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2016年3月 9日 (水)

恩地孝四郎展(3)~Ⅱ.版画・都市・メディア1924~1945年

展示は、3章に分けられていましたが、恩地の作品をひとわたり見わたすと、画家の生涯の時期的な区切りで作風が変化していくとか、成長していったとか、そういうことがあまり感じられません。むしろ、幾つかの方向性が同時併行で進んでいて、それが多少の紆余曲折はありながらも、ずっと続けていたというように見えます。そして、恩地という人は、ある種の軽快さ(軽薄さ)をもっていて、時々の流行に敏感に飛びついていたので、そういう作品が突拍子もなく現れるといった具合です。それで、400点という物量でした。ひとつひとつの作品は、どっしりとした重量感があるわけではないのですが、正直いって、これだけ並べられると疲れました。しかも、同じ傾向が延々と続くようで、さすがに、終わりの方では、疲れもあって、飽きを感じ、退屈にもなりました。

Onchiwhite_2 前のところで述べたかもしれませんが、展示されている恩地のひとつひとつの作品に対して、私は、とりたてて、この作品でしかありえないといったような作品の個性とか、この作品といった突出したものを感じることはなく、どの作品もそれなりなので、ここでも、これはという作品を取り上げて感想を話す、というのではなく、たまたま、恩地の作品群を語るためのサンプルとして、ここで語っていこうと思います。これは、恩地の作品全体に個性がないというのではありません。コンスタントにレベルの高い作品を生み出し続けるというのは、実はたいへんなことで、それを膨大な量でやっているというところに、実は恩地という作家の一番の凄いところではないかと思えるところもあります。

「裸婦白布」という作品です。このような裸婦のポーズは西洋美術では定番のポーズで、恩地と世代が近い藤田嗣治の似たようなポーズの裸婦(例えば「眠れる女」)と比べると、恩地の特徴がよく分かるのではないかと思います。藤田の場合は、彼のトレードマークである透明感のある白がシーツ、猫そして裸婦の白い肌で使い分けられ、それぞれの使い分けられた白がグラデーションを付されて、シーツの波打つ様子や裸婦の肉体の陰影を映えるものとなっています。そして、背景の漆黒とのコントラストによって、いっそう白が妖しく輝いて見え、裸婦の肉体の凹凸のつくりだす陰影に視線がひきつけられてしまいます。これに対して、恩地の作品はどうでしょう。藤田が白を基調に作品を作っているのは明らかですが、藤田の作品にはピンク色が多用されているようです。しかし、藤田に比べると、ノッペリとした感じを免れません。シーツや裸婦に陰影はつけられていますが、藤田のような精緻さはなく、例えばシーツの襞や皺は図案のようなパターン化されているようにみえます。裸婦にも動きがなく、硬直しているように見えます。二人の画家の巧拙は別にして、こうして見ると、藤田と比べてみると、恩地の作品は肉体の存在感とか皮膚の柔らかな感触といった方向には興味が薄く、裸婦の形態とかシーツの織り成す文様とか色彩の意識的な構成とかいった要素を追究しようとしているように見えます。それはまた、「ダイビング」という作品では、水面から見上げたような視点で、水面に飛び込もうとする女性の胴体の黒い水着部分を切り取ったような構図が作品のメインで、(多分)若い女性の飛び込む際の肉体の躍動とか、筋肉のつくりだす陰影などは、ノッペリと絵の具が塗られてしまって見えてきません。これは、こじつけかもしれませんが、木版画の発想が影響しているのではないかと考えてしまうのです。木版画では、微妙な色彩のグラデーションで陰影を表現することはできないと言っていいでしょう。版木の面に塗料を塗って紙に摺るので、単純化が求められるわけです。その分、明確な形で、デザインの点で表現を追求するということになると、どうしても図案化の方向に寄ってしまう。屁理屈かもしれませんが、恩地の作品を見ていると、そのようなことを漠然と考えてしまいます。

Onchifujita_2 これは、私が恩地の作品を見ていて勝手に妄想したことですが、初期の作品のタイトルが、裸形のくるしみ、抒情、死によりてあげらるる生、などと言った観念的なポーズをとっているのは、もともと恩地が内省的な傾向と、そんな恥ずかしいほど大仰なタイトルを臆面もなくつけてしまえる気障な性向があるように思えました。間違っても対象に心奪われて、それを衝動的に描きたくなるといった、いわゆる才能に突き動かされるタイプには見えません。恩地の作品には、純真に描くということとは別の動機があって、その手段として描くという傾向が感じられます。その一番分かりやすい具体例は売れっ子になって名誉と富を得たいというものですが、あるいは自己表現の手段として、とか様々な動機が考えられますが、それらに共通していることは、描くということと必然的に結びつかないということ、つまり、描くということは、目的のために、たまたま選択された手段にすぎないということです。いい意味でも、悪い意味でも、恩地の作品には、そういうことが感じられました。そのような恩地は、学校の友人に誘われてか分かりませんが、木版画の同人誌を共同で発刊します。その時に、木版の手法が、油絵の職人芸のような手法に比べて、工業的な効率性にあるように見えたのか、工業デザインの図面のような機能性のシンプルさのような図案のような傾向に流れていき、恩地自身、そこに現代のマーケティング用語でいう差別化の契機を見出したのではないかと妄想を逞しくしています。それが、恩地の裸婦像にはからずも表われていると、私の勝手なもうそうですが、そう思います。だから、このような具象画でも、これから見ていく抽象画でも、恩地にとっては、あまり、変わらないのではないかおもうのです。

Onchidobu_2 「音楽作品による抒情 ドビュッシー「金色の魚」」という作品です。パット見で、地味なパウル・クレーといった印象です。幾何学的な図形のようなパーツをレイアウトしたようなモダンさがあるのですが、それぞれのパーツは図形のようにスッキリしていない。輪郭などの線はバラついているし、塗りにはムラがある。何より、使われている色が地味で鈍クサい。全体としてユルいんです。私が抽象絵画というと真っ先に思い浮かべるのはカンディンスキーやモンドリアンといった画家ですが、彼らの作品は、もっとキチッと描きこまれていて、何よりも画面のすべてを隅から隅まで支配しつくそうとする強い意志が行き渡っていると思います。例えば、この「音楽作品による抒情 ドビュッシー「金色の魚」」を彼らが描いたとすれば、画面の真ん中右の黒い半楕円のような形について、左側の輪郭は定規で引いたような明確さで垂直な直線をカチッと引くでしょうし、黒い図の部分と背景のグレーの境界を明確な線でキチッと分けるでしょう。そして、その上から描き足されている金色の水玉に紛れて黒の輪郭が曖昧になることを許さないでしょう。そのことによって黒い部分と背景の間に対立的な緊張関係が生まれ黒い部分が浮き上がって、一方、背景のグレーの地の部分にも、そこに描かれていないという意味が生まれてきます。しかし、実際の作品は、黒い部分はキッチリしていなくて、真ん中左の薄いグレーの半円は、形も歪んで、塗りも中途半端で、あるかないか分からないようです。カンディンスキーやモンドリアンの基準では、作品として完成していない、というよりも、下書きとかスケッチ程度でそもそも作品としての形を成していない、という代物ではないかと思えてきます。それは、前回のところで触れましたが、恩地の作品に早くからあって、ずっとあり続けた基本的姿勢として、『伊豆の踊り子』という小説の主人公に典型的に表われているような、悩める自己、といういささか自意識過剰な意識です。この場合の自分は、未だ何者にも成っていない中途半端で、一種の過渡期、つまり、どっちつかず、の曖昧な状態にあると捉えられています。そのような視点で、この作品を見てみると、描かれている形は、手描きの不安定な描線のザラザラした触覚をそのまま表わすような曖昧さで、形の中身も中途半端な塗りになっていて、形が成り立っていない経過状況の宙ぶらりんのような在り方に見えてきます。むしろ、恩地は、意識的にそのように描いているように見えます。そのように描くことによって、どのような効果が生まれてくるのでしょうか。カンディンスキーやモンドリアンのような完結した世界を構築できていない、中途半端な、未だ完成していない印象すら与える恩地の作品を見ると、どうしても見る者は想像力を働かせることを促される、そうして補完して作品を眺めようとするのではないでしょうか。そのことによって、作品が見る人によって揺らぎを生むことによって、不安定さ=移ろいやすさ=はかなさ、を生じされる。それが、この作品に独特の抒情性を与えることになっているのではないか。別の言葉で言えば、余韻でしょうか。

Onchililic これは、「音楽作品による抒情No_4山田耕筰「日本風な影絵」の内「おやすみ」」の淡い色遣いと、それぞれが透き通るように塗られた形態が、頼りないほど揺らめいた輪郭線などによって、全体としてはかなげな移ろいやすさと余韻を生んでいるように見えます。

展覧会ちらしに使われている「春の譜」という作品は、色彩においては原色に近い鮮やかな色遣いですが、明確に形を作ろうとしないところは、恩地の作品に共通していて、控えめな印象です。それは、通常であれば、アピールするところがないということになってしまうのですが、恩地は、それをあえて行なっている。そこに、この作品の特徴があると思います。

Onchispring_2 ここでは、とくに取り上げていませんが、展示されている絵画作品は少なくて、版画や本の挿絵やブックデザインがたくさんありました。このようなことから、とくに挿絵の場合には絵は傍役で過度な自己主張はできないと思いますし、ブックデザインにも同じことが言えるでしょうから、そのような姿勢が、恩地の絵画作品にも間接的に影響を与えているのかもしれません。というより、むしろ、もともとの恩地の作品に、そのような性格があったために、挿絵やブックデザインをすることも出来た、と言えるかもしれません。そのような商業デザインのようなところは、恩地の作品がスタイルとしては抽象画なのかもしれませんが、姿勢はポップアートの方に近しいのではないのか、と展示を見ていて思いました。もっとも、恩地には、ポップアートにある商業主義に対する批評性はないと思いますが。

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