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2016年3月 1日 (火)

恩地孝四郎展(2)~Ⅰ.『月映』に始まる1909~1924年

Onchiself 展示室に入るとすぐに目に入ってくるのは、18歳のときの「自画像」です。画像で見ると、稚拙ながら、青年ゆえの荒々しさというのか、勢いのようなものがあるように見えます。これを、実際に見た印象は、それとは少しずれていて、荒々しく絵の具が塗りたくられているようで、その割にはマチエールが感じられないのです。つまり、絵の具を塗りたくっているのではなく、このように絵の具を丁寧に置いているのです。荒々しい筆触のように見えるのは、顔という立体を筆で引いた長方形の平面の集まりでできた形態のように捉えて描いているように見えました。色遣いは、画像の荒々しい印象とは裏腹に、淡色系が主体で、唇の赤を除いて、どぎつさというほどの強いインパクトを持っていません。そこに、実体としての人物のどっしりとした存在感が稀薄なのです。この自画像を見ていると、普通の(?)油絵を描く見方ではなくて、デザイン画の見方に拠っているように思えるのです。分かりやすい類似例は、マンガの雑誌で連載の表紙の色塗りしたコマで、普通の白黒のコマと異なって色付けし、陰影をつけられているものです。これが、私の恩地の第一印象で、以降の展示作品を見ていくと、そのような印象が強まっていきました。

引用した解説にあるように“恩地孝四郎は10代で竹久夢二に私淑し、1914年に東京美術学校に通う田中恭吉・藤森静雄とともに木版画と詩の同人誌『月映』を創刊、表現者の道を歩み始めました。”という『月映』を通じて発表された作品がたくさん並んでいました。

Onchimegumi 例えば、「めぐみのつゆ」という作品を見てみたいと思います。木版画の作品ですが、私が一般的に木版画というものに対して抱いているものとは、いささかイメージが異なります。私が抱いている木版画のイメージは棟方志昴の作品のような版木となる木という素材による制約を受けて、また木の特性を活用した表現を追求していこうとする作品です。具体的にいうと、木という材の硬さと柔らかさのゆえに、彫刻刀によって切り刻んだ跡が明確に形に残すことができて、それによって表わされるものは、ペンや筆で描かれたものとは異なった独特の感触を見る者に与えることができるわけです。この棟方の作品を見ると、彫刻刀によって刻まれた直線が、線そのものは鋭い切り込みがあるものの、真ん中あたりが曲線的な丸みを帯びたふくらみをもっていて、鋭いだけでない温かさも併せ持っているのです。この棟方の作品では、仏像の身体の輪郭や、その姿勢から生じる襞が、彫刻刀によって刻まれる線で表現されて、肉体の肉付きを連想させるような太さを持った線と、彫刻刀の勢いよってうまれる動きを感じさせる線となっていて、独特の官能的な味わいを醸し出しています。また、仏像の形態は、版木を彫刻刀で削るという技術的な制約による形態を活用して、その制約ゆえに独特のデフォルメを施したような単純化が、結果として写実では見えてこない素朴で宗教的な雰囲気を作り出しています。木版画という手法が作品の表現と一体化しているといってもいいのではないでしょうか。これに対して恩地の木版画では、棟方とはまったく異なる表現が行なわれています。この月と女性の姿は、棟方の作品の仏像のような木版画ならではのものとは違います。恩地の作品は一種の図案のようで、木版画にしなければならないということが、棟方の作品のように感じられません。例えば、彫刻刀によって刻まれる特徴的な線は、左下の草葉で用いられていますが、葉をこうしなければならないというものではありません。趣向の域を脱していないと言えます。ではなぜ、恩地は木版画などという絵筆で描くことよりも手間のかかる(彫刻刀で版木を削る手間もありますし、一度削ったら描きなおしはできないというリスクもあります)ことを、わざわざ手法として選んだのでしょうか。それは、ひとつには半楕円の背景の黒い部分が均一な平面にしたかったのではないかと考えられることです。版楕円のまわりは紙の白い地の部分で、黒い楕円の先端部分には大きな弓形の月が白く平面に広がるようにあります。それらが白-黒-白の色の対比と平面という共通性の基にある、という効果が、たしかに、この作品ではあるのです。そのように面としての均一性を確保するために、簡単な方法として木版画を選んだのではないか。そして、描かれているのは図案化された月と女性の形態です。私が思うに、恩地は版木の扁平な面を使って均一に彩色された面が欲しかったのではないか。

Onchinamida 「泪」という作品では、図案化が進んでいます(私には、よりマンガらしく見えてしようがありません)。この作品では黒い三角形と四角形が交わる鋭角的な隙間に白く人の顔の一部を図案化したものが垣間見えています。その直線で区分された白と黒の対象に、目の丸い曲線が対比的に表われています。しかし、このような対照を表わしている作品であるにもかかわらず、対立の緊張感とか先鋭さは感じ取ることができません。それは、木版という素材によるものが原因していると思います。例えば、鋭い直線や曲線を均一に刻むのは難しいということでしょうか。この作品での線が素朴であるように鑑賞者の目に映るようになっていて、それが鋭さとか対照の緊張感を和らげているようです。それは、先ほど述べたこととは矛盾するようですが、木の表面が一様ではないので、版木を摺った黒い部分にムラがあって、それが却って人間臭さを見る者に感じさせています。この鋭くならないことによって、モダンでスタイリッシュな図案でありながら、それを徹底していないことで、温みのようなものとして受け容れ易くなる。イメージ的な言い方ですが、スタイリッシュという言い方からイメージされる先鋭性ではなくて、オシャレという言い方にある先進性と通俗性が綯い交ぜになったような、そのような雰囲気をつくり出していると、私には見えました。それが、恩地という作家のセンスであり、作品の肝ではないでしょうか。そのことは、恩地の作品のタイトルを追いかけていくと納得できるのではないかと思います。これまでに見た「めぐみのつゆ」「泪」それから「裸形のかなしみ」「抒情」といったような、およそ感傷的、自意識過剰、大げさなタイトルが並んでいます。そしてまた、流行の最先端のようなモダンで先鋭的なデザインと木版の温もり、そしてまた、タイトルの自意識過剰なセンチメンタリズム。それぞれが相容れない要素が混在して、というと格好良く聞こえますが、節操もなく、まるで流行を追い求めているような軽佻浮薄さが、そこには感じられます。今まで見てきている恩地の作品には、どこか浮ついた感じがしてなりません。


Onchinude_2 このことを、彼の生まれた時代背景とか状況で考えることを試みたいと思います。ここで、話を脱線させますが、恩地と少し世代がずれますが、ほぼ同じ空気を吸っていると思われる川端康成の『伊豆の踊り子』という小説をネタに考えていきたいと思います。この短編小説は登場人物である踊り子を時代の少女アイドルが演じて映画化されたことが何度もあり、一般によく知られている作品だと思います。しかし、この小説の主人公は踊り子ではなく、映画では踊り子の相手程度の位置づけにされている旧制一高の学生で、彼の一人語りの体裁となっています。かいつまんで粗筋を言えば、過剰な〈自意識〉に堪え切れずに伊豆の旅に出た一高生の「私」が、偶然に出会った旅芸人一行と共に旅する中で、社会的階級意識に起因する彼らへの偏見が無化され、肉親らしい愛情でつながり合った家族的共同体秩序の中に溶け込んでいき、純粋な幼さを失っていない踊子から「いい人」と思われることによって精神の健全さを自覚し、それまでの苦悩から解放されて素直に人々と関わり合えるようになる。そういう、言うなれば教養小説、悩める青年がさまようといった話です。

これは明治維新から始まった近代化政策が成熟期に達し、それに伴った社会の変化のなかで、人々の意識構造も当然変化していくことになります。その新しいあり方を体現していたのが明治の終わりに、生まれたときから近代化した環境に囲まれて育った、この主人公のような人々(川端も恩地も同じでしょう)です。彼らは、江戸時代以来の共同体的な人間関係の中で安定的に育まれはずの自己というものが、近代的な<都市>という従来の共同体文化を解体してしまった上に立った環境で育ちました。しかし、その一方で、人の意識はその変化に追いつくことができず、都市のような近代的になりえないため、時代環境に齟齬を抱き、そこに生じた葛藤を負うことになったのです。従来の家族や地域社会といった共同体は、彼らにとって安住できるものではなくなり、むしろ、そこから脱出すべきものと位置づけられていきます。それゆえ、彼ら自身としての個人は、共同体にいることができず、かといって近代的な自我を確立させ個人として独立することもできない。いうなれば、根無し草のような状況に置かれ、自己の拠り所を求めてさまよう。それが『伊豆の踊り子』の主人公の伊豆山中の彷徨であったといえるのではないかと思います。

ただし、このような悩みを抱えるというは贅沢でもあったわけです。『伊豆の踊り子』という作品では、このような悩みを抱えているのは主人公だけです。この小説は、主人公が踊り子と出会うことにより、癒され、自分の殻に閉じこもっていたのを、自己を開くように導かれていくというストーリーになっています。この主人公のような自己の殻に閉じこもるというのは、苦しいと感じる反面、甘美なものでもあるはずです。それがセンチメンタリズムというものの本質ではないかと思います。生活、もっというと生存の実体が伴わない机上で、小難しい概念とか知識をこねくりまわして堂々巡りに陥る、身も蓋もない言い方ですが、『伊豆の踊り子』の主人公の悩みを、この小説の彼以外の登場人物からは、そのようなしか映らないでしょう。

さて、ここで恩地の作品に戻ります。そこで、かなり短絡的な議論の進め方ではありますが(呆れられてしまいそうです)、恩地の作品の軽佻浮薄さは、上で紹介した『伊豆の踊り子』の主人公と同じような境遇から生まれてきたものではないか、と思われるのです。そして、恩地の作品を後世である現代の我々が受け容れて鑑賞しているのは、我々が、ここで紹介した大正期の根無し草の青年たちを引き継いで、現代でも同じようなあり方を続けているからに他ならないのではないか、と思われるからです。そして、恩地の作品のタイトルの大仰で自意識過剰なところは、ここにあるような心象のなかで、恩地や彼の周囲に漂う雰囲気に敏感に反応したものではないか、と私には思えてきます。ぶっちゃけて言えば、ウケ狙いです。それは悪いことではありませんが、後世の人が、そのタイトルのものものしさに、過剰な意味づけをしてしまう危険はあると思います。

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