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2016年2月 2日 (火)

プラド美術館展─スペイン宮廷 美への情熱(3)~Ⅱ.マニエリスムの世紀:イタリアとスペイン

Pradosalt アンドレア・デル・サルトの「洗礼者聖ヨハネと子羊」という作品です。作者である、アンドレア・デル・サルトは、東京都美術館でのウフィツィ美術館展ではじめて作品を見た人で、メダマのボッティチェリよりもずっと印象に残っています。この作品では、幼子の聖ヨハネの顔の表情がなんとも言えません。解説では“ヘロデ大王の没後、エジプトから戻ったイエスら家族はナザレに住みます。その後の生活はあまり知られていませんが、青年になったイエスは、ヨルダン川で浄めの儀式の洗礼を受けました。洗礼を施したのは、母のいとこのエリザベトと祭司ザカリアの息子ヨハネです。この絵の洗礼者聖ヨハネは幼き姿で、子羊は人類の罪をあがなうために犠牲となるイエスを象徴しています。”と、この絵で取り上げた物語を解説しています。この作品で、聖ヨハネの顔が身体と不釣合いで浮いているように見えますが、多分、その顔の部分をデル・サルト自身が描き、身体は工房のほかの画家に描かせたためでしょう。しかし、その顔が複雑な表情をしているように見えます。細かいところは別にして、洗礼を施すべき子羊に視線を向けずに、眼が真っ直ぐに前を向いていることが強い意志を感じさせ、どこか引き締まった印象を眼の周囲、つまり顔の上半分に認められます。これに対して、顔の下半分は色調もピンク色の強くなり、ふくよかになります。とくに口の表情が眼のキッパリしているのに対して、右端をこころもち吊り上げ、一筋縄でない印象を与えます。そのせいで、この口は微笑みを浮かべている感じはしなくて、何か自嘲的にみえます。それは、物語を深読みすれば、子羊が象徴しているキリストのその後の運命を予兆して、神の子としての運命はあったかもしれないが、単に個人としてみれば苛酷な行く末になるわけで、そのスタートを切らせてしまったことに対して、この幼子は後悔とも、あきらめともとれなくもない表情を口に漂わせている。それが、洗礼という儀式であるにも係わらず、祝祭的な雰囲気はまったくなくて、簡素ではあるものの、厳かさを感じさせるものになっていると思います。

Pradomora ルイス・デ・モラーレスの「聖母子」です。これは、作品の主題がどうこうとかとは別に、画面のスフマートの見事さに眼が行ってしまいます。そのスフマートで鮮やかに浮き上がってくるのは聖母の肌のなめらかさであり、肉体の柔らかな豊かさです。それは、どぎついまでに身体の凹凸で生じる明暗を強調していることや、衣服で覆われているにもかかわらず、聖母の腰と胸が大きく豊かに描かれていることです。それにスフマートをかけることによって、ドギツサを中和するように働かせています。たぶん、この凸凹の強調がマニエリスムということになるのでしょうか。現代の日本で言えば巨乳のグラビアアイドルといったところでしょうか。そのような通俗性をスフマートによる巧みなオブラートをかけることによって、ラファエロのような芸術性があるように見せている。そこには、母性とも官能性ともとることのできる、どっちかというとプリミティブに近いような庶民の“産む”ことへの素直な賛美が表われてきていると思います。

ここで、エル・グレコの作品も数点ありましたが、この人の、とくに宗教画の場合にはスケールで迫ってくる効果を巧みに生かしているところがあり、それが小さなサイズにしてしまうと、奇矯な形態だけが目立ってしまって、大作を想起させるサンプルとしてしか、見られませんでした。

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