮に女性を採用し、活用するとしても、そこでは企業が儲けるという、そのベースの資本主義の発想、そのまたベースの資本主義を成り立たさせている、合理的思考、つまり、一時的な感覚とは感情に左右されず、目先の物事を冷静に抽象化して、論理という筋道を立てて説明を構築させていくという思考は、絶対ゆらぐことはありせん。そして、それはジェンダーとしては、まさに男性原理による、男性的な行動様式を純粋昇華させたものです。身も蓋もない言い方をすれば、そういう男性原理が貫かれているベースで女性を受け入れるとしては、そういう要素を持っている女性、つまり、本質的な多様さというよりも、男性原理の枠内の許容できる範囲を少しだけ広げたということではないかと思います。

強引な議論かもしれせんが、合理的思考のルーツとしては、古代ギリシャのプラトンが『国家』のなかで主張していた哲人皇帝によるロゴスの支配に始源するロゴス(理性)中心主義、プラトンの出身地盤は男性中心のいわゆるファロス主義に遡ることができます。近代以降では、それを偏向と考えるひとは、まずいないでしょうけれど、世界的に広まったのは、ここ最近の3世紀程度ではないか、というのは極論、あるいは議論の遊びということしかならないでしょうが。

 

第二の点です。多様性のレベルの方向性ということです。ダイバーシティとかいって多様な人材を企業が受け容れるという方針を開示する企業が、けっこう現われてきました。それは、努力しているとは思うのだけれど、何のためという切実さが、そこから私にはピンとこないのです。私の偏見ということなのかもしれませんが、それよりも、そういう方針が、どこか固定的⇒形式的⇒形骸のように見えてしまうのです。本来、人(人材といってもいいかもしれません)というのは、採用基準などの枠に当てはめてしまった弊害が出てきてしまったから、その弊害を取り除くために、型にハマったような人ではない人に入ってもらうという意味で、多様性ということを企業の経営サイドは考えた、という点があると思います。これは私の想像だけれど。しかし、ダイバーシティとか多様性の方針とか、それに従って人を採用するということは、従来とは別の新たな枠をあてがっただけのように見えてしまうのです。そうであるとしたら、ダイバーシティ策自体の先に待っているのは、数年で形骸化していく運命です。

本来、人というのは、もっと流動的というのか変化するものであるのではないでしょうか。実際のとことして、採用について考えてみれば、方針があって、それに基づいて人を入れるという方向と、こういう人が来たので、それによって方針が変わっていくという方向性もあるはず、というように考えられないでしょうか。だから、人についての方針は経営方針からブレイクダウンしてくるという方向性と、現場の採用担当者から人についての方針が形作られボトムアップで経営方針を動かしてしまう。そういう動き、ある意味、ダイナミクスと言ってもいいわけです。そういうこと自体が多様性ということではないかと思うのです。それは、単に女性が増えるとか、そういうことではないのではないと、思います。

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