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2016年6月16日 (木)

うまい考

供された料理に一口、口をつけて、わけしり顔に「う~ん」と頷いて「うまい!」とのたまう人を見ました。グルメリポーターといった人々が、よくそのような仕草をしているようですが、それは、一種の演技で、歌舞伎の見得のようなポーズであると思っていました。あるラーメン屋さんで、隣の席の人が、そんなポーズをしていたのですが、私の目には行儀悪く映りました。昔の躾けを受けたというわけではありまませんが、食事は食べることに専心する、ということが、基本的な姿勢と思っています。それは、食べるということは生きるために不可欠の行為であり、生物である人は食物連鎖の中にあり他の生物の生命を摂取せざるを得ない。そこに食べるということは、自分が生きるために犠牲となった生命への感謝をする。また、食事として供されるためには多くの人の手を介してのことで、その人々の苦労に感謝をする。そこで、食べる前に「いただきます」、食べた後で「ごちそうさま」と、毎回、感謝をあらたにする。だから食べ物を粗末に扱ってはならないし、出されたものは残さずに食べる。ちょっとタテマエすぎるかもしれません。そこで、単に、一口、口に入れただけで、まるで上から目線で評価するかのように、「う~ん」とか「うまい」とか批評めいたことをいうところに、感謝の心得があるようには、私には見えないのです。食事をして、「おいしい」と思うのは、自然なことで、私も、「おいしかった」と言うことは、よくあります。しかし、例えば、ラーメンであれば、最初の一口で「うまい」といっても、ラーメンを作っている人は、時間が経てば、冷めたり、麺がのびたり、というようなこともあって、そうであっても、最後までおいしく食べてもらうために様々な工夫や試行錯誤を繰り返し、そういう苦労をしているわけですから、それを汲み取って応えるというのか、食べることに専心して食べ終わったところで、そのすべてに対して感謝をこめて「おいしかった」という感想がはじめてでてくるのではないか、そこで出てくる言葉が「ごちそうさまでした」です。「ごちそうさま」の「馳走(ちそう)」とは、もともと、「走りまわる」「馬を駆って走らせる」「奔走(ほんそう)する」ことの意味です。ここから、(世話をするためにかけまわるので)世話をすること、面倒をみることといった意味が生まれ、さらに、用意するためにかけまわることから、心をこめた(食事の)もてなしや、そのためのおいしい食物といった意味が、生まれたといいます。ごちそうとは豪華な料理ではなく、もてなしのこころざしや苦労のことを指すわけです。さきに述べたラーメン屋さんでも、食べ終わって、席を立つときに、自然と「ごちそうさま」という言葉が出てきました。ちょっとキレイごとすぎるでしょうか。

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