松本大輔「クラシック名盤復刻ガイド」
クラシック音楽の復刻名盤ガイド本のひとつなのでしょうが、ここで主として紹介されているのが1940~50年代の録音で、クラシック音楽の演奏様式がプレイヤーの主観的な解釈を重視し極端な場合には作品の改変も許容するロマン主義から楽譜に忠実に従う新古典主義に、音楽の聴き方が演奏会というライブ中心で録音はその記録という二次的な位置づけからライブと録音は別物でそれぞれ異質な一次的な位置づけ、また録音媒体がSPからLPへの、等といった過渡期のもので、とくに音楽に限ったことではなくても、過渡期とか転換期は伝統的な枠組みのタガが外れたような時期で、従来の常識では考えられないような例外的なといえるようなものたちです。そして、その一部に新たな様式として継承されたものもありますが、決して後の世に繋がることなく、その時だけしか生まれえないような時代のあだ花としてしかありえないようなものもあわせて出現したのです。しかも、ここではさらに、第二次世界大戦の極限の経験、とくに、ここで紹介されているのはドイツ人の演奏家が多いのでナチスの支配体制への何らかのコミットメントとその戦後の彼らの人生を大きく捻じ曲げてしまったことの影響。これらが、ここで紹介されている名盤と呼ばれる録音に、実際に音として表われていることが活写されています。ここで紹介されている録音を実際に追いかけていくと、背後、あるいは底流のそれらのことが具体的に浮かび上がってくるようです。例えば、有名な例であれば、フルトヴェングラーが1943~44年の戦時下のベルリンフィルを指揮した録音は、切迫した戦時下で演奏する人も聴く人も文字通り生命をかけた(明日は死ぬかもしれないという現場)で録音された鬼気迫る演奏。あるいは新進気鋭のピアニストとして将来を約束されたにもかかわらず、戦争に巻き込まれ、ユダヤ人であったために家族、親類、友人をすべて殺され、本人も命からがら脱出したものの神経衰弱で人格が崩壊寸前まで追い込まれる。そこから不死鳥のように復活し、往時の華麗なテクニックを取り戻すことはできませんでしたが、余人をもって届き得ない深い響きで、聴いた人をとらえて離さないものだったという演奏。それほどでもないのでしょうが、カラヤンがナチス党員であったために追放され、下積みのような時代にローカルオーケストラを指揮した追い込まれたような演奏。それらの録音をはじめとして、どのようなところに聴き取ることができるかを、ひとつひとつ地道に具体的に剔抉していくように、紹介していきます。この著者は単にそれをエピソードとして、演奏そのものとは別の付属のものがたりの付加価値を殊更に引き立てるのではなく、演奏そのものを、例えば“爆演”などといった平易な表現で紹介してくれるものです。ガイド本としては、珍しく音楽が聴こえる本です。
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