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2016年6月14日 (火)

ボクサー、モハメド・アリの偉大さを誰も語ろうとしない?

偉大なボクサー、モハメド・アリが亡くなり、葬儀には、元大統領をはじめ沢山の人々が参列したことなど、太平洋を隔てた遠き日本でも大々的に報じられました。故人の特集番組や追悼の記事などもたくさん発表されました。そこで、主として紹介されていたのは、黒人という出自あって、人種差別や反戦の活動をしたことや、マイノリティの人々への支援を続けたこと、病気との闘いを続けたとことなどだったと思います。しかし、もともと彼はボクシングでオリンピックのメダルを獲得し、プロとなってチャンピオンとなった人です。彼の、その後の様々な活動は、その時に得た名声や金銭があったからこそと言えると思います。彼がヘビー級のボクシングを大きく変えたとも言われているということは、それらの番組や記事で触れられていましたが、具体的にどのようなことなのか、きちんと説明することは、ほとんどなされませんでした。そのためには、アリという偉大なボクサーが、どのようであったのか、つまり、彼がどのようなボクシングをして、どのように強かったのかということを、例えば、“蝶のように舞い、蜂のように刺す”と形容されるスタイルは実際に、どのようなものなのか、そのようなことが言われるほど画期的だった理由といったことを、そして、かれと対戦したジョージ・フォアマンらのボクサーたちがどれほど強かったのか、そのような人々を倒した彼のボクサーとしていかに強かったのかを見ていない人にも分かるように説明することはありませんでした。テレビのボクシングの実況中継で解説をする専門家はたくさんいるでしょうし、雑誌や新聞で記事を書くジャーナリストはたくさんいるはずなのに、偉大なチャンプであったモハメド・アリのボクシングを語る人が誰もいないのでしょうか。もしかしたら、モハメド・アリというボクサーをちゃんと評価している人は、この国には誰もいないのでしょうか。モハメド・アリというボクサーをちゃんと評価するということは、ボクシングというスポーツの本質的なものを明らかにすることでもあると思います。それをしている人がいない、できる人がいないということであれば、本当に、ボクシングというスポーツそのものを好きな人がいないのではないか、と疑いたくなってしまうと同時に、淋しい思いにとらわれています。
 私の誤解であればいいのですが…そうであってほしいと思います。

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コメント

そういえば私も追悼番組など見ましたね。ボクシングなどの格闘技はやはりマイク・タイソンなんかのイメージが強くて、どうも不良やらやくざ者がやるスポーツであるように思ってしまっていますね。ボクサーでありながら社会活動家の面があるってのはやはり異色なんじゃないかなと思います。伝えられ方が偏るのはやはり競技に対する先入観があるからでしょうか。

poemさん、コメントありがとうございます。そうですね。ボクシングは19世紀にヨーロッパの植民地侵略の尖兵となった暗い出自も影響しているかもしれません。例えば、現地で一番強いヤツと侵略側と対戦させてどっちが強いかをボクシングで対戦させるわけです。掴むことや蹴ることを禁止して、拳にグローブをつけさせるという、かなりの制限の下では、専門的なテクニックを身につけた方が有利に決まっています。それで、現地の強者との試合で勝つと、こっちが強いと相手を精神的に屈服させるのです。ボクシングはその道具として機能したといいます。だから、征服された奴隷としてルーツをもつアリのような人がチャンピオンになるということが、帝国主義に対する抵抗のシンボルになりえたと思うのです。そんなことは、専門家の方が、私なんぞより、詳しいし見識ももっているはずなのに、どうして、きちんと説明しないのでしょうか。と残念に思っています。

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