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2016年5月25日 (水)

ジャズを聴く(32)~ソニー・クラーク「ソニー・クラーク・トリオ(ブルーノート盤)」

麻薬が寿命を大幅に短くしてしまったが、その短い人生でも、ソニー・クラークはバド・パウエルの系統に位置するバップ・ピアニストの中でも最高の一人だった。50年代前半、彼はサンフランシスコでヴィド・ムッソやオスカー・ペティフォードとプレイし、ロサンゼルスに居を定めるとテディ・チャールスと最初のレコーディングを行い、その後1953~56年、バディ・デ・フランコのカルテットに加わった。彼のバディ・デ・フランコとの録音はモザイク・レコードから豪華限定盤のボックスセットで再発されている。同じ時期に、彼はソニー・クリス、フランク・ロソリーノとライトハウス・オールスターズともプレイしている。1957年にはニュー・ヨークに移り、ブルー・ノート・レコードの専属となった。そこで数枚のリーダー・アルバム(1957年の1年間だけで「Dial S for Sonny」「Cool Struttin'」「Sonny's Crib」の3タイトル)を録音し、ソニー・ロリンズ、ハンク・モブレー、カーティス・フラーやその他のたくさんのミュージシャンたちのサイド・マンとしてプレイした。享年31歳という早すぎる死はジャズにとり大きな損失となった。  

Sonny Clark Trio   1957年10月13日録音

Jazclark_bluenote Be-Bop
 I Didn't Know What Time It Was
 Two Bass Hit
 Tadd's Delight
 Softly as in a Morning Sunshine
 I'll Remember April 

Sonny Clark (p)
 Paul Chambers (b)
 Philly Joe Jones (ds) 

同じタイトルで2枚のアルバムを別々にリリースされている中で、こちらは早い時期の録音のブルー・ノート盤と呼ばれて区別されている。どちらのアルバムもアップ・テンポのナンバーが多く、最初の「Be-Bop」ではハイ・スピードで疾走している。ソニー・クラークに対する世評で、よく引き合いに出される“後ろ髪を引かれる”ということから連想される、しっとりとしたとかしみじみとしたというイメージを期待すると、裏切られることになる。ただし、同じタイトルのもうひとつのアルバム(タイム盤)に比べると多少は、その感じがあるかもしれない。ソニー・クラークのアルバムでピアノ・トリオの編成で演っているのは「ソニー・クラーク・トリオ」のタイトルの2作品くらいで、あとは彼のリーダーアルバムといってもホーン奏者との協演になるので、ピアノは傍役になりがちで、ソニー・クラークはそんな時に強引に出しゃばるようなことはしない。だから、ピアノが主役で通せる、この作品では満を持してパリバリ演っているのだろう。無理もないことだ。しかし、ここではフィリー・ジョー・ジョーンズのドラム、とくにシンバルが、時にピアノ以上に聞こえてくる。パワフルな金属音だけではなく、単調なようでいて、繊細にソニー・クラークのピアノに反応し、かといって反応しすぎていないところもツボなのだ。そういうところから、クラークというピアニストは、自身のプレイに突っ走る人ではなく、演奏の全体を見渡しながら自分の居場所を見つけていくタイプのピアニストであることが、この作品ではよく表われている。そこで、彼におけるピアノの深いタッチや独特のタイミング、重量感はあるものの角のとれた丸い感じの音で端正に弾かれるのは、演奏全体が安定して成り立っていることで生きてくる、そのような設計をして演奏を組み立てていることが、このアルバムを聴くとよく分かる。
 最初の「ビ・バップ」は曲名からしてもハードに疾走するナンバーだ。最初のテーマもそこそこに、すぐにアドリブを始めると、クラークのピアノはシングルトーンによる、まるで1歩の線が続くようなうねうねとフレーズを紡いでいく。それもハイスピードでテンションの高さを保ったまま。それが約7分間続けられる。その間、ソロの交代も3人のトゥッティのような変化もつけず、ひたすらクラークのピアノ、バックでドラム、とくにシンバルが目立つ煽りをしているが。同じ、バップのピアニストであるバド・パウエルであれば、パウエルは、まさに、目の前で音楽が生まれてくる瞬間に立ち会うような生々しい、切れば鮮血が吹き出すような新鮮な体験をさせてくれる稀有なピアニストだが、その演奏は閃光のようなもので、長時間にわたり付き合える代物ではない。鮮度というのは急速に落ちるものなのだ。クラークの場合は、ピアノ一本のアドリブ勝負で7分間という時間にもかかわらず聴く者を離さない。それはもう、パウエルの新鮮さでは太刀打ちできないものだ。これは、おそらく、パウエルといった人々が創った世界を、クラークは創られたものとして受け継いだというスタンスに違いによるものだ。つまり、生まれた音楽をいかに続けるかという段階にクラークはいる。それがパウエルとの違いだ。だから、クラークのプレイには、この先がどうなるか分からないといったスリルは感じられない。その代わりに、そのプレイそのものを魅力あるものにして、人々が聴いていたいと感じさせるようなプレイをするようなスタイルを選択するようになってきているのだ。それが端的に表われているのが、ピアノのタッチの違いだ。ともすれば、単調になりがちなシングル・トーンのアドリブの長いソロは、クラークは独特のタッチで支えている。クラークは、独特のリズムのノリで聴く者を引き込んでもいく。そして、終盤、ベースソロからにわかに曲想が変化しトリオの競演となり、ドラムソロへとつながり、全員でバトルのような火花散る疾走から鬼気迫るエンディングをむかえる。3曲目の「トゥー・ベース・ヒット」、次の「タッズ・ディライト」といったアップ・テンポのバップ・チューンでクラークはバリバリに弾いているが、ドラムあるいはベースが主導権を持って引っ張っている感じだ。しかし、それはクラークが彼らに演らせている感じだ。そこに、トリオとしてまとまりで演奏をつくっていく意識が前に出ていることが分かる。クラークのタッチとかノリといったことは、このことの一環としてあると思う。
 有名な「朝日のようにさわやかに」になるとテンポがぐっと落ちる。この演奏については各処で様々なコメントがある有名な演奏のようなので、今更付言する気はない。むしろ、折角アグレッシブに進んできた勢いが、この曲で止まってしまうので、このアルバムに入れなくても良かったのではないか、と個人的に思っている。

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