無料ブログはココログ

« ジャズを聴く(34)~ソニー・クラーク「ダイアル“S”フォー・ソニー」 | トップページ | ジョルジョ・モランディ展~終わりなき変奏(1) »

2016年5月28日 (土)

ジャズを聴く(35)~ソニー・クラーク「ソニーズ・クリブ」

Jazclark_crib With A Song In My Heart
Speak Low
Come Rain Or Come Shine
Sonny's Crib
New For Lulu 

Sonny Clark (p)
 Paul Chambers (b)
Art Taylor (ds)
Donald Byrd (tp)
John Coltrane (ts)
Curtis Fuller (tb) 

1957年9月1日録音
 ソニー・クラークのリーダー・アルバムとしては「ダイアル・S・フォー・ソニー」に続く2作目。前作では3人のホーン奏者が参加し、クラークのリーダー・アルバムとは言ってもホーン奏者がフロントで活躍するというセクステットの録音というべきだった。だから、クラーク個人の個性というよりは、他の3人の個性とあわさって特徴がでていたといえる。このアルバムも、編成は同じで、クラークの性格からいって、同じような結果となっている。ただし、メンバーが異なっているので、前作とは印象が、かなり違う。その大きな要因が、テナー・サックスがジョン・コルトレーンが参加している点だろう。コルトレーンは、自身が後に語った“神の啓示”を受けた直後であり、この録音の数日後に「ブルー・トレイン」を録音している。つまり、伸び盛りの精力に満ち溢れていた時期にあたる。また、トランペットのドナルド・バードもクリフォード・ブラウン亡き後のハード・バップのトランペットとして期待を集めていたころ。つまり、「ダイアル・S・フォー・ソニー」でのハンク・モブレーやアート・ペッパーの地味でしっとりに対して、「ソニーズ・クリブ」でのコルトレーンとバードはバリバリだった。要するに、若い血潮が漲っているということだ。しかし、ややもすると若さゆえに暴走が止まらなくなり、単なるプロウ合戦に終わってしまうおそれもあった。これは、リーダーとなっているクラークの手腕によるのか、彼それこそが彼の個性なのか、ホーンの3人が抑え気味にベストを尽くしたものとなっている。具体的には、アレンジの妙や全体の統一感を求めた結果として素晴らしい演奏になっている。ソニー・クラークというピアニストは、作曲もするということもあり、自身がソロで華やかにピアノを弾くというタイプではなく、ホーン奏者をまじえて、彼らに自由にプレイをさせつつ、全体の演奏を設計したり、バッキングなどでコントロールすることに、より適性があった人ではないかと思えてくる。とくに、このアルバムでのクラークのピアノは、それほど聞こえてこない。著名な「クール・ストラッティン」の場合にも、このような特徴を見ることができる。
 1曲目「ウィズ・ア・ソング・イン・マイ・ハート(心に歌を)」。何のイントロもなく、最初からバードのトランペットが高らかなファンファーレのように軽快にテーマを提示すると、他の2管が絡むようにやり取りを少しやってからアドリブに、バードはハイ・テンポで短いフレーズを積み上げていく、次いでコルトレーンのソロは、そのテンションを高めるように、さらに細かいフレーズをハイ・スピードで繰り出し、時に意外なメロディを挟み込む、トロンボーンのソロで少し落ち着き、次のクラークのピアノは、歯切れはいいのだが、バードやコルトレーンのハイ・テンションほどではなく、最後の管の絡みでテーマに戻り、テンションが高まったところで終わる。全体として、クラークのバッキングは、他のリズム・セクションと共に堅実にリズムを刻んでいるというところ。
 最初の3曲はスタンダード・ナンバーでテーマはおなじみということなのだろうが、「スピーク・ロウ」のテーマは聴き易いメロディ。これをコルトレーンが提示し、ソロになだれ込んでいくという感じ。テンポは一段落ちてミディアムだけれど、これとレーンのアドリブの後年のカーペット・サウンドと評された、細かい音で埋め尽くすようなものではなくて、けっこうメロディックで歌っている。それに引っ張られるように他の管も高いテンションでメロディックなアドリブの応酬。
 後半の2曲がクラークのオリジナルで、「ソニーズ・クリブ」。冒頭の、ジャズではないけれど、イギリスの60年代ビート・グループのアニマルズの「ブーン・ブーン」に良く似た、さぁこれから、行くぜ!!みたいなスタート合図のような短いふれーずから、コルトレーンのソロに入るとテンポが加速し、そこが、ちょっとしたテーマとのギャップもないわけではないけれど、コルトレーンはお構いなしに突っ切るというところ、一人おいてバードトランペットもコルトレーンと競っている。
 最後の「ニョー・フォー・ルル」は、「クール・ストラッティン」の2曲目「ブルー・マイナー」に似ているという評もあるようだけれど、コルトレーンの元気さは、ここでも引っ張っていて、「ブルー・マイナー」の雰囲気とは異質な感じがする。この曲では、ソロがクラークから始まり、短いがクラーク自身の主導したプレイがここで聴ける。それでも、全体はコルトレーンとバードのプレイが目立つアルバムであり、クラークのピアノは、バックに隠れていて、印象的なフレーズを繰り出してもこないので、よほどピアノを聴くのに集中しないと聞こえてこない。ただし、全体のまとまりは、クラークによるところのようなので、クラークのそういうところを聞くアルバムと言えるかもしれない。

« ジャズを聴く(34)~ソニー・クラーク「ダイアル“S”フォー・ソニー」 | トップページ | ジョルジョ・モランディ展~終わりなき変奏(1) »

音楽」カテゴリの記事

コメント

ソニークラークを検索していきつきました。
これだけ詳しい分析はお目にかかれません。たいへんに勉強になりました。
わたしはタッチは強いというよりも力まずさらっとした感じに聞こえるのですが、感じ方はいろいろあるなあと思いました。
パウエルとの比較論や、無理にクライマックスを作ろうとあおらないなど大いに納得のいくお話でした。
小川隆夫さんの本でジャズマンがソニークラークを語ったものでなるほどと思ったのは(ご存知かもしれませんが)カーティス フラーが
親しかった。若くして亡くなってさびしい。温和で付き合いやすく演奏も作曲も難しいことはやらず素直。それでいて飽きがこない。タッチに気持ちを込めているのでフレーズが生きる。持ち前のブル―ジ―なタッチやフレージングが良好な形で表現されている。

というものでした。
ゆっくりと美術なども読ませていただきます。

大橋さん、コメントありがとうございました。分析というよりも、聴いたままを、いかに聴いたかを記述しようとして、うまく言葉が見つからず、文章が長くなってしまうので、くわしく見えるのかもしれません。今後とも、お付き合いいただければ、幸いです。

お返事ありがとうございました。
こちらこそ今後ともよろしくお願いします。

わたしは日本画家では山口華楊、山口逢春がとくに好きです。
安田靫彦の歴史画も素晴らしいと思います。
しかし人物が滑稽味というかコミカルにみえるものもあるという
(わたしの読み取り方ですが)ご指摘もなるほどと感じました。

大橋さん、さっそく、リアクションいただき、ありがとうございました。日本画もお好きなのですね。安田さんのことはよく分からず、展覧会に行きましたが、正直な感想は難解であるということで、なんとか分かろうとして悪戦苦闘した跡がブログの記事です。果たして、これが絵画なのか?それが分からずヘンテコリンに見えた、ということで、今もっても、それがどのように見えるのかという評価のようなことを言えないでいまます。
よろしければ、プロフィールのページにメールアドレスやfacebookのページも公開していますので、そちらにお送りいただいても

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: ジャズを聴く(35)~ソニー・クラーク「ソニーズ・クリブ」:

« ジャズを聴く(34)~ソニー・クラーク「ダイアル“S”フォー・ソニー」 | トップページ | ジョルジョ・モランディ展~終わりなき変奏(1) »