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2016年2月28日 (日)

フランス料理の哀しみ

かつて吉田健一が、フランス料理について、ソースが豊富でフランス料理の神髄はソースにあると言われることがあるのをとりあげて、それは素材の貧しさの裏返しというようなことを言っていたことがあったと思った。それは、必ずしも、フランス料理を貶めているのではなく、そういうハンデを逆手にとって、多彩なソースを生み出し、巧みに使いこなすことによって、料理人の技術でおいしくしてしまうことを称える意味合いで言っていたと思う。そこには、日本料理の素材に余計な手を掛けずに、それ自体のもつ美味しさを引き出そうとするのとは、まったく異質な文化があるということでしょう。ヨーロッパの自然環境すらも、人間が支配し、人工的に作り変えてしまうという強引さ、あるいは人工的な文化が、フランス料理に典型的に表われている、ということでしょう。

魯山人は、素材が不味いから、ワインというアルコール、つまり麻酔剤で、味覚を鈍らせて、食べていたと、皮肉を込めて、フランス料理を評したと言います。

そういえば、フランス料理の素材でトリュフというのは、かなりグロテスクな外観で、しかも土中にあるのを探して掘り起こして収穫すると言います。高級素材ということですが、よくまあ、探し当てたものだと思います。こんなものをどうして食べるようになったのか、と想像をめぐらしてみると。吉田健一も言っていますが、フランスは悪政によりたびたび飢饉に見舞われたそうです。そこで農民なんぞは収穫を領主に取り上げられてしまい、飢え死んでしまう人々が多数出たということだから、人々は食べられそうなものは何でも食べたのでしょう。だから、かたつむりや蛙といった素材がスタンダードな食材として扱われているのはフランス料理くらいものものではないでしょうか。日本でも江戸時代後半の天明の大飢饉のときに、飢えた人々は何も食べるものがなく土を食べたとか、大躍進のころの中国で土粥が食べられたとも聞いたことがあります。それなら、昔のフランスの飢えた人々が土を食べようと掘り起し、偶然、トリュフを見つけた、と想像することも許されるのではないでしょうか。

そう考えると、何か、人々の哀しみが、そこにあるように思えてきます。

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コメント

確かに、珍味と呼ばれるものには、手間がかかっているものが多いですね。
燕の巣を採る様子を見た時にはびっくりしました。
石川県のフグの卵巣の粕漬けが完成するまでには、もしかしたら、トリュフ以上のドラマがあるかもしれませんね。

はじめまして。
記事を興味深く拝見させていただきました。
文化を背景とした日本料理との比較も、
フランス庭園と日本庭園の違いにも通じるようで
とてもおもしろいですね。
以前、フランスに住んでいたことがありますが、
個人的には食材の貧しさは感じませんでしたので、
魯山人の言葉にはあまり共感できないような気がします。
トリュフの話でふと思いましたが、「なまこ」を初めて
食べた人もなかなか勇気がありますよね。

Khaawさん、コメントありがとうございます。毒のあるフグは、いまでは高級珍味ですが、それを人が食べるようになるには、のっぴきならない事情が、生きるためのドラマがあったのかもしれないと、想像してみるのもいいのかもしれません。

hananoさん、コメントありがとうございます。庭園の違いの視点は興味深いですね。イギリス庭園の違いも加えると、もうちょっと複雑になりますが、ヨーロッパの重層的な文化が表われてくると思います。また、食材については、19世紀ヨーロッパで農業の生産性が飛躍的に向上し、1830年代の消費文化が花開いたときに、現代に通じる大衆的な美食が始まったのではないかと思います。

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