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2016年1月 7日 (木)

イーユン・リー『千年の祈り』

「修百世可同舟」という中国のことわざ。誰かと同じ舟で川をわたるためには、三百年祈らなくてはならない。つまり、どんな関係にも理由がある。人と人とが互いに会って話をするには、長い年月の深い祈りが必ずあった。夫と妻、親と子、友達、敵、道で出会う知らない人、どんな関係でも。例えば、愛する人と愛を交わすには、そう祈って三千年かかる。父と娘なら、千年は祈る。人は偶然に父と娘になるのではないのだ。その関係がよくないものになったことにも理由がある。いいかげんな祈りを千年やった結果なのだ。短編『千年の祈り』で、留学先の米国で離婚した娘をなぐさめようと、中国から、わざわざ娘のいる父親が米国にやってきます。そその父親は離婚の痛手に打ちひしがれているだろう、だから慰めなくてはと、盛んに娘に話しかけます。しかし、当の娘は、それをうるさがって、話をしようとしません。そこには、まだ娘が小さなころに父親がおかした些細な過ちから嘘が生まれ、父親は虚偽の露見をおそれ家族に対して会話をしなくなってしまった事情も要因としてあるようです。はからずも、それをこんどは反対に、父親は娘に会話を拒まれることになってしまったわけです。しかし、実は、娘は父に余計なお節介をしてもらいたくはなかったのでもあるのでしょうが、父に対して口を閉ざしていたのは、優しさからだったということが、娘が思わず口走ったことから明らかになります。父親の嘘を娘は知っていた。つまり、家族は互いに嘘を演じていた、それを十年以上に渡っていたということなのです。ことわざの祈る、つまり、相手をおもうことと、話すというコミュニケーションと口を閉ざすという行為の3つのことが、父と娘、男と女などといった関係のなかで重層的に交錯し、物語をつくっていきます。ここでは、もう一人、父親はイラン人の女性と親しく会話を交わします。しかし、中国人とイラン人、英語が拙い二人は共通の言葉を持ちません。二人は通じない言葉を交わし、交流するのです。ここで、言葉を交わすことと祈る(相手をおもう)ことの別の交感が生まれます。この作品の中で、話すということ、コミュニケートするということのイメージの豊かさ、多様さは、それぞれが交錯するように読み手のイメージを増殖させます。ものがたりなのですが、その言葉の内包するイメージの豊かさは詩ではないのですが、ポエティックと言いたくなります。非常の密度の高い短編で、ずっしりとした重量感をもった10篇の短編で盛られた短編集です。ただし、語り口は平易で、決して読み難い作品集ではありませんない。一見地味ですが、繰り返し読んでも飽きることがない、滋味溢れる短編集です。

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コメント

「千年の祈り」は映画になりました。
なかなかしみじみとしたいい映画でした。

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