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2016年2月

2016年2月29日 (月)

恩地孝四郎展(1)

2016年2月 東京国立近代美術館

Onchipos 近代美術館へ行くには、私の場合は、交通の便のいまいちで、閉館時間も早いので、行き難いというのが正直なところ。いつも、何かの用事のついでに美術館に寄るような私には、近代美術館というのは行きたいと思う企画展示があっても、余程のことがないと足を運ぶことがない。今回は、海外出張の帰りが、飛行機の便の都合で昼過ぎに羽田空港着だったので、帰宅に前に出張の疲れは残っているものの、無理して寄ることにした。強い雨の中、出張の大荷物を抱え、疲れの残る身体で、よくまあ、と我ながら思った。天候のせいか、企画のせいか、土曜の午後というにもかかわらず、混雑からは免れ、落ち着いた雰囲気ではあったが、抽象的な作品が大半で、しかも、展示の点数が多かったので、正直なところ、体力が続かず、途中で、見ている私が息切れの状態を起こして、展示作品の全部をちゃんと見たとは言えない。ただし、私自身のせいもあるが、展示されている作品に対して、強く惹かれるように感じられることがなく、無理して見ようとしていたことも、その理由としてあると思う。これは、展示作品がどうこうということではなく、私との相性の問題といえる。そのため、ここでは作品に対してネガティブなコメントを並べることがあると思うけれど、それは作品自体の価値ということからではなく、私との相性によるものと受け取ってほしい。

恩地孝四郎という画家とその作品について、私もほとんど知識がないので、主催者のあいさつを引用します。 日本における抽象美術の先駆者であり木版画近代化の立役者でもある恩地孝四郎の、20年ぶり3回目、当館では実に40年ぶりとなる回顧展です。恩地は抽象美術がまだその名を持たなかった頃、心の内側を表現することに生涯をかけた人物です。彼の創作領域は一般に良く知られ評価の高い木版画のみならず、油彩、水彩・素描、写真、ブックデザイン、果ては詩作に及ぶ広大なもので、まるで現代のマルチクリエイターのような活躍がうかがえます。本展では恩地の領域横断的な活動を、版画250点を中心に過去最大規模の出品点数約400点でご紹介いたします。

400点にもわたる展示のうち、多くが版画でした。よくまあ、これほど多数と呆れる反面、版画だからこそ、これほど多くの作品を残すことができたのではないか、とも考えることができます。そけは、恩地の作品の制作方法が主として版画であるということから、油絵をメインとして制作する画家とは、制作方法が違ってくることによる。そして、さらに、恩地の作品のあり方が、版画という一種の複製の要素が入った手法に拠っていることで、手描きによって個々の作品のオリジナリティーを際立たせなければならないという、一種の強迫観念のようなものを、多少は免れている、と言えるのではないかと思います。それは、肉筆の油絵であれば、画面のすべてを絵筆によって描かなければなりませんが、木版画であれば、画面の一部のある部分、例えば、重要と思うパーツを版木で一度作ってしまうと、それを何度でも流用できるわけです。そのパーツを画面真ん中に位置させた作品と、右隅に位置させた作品を、そのパーツを寸分たがわずに使うことができて、それをいちいち絵筆で描く手間をかけることが省略できるわけです。その手間が省略できる分、様々なバリエーションを試みることができるわけで、そのなかで、思いもかけなかった即興的な成果も生まれるかもしれない。すくなくとも、描く前に、頭の中で考えて、構想してだけでは追いつかないようなものも出てくる可能性もないわけではないでしょう。しかし、版画であれば、版木をスタンプのようにして様々なパターンを実際につくって試すことができて、それをそのまま作品にできてしまうわけです。分かり易くいえば、パソコンの描画ソフトで様々なパターンをモニター上で試すようなものです。恩地の時代はパソコンがなかったので、版画の手法を応用して、そのようなことをやった、などと考えるのは想像を飛躍させすぎなのかもしれません。しかし、実際に美術館の展示室に似たような作品がずらっと並んで展示されているのを見ていると、ひとつひとつの作品がどうのこうのというという対峙の仕方には、そぐわないように思えて仕方がありませんでした。抽象絵画にも、似たパターンを様々に試す画家は多いです。例えば、モンドリアンの一連の『コンポジョン』は直線と四角の組み合わせで、色も限られているのですが、完成した一つ一つの作品は、すべて独立しています。だから、それぞれの作品に対して好き嫌いが分かれるのです。しかし、展示されている恩地の作品を見ていて、そのような気は起こりませんでした。言ってみれば、恩地の個々の作品は、それだけを見るという一回性が稀薄になっていると思います。強いて、似たものを探すとすれば、ウォーホルのキャンベルのスープ缶のシルクスクリーン作品でしょうか。ちょっと意味合いは異なりますが。そのため、これから、具多的に作品を見ていきますが、この作品として、とくに作品をピックアップするという、従来の私の書き方とはニュアンスが変わってきます。たまたま、ある作品を取り上げているとして、他の作品と代替可能という程度、一種のサンプルのようなものとして、見ていただきたいと思います。

なお、恩地孝四郎という画家のことは、よく知らないので、解説を引用しておきます。“恩地孝四郎は10代で竹久夢二に私淑し、1914年に東京美術学校に通う田中恭吉・藤森静雄とともに木版画と詩の同人誌『月映』を創刊、表現者の道を歩み始めました。また装幀家としても人気が高く、萩原朔太郎詩集『月に吠える』や室生犀星詩集『愛の詩集』などに恩地の活躍を見ることができます。昭和期になると、ヨーロッパの新思潮に共鳴して構成的な人体像やクラッシック音楽に想を得た〈音楽作品による抒情〉シリーズを制作する一方、イメージと言葉とデザインの総合を目指した数々の詩版画集や、油彩画にも匹敵する重厚な肖像版画などを発表しました。戦後は、GHQ関係者として来日した外国人コレクターたちの理解と励ましを受けて、抽象美術に専念するようになりました。晩年の10年間に作られた版画作品の半数以上が海外の美術館や蒐集家の手に渡っています。”

展示は次のような章立てでしたので、それに従いたいと思います。

Ⅰ.『月映』に始まる1909~1924年

Ⅱ.版画・都市・メディア1924~1945年

Ⅲ.抽象への方途1945~1955年

2016年2月28日 (日)

フランス料理の哀しみ

かつて吉田健一が、フランス料理について、ソースが豊富でフランス料理の神髄はソースにあると言われることがあるのをとりあげて、それは素材の貧しさの裏返しというようなことを言っていたことがあったと思った。それは、必ずしも、フランス料理を貶めているのではなく、そういうハンデを逆手にとって、多彩なソースを生み出し、巧みに使いこなすことによって、料理人の技術でおいしくしてしまうことを称える意味合いで言っていたと思う。そこには、日本料理の素材に余計な手を掛けずに、それ自体のもつ美味しさを引き出そうとするのとは、まったく異質な文化があるということでしょう。ヨーロッパの自然環境すらも、人間が支配し、人工的に作り変えてしまうという強引さ、あるいは人工的な文化が、フランス料理に典型的に表われている、ということでしょう。

魯山人は、素材が不味いから、ワインというアルコール、つまり麻酔剤で、味覚を鈍らせて、食べていたと、皮肉を込めて、フランス料理を評したと言います。

そういえば、フランス料理の素材でトリュフというのは、かなりグロテスクな外観で、しかも土中にあるのを探して掘り起こして収穫すると言います。高級素材ということですが、よくまあ、探し当てたものだと思います。こんなものをどうして食べるようになったのか、と想像をめぐらしてみると。吉田健一も言っていますが、フランスは悪政によりたびたび飢饉に見舞われたそうです。そこで農民なんぞは収穫を領主に取り上げられてしまい、飢え死んでしまう人々が多数出たということだから、人々は食べられそうなものは何でも食べたのでしょう。だから、かたつむりや蛙といった素材がスタンダードな食材として扱われているのはフランス料理くらいものものではないでしょうか。日本でも江戸時代後半の天明の大飢饉のときに、飢えた人々は何も食べるものがなく土を食べたとか、大躍進のころの中国で土粥が食べられたとも聞いたことがあります。それなら、昔のフランスの飢えた人々が土を食べようと掘り起し、偶然、トリュフを見つけた、と想像することも許されるのではないでしょうか。

そう考えると、何か、人々の哀しみが、そこにあるように思えてきます。

2016年2月16日 (火)

マーク・エヴァン・ボンズ『「聴くこと」の革命』(3)

第3章 真理を聴く─ベートーヴェンの第5交響曲

前2章の分析をベースにホフマンが書いたベートーヴェンの第5交響曲に対する評論を読んでいきます。「聴く」という行為の変化や器楽の重視という音楽の捉え方の変化がベースにあって、芸術(音楽)を哲学の一様態と考え方のひとつの具体化として、ホフマンのベートーヴェンの第5交響曲に対する評論は書かれたと見ることができます。ホフマンが主に書いていた幻想的な文学は、当時の哲学の中心問題である現象とその背後にある本体(原因)の間にある隔たりに、例えば物質的なものと精神的なものの間に、どのように橋渡しをするかをテーマとして扱ったものでした。彼のベートーヴェンに対する評論も、その一環として捉えることができます。しかも、書き方についても論文というよりは、警句に満ちた、彼の小説作品に近い書き方がなされています。彼の評論の特徴は、崇高、無限なるもの、有機的形式、そして音楽史におけるベートーヴェンの位置などの点を強調しているところにあります。以下で見ていきましょう。

ホフマン自身は、「崇高なるもの」という言葉をたった一度しか用いていませんが、第5交響曲を表わす言葉としてもっとも中心的で重要な言葉であることは間違いありません。では、「崇高」とは、どのような意味内容なのでしょうか。当時の芸術に対する重要なキーワードであった「崇高なるもの」とは、壮大な大きさ、予期を超え出ていること、そして、感覚を圧倒する包容力をないようとするものでした。美しきものとは異なり、崇高なるものは、歓びよりもむしろ恐れや苦痛という反応を引き出すものであると受け取られていました。エドマンド・バークによれば、崇高なるものの源は、「何であれ苦痛や危険の観念を刺激するもの、すなわち、何であれ恐ろしいもの。または、恐ろしいものに通じるもの、あるいは、恐怖に類似した仕方で働くもの」に見出されたのです。ホフマンがこの評論での、「巨大なもの、測りがたいもの」と「戦慄、恐怖、驚愕、苦痛の梃子」がベートーヴェンの音楽によって動かされるという言及は、まさしくこの伝統のうちにあるのです。彼は、崇高なるものを交響曲という曲種の重要な要素として考えていました。

さきほど、崇高は美とは異なると述べましたが、美と異質というより、美を超えたものと、ホフマンを含めた当時の人々は考えていました。多くの人々が、崇高なるものを、有限なるものと無限なるものの統合のための認識論的な手段であると考えていたというのです。バークは、無限なるものがその大きさや果てしなさ自体を通じて、観る人のうちに畏怖と恐怖の感情を生み出し得ることを論じています。さらに、この恐怖の感覚は、理性の力を圧倒し得るものであって、それにより、精神を高い位置へと運び上げると言っています。

さらに、カントはバークを承けて、崇高なるものの超越性を指摘し、崇高な対象物の観照は、その大きさと規模自体(数学的崇高)、あるいは、力(力学的崇高)のいずれかによって、感覚を圧倒し得るものだからこそ、崇高なるものは、理性と感覚、客観的なるものと主観的なるものとを同一であるまでに統合するように、心を刺激すると言いました。つまり、崇高なるものは、人間の精神をいっそう高い段階の統合へと高める力があるというのです。そして、シラーは、この崇高なるものを感じる能力は、人間の本性の中の最も輝かしい素質だといいました。

従って、ホフマンがベートーヴェンの第5交響曲の特徴としてあげている崇高なるものや無限なるものへの憧れは、単に音楽を聴いて感情的に感動するということ以上に、超越的なもの、もっと言えば哲学的な思考が生まれてくる源泉、絶対精神のようなものを知ることを志向している、と言うことができます。では、哲学の抽象概念が、実際の音楽作品とどのように結びつくのでしょうか。そのために、ホフマンは音楽史におけるベートーヴェンの位置を、とくにハイドンとモーツァルトの交響曲との比較で説明しています。まず、第2章で考えた「聴く」ということの位置づけがこの二人とベートーヴェンの交響曲とでは異なってくるということ、ただしその違いだけでは十分な説明とはなりません。それは、彼らの交響曲には、無限なるものを喚起する力があるという共通点があるからです。そこで、ホフマンは、崇高さの度合いの違いということで、相違点を際立たせようとします。つまり、崇高さの度合いが高まるにつれて、絶対的なものに近づいていくというわけです。これにはヘーゲルが人間の理性について、歴史を通じて段階的に高めてきたのであり、その成長によって絶対的精神に向かっているという考え方とよく似ています。ベートーヴェンの交響曲についても、人間の意識が順次高い段階に過程の上に位置付けられるのです。ハイドンから、モーツァルトを経て、ベートーヴェンに至るのは、まさにそのようなプロセスとして捉えられるのです。

ホフマンは省察力(熟考性)ということを持ち出します。これは、ベートーヴェンの交響曲に対する批判、圧倒的に多様で対照的性格をもつ楽想について、そして、それに伴って、一度聴いただけで新しい作品を吸収する困難ということに対して、インスピレーションに従うだけで作られたのではなく、反省熟考によって深い認識を表わすものとなっているのだから、そこで難解であることが肯定されることになります。この難解さを伴う高度の熟考性という点で、ハイドンやモーツァルトの交響曲と一線を画すことになるのです。ここには、さきほど指摘したヘーゲルの有機的成長という考え方が反映しています。

音楽技法の観点からいえば、ホフマンは、彼の評論の全体を通じて、対照的に見える諸楽想間にある緊密な相互関係性を強調している。有名な冒頭の動機(短─短─短─長)のリズムは、時間の経過と共に変容して、交響曲全体にわたって重要な諸主題のほとんどすべてを生成している。終楽章の意気揚々とした主題でさえ、この冒頭楽想から派生したものとして聴くことができる。こうした関係性は、一般によくいわれているような「統一性における多様性」あるいは「多様性における統一性」への欲求といったこと以上の何かを表わしている。ホフマンにとって、全体のなかにおける諸部分の関係性は、単に芸術的簡潔さの問題ではなく、あるいは、芸術的一貫性の問題ですらなく、絶対的なるものを希求する努力であった。というのも、あらゆる構成要素が重要な役割を果たしているような包括的な全体によってのみ、相反するものの「無差別」が実現され得るからである。

このような有機的なとまり(→成長)という点で、ハイドンやモーツァルトと違いを強調します。このようなベートーヴェンの統一性、つまり、中心的なひとつの楽想の展開、対照的な動きの緊密な統合、葛藤から勝利へと導かれる軌道、それらすべては崇高なるものという全体的枠組みのうちにある、というのは「英雄的」様式と呼ばれるものです。

ただし、著者はホフマンに対する批判として、崇高なるものを強調するあまり、美ということを切り捨ててしまうことになったことを指摘します。実際に、ベートーヴェンの作品には、崇高とはいえない作品があります。例えば、第4交響曲、ヴァイオリン協奏曲、弦楽四重奏曲作品59の3といった作品です。

また、崇高なるものの強調は、また、初期のロマン主義に特徴的な移ろいやすさ、論理的な枠におさまらない微妙さ、これをアイロニーと著者は定義づけていますが、これは、真理へ途の多様さの表れであるはずなのですが、ややもすると、ホフマンの評論では、その多様さが一本の途に限られてしまう傾向になっている。そのように著者は批判しています。

この後は、当時の歴史的な政治・社会状況と関連させた説明にひろがりますが、音楽そのものの議論から離れるので、ここまでします。

2016年2月15日 (月)

マーク・エヴァン・ボンズ『「聴くこと」の革命』(2)

第2章 思考としての聴取─修辞学から哲学へ

『聴くこと』の革命の第二は、音楽を聴くという行為のあり方、意味づけの変化です。その変化とは、端的に言えば、受動的な姿勢から能動時に想像力を働かせることへの変化です。

18世紀以前の「聴く」というのは、音楽をきいて、心を揺さぶられたり、動かされたりする、いわば受け身の姿勢です。これは、第1章の説明にもありましたように啓蒙主義による音楽が言葉の二次的な代用として捉えられてきたことによると考えられます。言語というのはメッセージを伝えたり、知識や情報を得たり、相手を説得することができます。音楽が、その言語に代わって機能するのであれば、言葉のような明確な情報やメッセージを伝えられないため、相手の感情に訴えかけて、心を揺さぶり動かすことに目的があると考えられることになりました。だから、音楽を作る側である作曲家は、聴き手に音楽が効果を及ぼすことを主眼とすると、考えることになります。音楽が効果を得るために、作曲家が心掛けなくてはならないことは分かりやすいということです。言葉が伝わるためには、言葉の意味を、伝える側と伝えられる側が共有していなければなりません。音楽を言葉に代わるものと捉えるならば、ある感情的な効果を聴き手に生じさせるためには、そういう感情と結びついていることを音楽を伝える側と伝えられる側で共有しているほうがいいということになります。それが分かりやすいということです。しかし、作曲家が新しいメロディを創作することと矛盾するのではないか、それは、作曲家の巧拙は、創作した新しいメロディに対して聴き手は、馴染んだものと受け取るように創り出す点に求められることで、解決されました。そういう作曲家として称揚されたのが、ハイドンです。だから、音楽がわかりやすい、つまり聴き手に効果を生じさせる音楽であるか否かは、ほとんど作曲家の双肩にかかっていたことになります。

これに対して、18世紀以降の新しい「聴く」というのは、聴き手が能動的な姿勢に変化します。聴き手が音楽に対して能動的に働きかける、例えば器楽曲の言葉のようなイメージが限定されない音の響きに対して想像力を働かせて内容を読み取っていくという作業です。いわば以前の音楽は言葉による演説のようなものとして捉えられていました。そこから聴き手が受け取るのはメッセージです。これに対して新しい「聴く」では、演説ではなく観照(瞑想)の対象となりました。聴き手はそこからメッセージではなくて啓示をうけとるのです。神さまから受ける啓示は、人間の言葉ではないので、それを解釈して言葉に置き換える、これは例えば聖書で預言者といわれる人たちが行っていたことです。これに似たようなことを音楽の聴き手が行う。その解釈の際に必要で、重要な働きをするのが想像力(構想力)です。

カントは、このような音楽の「聴く」べき対象を「美」といいました。神様の啓示が渾沌に規範を与えるように、天才的な芸術家によって、独創的な新しい規範が開けるというのです。この規範は、もともとあるものではなく、もとからある規範をなぞるものは模倣とみなされ、芸術的表現ではないとされました。このような、もともとあるのではない規範を見つけ出し、規範であるとするのは、聴き手の想像力によるということなのです。カントは、同じような自然現象の中から規範として法則を見つけ出す科学を芸術と比較して、科学は誰にでも理解し説明できるようになっていますが、芸術は、受け取る人が自身で考え、自分で規範を見つけ出さなければならないのです。カントは、そこに言葉では説明できないもの、限定できないものがあると言い出したのです。それを見つけ出すのが観照という行為です。

このカントの考えを、さらに推し進めたのがロマン主義者たちです。カントの言い出した、言葉では説明できないもの、限定できないものは、限定できない故に無限性となり、言葉では説明できないがゆえに、容易に手が届かないため、我々にとって遠い存在で、それに対して我々は憧れる。音楽の音の広がりは無限性に、言葉のようにメッセージが分からないのは不可知な憧れの対象として、深遠で高踏的な神秘的な真理と同じようなものになっていきました。芸術と哲学が同じものに近づいていったのです。ただし、芸術と哲学は目的地は同じでも、その目的へのアプローチが違うのです。そこで、音楽を「聴く」観照という行為は、哲学の思索と同じようなものになっていきました。むしろ、シェリングのような主観主義的な傾向のある哲学者は、哲学的な思索は理性によって為されるけれど、理性というのは全体があって、そこから論理によって推論していくわけだから、とどのつまりは堂々巡りで、新しいことは入ってこない。その行く先は退行するとかない。むしろ、芸術は、その理性が及ばないところで為されるものであるので、理性による退行の連鎖を打ち砕く、直観により絶対的な真理に触れる可能性がある、と哲学よりも上位に置こうとします。

そして、以前であれば、音楽の責任は作り手である作曲家が一方的に負わされていたのですが、こうなると、音楽から「聴く」ことによって、なにものかを読み取っていく聴き手のほうに責任が移されたということになるでしょう。

そして、さらに、「聴く」ということが変化したことによって、聴き手の側だけでなく、作り手である作曲家の側でも、以前のハイドンのような独創的ではあっても、聴き手に分かりやすいことを第一に作るということから、聴き手が想像力で読み取ろうとするのだから、分かりやすさを考慮しないで、また模倣は独創性と対立するものであるから、聴き手に馴染んだメロディを使うこととは反対に、従来にない聴き手の耳に新しく聴こえるもので、内容の濃いもの、端的に言えば何かがありそうな感じのもの、そこで、難解とか過激ということが価値をもってくることになっていくわけですが、そういうニーズに適合した作品を送り出すのを始めた一人が、しかも典型的だったのがベートーヴェンという作曲家だった、というわけです。

2016年2月14日 (日)

マーク・エヴァン・ボンズ『「聴くこと」の革命』(1)

第1章 想像力をもって聴くこと─美的関心の革命的変化

『聴くこと』の革命の第一は、聴く対象の変化です。その変化とは、端的に言えば音楽作品のヒエラルキーのなかで、声楽に替わって器楽が重視されるようになったということです。そして、ベートーヴェンこそが、器楽を中心に作曲をする、フロンティアのようなひとだったのです。

ここでは、主に哲学の美学思想の変化に、その表れを見ていこうとします。まず17世紀から18世紀にかけての近代のスタートを切った合理主義(啓蒙思想)においては合理的な明晰さが何よりも求められたと言えます。彼らの考え方の根拠は古代ギリシャやローマの古典であり、それを持って中世以来のキリスト教会による宗教支配に対抗しようとしたのです。そのギリシャ哲学の中でアリストテレスが芸術の本質はミメーシス(模倣)にあるという主張を、啓蒙主義は継承したと言います。例えば自然の事物をそのままに描写した絵画や彫刻、あるいは言葉に置き換えた詩などでそれに当たります。それに対して、音楽は自然の事物を直接描写することはできません。雷を描写しようとして、雷の音をそのままに再現することはできません。音楽ができるのは、その雷を受けた人々が受けたのと同じような刺激を思い出すような効果を与えることを行うということです。それは模倣ではないとして、単なる効果であるとして重視されませんでした。かろうじて、声楽は歌詞が詩に準ずるということで、つまり、音楽の要素ではなくて、歌詞の言葉の要素で尊重されたということだった。

それに対して、その同じ事態に対して評価が逆転するという変化が起こります。

そこに登場したのが、カントに始まる観念論哲学です。端的に言えば、カントは単に目の前にある自然を模倣するというのではなく、本質を表わすということを考えます。言ってみれば、目の前に1本の樹木があるとすれば、その樹木を写すのではなくて、樹木の理想の姿(古代ギリシャのプラトンの言ったイデアと重なるのでしょう)を表わすためには、構想力という、想像し理念化することが必要だといいます。

それをさらに進めれば、私たちの目の前にあるものは理想的な姿ではなく、言ってみれば不完全でかりそめのものでしかない。私たちの眼や耳などの感覚を通して入ってくるのは、そういった仮の姿であるので、芸術は、そういう仮の姿を模倣しても意味がない。むしろ、最初から理想を追求して、それを私たちの前に現出させるのが芸術ではないか。という逆転した方向に進みます。そこにロマン主義の無限への憧れとでもいう傾向が拍車をかけることになりました。例えば天国という理想郷は、私たちの眼に見える現実にあるのではなく、現実を超越したもので、私たちは、そこに辿りつくことができません。ただ天国を想って憧れるだけなのです。そして、その天国を表わそうとすれば、現実にないのですから、現実の風景や事物をあてがうわけにはいきません。そのとき、現実を描写しない音楽というのが、実は、現実にない天国に憧れると同じような、間接的な表現に適しているのではないか、ということになってきたのです。

そして、現実に形を持たない理想を体現するものこそが、近代的な思想がもっとも重視する精神なのです。精神と身体などと対比的に並置されますが、身体は現実に具体的に存在し、見ることも触って確認することも出来ます。これに対して精神は見ることも触れることもできない。さきほどの天国と同じなのです。その天国を表わすのに音楽、とりわけ器楽が適しているということになれば、精神を表わすのには、実は器楽が適しているのではないか、ということになってくるわけです。

ここでは、その主張を当時の哲学者や批評家が手を変え品を変え述べたことを紹介してくれて、情報とか話のネタを仕入れるという点でとても重宝しそうです。

しかし、そもそも、ここに私がまとめた議論には、ちょっと無理があるように思えます。だって、音楽がそうであるならば、程度の違いはあれ、言葉だってそうではないですか。言葉そのものは現実の姿そのものを反映しているわけではありません。「いぬ」という言葉が現実の犬を表わすというのは、単なるお約束でしかありません。話を少し戻して、声楽が言葉という明確に描写するものがあるから、という議論でも、音楽における歌詞というのは、単に読むとか、書く言葉と同列に扱ってよいものなのかどうか。これは現代の私の偏見かもしれませんが、音楽のメロディーとか、ハーモニーに乗った言葉から受け取る感じと、普通に話された言葉から受け取る感じは、違うと思っています。例えば、演歌で短調のメロディに乗って「みなと」という言葉を聞いたときと、普通に歌詞カードを読んでいてその中に「みなと」という言葉が出てきたときとで、「みなと」の意味内容が同じとは言えないのではないでしょうか。

ここでの私の要約は、ちょっと無理をしていますが、一番気にかかるのは、なぜに考察があまり及んでいないで、状況の推移の記述に終始していることです。17世紀に器楽が重視されていなかったのは、器楽が言葉のような明確さをもっていなかったまではいきますが、なぜ、明確な言葉があるほうが重視されたのかとか、18世紀後半になって、器楽が重視されますが、器楽の具体的な形を持たないところが逆に価値をもったと説明されていますが、そのような形のない超越的なものが重視されるようになった理由の説明が曖昧なまま突っ込まれていません。だから、結局のところ、全体がモヤモヤしているのです。

2016年2月13日 (土)

「グローバル経済の誕生:貿易が作り変えたこの世界」ケネス・ポメランツ他

英米の学者というのは、ヒュームとか、もっと以前のベーコンの頃からの経験主義というのか、帰納的な論証というのか、個々の具体的な事象を並列するように、並べたてて、まるで例示ばかりで、幹となる論理とか筋を探すのに苦労して、結局、何をいいたいのかと問いたくなるような、焦燥を覚えるものが少なくありません。しかし、語り口が達者な人が書くと、その個々の事象が面白くて、エピソード集を読んでいるように引き込まれることがあるのも確かです。その場合、論理とか骨格は、読む側の解釈に委ねられているように、実は、作者の掌の内で踊らされているに過ぎないのですが。この著作にも、そういう寛大さのテイストが感じられます。主に、ヨーロッパの大航海時代を経て植民地経営が始まった頃から、産業革命を経て、資本主義経済と帝国主義政策が併行して進められ、言うなれば近代資本主義が勃興を発端から成熟に至るまでを、主にアジア、アフリカ、南アメリカのエピソードを紹介し、それぞれの関連をネットワークということで関連付けるような筋立てで、あとは、読む側がイメージを膨らませなさい、というもので、知的スリルを起こさせる読み物としても興味深いと思います。

これは、私の極端な主観的な読みですが、こんな読みも可能です。近代の資本主義は、イギリスで紡績や織物の機械化による生産力の急速な成長を蒸気機関という動力が加速度をつけて、桁違いの生産が経済の底上げをしたことが大きな契機となった、と高校か中学の歴史で習ったような気がする。漠然と、そんなものだと思っています。ところで、単に生産力を増強して大量にものをつくっても、それだけで事業が急速に成長するでしょうか。最近ではシャープが液晶の生産施設に過剰な投資をした結果、経営が傾いてしまったといいます。つまり、生産力を大幅に増強したことで、衰退してしまったということになるわけです。でも、いわゆる産業革命は、革命といわれるほどの急激な経済の成長を遂げました。生産力が増強しながら、シャープのようにはならなかったのです。その違いは何だったのか。それには、産業革命が可能になるための環境が作られていたからだと考えるのが手っ取り早いでしょうか。それは、この著作では、現代で言えば、まさにグローバリゼーションと言ってもいい、抽象的な均一化の世界規模の広がりだったというのです。

その主要なものとして、この著作があげているのが、が交通や流通です。ヨーロッパ世界の東方航路の開拓や新大陸の発見により、長距離の航行が始まりました。船は一度に大量の輸送が可能です。このことによって、陸路のキャラバンとは桁違いの一気の大量の物品輸送、しかも長距離が可能となり、流通に変革が生まれたといいます。これによって、イギリスの機械化された綿工業の原料である綿花を船で大量輸送し、製品を全世界に船でまとまった量を一気に供給することが可能となった。と結果に先回りしすぎました。とは言っても、海上交易は、それ以前もあったはずです。そこで、以前の海上交易は沿岸貿易だったといいます。例えば、インド洋沿岸に多数の港町があり、その間を編み目のように船が行き交っていました。しかし、そこでの交易は小規模な個人の商人が担い、それぞれの港町で入荷した物品を近くの別の港に持って行って売りさばくという、一種のマージン商売だったそうです。港で扱われる商品は、その時その時あるものという不安定なものでした。例えば、インドのある港で、たまたま良質の綿布が作られたので、それをちょうど勝って、隣のビルマに行って収穫直後の米と交換するとか。ただし、このときの綿布も米も常に港にあるとは限りません。つまり、この場合の商人は、その時に港で調達できるものを目ざとく見つけて商売に結びつける目端の利くような人々だったのです。その小さな商売のやり取りが、例えば綿布は転売されて、中国に辿りついたり、と全体として流通が機能していたわけです。しかし、この綿布の流れをみれば、途中で何人もの商人の手を経ているわけで、そのたびにマージンが積まれるので、中国にたどり着く頃にはかなり高額になっているはずです。つまりコストがかさむのです。そひで、ヨーロッパの大型船で沿岸を経ずに直接インドから綿布を買って、ダイレクトに運べば、中間の商人のマージンがかからず、そのマージンを全部自分のものとすることが出来るわけです。しかし、そのような遠距離の公開には大型船が必要です。大型の船舶を使うと、売買する荷を確保できるか予定が立てられないのです。船がいっぱいになるまで荷を積まないと利益が出ないということなのです。遠路、インドまで行っても、綿布が十分に仕入れることができるとは限らないのです。最悪は、インドに着いて、綿布がないので、生産を待っていることに成ります。しかし、船員は確保しておかなければならないので、人件費がかさみ、結局、効率が悪いことになります。そこで、発明されたのが倉庫というわけなのです。つまり、船が来るまでに倉庫に荷を蓄え、船が入港すると倉庫に蓄えた荷を速やかに積み込む、それで船の航行の計画が立てられることになるのです。そのことによって、船大型船の輸送効率が飛躍的にアップします。そして、倉庫に荷を蓄えることがはじまると、それをあてにして、いきあたりばったりではなく、定期的に倉庫に入庫させるということがはじまります。つまり、そのために綿布の材料である綿花を集中的に生産するのです。以前は、自給自足の農業の、余剰として綿花を作っていました。農家も自分が食べることが第一だったのです。しかし、倉庫ができたことによって、自給自足から離れた単一の商品作物をつくるという発想が生まれました。しかし。アジアの農業は自給自足で成立していたため、やり手がいません。そこで、新大陸で農地を開墾して大規模な綿花とかサトウキビを専門に生産するプランテーションがはじまるのです。そのための労働力として地元の農家は使えないのでアフリカから奴隷を調達しました。それが奴隷が活発かして理由です。そして、奴隷はアフリカからアメリカに、どんどん送られます。その奴隷の調達のために、イギリスで生産した綿製品やその対価の銀が使われたのです。このような環境で、綿製品がいったん海上輸送のセンターとして、集められるイギリスで、大量に作ったとしたら、イギリスはぼろ儲けということになります。

このように見て行くと、ほかにも、通貨というものの考え方が、実は変質してきたことが分かります。まあ、ぶっちゃけた話、グローバリゼーションとか、資本主義とか、市場経済とかいいますが、市場とは、別の例で言えば、陸上競技のトラックのようなもので、走って競うということを、普通の陸上では考えられない、凸凹のない、真っ直ぐな場所を人工的につくって、そこで競わせる。そこで、そのような場所で速く走るために特化した人々で競うという陸上競技というスポーツと、市場という場で経済の競争をする公開企業とは、同じようなものです。オリンピックが、そういう特化した陸上競技のスペシャリストを各国で育成するように、各国で企業を育成し、陸上競技の覇者が世界で一番速く走る人と、誰もが思うようになる。実際、その人は、そういう凸凹のない直線を速く走るのには秀でていますが、サバンナで猛獣に追われて、原住民と共に逃げるとして、一番速く走って逃げおおせるということにはなりません。

この著作にも、資本主義の経済合理性は、違う文化環境では、人が共同体で生きていく上では不合理であって、その波に抗うことができず、破滅していく人々の記述もあります。

コインの裏表のようなもので、その両面を視野にもつことは大切なことで、そのような目配りも、少しあるということで、刺激のある著作であると思います。

2016年2月 4日 (木)

プラド美術館展─スペイン宮廷 美への情熱(5)~Ⅲ.バロック:初期と最盛期(2)

Pradocharry_2 ファン・デル・アメンの「スモモとサワーチェリーの載った皿」という作品です。小品の静物画ですが、私にとっては、今回の展覧会での最大の収穫だったと言える作品です。この画家についても、はじめて聞く名前で、その名からネーデルランドの人であろうかというくらいで、年代的にもスペイン・バロックに特有のボデゴン(スルバランの一連の作品は大好きです)のひとつかな、という感じで見ました。スルバランの作品は、バロックの光と影のドラマチックな表現で静物画を制作して深い陰影が静謐な祈りを誘う宗教性を帯びるものとなっていますが、この作品でも、スルバランとは違いますが、背景の暗がりから光をあてられて皿に載せられた果物が浮かびあがってくるように描かれています。スルバランの作品では、白い陶器やオレンジなどといった暗闇とは反対の白っぽいものが光をPradosuru_2 受けて暗闇と対照的に映える、その陰影の対照が強く迫ってくるのですが、この作品では、皿は光に反射することはなく、スモモはグレーの色調で、わずかにサワーチェリーが赤い、とはいっても輝くような明るい赤ではなくて、透明さはあっても深く沈むような赤です。つまり、全体が暗く渋い色調で、たとえ、そこに光が当たってもスルバランのような対照のドラマが生まれるのではなく、グラデーションが浮かび上がるのです。そこには、深く沈みこむような世界が見えてくるようです。なんだか少し不気味さを含んだ、光が射さない深海の世界にライトを当てて覗き込んだような静けさが漂っています。例えば、スルバランのボデゴンの静けさは、黄色系統のレモンやオレンジが白く映ってしまう程の乾燥した強い陽射しの清澄な世界であり、そこでの白いPradojan 陶器は、混じり気のない純白のように陽射しを反射して凛として、崇高に輝いているようです。ですから、スルバランの作品では、光と影のドラマといっても、影は光を引き立たせるためにあると言えます。これに対して、ファン・デル・アメンの作品は、むしろ影がメインといってもいいのかもしれません。暗い中で、スモモとサワーチェリーが光に怪しく浮かび上がるのです。これは、並べて展示されていた、ヤン・ブリューゲルの「花卉」にも通じるように思うのですが、暗闇に美しく花が浮かび上がるのが、逆に背景の暗闇を引き立てているような構成になっているように見えるということなのです。それは、深読みすれば、瑞々しい果物も、美しい花卉も一時的なはかないものにすぎないと、教訓的な受け取り方も可能となるものです。それ以上に、私には、暗闇をメインとして、その暗闇に観る者を惹き込んで行くようなものを感じます。だからこそ、ファン・デル・アメンの作品にあるサワーチェリーの透き通るような深い赤のあやしさが尋常でないものとして、私には見えてくるのです。

Pradomadona_2 ムリーリョの「ロザリオの聖母」という作品です。スペイン・バロックの人気画家でしょうから、比較的大型の作品が会場のメインの展示スペース正面のドーンと飾られていました。他の作品と比べた大きさもあって、ひときわ目立っていましたし、それなりに作品も親しみ易い。ムリーリョの描く聖母は、普通に美しい女性を描いているように見える写実的な肖像が、聖母の姿となっても違和感を生じさせいないところに、その凄さがあるのではないかと思います。というのも、この展覧会を見ていて、全体としてぼんやりと感じたことなのですが、プラド美術館の一部をピックアップした展示の印象から全体を言うのは不確実かもしれませんが、ひとつの仮説的な視点として述べますが、例えば、この展示でも、中世のおよそリアルとは言えない奔放な展示から、ルネサンスを跳び越えて、マニエリスムからバロックでひとつの頂点に達して、その後の古典主義やロココは実はあまり生気に乏しく、ゴヤの幻想的な作品に流れ込むというように述べると、どうもルネサンスとか古典主義のようなリアリズムに弱い、というのでしょうか、このプラド美術館のコレクションをつくった人々、スペインのハプスブルク家ということになるのでしょうか、というよりもスペイン宮廷の文化嗜好として、現実をリアルに写すというよりは、現実をこえてとか、現実を考えずに、表現を優先するとか、もっというと、現実をポジディブに写そうというのとは逆に、現実をネガティブに現実的でないとか、ひねりを加えて表わすとか、そういう表現への嗜好性が強かったのではないかと思えてきます。そこには、ストレートに現実を肯定できない、社会、経済的な状況とか、安易に、いくらでも想像することはできますが、ここでは、余り妄想を拡大することはとどめておきましょう。そんな中で、ムリーリョの作風はリアルに傾いていると言えるものです。さきほど、分かり易いと評しましたが、それは、基本的にムリーリョの作風がルネサンス以来の写実を目指す方法に根ざしているからだと思います。それはまた、一方で、ベラスケスにしろ、ゴヤにしろ仕上げは荒っぽいというのか、細部までリアルに写し取って描きこむ気がない出来上がりになっているのに対して、ムリーリョは、この作品もそうですが、細かいところまで丁寧に描きこまれているように見えます。例えば、聖母の素肌のみずみずしさや衣装の質感の違いとか、まるでルネサンスのダ=ヴィンチとかラフェエロを見るようです。そのようなムリーリョですが、リアルに人物を描きながらも、ここでは、その背景を描きこむことをせずに、暗い闇のようにして、人物に光があたる、カラバッジョ以来のバロック絵画の光と影の劇的な構成を巧みに織り交ぜて、それによって聖母子の神々しさを象徴的に見せる工夫をしています。ここには、エル・グレコの聖母像のような、これでもかと迫ってくるような圧倒的な迫力はありませんが、感情移入して共感できる親しみやすさがあります。

このあと、後半には、ベラスケスもゴヤも作品がありましたが、正直に言えば、印象に残っていません。残された時間も少なくなって来ていたせいもありましたが、立ち止まる程度の作品はありましたが、前半に比べると落ちるという印象で、取り上げて感想を記すほどのものはないと思います。これは、私の好みもありますが。

2016年2月 3日 (水)

プラド美術館展─スペイン宮廷 美への情熱(4)~Ⅲ.バロック:初期と最盛期(1)

Pradotin スペインを中心にバロックの大家たちの作品が並び、私には、この展示のメインでないかと思われます。まずは、ティトレットの「胸をはだける婦人」という作品。ティントレットはイタリア・バロックの大家でしょうし、この画像で見る限りは、あまり分かりませんが、現物を目の当たりにすると、粗い感じがします。どこか手を抜いているという語弊があるかもしれませんが、丁寧さは微塵も感じられません。たくさんの注文を抱えていて、それに応じるためにサッサと描いてしまったといったノリでしょうか。しかし、大づかみに全体を掴むということと、女性のはだけた胸の肌の白さと乳首のコントラストは、さすがという感じがしました。そこだけでも、この作品は見るべきものがある。

Pradoguid この作品と並べて展示されていたのが、グイド・レーニの「花をもつ若い女」です。この画家は、先日の西洋美術館でのグエルチーノ展で知りましたが、イタリアのバロックで一世を風靡した人だそうです。ティントレットに比べて丁寧に描かれていて、肌の柔らかさや髪の毛、あるいは衣服の質感の肌触りとか、いかにもバロックという感じの豊穣な女性像なのですが、まとまっていても、突出して見る者に訴えかけてくるものがないのです。ティントレットの女性の横顔は、どこかから取ってきたような、ちょっと類型的な印象をもたれてもおかしくないし、髪の毛などは省略して描かれていますが、その肌と胸の柔らかくみずみずしい感じだけで、二作品が並んでいると、視線はティントレットの方に向いてしまいます。グイド・レーニという画家は、バロックの画家の中では中庸の道をいっていて、表現の突出傾向のバロックの中では、それだけで差別化出来ていたのかもしれません。グイド・レーニの作品は、これ以外にも聖人の殉教図なんかもありましたが、殉教の凄惨に場面をドラマチックに描くという方向ではなく、「花をもつ若い女」のように、人物を丁寧に描くことを主眼に置いているようで、殉教の様はほとんど目立たずに、聖人の姿を描く、人物画のようになっていました。その意味では、殉教の場面とする必然性が、あまり感じられないものでした。それは、コレッジョの作品の縮小レプリカが、殉教の凄惨さを際立たせるものであったのと、対照的でした。

Pradoels アダム・エルスハイマー工房によるエルスハイマーの作品「ヘカベ家のケレス」のレプリカだそうですが、もとの作品を知りません。暗い夜の闇の中に老婆が手に持つ蝋燭の炎が、その周囲を照らし出す。その仄かな光に、蝋燭を囲む人々の姿の一部が映し出されるというのは、後年のラ=トゥールの作品を思い起こさせるものですが、こちらの方が年代的には古いものです。もっとも、ラ=トゥールの場合には、主に室内の狭い空間で光が反射する複雑さがありますが、こちらは屋外で蝋燭の光が闇に融けていく様と、光に一部が映し出される森の不気味な姿が垣間見えます。バロックには、このほかにもカラバッジォなど光と影をドラマチックに扱った画家がいるので、その一人なのでしょうか。今回、初めて見た画家でした。

Pradofami ルーベンスの作品が数点あった中で「聖人たちに囲まれた聖家族」という作品です。もとはアントワープの教会(というとフランダースの犬を思ってしまいますが)の壁面に飾られている大作の縮小レプリカということなのですが、小型の画面に、これほどのたくさんの人物を、それぞれの特徴を表わすように、中央の聖母子を中心に、その周囲の人々は、それぞれ聖人で、誰かを特定できるように聖人の特徴が描き分けられています。凄いのは、そのたくさんの人物が群集という群れではなくて、それぞれが個人として描き分けられて、しかもひとつの画面の中に収まってしまっていることです。聖母子が中心ではありますが、その周囲の人たちは、聖母子の背景に留まってはおらず、それぞれが独自の存在感をもっていることです。かといって、聖母子が画面の中心でいるのです。それは、画面の構成と色遣いが巧みなためであろうと思います。しかしまた、それは計算されて画面が収まっているだけてもなく、画面の人々の生き生きとした躍動感が画面からはみ出すほどに満ち溢れていて、描かれている人物のポーズは一人として静止した状態はなくて、動作の途中の姿になっていて、それだけに、構成が大変であったと思ってしまいます。ルーベンスという人は工房に数多くの画家(職人)を抱え、彼らを指導・監督して多くの注文に応えていたそうです。注文はルーベンスに来るわけですから、その注文に応えるには、工房の画家たちにルーベンスの名で納品できるレベルの仕事をしてもらわなければならない。そこで、ルーベンスが特徴としてつかったのが、画面構成だったのではないか、ということを、このような縮小レプリカを見て想像できました。つまり、設計図がしっかりしていれば、多少雑な技術でも、それなりの完成に至るというわけです。

2016年2月 2日 (火)

プラド美術館展─スペイン宮廷 美への情熱(3)~Ⅱ.マニエリスムの世紀:イタリアとスペイン

Pradosalt アンドレア・デル・サルトの「洗礼者聖ヨハネと子羊」という作品です。作者である、アンドレア・デル・サルトは、東京都美術館でのウフィツィ美術館展ではじめて作品を見た人で、メダマのボッティチェリよりもずっと印象に残っています。この作品では、幼子の聖ヨハネの顔の表情がなんとも言えません。解説では“ヘロデ大王の没後、エジプトから戻ったイエスら家族はナザレに住みます。その後の生活はあまり知られていませんが、青年になったイエスは、ヨルダン川で浄めの儀式の洗礼を受けました。洗礼を施したのは、母のいとこのエリザベトと祭司ザカリアの息子ヨハネです。この絵の洗礼者聖ヨハネは幼き姿で、子羊は人類の罪をあがなうために犠牲となるイエスを象徴しています。”と、この絵で取り上げた物語を解説しています。この作品で、聖ヨハネの顔が身体と不釣合いで浮いているように見えますが、多分、その顔の部分をデル・サルト自身が描き、身体は工房のほかの画家に描かせたためでしょう。しかし、その顔が複雑な表情をしているように見えます。細かいところは別にして、洗礼を施すべき子羊に視線を向けずに、眼が真っ直ぐに前を向いていることが強い意志を感じさせ、どこか引き締まった印象を眼の周囲、つまり顔の上半分に認められます。これに対して、顔の下半分は色調もピンク色の強くなり、ふくよかになります。とくに口の表情が眼のキッパリしているのに対して、右端をこころもち吊り上げ、一筋縄でない印象を与えます。そのせいで、この口は微笑みを浮かべている感じはしなくて、何か自嘲的にみえます。それは、物語を深読みすれば、子羊が象徴しているキリストのその後の運命を予兆して、神の子としての運命はあったかもしれないが、単に個人としてみれば苛酷な行く末になるわけで、そのスタートを切らせてしまったことに対して、この幼子は後悔とも、あきらめともとれなくもない表情を口に漂わせている。それが、洗礼という儀式であるにも係わらず、祝祭的な雰囲気はまったくなくて、簡素ではあるものの、厳かさを感じさせるものになっていると思います。

Pradomora ルイス・デ・モラーレスの「聖母子」です。これは、作品の主題がどうこうとかとは別に、画面のスフマートの見事さに眼が行ってしまいます。そのスフマートで鮮やかに浮き上がってくるのは聖母の肌のなめらかさであり、肉体の柔らかな豊かさです。それは、どぎついまでに身体の凹凸で生じる明暗を強調していることや、衣服で覆われているにもかかわらず、聖母の腰と胸が大きく豊かに描かれていることです。それにスフマートをかけることによって、ドギツサを中和するように働かせています。たぶん、この凸凹の強調がマニエリスムということになるのでしょうか。現代の日本で言えば巨乳のグラビアアイドルといったところでしょうか。そのような通俗性をスフマートによる巧みなオブラートをかけることによって、ラファエロのような芸術性があるように見せている。そこには、母性とも官能性ともとることのできる、どっちかというとプリミティブに近いような庶民の“産む”ことへの素直な賛美が表われてきていると思います。

ここで、エル・グレコの作品も数点ありましたが、この人の、とくに宗教画の場合にはスケールで迫ってくる効果を巧みに生かしているところがあり、それが小さなサイズにしてしまうと、奇矯な形態だけが目立ってしまって、大作を想起させるサンプルとしてしか、見られませんでした。

2016年2月 1日 (月)

プラド美術館展─スペイン宮廷 美への情熱(2)~Ⅰ.中世後期と初期ルネサンス

Pradomemu ハンス・メムリンクの「聖母子と二人の天使」という作品です。この年代の展示物のメダマは、ヒエロニムス・ボスなのでしょうが、展示されていたのは知られた作品の縮小コピーのようなもので、ボスの迫力のひとつの源泉である大画面で迫ってくることと執拗に細部にこだわるといった一種の病的なところがなくて、拍子抜けしたように感じられて、むしろボスのイメージがダウンしてしまう印象でした。その手前に小さくひっそりとありました。調べてみると、メムリンクという画家は15世紀のフランドルの画家だそうです。ルネサンスというよりは中世の礼拝画のような形式的な型に嵌まった構図ですが、とりあえず中心の聖母子や天使は措いといても、背景の中に描かれている花々や木の茂みの細密さに引き寄せられました。花の場合は画面左の天使が持っている百合のようにアトリビュートとして何らかのシンボルとしての意味合いがあるので、ある程度のスポットライトが当てられるのでしょうが、例えば聖母子の足元の草の葉の一葉の描き込みはどこまでなのでしょうか。また、背景に点在している流木の葉の一葉は奥のほうにいたるまでです。その細かさが、中心の聖母子がサラリとした感じで、決して生気がないとか、明らかに手を抜いているというのではないのでしょうが、静かで濃くない描かれ方に対して、明らかに濃いのです。しかし、不思議なことに、それが画面内の聖母子を蔑ろにして、前面にしゃしゃり出ることにはなっていない。それが収まるところに収まって、聖母子の静けさや穏やかさを巧みに引き立てているのです。そのバランス感覚が絶妙なのです。それは、多分は統一感のある色遣いで花や葉を細かく描きこんでも色調を抑えて目立たせないようにしているのと、背景でも石造の建物は大雑把に、形態もリアルにしていないというような描き込みの濃淡を使い分けていることなどが原因していると思います。それらをうまく構成させているのは、この画家のセンスが卓越しているということでしょう。

Pradodav ヘラルト・ダーフィットの「聖母子と天使たち」を見てみましょう。画家のヘラルト・ダーフィットはメムリンクと同じフランドルの画家で、オランダの画家の組合で、そのメムリンクの死後、彼を引き継いだ人だそうです。メムリンクに比べると聖母の顔は、肉付きがよくて顔色などに甘美さがあって、少し肉感的な感じ、あるいは母親としての成熟した感じが強くなっています。それだけ、人物の描き方に写実的な要素が強くなってきています。私の好みからすれば、その写実的なところが、作品や主題とバランスが取れていないように感じられるところがあります。しかし、その一方で、ダーフィットもメムリンクに負けずに細部の描き込みが好きなようです。とくに、聖母に王冠を被せようとしている二人の天使の描き込みが細かい。天使の羽の一枚の描き込みはメムリンクの描く天子の羽と比べて見てください。ダーフィットの天使は羽根の付け根の部分が筋肉が盛り上がって肉厚になっていて、羽根を羽ばたかせて実際に飛べそうな感じがします。そのように、細密さにリアルさが混入してきて、天使や聖母子の表情や雰囲気と少し齟齬感が生まれているように見えます。メムリンクの作品の約30年後に描かれた作品のようですが、メムリンクの作品にあるような絶妙のバランスによる安定した穏やかで静かな雰囲気から、なんとなく裂け目が生じているような、様式的なパターンに収まりきれず、何かがはみ出してきているような感じ、それが微かにではありますが画面全体に生々しさというのか動きを生んでいるように見えます。同じフランドルで、わずかな時間の隔たりが、大きな変化を生んでいたことが、この両作品を見ていると、実感できるような気がします。ダーフィットの作品では、背景が描かれていませんが、ここにリアルに歩み寄ったような背景が描かれたとしたら、バランスを保てなくなってしまうおそれが大きく、画家は描けなかったのかもしれないなどと想像させるところがあります。

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