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2016年6月 6日 (月)

ジョルジョ・モランディ展~終わりなき変奏(1)

Morandipos 3月始めに、仕事の関係で上海に出張した帰りの便が中途半端な時刻に羽田に着いた。空港でちょっとひと休みという手もあったが、折角都心にいるので、ついでに手近なところとして、この展覧会の会期が終わりに近づいているのと、東京ステーションギャラリーの場所が手近であるので、無理して寄ってみることにした。しかし、展覧会をゆっくりとまわるほどの時間の余裕はなかったので、館内で立ち止まることなく、ひとわたり歩いて、そこに並べて展示されているモランディの似たような作品の流れを眺めるような見方をした。そのため、ひとつひとつの作品をじっくり鑑賞するというよりは、同じ題材を扱った類似の作品の流れを追うような見方になった。これは、却って良かったのかもしれない、と思っている。個別の印象に残る作品を見つけることはできなかったが、作品の流れから、全体像を自分なりに考えることができたと思う。同じ題材を繰り返し扱う人のようなので、作品傾向はかなり限定されているにもかかわらず、捉えどころのない人のようにも思えるので、個別の作品にこだわっていると、どのような画家なのかを捕まえられないと思う。
 まずは、私自身、モランディという画家についての何の知識も情報もなかったので、展覧会の趣旨とともに主催者のあいさつを見てみましょう。“20世紀イタリアを代表する画家ジョルジョ・モランディ(1890~1964年)。彼は、生まれ故郷のボローニャを終生離れず、74年の生涯をそこで静かに過ごしました。静物と風景という限られた主題の繰り返しの中で、色彩と形とが繊細に響き合う作品は、時が止まったかのような静寂さを感じさせ、見る人を瞑想的な世界へと誘います。本展は、モランディの静物画を中心として、彼の生涯にわたる「芸術的探求」を紹介します。卓上の瓶や容器、花瓶などを組み合わせた静物画は、モランディの代表作と言えるものです。それらは、構図における配置やバランスを試みる恰好の主題でもありました。一見、短調に見えるモランディの差品は、瓶や容器といった日常のモチーフを、在る時は一列に、ある時は一ヶ所にまとめて、配置しては置き直し、また組み換えてといった試行錯誤を経て描かれたものであり、同じ題材を扱いつつも、各々が全く別の作品として完成しています。また、モランディは、ひとつの構図を油彩、素描、版画とさまざまな技法で表現する中で、具象から抽象、またはその逆と、絶え間なく揺らぎ続けていました。このことは、静物画と風景画のあいだでも、構図を巡っても繰り返されています。本展では、モランディについて頻繁に言及されてきた「シリーズ」と「ヴァリエーション」の本質について、具体的作例で示します。”言ってみれば、地味な静物ばかり意識して描く、ストイックな画家の作品は高邁で深遠な哲学をしているかのようだ、というようなことでしょうか。変わり映えのしないワンパターンの静物画に、難しげな小理屈をつけて、もったいぶって、さも鑑賞しましたとでもいうようなスノビズムやオタク的なエリート主義のようにも受けられてしまう危険もあります。それは、慥かに、今回の展覧会に対する新聞の評なんかに、そのような傾向があり、とくに、ひとつの作品を取り出して鑑賞していると、そのようなところに陥る危険があると思います。モランディの作品には、結果として、そういうものに媚びる要素もあると思います。しかし、この展覧会全体を見渡して、ひとつひとつの作品に拘泥することなく、並べられている作品群を、何となく眺め、ある作品から別の作品へのアトランダムによそ見するように、会場を散歩するという方が楽しいのではないか、と思いました。
 例えば、並べられている作品のうち、どれでもいいですからひとつ取り出して見ると、その画面には独特の雰囲気があることに気づくと思います。それは雰囲気なので、その画面に余計なものを加えたり、逆にあるものを除いてしまったら、たちどころに壊れてしまうようなものです。それは何となく感じるもので、分析して論理的に説明できるようなものではありません。逆にじっくり鑑賞して、あれこれ分析など加えたら、余計なことを考え始めて、画面から離れていってしまう類のものです。いわば感覚の遊びに近い。そこで、モランディは同じものを同じように描いても、そういう遊びの楽しさがなくなってしまうので、雰囲気が壊れないように、その画面に、慎重にあれこれ入れたり除いたり、配置を変えてみたりしていくわけです。それを並べられた作品を続けてみていくと、その画家のあれこれの試みを追体験していくことができるわけです。「こんなもの入れちゃうの?」とか「あっちからも見ている」とか呟いていく、今までない絵を見る遊びをすることができたと思っています。
 また、このように小さな画面のなかで、静物の花瓶や果物などをとっかえひっかえ組み合わせて、画面を作っていくという作業は、神経症の治療法などで使われている箱庭療法と同じようなことをしているわけで、それを作品の画面の変化として追いかけるように見ていくことは、癒し(?)という性格もあるのかもしれません。
 それなので、いつものように作品の感想を綴っていきますが、ざっくりとしてものになると思います。で、展示の章立ては次のようでした。
 Ⅰ 変奏のはじまり
 Ⅱ 溝に差す影
 Ⅲ ひしめく器─都市のように
 Ⅳ 逆さのじょうご
 Ⅴ 矩形の構成
 Ⅵ 多様なハッチング
 Ⅶ ペルシャの扁壺
 Ⅷ 縞模様の効果
 Ⅸ 終わりなき変奏
 Ⅹ 風景の量感
 ⅩⅠ ふるえる花弁

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