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2016年2月 3日 (水)

プラド美術館展─スペイン宮廷 美への情熱(4)~Ⅲ.バロック:初期と最盛期(1)

Pradotin スペインを中心にバロックの大家たちの作品が並び、私には、この展示のメインでないかと思われます。まずは、ティトレットの「胸をはだける婦人」という作品。ティントレットはイタリア・バロックの大家でしょうし、この画像で見る限りは、あまり分かりませんが、現物を目の当たりにすると、粗い感じがします。どこか手を抜いているという語弊があるかもしれませんが、丁寧さは微塵も感じられません。たくさんの注文を抱えていて、それに応じるためにサッサと描いてしまったといったノリでしょうか。しかし、大づかみに全体を掴むということと、女性のはだけた胸の肌の白さと乳首のコントラストは、さすがという感じがしました。そこだけでも、この作品は見るべきものがある。

Pradoguid この作品と並べて展示されていたのが、グイド・レーニの「花をもつ若い女」です。この画家は、先日の西洋美術館でのグエルチーノ展で知りましたが、イタリアのバロックで一世を風靡した人だそうです。ティントレットに比べて丁寧に描かれていて、肌の柔らかさや髪の毛、あるいは衣服の質感の肌触りとか、いかにもバロックという感じの豊穣な女性像なのですが、まとまっていても、突出して見る者に訴えかけてくるものがないのです。ティントレットの女性の横顔は、どこかから取ってきたような、ちょっと類型的な印象をもたれてもおかしくないし、髪の毛などは省略して描かれていますが、その肌と胸の柔らかくみずみずしい感じだけで、二作品が並んでいると、視線はティントレットの方に向いてしまいます。グイド・レーニという画家は、バロックの画家の中では中庸の道をいっていて、表現の突出傾向のバロックの中では、それだけで差別化出来ていたのかもしれません。グイド・レーニの作品は、これ以外にも聖人の殉教図なんかもありましたが、殉教の凄惨に場面をドラマチックに描くという方向ではなく、「花をもつ若い女」のように、人物を丁寧に描くことを主眼に置いているようで、殉教の様はほとんど目立たずに、聖人の姿を描く、人物画のようになっていました。その意味では、殉教の場面とする必然性が、あまり感じられないものでした。それは、コレッジョの作品の縮小レプリカが、殉教の凄惨さを際立たせるものであったのと、対照的でした。

Pradoels アダム・エルスハイマー工房によるエルスハイマーの作品「ヘカベ家のケレス」のレプリカだそうですが、もとの作品を知りません。暗い夜の闇の中に老婆が手に持つ蝋燭の炎が、その周囲を照らし出す。その仄かな光に、蝋燭を囲む人々の姿の一部が映し出されるというのは、後年のラ=トゥールの作品を思い起こさせるものですが、こちらの方が年代的には古いものです。もっとも、ラ=トゥールの場合には、主に室内の狭い空間で光が反射する複雑さがありますが、こちらは屋外で蝋燭の光が闇に融けていく様と、光に一部が映し出される森の不気味な姿が垣間見えます。バロックには、このほかにもカラバッジォなど光と影をドラマチックに扱った画家がいるので、その一人なのでしょうか。今回、初めて見た画家でした。

Pradofami ルーベンスの作品が数点あった中で「聖人たちに囲まれた聖家族」という作品です。もとはアントワープの教会(というとフランダースの犬を思ってしまいますが)の壁面に飾られている大作の縮小レプリカということなのですが、小型の画面に、これほどのたくさんの人物を、それぞれの特徴を表わすように、中央の聖母子を中心に、その周囲の人々は、それぞれ聖人で、誰かを特定できるように聖人の特徴が描き分けられています。凄いのは、そのたくさんの人物が群集という群れではなくて、それぞれが個人として描き分けられて、しかもひとつの画面の中に収まってしまっていることです。聖母子が中心ではありますが、その周囲の人たちは、聖母子の背景に留まってはおらず、それぞれが独自の存在感をもっていることです。かといって、聖母子が画面の中心でいるのです。それは、画面の構成と色遣いが巧みなためであろうと思います。しかしまた、それは計算されて画面が収まっているだけてもなく、画面の人々の生き生きとした躍動感が画面からはみ出すほどに満ち溢れていて、描かれている人物のポーズは一人として静止した状態はなくて、動作の途中の姿になっていて、それだけに、構成が大変であったと思ってしまいます。ルーベンスという人は工房に数多くの画家(職人)を抱え、彼らを指導・監督して多くの注文に応えていたそうです。注文はルーベンスに来るわけですから、その注文に応えるには、工房の画家たちにルーベンスの名で納品できるレベルの仕事をしてもらわなければならない。そこで、ルーベンスが特徴としてつかったのが、画面構成だったのではないか、ということを、このような縮小レプリカを見て想像できました。つまり、設計図がしっかりしていれば、多少雑な技術でも、それなりの完成に至るというわけです。

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