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2016年4月13日 (水)

リバプール美術館蔵 英国の夢 ラファエル前派展(5)~Ⅱ.古代世界を描いた画家たち(1)

前のコーナーがラファエル前派兄弟団の画家たちを中心とした展示だったようですが、それに対して唯美主義的な傾向を持った画家たちの作品の展示と、私は個人的に思いました。前のコーナーの画家たちが、当時の社会の動きの応じたような新しさを求めて、権威であったアカデミズムに反抗するように絵画を制作し始めましたが、教訓的だったり説話的であったりといったところが、経済発展に伴って生まれてきた消費社会や大衆社会の萌芽の風潮とはズレはじめて、新たな展開として、ここで展示されている画家たちが出てきたというように、考えています。
 ちょっと整理してみましょう。ヴィクトリア朝時代のイギリスは、新しいものの考え方が、経済のみに限らず社会、宗教、科学といったように様々な分野で醸成されました。他方では多くの古い通念が見直されていきました。その中で、人々の自らを見る視点が根本から変化していきました。その象徴的な例がダーウィンの進化論です。「種の起源」の中でダーウィンは人間の起源について、従来の宗教的な説明とは全く異なる科学的な説明を行なっています。それは、従来の宗教上の信念にたいする攻撃ともみなされ(何と言っても、人間はとくに神によって造られた特別な存在ではなく、猿の同類で動物と変わらないとされたわけですから)、当時の人々の間に混乱と狼狽を招きました。その結果として、知的・精神的な土台が崩れてしまうような空白感に囚われて戸惑う人々が現われ、そのような人々の中は、宗教の代替物として芸術を帰依の対象として捉える人々も出てきました。それが美の崇拝の機縁のひとつと言えます。同じ頃、他方では、ヴィクトリア朝文化を遍く特徴付けていた功利主義に対する反動がひろがっていました。発展・拡大する社会にあっては一人の人間にとっての有益な目的とは富を生み出すことであるとして、信念とか美などは取るに足らない絵空事だする人々が多かったのも事実です。しかし、それに対して、時代の苛酷な実利主義からの逃避として芸術の重要性にすがる人々も決して少なくありませんでした。そのような時代の変化の中で、画家たちは、例えば絵画の場合、記録を残し話を伝えるという伝統的な機能から脱皮し、それに代わり見る側の想像力に訴える方向に変わっていきました。画家たちは、潜在意識による暗示や連想といった方法によって観客を扱うすべを獲得し、作品全体の雰囲気に抽象性を持たせることで、心理的な反応を誘発することができるようになっていきました。その結果、愛と死、そして五感による経験といった、いわば存在の根源の部分を意識的に、あるいは識閾下で扱う主題を積極的に取り上げていくようになりました。
 River_preratadema1_2 その第一歩がラファエル前派だったというわけです。しかし、ラファエル前派のありのままに描くという方向は、見る側の想像力を刺激するものとしては不十分でした。また、ラファエル前派が主として取り上げた題材は盛期ルネサンス以前に還れという主張に沿った宗教的なものや中世イギリスの伝説などでした。これに対して、ギリシャ・ローマの古代社会は、キリスト教に代わってヨーロッパの正統性を証明するものでもありました。また、数多くの神話や伝説に彩られ、あまりに古く遠い時代であったことから、画家の自由な想像を働かせる余地も多く、古代の異教世界を建前としてうまく利用してヌードを作品に登場させて消費者の歓心を買うこともありえました。
 ローレンス・アルマ=タデマの「打ち明け話」という作品です。これは細かい。細密画という点では、初期のミレイにも負けません。ミレイの場合は平面的な空間構成の中で、細密に描かれた部分が存在を主張するようにして、画面から溢れ出るような錯覚を起こさせるのですが、このタデマの場合は、奥行きのある空間に細部がしかるべく収まっています。ですから、ミレイの場合と違って、描かれている個々のもの、この作品で言えば、左側の植木だったり、右手上方の棚に飾られた彫刻や小物、あるいは右下の椅子の脚の彫刻などが、それぞれ細密に描かれていますが、空間の中で位置関係と、それにふさわしい序列がつけられてきちんと配列されています。そこで、ミレイと違って安心して見ていられる。つまり、これだけ細密に描きこんであるのに、それが強迫的に迫ってこない。それがこの画家の特徴であり、広く受け容れられた要因ではないかと思います。二人の人物のうち右側の女性の髪の毛、巻き髪になっているところの細密描写などため息が出るほど細かいのですが、それは、前のコーナーで見たサンズの「トロイのヘレネ」の細かさのように見る者を圧倒するようにはなっていません。それは、これだけ細かく描きこまれているのにもかかわらず、人物の存在感が稀薄なのです。たとえば、二人の人物の表情はくっきりとは描かれず挿絵のように類型的で曖昧なのです。
 River_preratadema2 同じ画家の「テピダリウム」という作品です。女性の全身ヌードです。テピダリウムとは古代ローマの公衆浴場にあったサウナのようなところらしいです。解説によれば、作品のサイズが小さく、家の中でも、家族が集まる広間ではなく、紳士の喫煙室や書斎向けの高級家具の目的で制作されたのではないかと説明されています。とくに現代の私の目から見れば、浴室という設定は、かつてハリウッド映画でセシル・B・デミルという映画監督が古代を舞台にしたスペクタクル史劇で、観客の興味をひくために、わざわざ、このような浴室のシーンを入れて女優のヌードの場面を入れたことを想い起こさせます。すごく見せ方が似ているように思いますが、そこに、やはり生身の肉体のリアルな息吹を感じることはできません。ここで女性は身体の垢を落としているはずなのでしょうが、動きが感じられないのです。あえて言えば、人間の肌の色に彩色された彫刻とか、写実的な人形といった感じなのです。ただ、人肌の触感などは、大理石の台や敷かれている動物の毛皮との対比で巧みに表現されていますが。ここには、見られるものとしてヌード画像というのでしょうが、そこに何を感じるのかは、後は見る者が自身で想像することだということでしょう。そういうわけで、巧い画家であることは異論の余地はないのですが、私には、高品質の挿絵あるいはインテリアといった印象です。ここで、念のために申し添えておきますが、挿絵あるいはインテリアを芸術ではないとか、ヒエラルキーのなかで一段下とか、そのような見下したことを言っているわけではありません。実際、ルネサンスの名画といったってインテリアの目的で注文されたものだったわけですから、それが画家が描いたものを人々が見ていった結果、当初の範疇におさまりきれない何ものかがあって、それを芸術とでも名づけるしかない、言ってみれば、どうしようもないものがあったということでしょう。そのような、どうしようもないものが、この画家の作品からは感じ取ることができなかった。あるいは、そもそも、タデマという画家にそのような意図、意図がなくても描いているうちに無意識のうちにそうなってしまう業のようなもの、がなかったと、私には感じられたということです。

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