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2016年2月29日 (月)

恩地孝四郎展(1)

2016年2月 東京国立近代美術館

Onchipos 近代美術館へ行くには、私の場合は、交通の便のいまいちで、閉館時間も早いので、行き難いというのが正直なところ。いつも、何かの用事のついでに美術館に寄るような私には、近代美術館というのは行きたいと思う企画展示があっても、余程のことがないと足を運ぶことがない。今回は、海外出張の帰りが、飛行機の便の都合で昼過ぎに羽田空港着だったので、帰宅に前に出張の疲れは残っているものの、無理して寄ることにした。強い雨の中、出張の大荷物を抱え、疲れの残る身体で、よくまあ、と我ながら思った。天候のせいか、企画のせいか、土曜の午後というにもかかわらず、混雑からは免れ、落ち着いた雰囲気ではあったが、抽象的な作品が大半で、しかも、展示の点数が多かったので、正直なところ、体力が続かず、途中で、見ている私が息切れの状態を起こして、展示作品の全部をちゃんと見たとは言えない。ただし、私自身のせいもあるが、展示されている作品に対して、強く惹かれるように感じられることがなく、無理して見ようとしていたことも、その理由としてあると思う。これは、展示作品がどうこうということではなく、私との相性の問題といえる。そのため、ここでは作品に対してネガティブなコメントを並べることがあると思うけれど、それは作品自体の価値ということからではなく、私との相性によるものと受け取ってほしい。

恩地孝四郎という画家とその作品について、私もほとんど知識がないので、主催者のあいさつを引用します。 日本における抽象美術の先駆者であり木版画近代化の立役者でもある恩地孝四郎の、20年ぶり3回目、当館では実に40年ぶりとなる回顧展です。恩地は抽象美術がまだその名を持たなかった頃、心の内側を表現することに生涯をかけた人物です。彼の創作領域は一般に良く知られ評価の高い木版画のみならず、油彩、水彩・素描、写真、ブックデザイン、果ては詩作に及ぶ広大なもので、まるで現代のマルチクリエイターのような活躍がうかがえます。本展では恩地の領域横断的な活動を、版画250点を中心に過去最大規模の出品点数約400点でご紹介いたします。

400点にもわたる展示のうち、多くが版画でした。よくまあ、これほど多数と呆れる反面、版画だからこそ、これほど多くの作品を残すことができたのではないか、とも考えることができます。そけは、恩地の作品の制作方法が主として版画であるということから、油絵をメインとして制作する画家とは、制作方法が違ってくることによる。そして、さらに、恩地の作品のあり方が、版画という一種の複製の要素が入った手法に拠っていることで、手描きによって個々の作品のオリジナリティーを際立たせなければならないという、一種の強迫観念のようなものを、多少は免れている、と言えるのではないかと思います。それは、肉筆の油絵であれば、画面のすべてを絵筆によって描かなければなりませんが、木版画であれば、画面の一部のある部分、例えば、重要と思うパーツを版木で一度作ってしまうと、それを何度でも流用できるわけです。そのパーツを画面真ん中に位置させた作品と、右隅に位置させた作品を、そのパーツを寸分たがわずに使うことができて、それをいちいち絵筆で描く手間をかけることが省略できるわけです。その手間が省略できる分、様々なバリエーションを試みることができるわけで、そのなかで、思いもかけなかった即興的な成果も生まれるかもしれない。すくなくとも、描く前に、頭の中で考えて、構想してだけでは追いつかないようなものも出てくる可能性もないわけではないでしょう。しかし、版画であれば、版木をスタンプのようにして様々なパターンを実際につくって試すことができて、それをそのまま作品にできてしまうわけです。分かり易くいえば、パソコンの描画ソフトで様々なパターンをモニター上で試すようなものです。恩地の時代はパソコンがなかったので、版画の手法を応用して、そのようなことをやった、などと考えるのは想像を飛躍させすぎなのかもしれません。しかし、実際に美術館の展示室に似たような作品がずらっと並んで展示されているのを見ていると、ひとつひとつの作品がどうのこうのというという対峙の仕方には、そぐわないように思えて仕方がありませんでした。抽象絵画にも、似たパターンを様々に試す画家は多いです。例えば、モンドリアンの一連の『コンポジョン』は直線と四角の組み合わせで、色も限られているのですが、完成した一つ一つの作品は、すべて独立しています。だから、それぞれの作品に対して好き嫌いが分かれるのです。しかし、展示されている恩地の作品を見ていて、そのような気は起こりませんでした。言ってみれば、恩地の個々の作品は、それだけを見るという一回性が稀薄になっていると思います。強いて、似たものを探すとすれば、ウォーホルのキャンベルのスープ缶のシルクスクリーン作品でしょうか。ちょっと意味合いは異なりますが。そのため、これから、具多的に作品を見ていきますが、この作品として、とくに作品をピックアップするという、従来の私の書き方とはニュアンスが変わってきます。たまたま、ある作品を取り上げているとして、他の作品と代替可能という程度、一種のサンプルのようなものとして、見ていただきたいと思います。

なお、恩地孝四郎という画家のことは、よく知らないので、解説を引用しておきます。“恩地孝四郎は10代で竹久夢二に私淑し、1914年に東京美術学校に通う田中恭吉・藤森静雄とともに木版画と詩の同人誌『月映』を創刊、表現者の道を歩み始めました。また装幀家としても人気が高く、萩原朔太郎詩集『月に吠える』や室生犀星詩集『愛の詩集』などに恩地の活躍を見ることができます。昭和期になると、ヨーロッパの新思潮に共鳴して構成的な人体像やクラッシック音楽に想を得た〈音楽作品による抒情〉シリーズを制作する一方、イメージと言葉とデザインの総合を目指した数々の詩版画集や、油彩画にも匹敵する重厚な肖像版画などを発表しました。戦後は、GHQ関係者として来日した外国人コレクターたちの理解と励ましを受けて、抽象美術に専念するようになりました。晩年の10年間に作られた版画作品の半数以上が海外の美術館や蒐集家の手に渡っています。”

展示は次のような章立てでしたので、それに従いたいと思います。

Ⅰ.『月映』に始まる1909~1924年

Ⅱ.版画・都市・メディア1924~1945年

Ⅲ.抽象への方途1945~1955年

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