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2016年3月24日 (木)

ウォーレン・バフェットの「株主への手紙」2015(14)

生産性と繁栄

前のところで、私はクラフトハインツで我々のパートナーがいかにして非効率から脱し、1時間当たりの労働効率を高めたなについて、お話しました。その種の改革は1776年のわが国建国以来、生活水準を顕著に向上させてきた秘けつです。残念ですが、“秘密”という言い方は適切です。生産性と繁栄との関連性を完璧に把握しているアメリカ人は、あまりに少ないのです。そのつながりを見るために、最初に、わが国の最も劇的な例である農業をみてみましょう。その後で、バークシャーの3つの領域を見ていただきます。

1900年のアメリカの民間労働者人口は2800万人を数えました。このうち全体の40%にもあたる1100万人が農業に従事していました。当時も、現在と同じように、主要な生産物はコーンでした。およそ9億エーカーの農地で生産が行なわれ、毎年1エーカーで30ブッシェル、総合計で27億ブッシェルの生産高でした。

それから、トラクターとひとつの改革が、植え付け、収穫、灌漑、施肥、種の品質のような農業生産性のキーポイントに革命をもたらしました。現在では、我々はおよそ8500万エーカーでコーンを生産しています。しかし、生産高は年間1エーカー当たり150ブッシェル、総合計で130~140億ブッシェル以上まで改善しました。農家はその他の生産物で同じような収穫を得るようになりました。

しかし、このような産出量の増加は物語の前半にすぎません。物理的な産出の莫大な増加は、農業労働者数(“人間の力”)の劇的な縮小を伴いました。今日、およそ300万人が農業に従事しています。それはわが国の労働者人口のわずか2%にすぎません。このように、改善された農業のやり方は、今日の何千人もの労働者が時間と才能を他の試みに費やし、現代のアメリカ人がそれ以外では不足している莫大な量の農業以外の生産物やサービスを享受できるようにする人的資源の再配分を実現させました。

115年以上の期間を振り返り、農業の革新がいかに有益であったかを理解することは簡単なことです。農業のみに限らず、より広く、私たちの社会全体においても、そうです。我々は、今日理解しているアメリカが生産性改善の動きの障害となってしまう何ものももっていません。(馬に選挙権がなかったのは幸いでした。)しかし、日常的には人よりもはるかに効率的に定型的な作業をこなしてしまう機械によって仕事を奪われてしまった農場労働者にとっては“さらなる収益”という言葉は虚しく聞こえたに違いありません。我々は、ここでお話している後半で、生産性向上の裏面についてお話していきます。

しかし、当面は、バークシャーの子会社の効率面で大きな効果のあった3つの話をしましょう。同じような変化はアメリカのビジネスではよくあることです。

 第2次世界大戦が終わって間もない1947年、アメリカの労働人口は4,400万人になりました。およそ135万人の労働者は鉄道会社で働いていました。その年の第一線の鉄道会社のトン-マイルの収益は総計で655億ドルになりました。

2014年までの間、これらの第一線の鉄道会社はトン-マイルの収益を182%増の1兆8500億ドルに伸ばし、一方で、労働者数は1947年から86%減らし、たったの187,000人しか雇用しなくなりました。(この変化の一部は旅客関係の従業員も関係していますが、大部分の労働力削減は貨物輸送関係で進められました。)この驚異的な生産性改善の結果、インフレ調整をした貨物輸送のトン-マイルに要する費用は1947年以降55%節減しました。その節減が運送業者には、毎年900億ドルの節約となって返ってきました。

別の驚くべき統計です。1947年と同じような貨物輸送を現在で行なうために人を雇わなければならないとすると、我々は今の仕事量をこなす300万人以上の鉄道員を必要とするでしょう。(もちろん、雇用水準は1ロットの貨物輸送料金を引き上げました。従って、今日の取扱量ほどには輸送されることはないでしょう)

我々のBNSFは1995年にバーリントン・ノーザンとサンタフェとの合併によってできた会社です。1996年の合併後の同社の最初の年間の事業は4億1100万トン-マイルの貨物を45,000人の従業員で輸送しました。昨年実績で、これと比較すると7億200万トン-マイル(71%増加)及び47,000人の従業員(たったの4%増加)でした。このような生産性の劇的な向上はオーナーにも輸送業者にとって利益を生むことになります。BNSFの安全性は同じように向上しました。1996年では、報告される程度の怪我は毎時20万人に2.04人の割合でしたが、50%以上下落して0.95人になりました。

 1世紀少し前に自動車が発明され、これに伴い自動車と運転者のための保険の事業が創設されました。当初、このビジネスは伝統的な保険代理店で火災保険の一種として取り扱われました。このような代理店によるやり方は高額の保険募集人への手数料のほか引受業務費を必要とし、その額は1ドル当たり約40¢の割り増しにのぼりました。地方の有力な代理店は、その時、複数の保険業者を代表し、手数料をめぐってその仲間に入らない業者に対抗して蹴落とすことによって、支配的地位にありました。カルテルのような価格設定が競争に勝ち、関係者の間ではうまく行っていました。ただし、顧客を除いては、です。

そして、何人かのアメリカ人の始めた工夫が成果をあげるようになりました。イリノイ州メマの農民であったGJミシェルは、たった一つの会社で保険商品を販売する保険販売のアイディアを考えつきました。彼の生んだ保険はステート・ファーム・ミューチュアルと名づけられました。この会社は手数料と経費を削減し、低価格を実現し、すぐにそれが強みになりました。何十年もの間、ステート・ファームは自動車と住宅保険の契約高トップを独走しました。オール・ステイトもまた直接契約の方法で事業をしていましたが、長いあいだ、二番手でした。ステート・ファームとオール・ステイトは、双方とも、およそ25%を引受費用にしていました。

1930年代はじめ、もうひとつの競争相手であるユナイテッド・サービス・アート・アソシエイション(USAA)は軍の将校を対象に直接顧客と自動車保険を契約しました。このような新しい販売方法は軍人が基地から基地へと転勤するので、かれらとともに移動できる保険を必要としていたため、販売を伸ばしました。それは定住者の毎回着実な契約更新を望んでいたローカルな保険代理店にとってほとんど対象外のビジネスでした。

USAAの直接契約という販売方法は、ステート・ファームやオール・ステイトが利益を得ていたよりも低コストだったので、顧客にはより大きな恩恵を与えました。USAAの従業員であるレオとリリアン・グッドウィンが軍隊の将校という範囲を超えて直接契約の販売方法の対象となる市場を拡大する夢を実現させました。1936年に10万ドルの資本から始めて、彼らは公務員向けの保険会社(後にGEICOに圧縮される)を吸収しました。

1937年の最初の1年間で、彼らの駆け出しは238,000ドルの自動車保険事業でした。昨年、GEICOはUSAAの契約額の2倍を越える226億ドルに伸ばしました。(早起きは三文の徳、人の振り見て我が振り直せ)2015年のGEICOの引受業務費用は割り増しの14.7%でした。(GEICOはUSAAと同じくらい効率的ですが、成長を促すことを目指した広告にかなりの費用をかけています)

GEICOが低コストであるからこそ可能となる価格優位性によって、数年前に、オール・ステイトから自動車保険の分野で第2位の地位を奪ったことは驚くべきことではありません。まだ契約額においては、はるか先を行っていますが、GEICOはステート・ファームに追い迫っています。2030年8月30日か私の100歳の誕生日ですが、そのとき、私はGEICOが首位になりかわったと発表する予定でいます。みなさんのカレンダーにマークしておいて頂きたいと思います。

GEICOは1,400万人の保険契約者へのサービスのためにおよそ34,000人を雇用しています。私は代理店方式の下で同程度の数の保険契約者へのサービスに必要な労働力を推測することだけはできます。しかし、私は少なくとも60,000人は必要になると思います。それは、保険会社が直接雇う人と保険代理店をサポートするために必要な人員を合わせた数です。

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