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2016年5月16日 (月)

安田靫彦展(2)~第1章「歴史画に時代をあたえ、更に近代感覚を盛ることは難事である」

安田が14歳で小堀鞘音に入門してからの25年間の習作から初期の作品です。いったん写実に傾斜した画風が、古典芸術への共感の高まりと共に簡潔さを加え、やがて色や形、構図によって主題への解釈を自在に演出するものへと変容して行った。この25年間で、安田は歴史や芸術に関する教養と技術、それにも増して、正しい考証と主題解釈の独自性、近代的造形をあわせもつ、そんな歴史画のあるべき姿に対する新年であった。という説明が付されていました。
 最初のほうの展示は、器用なガキがお手本を上手に学びました(たしかに巧い)というたぐいでした。しかし、その画面は晩年の作品と並べても遜色はないものでした。一種の天才少年だったのか、逆に言えば、晩年になるまで、それほど変わっていない、キツイ言い方をすれば、著しい進化はなかったということにもなります。私には、そうも見えます。おっと、結果を急ぎすぎたかもしれません。ただ、私には、後年の個性が感じられない類型的な“日本画”然とした作品に比べて、少し枠をはみ出しているような作品がこの時期にあって、親しみ易かったのも事実です。
Yasudamoriya  「守屋大連」という作品です。守屋大連とは、物部守屋のことで古代の飛鳥王朝で仏教の伝来に反対し蘇我氏と対立した人物とされています。頑なな保守派としての人物の性格をも伝える現実感ある描写を安田当人は「余りにも写実表現が生すぎる」と自省したと説明されています。私には、今回の展示では、絵画として鑑賞の対象としてはもっとも分かりやすい作品でした。とりたてて頑なな性格が窺われるようには見えませんが、少なくとも、画面にいる3人の人物の顔のつくりが異なっている。何か当たり前のことのようですが、日本画を見ていると、あながちそうとも言えません。いままで、いわゆる日本画というジャンルの画家の展覧会のいくつかを見てきました。例えば、横山大観、下村観山、菱田春草、竹内栖鳳、速水御舟などといった人々ですが、一様に花鳥画や風景画はいいとしても、人物を描いたものはイラスト、挿絵、まんがと区別をすることが私には難しいものばかりでした。これは、イラスト、挿絵、まんがを貶めようという考えはありませんので、誤解のなきよう。これは、安田が主として描いた歴史画とは何かということにも関連することなので、そもそも歴史画とは何かということに遡って考えてみたいと思います。
 西洋絵画(へんな言い方ですが、便宜上日本画と区別するために)では歴史画は絵画のヒエラルキーでは最高位にあるものと近代絵画以前の17から9世紀のアカデミーと言われる権威では位置付けられていました。歴史画は神話や歴史上の場面を描いたもので、場合によっては宗教的なエピソードを教訓的に描いたものも含まれることもあります。この場合の宗教や神話の物語や歴史は様々な寓意や教訓を含み、崇高さや偉大さに満ちたものであるものとされました。これは、この当時の絵画の注文者が教会や君主、あるいは有力な貴族といった支配層で、歴史画の大きな作品を聖堂の壁面や城郭の大広間に飾ることによって、自身の出自の正統性や偉大さを広くアピールするための、一種の宣伝ツールとしての機能を担っていたものだったと考えられます。このような機能を考慮すれば、歴史画で重視される要素はどのようなものでしょうか。誤解を恐れず端的に言えば、人々が見て感心し畏れさせることではないかと思います。直接的な言い方をすれば、人々が感心して、その絵を飾っている支配層をあがめるように働きかける機能です。そのために、歴史画はどのように描かれるべきか、美術史の教科書のような著作では、画家の歴史的・宗教的知識・創造力・画面の構成力が必要という説明がされていますが、実際的な機能を考えると、見る人を感心させ、かしずかせるためには、人々からある程度の共感を得ることが必要であると思います。自分たちとは異質の人間離れした神さまとか精霊のような対象では、支配者としてリスペクトするよりは、自分たちとは無縁の関係ないものと突き放してしまうでしょう。そこで必要となってくるのは、リアリズムです。つまり、見る人が自分と同じような存在であるからこそ共感とかリスペクトといったような感情移入することができるわけで、歴史画の中の人物に、そのような感情を抱くためには、その人物がリアルであると想像できることが必要です。たとえば、怒っていたり、悲しんでいたり、苦悩していたりといった自分と同じような人間である人が、偉大な行為をしたからこそ尊敬の視線を送るようになるというわけです。だから、歴史画の中の人物は、人々の共感を誘う、リアルな存在感のあるように描かれることが必要です。このような歴史画の見方は私の個人的な独断で、一般性はないかもしれませんが、このような視点で、日本画というジャンルで制作されている歴史画を見ると、機能や目的が不明確で曖昧に見えてしまいます。へんな言い方かもしれませんか、西洋画に歴史画というヒエラルキーの高い絵画ジャンルがあるから、日本画でもやってみようと見よう見真似で描いてみた、と思えてしまうのです。しかし、実際に日本に歴史画を注文して、それを活用しようとする注文主がいたのか、むしろ、描く側の都合で、日本画でも歴史画を描くことができるという権威付け、箔付けのような動機で始められたのではないか、そのような妄想をしてしまうのですが、それは、この安田の諸作のそうなのですが、中途半端で曖昧な画面を見ていると、そう思うのです。
 回り道が長くなりましたが、「守屋大連」に戻りましょう。歴史画としてみた場合に、ここで描かれている人物が物部守屋であるとすぐに分かる人は、どれほどいるでしょうか。上目遣いでにらむ視線は険しく、眉間の皺も深く、どこか近寄り難い風貌すら見せている、と形容する人もいるようですが、何の先入観もなくみれば、皺深い、機嫌の悪そうな老人です。古代の飛鳥風の衣装を着て(綿密な考証をしているのでしょうが)、それらしい格好の人物が背後にいるので、昔の人なのだろうかという程度です。だいたい、物部守屋という人物を歴史の上でどれだけメジャーでエピソードや風貌が知れ渡っているのかはなはだ疑問です。だから、この絵を一目見て、歴史画かコスプレの肖像画か、その機能を見分けるのは易しいことではないでしょう。しかし、「守屋大連」というタイトルで、聖徳太子や蘇我氏と仏教の受け入れをめぐって対立し、その結果滅んだ物部守屋という人物が描かれていると分かった途端に、ここで描かれている老人はストーリーを紡ぎ始めます。西洋画の宗教画や歴史画は文字を読めない人々にもエピソードを伝える啓蒙や宣伝の機能を果たすものでしたが、このように見れば、この「守屋大連」は文字を読めるという最低限の教養があって物部守屋という歴史上の人物を知っている人が鑑賞し味わうことができるものであるわけです。つまり、絵画として自身で完結していないのです。これは、安田の指向とか技量に責任を負わせるものではなくて、そもそも日本画の歴史画というのが、そのような性格を元来背負わされていたもので、その中で誠実に作品を制作しようとして、安田の絵画がこのような性格になってしまっていたといえるのではないかと思います。つまり、安田の作品は絵画という完結した作品から、どんどんずれていくのです。この後の安田の制作の軌跡を見ていくと、私にはそう思えるのです。
Yasudataisi1  「夢殿」という作品を見ていきましょう。安田は「守屋大連」を制作した後、結核を患い療養生活を強いられます。その間に古典を研究し、その結果「守屋大連」の過度な写実から古典的な手法への揺れ戻しがあって、この「夢殿」を制作し、高い評価を得たと説明されています。安田はこの作品について、“聖徳太子が「法華経義疏」をあらわしている時に難渋して夢殿にこもって瞑想にふけっていると、金色に輝く聖僧があらわれ、教えをさずけたという伝説による”と記していると説明されていました。画面右側の三人の僧が、聖僧ということになるでしょうか。では左側の女性たちは何なのでしょうか。それについては、安田は必ずしも伝説に忠実ではなく、それを説明的に描いたのではなく、それにヒントを得てモティーフを膨らませた。つまり、さまざまな奇跡に彩られた聖徳太子という宗教的人格を、奇跡の現場となった夢殿とともに象徴的に描いたと解説されています。
 Yasudataisi2 この「夢殿」を描く際には、安田は制作する作品が自立し完結した作品とならないことを自覚していたのではないかと思います。それがゆえに、「守屋大連」のような中途半端な写実を放棄して(写実からの飛躍とか解説されていましたが)、絵画ではない方向に意識的に進もうとしたのではないかと、思いたくなります。この作品を見てみると、例えば、聖徳太子の描き方です。「守屋大連」のような描き込みはされず、スッキリとした描かれ方ですが、聖徳太子と分かります。それは、ある程度の知識のある人であれば聖徳太子であると分かる、聖徳太子のキャラクターの約束事に沿って描かれているからです。具体的に言えば、法隆寺に伝えられていたといわれ、今なら日本史の教科書に載せられている聖徳太子のカットに似せて描かれているからです。中心の聖徳太子がそうであると分かれば、彼を取り囲む人たちは、別に特定の人物である必要はなく、僧侶とか女官のコスチュームを被せて配置すればいいわけです。これは、マンガのキャラクターの描き方に通じるような、登場人物を記号にように一種の約束事として作者と読者との間で共有することに似ていると思います。さきに述べたように歴史画が、歴史の偉大なエピソードを描くとすれば、その偉大さとは何らかのアクション、つまり行為を行なった結果としてもたらされたものです。その行為が偉大であるということは、ひいてはその行為を行なったヒーロー(人物)が他の人にはない偉大さがあったからです。ということは、その人物が他の人にはない、つまり、個性と言ってもいいでしょう、がはっきりわかる、そして、その個性を持った偉大な人物が目の前に生き生きと再現される。そのような人物の存在感とか個性が再現されるには、他の人物と並べて違いを際立たせるのが効果的です。歴史に限らず、ドラマは人と人との関係から生まれます。そういう意味でも、個性のある人物が画面にあって、相互の関係からドラマが生まれるというのが、歴史画のひとつの手法ではあると思います。しかし、この「夢殿」では主人公である聖徳太子はステレオタイプのマンガのキャラクターで、他の人物はノッペリとしたコピーアンド・ペーストのようなその他大勢で、コスチュームプレイのように扮装でそれと分かるというだけの一種の背景です。
 しかし、この「夢殿」が描かれた1912年、文展に出されたということで、この作品のニーズやマーケット状況(誰に、どのような人に向けて制作されたか)を考えてみると、まず文展というコンクール向けに描かれたということから、コンクールの審査をする人々、当時の日本画壇の権威筋の人々が果たして、西洋の歴史画をよしとする人々であったのかというのが考えられます。おそらく、上に述べたような歴史画を認めてしまうと、自分たちの描いている作品を否定することにもなりかねないでしょう。また、さらに、当時の日本での歴史画のニーズを考えてみると、この「夢殿」のような作品が、うまく合致するものであったのではないかと思えるのです。当時の日本画に歴史画のニーズはあったと思います。それは、日本という国の立脚点を明らかにし、現在を正統化し、国威を発揚する、さらに国内外に日本をアピールするというニーズです。それは、特定の支配者や有力貴族の家系の偉大さをアピールし、その支配を正統化するというのは、ちょっと違います。後者であれば、他の者や民衆とは違って、支配者を特別なものと際立たせるという違いを強調するものです。これに対して、前者の場合には、国威発揚ということで、ふつうの庶民も含めて、みんなで一体化して盛り上げて国を発展させていくという、違いではなくて、共通性を強調するものとなるはずです。つまり、「夢殿」で、もし聖徳太子が偉大な個性を強烈に放つ人物としてリアルに描かれていたとすれば、そこに反発を感じる人も当然出てくるでしょう。それは、支配者として遠目に崇めるのであれば、それでもいいかもしれません。しかし、そこでみんなで共有して一体感を持たせるには邪魔になってきます。そこでは、むしろ透明でも、シンボルのようなほうがみんなで共有し易いのです。みんなが知っているステレオタイプのイメージを壊さずに、むしろ、観る者がイメージをふくらみやすくしてあげれば、そこに人々は自分たちのものがたりを加えていって、作品の印象が豊かになっていきます。「夢殿」の画面は、その邪魔をしないように具体的で生々しいもの、観る者の個人とか自立を求めるような、孤独に作品と対峙させられるような要素は用心深く排除されています。
 Yasudaume しかし、「夢殿」が上で述べたような機能を果たすことできるものであるならば、それは絵画と言えるでしょうか。そこに、私は安田の作品に一貫して、絵画からズレを感じるのです。安田自身、そのことを意識していたのではないかと、私は妄想しているのです。
 ちょっとした息抜きではないですが「羅浮仙」という作品を見てみましょう。梅ノ木の精だそうです。「羅浮仙」というのは中国の隋の時代に、趙師雄という人が羅浮仙の料亭で、羅の衣をまとい梅の香りを漂わせた美女に誘われ酒を酌み交わし、酔いつぶれて寝てしまったのですが、夜が明けると梅香る樹のもとで目覚め美女はいなかったのですが、実は美人は梅の精であったというお話です。これでもかというほど、いっぱいに咲き誇るような白梅と縦横に枝が延びる、まるで唐草模様のような背景に細面の美女(?)がこちらを向いて立っている。これが美女といえるのか分かりませんが、おそらく浮世絵の美人とかマンガの美少女のようなこう描くと美人というお約束を充たして、あとは背景とかコスチューに趣向を凝らして異彩を放っているのではないかと思います。主催者あいさつの中で安田の特徴として述べられていた「美しい線」、「澄んだ色彩」、「無駄のない構図」というのは、このようなところで魅力的に発揮されているのではないかと思いました。なお、この三つの特長については、後で少しずつ具体的に触れていくことになると思います。

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