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2016年4月29日 (金)

スポーツはあそび?

「健全な肉体に健全な精神は宿る」とよく言われますが、その原典は古代ローマの諷刺詩人ユウェナリスの『風刺詩集』のなかにあり、内容は “健やかな身体に健やかな魂が願われるべきである”というものではないかと思います。わざわざそんなことを諷刺詩に書かれたのは、「健全な肉体に健全な精神は宿る」とほど遠い状況だったことがうかがわれるでしょう。
 このところ、オリンピックの候補選手やプロ・スポーツ選手といったトップ・アスリートの人たちの賭博とか大麻とか不祥事が相次いで発覚しました。そのことについて、社会的にも広く批判され、公的にも制裁ともいえる処分を受けました。国民の代表とか青少年の見本となるとかということのようだそうです。けれど、そもそも、スポーツ選手ってそんなに品行方正の優等生のようなものだったろうか、と私には引っかかります。スポーツは、そもそもは遊びで、楽しむものではないだろうか、と思うのです。スポーツをすることをプレイといい、けっしてワークとは言いません。遊びとは、きまりに則って粛々とやるようなものではなく、多少はきまりごとから離れる無軌道なところがあります。じっさいにサッカーのゲームを見ていると、頻繁に故意の反則を犯しています。イエローカードが出される光景がそうです。また、かつてのプロ野球の試合には乱闘がつきものでした。今とは時代が違うかもしれませんが、以前は、高校スポーツの強豪は多くの場合、勉強できる進学校などではなく、どっちかというと不良の集まるような学校だったものです。そういう荒々しい男たちがひたむきにストイックに身体を動かすところも、大きな魅力だったはずなのです。そういう中からこそ、ベーブ・ルースやマイク・タイソンのようなスーパー・スターも生まれた、と思うのです。
 どこか、ちょっとしたところでも間違いを許さないような、優等生でなければならないような雰囲気がありませんか。こんなところに、遊びとは正反対の、ある種の閉塞感にとらわれる思いがするのです。 

さらに、野球、サッカー、相撲、ゴルフといったプロ・スポーツのゲームや、ラグビー、バスケットボール、柔道などなど、様々な大会で震災の募金や支援イベントにプレイヤーが参加し、例えば、並んで募金をつのるとか、それを、あたかもスポーツの意義であるかのように報道(?)にとりあげられます。参加したプレイヤーは、震災に遭った人がいるところで、スポーツをする意義を真剣に語ったり(私には、語らされているようにも見えなくはないのです、しかし、あくまでも自発的)、プレイをすることで元気づけるとか感動してもらう、と彼等は真摯に語ります。それをインタビューする側も、感心してきくようなところが常態化しているように見えます。
 それは、誠実で、真剣なことではあるでしょう。しかし、これは私個人の感覚的なことで、バイアスがかかっているのだと思うのでしょうが、ちょっと退いてしまいたくなるとこもあります。そうすべきという、道義に名を借りた強制するような空気、自発が、当人が気がつかないうちに駆り立てられるようにエスカレートしてしまっている、そんなように見えたりします。当事者たちには、そんな意識はないと思いますが、そこにスポーツのあそびの面があるのか、とちょっと心配に思います。

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