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2016年2月 4日 (木)

プラド美術館展─スペイン宮廷 美への情熱(5)~Ⅲ.バロック:初期と最盛期(2)

Pradocharry_2 ファン・デル・アメンの「スモモとサワーチェリーの載った皿」という作品です。小品の静物画ですが、私にとっては、今回の展覧会での最大の収穫だったと言える作品です。この画家についても、はじめて聞く名前で、その名からネーデルランドの人であろうかというくらいで、年代的にもスペイン・バロックに特有のボデゴン(スルバランの一連の作品は大好きです)のひとつかな、という感じで見ました。スルバランの作品は、バロックの光と影のドラマチックな表現で静物画を制作して深い陰影が静謐な祈りを誘う宗教性を帯びるものとなっていますが、この作品でも、スルバランとは違いますが、背景の暗がりから光をあてられて皿に載せられた果物が浮かびあがってくるように描かれています。スルバランの作品では、白い陶器やオレンジなどといった暗闇とは反対の白っぽいものが光をPradosuru_2 受けて暗闇と対照的に映える、その陰影の対照が強く迫ってくるのですが、この作品では、皿は光に反射することはなく、スモモはグレーの色調で、わずかにサワーチェリーが赤い、とはいっても輝くような明るい赤ではなくて、透明さはあっても深く沈むような赤です。つまり、全体が暗く渋い色調で、たとえ、そこに光が当たってもスルバランのような対照のドラマが生まれるのではなく、グラデーションが浮かび上がるのです。そこには、深く沈みこむような世界が見えてくるようです。なんだか少し不気味さを含んだ、光が射さない深海の世界にライトを当てて覗き込んだような静けさが漂っています。例えば、スルバランのボデゴンの静けさは、黄色系統のレモンやオレンジが白く映ってしまう程の乾燥した強い陽射しの清澄な世界であり、そこでの白いPradojan 陶器は、混じり気のない純白のように陽射しを反射して凛として、崇高に輝いているようです。ですから、スルバランの作品では、光と影のドラマといっても、影は光を引き立たせるためにあると言えます。これに対して、ファン・デル・アメンの作品は、むしろ影がメインといってもいいのかもしれません。暗い中で、スモモとサワーチェリーが光に怪しく浮かび上がるのです。これは、並べて展示されていた、ヤン・ブリューゲルの「花卉」にも通じるように思うのですが、暗闇に美しく花が浮かび上がるのが、逆に背景の暗闇を引き立てているような構成になっているように見えるということなのです。それは、深読みすれば、瑞々しい果物も、美しい花卉も一時的なはかないものにすぎないと、教訓的な受け取り方も可能となるものです。それ以上に、私には、暗闇をメインとして、その暗闇に観る者を惹き込んで行くようなものを感じます。だからこそ、ファン・デル・アメンの作品にあるサワーチェリーの透き通るような深い赤のあやしさが尋常でないものとして、私には見えてくるのです。

Pradomadona_2 ムリーリョの「ロザリオの聖母」という作品です。スペイン・バロックの人気画家でしょうから、比較的大型の作品が会場のメインの展示スペース正面のドーンと飾られていました。他の作品と比べた大きさもあって、ひときわ目立っていましたし、それなりに作品も親しみ易い。ムリーリョの描く聖母は、普通に美しい女性を描いているように見える写実的な肖像が、聖母の姿となっても違和感を生じさせいないところに、その凄さがあるのではないかと思います。というのも、この展覧会を見ていて、全体としてぼんやりと感じたことなのですが、プラド美術館の一部をピックアップした展示の印象から全体を言うのは不確実かもしれませんが、ひとつの仮説的な視点として述べますが、例えば、この展示でも、中世のおよそリアルとは言えない奔放な展示から、ルネサンスを跳び越えて、マニエリスムからバロックでひとつの頂点に達して、その後の古典主義やロココは実はあまり生気に乏しく、ゴヤの幻想的な作品に流れ込むというように述べると、どうもルネサンスとか古典主義のようなリアリズムに弱い、というのでしょうか、このプラド美術館のコレクションをつくった人々、スペインのハプスブルク家ということになるのでしょうか、というよりもスペイン宮廷の文化嗜好として、現実をリアルに写すというよりは、現実をこえてとか、現実を考えずに、表現を優先するとか、もっというと、現実をポジディブに写そうというのとは逆に、現実をネガティブに現実的でないとか、ひねりを加えて表わすとか、そういう表現への嗜好性が強かったのではないかと思えてきます。そこには、ストレートに現実を肯定できない、社会、経済的な状況とか、安易に、いくらでも想像することはできますが、ここでは、余り妄想を拡大することはとどめておきましょう。そんな中で、ムリーリョの作風はリアルに傾いていると言えるものです。さきほど、分かり易いと評しましたが、それは、基本的にムリーリョの作風がルネサンス以来の写実を目指す方法に根ざしているからだと思います。それはまた、一方で、ベラスケスにしろ、ゴヤにしろ仕上げは荒っぽいというのか、細部までリアルに写し取って描きこむ気がない出来上がりになっているのに対して、ムリーリョは、この作品もそうですが、細かいところまで丁寧に描きこまれているように見えます。例えば、聖母の素肌のみずみずしさや衣装の質感の違いとか、まるでルネサンスのダ=ヴィンチとかラフェエロを見るようです。そのようなムリーリョですが、リアルに人物を描きながらも、ここでは、その背景を描きこむことをせずに、暗い闇のようにして、人物に光があたる、カラバッジョ以来のバロック絵画の光と影の劇的な構成を巧みに織り交ぜて、それによって聖母子の神々しさを象徴的に見せる工夫をしています。ここには、エル・グレコの聖母像のような、これでもかと迫ってくるような圧倒的な迫力はありませんが、感情移入して共感できる親しみやすさがあります。

このあと、後半には、ベラスケスもゴヤも作品がありましたが、正直に言えば、印象に残っていません。残された時間も少なくなって来ていたせいもありましたが、立ち止まる程度の作品はありましたが、前半に比べると落ちるという印象で、取り上げて感想を記すほどのものはないと思います。これは、私の好みもありますが。

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コメント

はじめまして。大阪市在住のけむりん、と申します。

職業はストックトレーダー、趣味は歌舞伎・文楽・能鑑賞。25種類以上のスポーツ観戦。料理をつくること。海外在住歴はパリに1年、ニューヨークに半年。その期間にクラシックバレエを100回近く、オペラ、クラシックコンサート多数を観劇しました。

この度、渡辺保・歌舞伎でググって貴殿が5年半前にエントリーされた「渡辺保の歌舞伎劇評」にヒットし、この度の邂逅と相成りました。

あまり長居をしてはかえってご迷惑と思い、早々に立ち去るつもりではありますが、貴殿のエントリーを拝読し、市井にもこれほどの読解力を持った文筆家がいるのだと心底から驚きましたので、そのことだけでもお伝えしたく駄文を投稿した次第にございまする。

本当にこの世の中は不思議なものですね。全く面識のない貴殿とわたくしがこのように袖触れ合うのですから。実に連鎖的、実に融合的だと改めて思いました。いや、それにしても、貴殿の読解力・表現力は素晴らしい。この素直な感想が、もし不遜に感じられましたらご容赦ください。それでは。

あ、あと、この度の日銀・黒田総裁の失政「マイナス金利の導入」では、ご職業柄今後大変苦労なさると思われます。どうかご自愛いただいて、引き続き素晴らしい文章をご投稿ください。失礼いたします。

けむりんさん、コメントありがとうございました。過分なほどの、お褒めの言葉をいただいて、たいへん光栄にありがたく思います。ほとんど自己満足のような書きっ放しのような、他人に広く読まれることを期待していない文を書き連ねているので、そもそもアクセス数も少なく、コメントをいただくことなど稀だったので、このようなお褒めの言葉をいただいたのは、本当に、うれしいです。どうも、ありがとうございます。これからも、たまに寄っていただいて、ご覧いただければ、これに勝る喜びはありません。

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