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2016年5月17日 (火)

安田靫彦展(3)~第2章「えらい前人の仕事には、芸術の生命を支配する法則が示されている」

大正末から1940年までの壮年期の作品が集められたコーナーです。この時期の安田は精力的に制作に打ち込み、古典に学んだ、端正な線描、図と余白による緊密な構成、そして明澄な色彩による画風を確立したと説明されています。
Yasudawind  「風神雷神図」を見ていきましょう。二曲一双の屏風であること、それぞれの屏風に風神と雷神をひとりずつ配置していること、それに背景には墨のたらしこみで雲を描いていることから、安田はこの作品で、俵屋宗達や尾形光琳の風神雷神図を意識して描いていることが分かると解説されています。しかし、安田と二人の作品の風神雷神の姿はかなり違います。安田の作品では“はつらつとした若者の姿”で描かれていて、それは安田自身が“「鬼になる前」の二神の姿を描いた”と語っていると解説されていました。鬼になる前の姿とは、風神雷神として日本に伝わってくる以前の西方での原形であるとされるギリシャのアネモス、メソポタミアのエンリルの姿を参考にしたそうです。また、二神の両手を広げすっくと伸ばした姿などは興福寺の阿修羅像を参考にしているように見える、また肥満のなくよどみのない線描は水墨画の強弱のはっきりした線描とは異なる法隆寺金銅壁画でみられる鉄線描であるとも解説されています。このように安田は、写実というところから古典を勉強し、それを自身の様式に取り入れて作品を制作していったようです。
Yasudawind2  という解説はもっともらしいのですが、そういう解説をいったん忘れて、この「風神雷神図」を眺めてみると、変な感じがしませんか。正直に言うと、笑っちゃいますというほどヘンテコリンな印象なのです、ホント…。と冗談のように申し上げましたが。それは、上の解説で取り上げられていた俵屋宗達や尾形光琳の作品とあまりにかけ離れているからかもしれません。とは言っても、安田本人は受け狙いなどという意図はないでしょうし、戦略的にパロディとして制作したなどということもあり得ないでしょう。おそらく、解説にもあるように生真面目に勉強して、精進した結果なのでしょう。それは、俵屋宗達や尾形光琳の極彩色の氾濫のような色彩でつくられているような風神雷神に対して、スッキリというか、あっけないほどさっぱりとした二神を線描でやって、その線が鉄線描というのでしょうか、一定の太さで持続して伸びていて、強靭な感じがするのと、輪郭線というと黒い墨で引かれているのに、そうではなくて色の線となっている、つまり、単なる輪郭という機能ではなく、線で画面をつくっていることを明確に打ち出していて、それだから色塗りを抑制していることがハッキリしている。おそらく、安田の線の美しさというのは、そういうところにあるのではないかと思います。そういうことがちゃんと分かるように描かれているからこそ、真面目な(?)作品であることが分かるのです。たまに、コメディ映画で本人が大真面目で行動しているのに、傍から眺めていると可笑しくて仕方がないというキャラクターをみることがありますが、この作品も、おそらく、その類が当てはまるのかもしれません。
 私が、風神雷神図といって俵屋宗達や尾形光琳の作品を思い出すからというわけではなく、おそらく、安田の風神雷神図を見る人、例えば、この作品は院展に出されたということですから、私以上に先行する著名な作品を知悉している人々に見られることを想定できたと思います。絵画を見るということ、とくに歴史画のような過去に著名な同種の作品が存在している絵画を見る場合には、どうしたってその情報をあらかじめもって、作品に当たることが多くなります。制作する画家のほうでも、当然、過去の作品を参考として参照しているはずです。しかし、それは参考とする程度で、少なくとも、作品自体は独立していて、過去の作品の情報をまったく持ち合わせいなくても、作品を鑑賞することに差し障りはないことになっています。これに対して、私が安田の「風神雷神図」を見てヘンテコリンと思い、思わず吹き出しそうになったのは、先行する俵屋宗達や尾形光琳の作品と比べての上のことではないかと思います。比べると、どこか脱力系のようにも見えてきてしまうのです。前のところで、安田の作品は独立して完結したものを志向していないと述べましたが、例えば、歌舞伎でいう「世界」ということに近いのではないかと思います。歌舞伎の主要な演目は歴史的な事件や英雄譚がベースになっていますが、歌舞伎の舞台の上では実際の歴史の事実と一致しているとは限りません。例えば「義経千本桜」では平知盛や安徳天皇は壇ノ浦で死んでいないことになっています。その上で舞台は進んで行きます。それが歌舞伎の「世界」なのです。そして、歌舞伎の様々な演目は、その「世界」の上にたってサイドストーリーが創作それ、豊かなレパートリーが広がっていったのです。例えば、忠臣蔵から派生して「お軽勘平」が独立して演じられたり、まるで関係ないように見える「東海道四谷怪談」は、忠臣蔵の登場人物が他の場面に遭遇したらどうなのか、あるいは登場人物の有している特徴の一部を入れ替えたら話の展開が変わってしまうか、といったことが話が面白い方向(客に受ける方向)に脱線を繰り返した結果生まれてきたサイドストーリーと言えます。これは、現代で言えば、マンガやアニメの登場人物をつかってパロディ的にサイドストーリーを受け手が二次創作して同人誌を作って、それがそれなりに受けてしまうのに似ていると思います。しかし、それらは、いかに面白いものであっても、もとの原作あって初めて可能になったものなのです。安田の「風神雷神図」についても、この作品だけで独立し完結した作品として、仮に俵屋宗達や尾形光琳の作品が制作されなかったとして、存在し得るかという、それは難しいと思います。前のコーナーで見た「夢殿」もそうなのですが、安田は聖徳太子や風神雷神の姿を、先行する著名な例がステレオタイプとして定着していることを利用して、それをみんなが知っているということに対して、その先入観に逆らうことをせずに、しかし、そこにちょっとしたズレを生んだ画像をつくりだします。それを見る人は、安心して聖徳太子や風神雷神の姿を確認できるのですが、何か違うという感じ、そこに異化作用を生んでいく、そこに安田の作品の特徴があるのではないかと思います。
Yasudasyoubu_2  「菖蒲」という作品です。菖蒲だけを軸の中で大きくクローズアップし、たらしこみの技法で描ききった作品ということです。このような作品を見ていると、上手い画家であることがよく分かります。こんなに上手い画家が人物の描写となると、どうしてマンガやイラストのような扁平なパターンに域を出ることができないのか、不思議でなりません。それは、今の視点で言えることなのかもしれませんが、「風神雷神図」と比べると、違う画家が二人いるように、思えてしまいます。だからこそ、安田の人物を対象とした作品は、まわりくどいほどの屈折を経てしまうのでしょうか。私が、変わっているのかもしれませんが、そうでもしないと、人物を描いた絵画として見ることができないのです。

Yasudalady_2  「花づと」という作品です。歴史上の人物とか神話伝説のキャラクターではない人物を描いた作品です。このような先行する作例のない場合に、前に見た「守屋大連」もそうなのですが、この他にも横山大観や山本五十六を描いた作品などもそうです、安田は軛から解き放たれたかのように精緻な線と彩色で人物を描こうとします。ここにもまた、「夢殿」や「風神雷神図」とは別の安田がいるかのようです。この作品でも、パターンの枠内ではあるものの、顔についても瞳をちゃんと描いていますし、表情をつけようという意図は感じられます(ちょっと不気味な感じはしますが)。つまり、感情をもった個人としての人格を、外形だけでも描こうとしている。細身ではあるけれど、ちゃんと人間の骨格をそなえた人体となっています。少なくとも、同じ顔のパターンで首から下は着せ替え人形のように取り替えひっかえして作品を量産する、いわゆる美人画の日本画家たちの作品に比べ、絵画になっていると思います。私が絵画を見る場合には、日本画だからどうとか油絵だからどうとか、あまり区別しません。ジャンルの違いによる特徴を無視するわけではありませんが、とくに日本画というのは、明治政府の富国強兵政策のなかで、欧米列強に文化的に対抗すべく、欧米の土俵に立った上で自国の優位性や独自性をアピールしていくものであったと思います。だから、そもそも西洋絵画の尺度に乗っていると考えていいわけです。そのような出自を考えれば、西洋絵画の視点で見られることは、当時の日本画というジャンルを創出した人々、つまりフェロノサや岡倉天心たちは意図的だったと考えられます。その岡倉の弟子筋にあたる安田にも、その自覚は少なからずあったと思います。だから、私の述べていることは、あながち的外れとは言えないのではないか。手前味噌ですが、まっ、私の個人的好みであることに、屁理屈をつけてもしょうがないと思いますが。
 この展覧会で、人物を描いた作品が数多く展示されていましたが、私には、チラシに引用されている大作などよりも、この作品のほかいくつかが、親しみ易い作品でした。
 Yasudasonsi 「孫子勒姫兵」を見ていきましょう。『史記』り「呉越列伝」の中の次のエピソードを描いたということです。戦国春秋時代の呉王が兵法家の孫武の力量を試そうと、後宮の女たちを集めて指揮を執れと命じた。孫武は、寵姫を筆頭にした180人を庭に集め、二つの隊に分け、王の寵姫を隊長に据えた。しかし後宮の女たちは、王の戯言、遊びごとの延長だと思って、孫武が軍律を五度繰り返しても、どっと笑うばかりで命令に従わなかった。これに対し孫武は「兵が軍律に従わぬのは、隊長の咎である」と2人の首をはねて女たちに見せてまわった。
 右にいるのが孫子で、左には目を奪われるほど鮮やかな赤と白の衣装をつけた宮廷に使える女たちが7人描かれています。孫子は剣を抜き、手に槍を持った宮女たちと一戦交える構えです。女たちは白い衣装の裾は足を踏ん張っているため、左右に広がり、孫子のグレイの衣装も激しい動きで横になびいています。しかし、女たちはよそ見をしたり、槍を構えていない人(左端の二人)もいます。そこで、長い帯を腰につけている二人の隊長を切り殺そうとする場面ということだそうです。
 この題材については、著名な先行作品は私には寡聞にして思い至りません。試しに、ネットで検索してみましたが、ひっかかってきませんでした。といわけで、この作品では、そういうものがなかったのでしょうか。解説では中国の彫刻の孫子の姿を参考にしたとありますが、それは日本の人々の知るところではないでしょう。しかし、ここで、安田は「夢殿」などのようなパターンに倣ったスタイルで描いています。ここでは、先行作品がなかったにもかかわらず、あたかもあったかのように、かわば架空の先行作品を想像させるように作品を制作していると言えます。ストレートに異化を起こせないので、その前段階を虚構的に作り出して、そこから異化を起こさせるという手の込んだことをしてします。例えば、背景が全く描かれていません。ちゃんと『史記』のエピソードを描くのであれば、宮殿の中庭か何かで、建物をバックに玉座で皇帝が見ているところが描かれていなければなりません。それを敢えて省略してしまっているのは、見る者に対して、みなさんご存知のことのはずなので省略しましょう、というポーズではないかと思います。そこで、先行作品があり、見るものはそれを知っている振りをしているわけです。しかし、おそらく、この作品を見る人のなかで『史記』の孫子のエピソードを知っている人はほとんどいないと思いますので、それをタイトルや前評判の解説などを駆使して、事前の手配を考えたのではないかと思います。その点で、絵画作品だけでなく、作品周辺の情報の拡散なんかも含めて関連事項なども、この作品の中に含まれることになるのではないかと思います。安田の作品は、そのようなことを意図していたのではないか、と私は思います。
 このように考えていくと、安田の作品というのは、絵画作品という物に対する、近代主義的な共通認識とは少しズレてくるのではないだろうか、と思います。

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