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2016年7月

2016年7月31日 (日)

6年間続きました

このブログを始めたのが2010年8月だったので、6年間続いたことになります。投稿した記事数は、今回を含めても2,007件になりました。ほぼ、毎日投稿していたので、習慣化していたと思う。何をやっても3日坊主で、根気に欠ける私としては、例外的なことです。自分自身でも、意外に思っています。今さらながら。ただし、内容は伴っていたか、手抜きの投稿が、かなり多かったと思う。
 アクセス数が、多数で人気ブログというのでもないが、継続して見に来て下さったり、声を寄せて下さった方もいらっしゃって、大変ありがたく思っています。個人的に厳しいと感じていたときには、この方々には支えていただいたと思います。あの時は、ブログをやっている有難みを心のそこから実感しました。
 継続は力という言葉がありますが、べつに力を得ることを望んでいるわけではありませんが、これからも、続けていくつもりです。手抜きであるかもしれませんが。

2016年7月30日 (土)

須川栄三監督『蛍川』の感想

D0291816_641911 どうということのない、寧ろ凡庸とすら言い得るようなシーンで、目頭に痛みが疾り、鼻の奥がむず痒くなる。気が付くと溢れ出ようとする涙を堪えるのに必死になっている。宮本輝の芥川賞受賞作が原作の「蛍川」という1987年制作の映画。昭和37年の富山が舞台で、タイトルバックに冬の雪。雪。雪。学校の校庭、一面に積もった雪。移動でゆっくりカメラがまわり、下駄箱に思い詰めたような学ランの中学生。カットが一転して三国連太郎が座敷で大勢の芸者相手に遊び興じている様になる。件の中学生に似た二三才の男の子が所在なげに廊下を往復している。カメラがパンして庭は一面の雪。多分回想のシーンなのか、紗がかかったように映しだされる。次の画面では、また学校、女の子があわてて雪の校庭を走る。行き先は、雪の川原で、そこでは二人の男の子が対峙している。二人は女の子をめぐって喧嘩を始めようとしていた。劣勢の方はカッターを取出し、相手を傷つけてしまう。白一色の雪面に赤い血が点々と。女の子は物陰に隠れたまま、出る機会を失してしまった。この女の子はエイコ、カッターを取り出したのはタッちゃん。二人は幼なじみ。物語の始まりはここから。この間、たったの数分だけれど、雪がとても印象的。風景として美しいのは言うまでもない。その雪が人物に寄り添うように、それぞれのシーンでそれぞれに意味をもってくる。といっても、人物の心理がイメージ化されているという矮小なものではなく、あくまでシーンとしてそれ自体雪なのだ。それがとても美しい。回想の庭の雪、校庭の雪、川原の雪、みんな違う。それは、雪にうつった光の反映なのかも。この映画はそういう光に満ちている。(実は、この雪の白さをそのまま映すのは大変難しい。例えば、今川昌平がカンヌ映画祭でグランプリを獲った「楢山節考」、雪は白になっていなくて、青みがかかってしまっている。)
  今年は多い年であるという。春に大雪が降る年は、夏蛍が大発生する。これは幼なじみの二人が幼い頃聞いた話。しかも、この蛍を見た男女は結婚する運命にある。これが、この映画を貫く一本の太い縦糸となっている。二人はこれをそれぞれに信じている。話は専らタッちゃんの側で進行していく。タッちゃんの家は三国連太郎の父親が事業に失敗して破産寸前。そんなためもあって、それとも思春期独特の含羞なのか、彼はエイコに想いを打ち明けられないでいる。ノートのページ一杯にエイコの文字を書き散らしたり、彼女の赤い傘を握りマスターベイションさえしようとする。(タッちゃんは主人公であるはずなのに他者へのはたらきかけというような行動をおこさない。彼はずっと受け身で、彼の周囲で事態は起こるたけ。他方、エイコは専ら話題にはなるものの存在感は稀薄。)美しい少女となったエイコに想いを寄せる男子生徒は多く、タッちゃんは不安な毎日。現に、親友のケンタも「エイコはいいのう」が口癖。そんな彼にとって、幼い頃の二人で蛍の大群を見ようという約束が唯一の頼みの綱だった。その彼の父親が脳血栓で倒れてしまう。蛍の話を二人に話してきかせたのは、この父親だった。この辺りの語り口は少しばかり退屈で、私は雪を主に見ていました。(主役のタッちゃんとエイコに動きがなく、二人の俳優が上手くないので残念です)諄いようですが、この雪がとてもいい。
 桜が満開の春。外は雪景色。この年は、春の大雪となった。父親は蛍の大発生を保証した。そんな折り、タッちゃんはケンタから、下校途中、エイコの写真を受け取る。ケンタは日頃からエイコへの憧れを広言していた。こっそりと彼女の机の中から頂戴してきたらしい。しかし、ケンタはタッちゃんもまた、エイコに密かに好きなのを気付いていた。友情のしるしとケンタは写真を譲ったのだ。その一方で二人の友情の不変を彼は言う。ケンタはタッちゃんを釣りに誘うが、タッちゃんは断ってしまう。その夜、部屋でエイコの写真に見入るタッちゃん。と、玄関で戸を叩く音。誰かと出てみると、当のエイコが雨に濡れて立ってる。彼女はケンタの死を伝えに来た。あわてて自転車に乗るタッちゃん。このシーンがとても印象的。横なぐりの雨のなか、堤防に沿って自転車を走らすタッちゃんをカメラがパンで追う。カットが代わって自転車を追って走るエイコを正面から捉える。顔面に雨を受け、傘もささずにビショ濡れなって走るエイコ、と降りつけるのは雨だけではなく、桜の花びらが混じっている。ケンタは釣りに行って川に落ちて溺死したらしいことがわかり、タッちゃんは無我夢中で自転車を走らせる。この雨中のシーンは、いくつかのカットに割られているが、その中で雨で渦巻く川の水面をとらえたカットが二三ある。夜で、さらに雨の中ゆえ、川面はほの暗く、そこに散り敷いた桜の花びらはほの白く映ります。この、川面に浮かび、流れで舞っている花びらは、イメージとして、しんしんと降る雪に連なり、そしてクライマックスの蛍の乱舞につながっているように思えてならない。ケンタの死は事故死以外ではないだろう。しかし、タッちゃんはそう言ってすますことはできない。直接的には、直前に誘われた釣りを断っていた。それも、断らなければならない理由などはなかった。あきらかに事故に関わっているのをタッちゃんは自覚している。そこにはまた、同じように共にエイコに恋をしたことがからまり、そして、死の報を持ってきたのが他ならぬエイコであったわけだ。自転車の疾走シーンにはそうした一切が折り重なりあったものとなっている。白の群舞という視覚的イメージが、冬の雪、春の桜、夏の蛍と季節と共にどんどん展開されていく、ここには生と死が性がこめられている。そして、これらが「蛍川」というタイトルの蛍の川のような群舞というラストのクライマックスに一気に収斂していく。冷静にみれば、構図は凡庸ですらある。蛍というのは青白く光るものだが、ここではグリーンがかってしまっている。しかし、森の奥で蛍の大群が乱舞する光景は、そういったスペクタクルだけで目を瞠らせるわけではない。蛍が数日という短い命のあいだに、次の命を生むべく、狂ったように相手を求めて交尾をするということが、ここまでずっと描かれてきたものを高らかに謳いあげるのがすばらしい。ラストの蛍の乱舞の中、タッちゃんとエイコの抱擁する様子が次第に蛍のように光輝いていくのは、エロスという以外に言いようがない。春になってからの約1時間は、胸がジーンとなり放しで、小さいエピソードがどんどん二人を蛍を見る以外にない状況へ追い込んでいく。この作品は、沢山の小さいエピソードが全部伏線となってストーリー全体にからまっていて、それが生と死のテーマに繋がっていく、とても骨太の構造をもっています。それがこのラストで一気に花開く。たぶん、この作品は傑作でも名作でもない、けれど私には心に残る作品のひとつ。

 

2016年7月28日 (木)

中原俊監督『櫻の園』の感想

51uofwhx4nl 原作は吉田秋生のまんがで、高校の文化祭で『櫻の園』を上演する高校生たちの人間模様を描いたもの。まんがでは、主な4人の登場人物がそれぞれ主人公となった4編の連作短編集で、4人の視点で、この文化祭の一日が語られます。これを映画化したものですが、原作の吉田秋生独自の世界とも言うべき微妙でセンシティブな世界を、例えば、ネームの微妙さ、ダイアローグとモノローグが複雑に絡み合い、ときに双方が一緒になってしまってどちらともいえない話者の心情が読者の前に披瀝されるというのは、内面のモノローグと会話を区別しなければならないなど映画ではおそらく実現不可能です。
 原作を一度でも読んだことのある人であれば、映像となったこと自体に戸惑いは必至で、それに輪をかけるように、最初のシーンは思わせぶりなクレーンを使った移動撮影の長回しなど、余計にしか見えなかったり、したがって印象は、やたらうるさい、喧しい、というものでした。演劇部の高校生たちというモブシーンを前面に出したかったからなのか、整理のしかたが下手なせいか。(下手でわざとらしい演技もその原因。)演劇部員をそれぞれ描き分けようという意図は推察できるのですが、ストーリーの中では意味のない人物を思わせぶりにクローズアップしたりと、中途半端と言うしかなく、そのため最初は、メインの出演者である中島ひろ子演ずる志水由布子や白鳥康代演じる倉田知世子(この映画での倉田はハッキリ言っておまけ)、そしてつみきみほの演じる杉山紀子がその他大勢の中に埋没してしまっていました。原作のように櫻の園の高校生群像を毎回一人の人間をピックアップさせつつ描くことは、この映画では失敗か放棄されていたようです。セットはチャチで、カメラのアングルも落ち着かず、最初の30分などは散漫で、何をやっているのだか。ただ女の子がワーワー騒いでいるのを、そのままフィルムに定着させましたとしかいえないものでした。
 しかし、中島演じる志水さんとつみき演じる杉山さんが同じ画面に登場するようになると、俄然停滞していた映像が動き出します。それは、誰もいない演劇部の部室で、白鳥演じる倉田さんの着る衣装を志水さんが抱き締めているところに、杉山さんが表からはいってきてしまうところ。志水さんが倉田さんに想いを寄せていることを、杉山さんに見つかってしまいます。これ以前の志水さんは、まるで糸の切れた凧のように、あっちへフラフラこっちへフラフラと、存在感が稀薄で、科白も自らを出すというのでなくて、受け身で便宜的な会話に終始していました。ところが、彼女は一線を踏み出したということでしょうか、このシーンで先に「御免なさい」と言った杉山さんをたしなめるということをします。そして、それ以降の彼女の行動には明確な意志が通りはじめるのです。進路指導室で、屋上でアップをする際、彼女は、杉山さんに自己を開け広げるかのように話しはじます。「私ね…」と。そして、人知れず部室で想う人の衣装を抱き締めるだけであった彼女が、本番前で緊張している想い人をあれこれと励ますことになります。こころなしか、ずっと俯き加減だった彼女の姿勢は、段々と胸を張り、まっすぐ前を向き始めるように変わって行きます。その意味で、クライマックスは彼女が倉田さんと二人で写真を撮るシーンです。ここで、はじめて志水さんは中島は隠すようだった表情を満面にあらわすのです。映像は写真を撮っているカメラとダブり、固定した画面に二人が近寄ってくるのです。普通の映画であればカメラが演技者に近寄るのですが、ここでは逆に演技者二人がカメラに近寄ってきます。二人がカメラに向かって「もっと近く…」と寄ってくる。二人のこちらへ近寄ってくる直線的な動き。二人がこちらに近付くにつれて、二人の距離が近寄ります。二人の顔が大きくアップになってくるにつれて、二人の顔がくっついていく、それに従って志水さんの表情がどんどん豊かになって生き生きとしてくる。(それに比べて、このときの倉田さんはずっと生気がなくて残念。)ごくありふれた、直線的で単純な動きだったのですが、私はカシャッとシャッターを押したところで映画が終わってもいいと思う。それくらい、このシーンでの志水さんはドラマチックでした。
 最初に、まんがの繊細な世界を映像で再現するのは不可能と言いましたが、このシーンを以て原作のまんがとは全く別の世界をつくることに成功したと思います。まんがにはない二人の直接的な動きの雄弁さというか、この動きの中に、原作のネームから引用した科白を超える雄弁さが感じられました。志水さんは、髪にパーマをかけた理由を「目覚めたの」と言いながら(映画の最初の方でパーマをかけたことに周囲が理由をたずねるシーンがあります)、実は彼女は目覚めきれなかった。その逡巡が最初の頃の存在感のなさだった、それがこの時に分かります。原作では、彼女がパーマをかけるかどうか葛藤が描かれていて、それが彼女が「目覚める」ために決心するプロセスと、しかしパーマをかけても逡巡していることが掘り下げられているのです。それを、映画ではパーマをかけてしまったところから始めているのです。つまり、彼女が一線を踏み越えるところに焦点を絞り、そこにドラマを集約させました。その結果、原作が抒情的なら、映画の方は劇的さらには叙事的なものとなっている。
 しかし、ものがたりは、ここで終わらず、さらに続きます。実は写真の二人を、中島を背中で見ていた人がいたのです。杉山さんです。そう、杉山さんは志水さんの陰画のような存在として、志水さんが倉田さんを想うように、杉山さんは志水さんを想っているのです。彼女も志水さんと同様にこの公演に期するところがあったはずです。彼女は、そのために禁煙をしました。また、友人に志水さんと同じ舞台を踏むことを「あこがれの人が…」と話していました。しかし、二人の行動は全く逆で、志水さんが杉山さんには「私って…」と話すのに対して、杉山さんは「志水さんて…」と話しているのです。おそらく杉山さんは、志水さんが目覚めたのと、逆な表れではあっても目覚めていたと思います。それが「好き」と倉田さんに告白した志水さんの背後にあって陰影を与えることになりました。この映画の深さはこんなところにあるのです。死水さんたちが写真を撮っている陰で杉山さんは禁煙していた煙草を吸っている、ということなのです。そして、これ以降のシーンは杉山さんのためにあると言っても過言ではありません。ここに至って志水さんは科白らしい科白がなくなっていき、杉山さんの目に映る存在となっていきます。そして、ラストシーンでは、舞台に出ていく志水さんを舞台袖の暗がりで杉山さんが見守っている、ということになるわけです。ということは、実は杉山さんが想う、志水さんを間接的には映していることになるわけです。もしかしたら、志水さんは倉田さんに対して、杉山さんのように見守るだけという決断をしていたかもしれなかった。それはそれで、もうひとつの目覚めと言えるでしょう。しかし、志水さんは「好きです」と言ってしまいました。そのことで、杉山さんは黙って志水さんを見ることにしたとも思えます。そして、志水さんは、杉山さんが見守る中「行きます」と自らにとも倉田さんにともなく言うところで映画は終わります。 

蛇足かもしれませんが、細かいことで、火のメタファーについて。この映画で火というものが象徴的に使われていると思います。演劇部員の彼氏が忘れた煙草とライターを。まず、志水さんが拾います。彼女は火を点けることができませんでした。これは、「目覚めた」といいながら未だ目覚めきれていない彼女を象徴していると思います。そして、進路指導室で再度試みようとして、杉山さんに取り上げられてしまいます。その杉山さんも、登場前に喫煙で補導されて大騒ぎとなった事情があります。彼女はすでに火を点けていたわけです。そして、倉田さん。開演前の緊張を克服できない彼女は、公演が中止になればいいとうそぶき、火を点けるとは反対に、消防のベルを鳴らしてしまいます。彼女は結局最後まで、受け身の存在で終わってしまいます。一方、志水さんのパーマを見て気が付いてしまった杉山さんは、一度はライターを取り出す。しかし、実際に火を点けたのは、表で志水さんと倉田さんが二人で写真を撮っているときでした。火が付いていたのは、杉山さんと表にいた志水さん。映画の最後で舞台に出た志水さんは、火を点けるのではなく、ローソクの火を消すのです。最初、火をつけることすらできなかった彼女は、最後で易々と火を消してしまえたわけです。ここに至って火にシンボライズされたものを彼女は超越しえたと思います。杉山さんは、同様に火を自由にしえた、というわけです。

2016年7月27日 (水)

株主総会の実務をIRやコーポレートガバナンスの面から考える(18)~2の1 狭義の招集通知(6)

Row521 ⑨報告事項

 報告事項とは、定時株主総会で通常は議長が出席株主に報告するもので、何を報告しなければならないかは法律で規定されています。そして、会社法上の会社の経営体制の違いによって報告すべき事項が違います。

ⅰ)すべての株式会社に共通する報告事項:事業報告(会社法438条3項)
 ⅱ)会計監査人設置会社の報告事項
 取締役会の承認を受けた計算書類(貸借対照表、損益計算書、株主資本等変動計算書、個別注記表)が会社の財産及び損益の状況を正しく表示しているものとして、次のような法務省令の要件(計算書類規則135条)を満たす場合は、決議事項でなく、報告事項となります(会社法439条)。

 ・会計監査人による監査報告の内容が無限適正意見であること。
・監査役、監査役会あるいは監査委員会の監査報告で、このような意見となった会計監査人の監査の方法や結果を相当でないとしていないこと。
・取締役会設置会社であること

また、連結計算書類(連結貸借対照表、連結損益計算書、連結株主資本等変動計算書、連結注記表)を作成する会社で、事業年度末に大会社であって、有価証券報告書提出会社については、監査手続き、取締役会の承認を経た上で定時株主総会に提出し、その内容及び監査の結果を報告しなければなりません(会社法444条)。
 そして、事例は少ないかもしれませんが、監査役、監査役会あるいは監査委員会の決議で会計監査人を解任した場合には、その報告を定時株主総会で報告することになっています(会社法340条)。

サンプルとして表示している招集通知を見てもらうと⑨の赤い番号がつけられた報告事項が1.と2.に分けられて記載されています。これは上の説明の会計監査人設置会社の場合の一つ目の計算書類と二つ目の連結計算書類に関する報告事項ということになります。
 ここまでは、一般的な教科書の説明です。ここからは、もう少し突っ込みます。どうして、二つの場合に分けなければならないのでしょうか。全部ひっくるめて一発で報告したほうが面倒でなくていいでしょう。実際の株主総会の報告では、いちいち分けて説明すると重複部分が多くて聞く方も混乱してしまうので、一本にまとめて報告しているケースがほとんどだと思います。それなのになぜ二本立てになっている(会社法で規定されている)のでしょうか。

それは、そもそも報告事項になった経緯、出自が全く異なるために、意味づけが違って一緒にできないからなのです。
 まず、計算書類の報告─招集通知のサンプルで報告事項「2.第88期計算書類の内容」の方ですね─についてです。これは上記の説明をよく読んでもらうと分かるのですが、会計監査人設置会社で一定の要件を充たしている限りで報告事項なのです。そうでないならば、ということは原則としては、決議事項なのです。会計監査人設置会社でない場合、たとえ会計監査人設置会社であっても会計監査人と会社の意見が衝突した場合や監査が受けられなかった場合などは、報告事項とすることが出来ないので、決議事項として計算書類について決算承認を決議しなければならないのです。
 決算というのは1年間の企業の成績表のようなものです。そして、これを評価するには企業の所有者である株主です。これは、総会という会議では常識的なことではないでしょうか。規模の大きなところでは国会には通常国会と臨時国会がありますが定例会的な性格の通常国会で最も重要な議題は予算と決算の承認です。小さく身近なところでは、地域の町内会やPTAあるいはサークルの年次総会の主な議題は予算と決算の承認です。この1年間の活動を総括して、これからのことを決めていくという、一番基本的なことです。しかし、企業の所有者である株主が集まる株主総会では、普通は一番基本的なことである決算や予算が議論されたり、決議されたりしません。これは、一般的な総会という会議形態の常識では考えられないことです。企業の所有者なのだから、その企業がどのような方向で行くのかは自分で決めたいだろうし、そうすべきというのが一般的な常識です。それが株主総会では常識外れのことをしている。それはどうしてなのか。
 一つは理論面で、企業の経営は専門性が高いので、経営に関することは専門家である経営者による取締役会に委ねるという議論です。慥かに、企業の決算や予算は専門性を要求されます。しかし、それは細かな事象や個々の具体的判断であって、全体としての方向性とか年間の結果について、株主全体で議論して承認することを否定できるほどのことでしょうか。とくに、コーポレートガバナンスの議論もそうですが、企業の事業や成長力を判断して投資した株主が、企業の経営の方向性や1年間の業績に関して議論するということは、むしろ、エンゲージメントの場として生かすべきではないかと考えてもいいわけです。(⇒IR総会の提言で詳説)
 もう一つは、総会実務面、これは企業サイドが株主総会の運営をする際に生じてきた要請です。国会中継の予算委員会や決算委員会のテレビ中継を見てもらうと分かるのですが、このような審議はもめるのです。他の委員会に比べて紛糾することが多いのです。それは、重要度の高い委員会であるため各政党がエース級の論客を投入するので、議論が自然と白熱することもあります。しかし、それ以上に予算とか決算というのは政府のやっていること全般が対象になり、しかもお金の使い方に関する議論ですから、話のネタはどこからでも持ってこられる。しかもお金に関することなのでキレイごとだけを言っているわけにはいかない。そうであれば、追及する方はやりやすいわけです。つまり、議論をまとめるのが大変なのです。しかも、一時期総会屋と言う人々が企業の株主総会の場で跳梁跋扈していました。このような人々にとって、総会が収拾つかないような場になることは商売上好ましいわけです。そこで、企業としては総会を紛糾させる危険のあることは、できる限り避けたいということで、経済界が盛んに運動したとしても不思議はないでしょう。また、政府でも総会屋対策として、動いた。それが、もともと株主総会で決算承認議案を提起していたのを、一定の条件及び手続きを踏むことによって、報告事項として認められることになったわけです。報告事項であれば、承認決議は必要ありません。質疑応答で質問には答えなければなりませんが、答えればいいのです。株主の過半数の賛成を得る必要はないわけです。

さて、話を戻しましょう。報告事項には二種類あるという説明のもう一つのほうは、連結計算書類─招集通知のサンプルで報告事項「1.第88期事業報告の内容、連結計算書類の内容並びに会計監査人及び監査役会の連結計算書類監査結果報告」の方ですね─についてです。この報告事項のタイトルだけでも、前に説明した計算書類の場合との違いに気付いたと思います。それは、こちらの連結計算書類の報告については会計監査人と監査役会の監査結果の報告も一緒にあるということです。これに対して、計算書類の報告の時は監査結果報告はタイトルには入っていません。これはどうしてかというと、もともと連結決算の結果について、企業の株主は、その企業に投資していて、その企業の株主ではありますが、企業集団に投資しているわけではないので、企業集団全体に対する決定権限を持っているわけではないのです。つまり、計算書類の場合は、もともと決議事項だった事項が一定の要件を満たしているので報告事項になっているのに対して、連結計算書類に関しては、決議事項にはなり得ない事項なのです。ではなぜ、報告事項になっているかと言うと、もともと、株主総会では決算承認という決議事項があったのが、種々の事情で決議事項ではなくなった、というのは説明しました。しかし、決議事項ではなくなったとは言っても重要事項です。だから報告しなければならないとして、新たに報告事項ということになった。そこで株主総会の招集通知に報告事項というものが新たに記載されるようになった。それが、後に報告事項が既成事実のようなものになった。企業が多角化したり海外進出したりして子会社をたくさん設立してグループ(企業集団)経営をするようになってくると、企業を単独だけでは経営の実態が見え難くなってきた。そこで、すでにあった計算書類の報告事項に追加して、連結計算書類に関しても報告するようにしようと追加されたので、報告事項になったという経緯のものなのです。だから、報告が正確であることを明らかにするために監査を受けたということを併せて報告者である企業の代表取締役が株主総会の場で報告するということなのです。この連結計算書類の報告事項が追加された当時は、計算書類の参考程度だったのですが、時代が進むにつれて連結決算の方が企業の実態を表わすものだとして、主役のような立場になってしまった。例えば、上場企業は株主総会の前に決算短信を証券取引所やマスコミに公表しますが、連結決算が主で、企業単体は参考程度が、公表しないケースも出てきています。株主総会の場で、実際に議長が説明するのは、ほとんどの場合連結決算についてで、企業単体の計算書類については補足的に触れられる程度か、あるいは招集通知に記載してあるとおりですと言う程度になってしまっています。
 しかし、株式会社の株主総会のもともとの成り立ちから考えると、計算書類の方が主要なものなのです。それが、二種類の報告事項の違いです。
 そして、報告事項の具体的な中身については、その内容が記載されているのは、計算書類と事業報告という書類になりますので、そちらで説明していきたいと思います。

⑩決議事項

決議事項で審議される議案には様々なものがありますが、これらについては参考書類のところで説明していきたいと思います。

2016年7月26日 (火)

N社の決算説明会

懇意にしてもらっている証券アナリストの厚意により小型モーターを中心としたN社の第1四半期の決算説明会を見学してきました。いつものように創業者でもあるN社長のワンマンショーの1時間で、説明は20分で、残りの40分はたっぷり質疑応答という内容はいつもの通り、しかも、相次ぐ質問でその40分でもたりなくなって、タイムアップと強引に打ち切るのも、いつもの通り。しかし、その口調は心なしか力強さに欠け、体調が悪いのか、それまでのエネルギッシュな元気は後退している印象で、少し心配になりました。今期より決算を国際会計基準に変更したことと、急激な円高によって為替差損が大きく前年同期比で減収増益で(ドル建ての数値であれば増収増益とは言っていましたが)、全体としてマーケットは良い状態ではないと、今までにないネガティブなコメントが混じっていたのも少し気がかりです。しかし、この会社の創業事業でもあり、稼ぎ頭だったパソコン用小型モーターから自動車部品や産業機械の制御機構向けのモーターに主力がシフトし、売上増によるパイの拡大や増産のための生産設備の拡充によって、その営業利益率が10%を超え、ちかいうちに15%に達すると、利益体質は強まるとのことでした。驚いたのは「働き方改革」といって従業員に時間外勤務をさせない勤務体系にして効率がアップしたという説明は、24時間働くN氏からは今まででは想像できないことで、サプライズでもありました(氏の強引さが変わったのでしょうか、9割が外国人社員となったという時代の変化でしょうか)。
 また、M&Aについては去年は企業の価格が高値で買収には不利だったが、今は金融事情から価格が30%ダウンしたので、はM&Aを積極化したいとのこと。話題は、社外取締役を務めている通信系のS社が世界的な半導体メーカーA社を買収した件について、かなり時間をかけて話していたのは印象的で、S社のS氏は30年先を見ているので、私にはそこまで見通せないと前置きしつつ、買収価格は心持と高い買い物ではないかと、また半導体は進歩が速いので30年後と思っていたのが3年後になってしまうおそれもあるので、私には決断する勇気がないという本音も漏らしています。
 N氏の話す口調に元気さが欠けるのと、そのせいか施策についても今までの強引なほどのポジティブさが感じられなかったのが、少し気になりました。質問をしていたアナリストたちも、どこか気を遣っているように見えたりもしました。
 今回もO氏に感謝です。

株主総会の実務をIRやコーポレートガバナンスの面から考える(17)~2の1 狭義の招集通知(5)

⑧場所
 株主総会の開催場所は法定記載事項です(会社法299条4項、298条1項1号)。記載方法については、とくに規制はありませんが、株主が株主総会に出席する場合には容易に会場が分かることが必要で、住所、建物の名称、階、会場の名称(部屋名)を具体的に記載する程度は必要でしょう。末尾に案内図を掲載して、その旨を注記している例が多い。また、前回と開催場所を違う場所に変更した場合には、「会場を変更しておりますのでご注意下さい」と注記している例もあります。
 また、過去に開催したどの場所からも遠く離れた場所で開催する場合には、そのような場所に決めた理由を記載しなければなりません(退社方施行規則63条2号)。ただし、その場所が定款で定められている、あるいは、その場所で開催することについて株主総会に出席しない株主全員の同意がある、そのいずれかの場合は記載しなくてもいいとなっています。
 かつて、旧商法の時代には、株主総会の開催場所は本社所在地とされて、そうでない場合には定款に株主総会の開催場所を規定しなければならないとされていました。これは、以前の株主総会において社内の経営の主導権をめぐる対立が株主にも波及して、反対派の株主を総会に出席させないために、出席し難い場所で総会を開いたという事例が発生したことへの対策の意味合いでした。しかし、この旧商法の規定は持ち株会社が認められたり、業界再編で大規模なM&Aが行なわれたことや、株式の持合解消が行なわれて個人株主が増加するという株主構造に変化が生じ、株主総会自体も「開かれた総会」という株主と企業との対話の場とする傾向などから、株主総会の出席者が飛躍的に増加し、株主数の多い企業は株主総会の出席者が数千人という規模に拡大し、会場の確保が困難になりました。それは一方で開催日の拡散に繋がりましたが、開催場所の制約があると本社所在地(同じ市区町村)に株主総会の開催が可能な大規模な会場施設がなかったり少ない場合は、わざわざ理由を明確にして定款変更を行なわなくてはならなくなります。そのような事情もあって会社法では株主総会の開催場所についての制約をなくすことになったというわけです。ただし、前年と違う会場で遠隔地に変えた場合には、何らかの恣意が働いているとして説明を義務付けています。 

⑨⑩目的事項
 招集通知には株主総会の目的事項を記載または記録しなければならない(会社法298条1項2号、299条4項)とされています。株主総会の目的事項とは、株主総会での報告事項と決議事項の2種類の事項を総称していいます。一般的には「報告事項」を「日時」や「場所」と並べてタイトルとして、その内訳として「報告事項」と「決議事項」に分けて、それぞれについて複数ある場合は、別々に番号を付して列記しています。
 なお、ここでの目的事項の記載は、株主が株主総会で何が報告され、何が決議される予定であるのかが事前に知っていてもらうためのもので、詳しい内容は、それぞれ事業報告や参考書類で、別に説明されます。
 次回で、報告事項と決議事項に分けて説明していきましょう。

2016年7月25日 (月)

株主総会の実務をIRやコーポレートガバナンスの面から考える(16)~2の1 狭義の招集通知(4)

Row521_2 これからの部分は招集通知の法定記載事項になります。

⑥招集の決定事項

株主総会の招集は取締役会が決定することになっていますが、それを取締役会で決定する場合には、いわゆる「株主総会招集の決議」を行い、決議事項は会社法で定められています。これは株主総会の開催に関して必要な事項であり、株主総会の主体である株主はこれを知らなければ株主総会に出席できないし、かりに出席できたとしても会議に参加できない事項です。だから、招集通知には必ず記載しければならないとして会社法で規定されています。これらの事項を法定記載事項といいます。もし、この部分の記載がなかったり、要件を満たしていない場合には、招集通知は不備とされ、それが放置されたまま株主総会が開かれてしまった場合に、その株主総会の招集に瑕疵があったとされ、株主総会そのものが無効とされてしまうおそれがあります。
 一般的な招集通知では、この部分は、これまで説明してきた招集通知の本文部分の中には記載しないで、「下記のとおり…」と記して、改めて「記」で区分して、それ以下に各事項を記載し「以上」で締めるという書き方が定着しています。

以下、その各事項については⑦~⑩で個別に説明していきたいと思います。

⑦日時

株主総会の開催日時は法定記載事項になっています(会社法299条4項、298条1項1号)。ただし、その記載方法までは規定されていませんが、多くの場合は、日時は元号でも西暦でも、年月日までと曜日を記載し、開始時刻を記載します。時刻の表示方法は24時間方式ではなく、午前○時とか午後○時という方式が一般的です。
 なお、開催日が次のいずれかに該当する提示株主総会の場合は、そのような日時を決定した理由を記載しなければなりません(会社法施行規則63条1号)。なおこの場合の記載場所は、開催日時の記載の下に注記として記載するケースが多いようです。

(a)開催日が、前回定時株主総会の開催日に当たる日から著しく離れた日である場合

(b)いわゆる集中日を開催日とする場合(ただし、この日に開催日を決めたことにとくに理由がある場合に限られる) 

念のために説明しておきますが、株主総会の集中開催日とは、3月決算の会社であれば6月の末日が平日としてその前営業日で、月曜日でない日(月曜日であれば前の週の金曜日)をいいます。これは、金融商品取引法により上場会社等は決算日から3ヶ月以内に財務局に有価証券報告書を提出することを義務付けられています。その有価証券報告書には、剰余金の配当や役員の状況など定時株主総会の決議があってはじめて確定し、有価証券報告に書き込むことができる項目があります。有価証券報告書は財務諸表と定性的情報の部分があり作成には、かなりの時間と労力を必要とし、もし、後で訂正箇所が見つかった場合には訂正報告書を提出しなければなりません。そのため、作成した有価証券報告書は入念なチェック作業を課す会社がほとんどで、そのため有価証券報告書の作成には提出期限ギリギリまでかかってしまうことになります。ただし、だからといって月末に提出しようとして何らかの間違いが見つかってしまうと財務局では受け付けてくれません。それで提出期限が守れなくなってしまった一大事となるので、月末の1日前に財務局にだして、もし訂正を要する誤りがみつかったら、翌日再提出できるようにして、その提出に間に合う期限として定時株主総会の開催日の日程が組まれたというのが理由です。
 そして、その上で、株主総会を各社で一斉に行なうようにすれば、今はほとんど影を潜めてしまいましたが、総会屋という株主総会で暴れるといって企業をおどしていくばくかのお金を払わせようとする団体が行動できなくするためにも行なわれていました。つまり、各社が一斉に株主総会を行なえば、総会屋は1社の株主総会に出ると、他の会社の総会には出られなくなります。その1社は不運ですが、他の会社は救われることになるので、各社で同じ日に開催するようになり、一時は3月決算の上場企業の9割以上が同じ日に株主総会を行なっていました。
 では、なぜ、招集通知に定時株主総会の開催日をとくに集中日にした理由を、わざわざ記載しなければならなくなったのでしょうか。
 それ理由は、まずは企業サイドから、一つには総会屋と言われる人たちが法改正や警察の取り締まりによって活動を制限され活動できなくなって、一時の隆盛がうそのように、ほとんどいなくなってしまったためです。このため、企業が定時株主総会の開催日を集中させる理由の一つがなくなってしまったことになります。二つ目の理由として、会場の確保が難しくなったという事情です。これは、業界再編が行なわれ企業合併が行なわれた結果、中規模の企業同士の合併により大企業が生まれ、新会社の株主数は大きなものになりますが、従来のその会社の施設では倍増した株主数を収容可能な会場がなく、社外の会場を借りることになります。また、そうでない企業も景気低迷が続く中でスリム化を進める中で自社で株主総会に使うような施設を持たない企業が増えた結果株主総会の会場を社外で借りる方が経費面で有利となりました。その結果、都内の会場は企業の取り合いとなってしまいました。総会の開催日が集中してしまえば、会場を借りることができなくなる企業がたくさん出てくる事態となったのです。三つ目の理由として、議決権の確保です。実は、総会屋対策のために株主総会の開催日を集中日にしたり、書面投票制度という事前議決権行使書を送付して決議に参加する制度などの施策は、企業が株主総会の議決権の票読みを確実にできていたからこそ可能なものでした。そして、それを可能にしていたのは、いわゆる株式持合いを企業同士で、あるいは金融機関としていたからです。しかし、景気低迷が続き企業の業績が厳しくなってくると、各企業の資金的な余裕がなくなってきたり、株価が低迷して利益数字の足を引っ張る事態が起こってくると、各企業は保有していた持ち合い株式を手放さざるを得なくなりました。とくに金融機関がシビアな状態となり、その結果、各企業が株主総会の票読みができなくなってきた、甚だしい場合には株主総会が成立するための定足数を確保することすら難しくなってきたのです。そうなると、株主に株主総会に出席してもらわなければなりません。そのために、他社と同じ日に開催していたのでは、2社以上の株式を保有している株主(株を持っている人のほとんどはそういう人です)は、自社の株主総会に来てくれない可能性が高くなります。それで他社と開催日を重複しないように考える企業が出てきたというわけです。
 また、これを株主総会に出席する株主の側から見ていくとどうでしょう。ひとつは、企業側からの理由にもありましたが、企業間の株式の持ち合いが少なくなって、株主構成が変わってきたという事情があります。企業が株式の持ち合いを続けられなくなり、保有している株式を売却した場合、その株式を市場で買ったのは、機関投資家や個人株主と言われる人たちだったと言われています。株式の持合をしている企業であれば、議決権行使書を郵送するか、社員が総会に出席すればよかったのですが、機関投資家や個人投資家は一人、または数人の所帯なので、株式を持っていた会社が一斉に株主総会を開催してしまうと出席できません。投資する側としては社長をはじめ経営者を実際に見ることができる数少ない機会でもあるので、参加することに意義があるはずです。とくに、このような環境変化に伴い、株主と経営陣との対話であるとか、企業が個人株主を熱心に勧誘するようなことも始まり、「開かれた総会」ということが言われ始めました。そのためには、株主にまず株主総会に参加してもらわなければなりません。そこで、各社が総会の開催日を重複しないように分散化すれば、数社の株式をもっている株主はそれぞれの企業の株主総会に参加しやすくなるというわけです。
 このような動きを法律面で後押ししようとしたのが、この規制というわけです。現在、集中日に株主総会を開催する企業の比率は、かつての9割から4割ほどに大きく減少しました。

2016年7月24日 (日)

株主総会の実務をIRやコーポレートガバナンスの面から考える(15)~2の1 狭義の招集通知(3)

そもそも議決権行使書という文書は昭和56年の商法改正により導入されたものです。それ以前には、議決権行使書と、このベースとなる書面投票制度というものはありませんでした。株主総会というのは、本来、株主が出席して、その場で議論を交わして熟議の末に投票を行い決議をすることで重要事項を決めるというものです。これは株主総会に関わらず会議というシステムはそれが原則です。例えば国権の最高機関である国会において本会議に出席せず、議案について書面で投票するなどということがあるでしょうか。議案について会議の場で議論を進めることで、自分とは異なる視点の意見や情報を得ることができたり、他人に自分の考えを説明することで再確認したりと議案に対する認識が深まることになるわけです。そのプロセスにおいて、以前に気付かなかったことを知らされ従来の意見を転換する可能性だってあるはずです。それが会議で議論をする意味です。これは、民主主義での多数決を正当化するために様々な議論が議会制民主主義の当初からあって、熟議によって意見が集約の方向に向かい一般意思に近づいていくというモデルが一般に認められるようになっている、というのがベースにあるのです。権威筋を持ち出すなら、公法学のケルゼンやラートブルッフといった人たちによる多数決原理、つまり、多数者による少数者の説得のために両者の討論があり、その結果としての少数者の多数への賛同・承認をたどることを意味するし、さらにいえば、この過程において少数者の意見も多数者の意見に近づくとともに、多数者の意見も少数者の意見に近づき合うという相互のあいだに、多数少数意見が転化しあい、交替し合う可能性が常にあると言う中で多数決による決議に参加者が納得することになるというわけです。
 ここで、会議に出席できない人が書面で会議に参加するという点で書面投票に外見上よく似ている委任状について比較のために考えてみましょう。委任とは、自分は会議に参加できないから、会議に参加できる信頼に足る人に自分の分を代理して投票してもらうという内容です。端的に言えば、本人は会議の決議に自分の意志を投票するのではなくて、意志を他人に預けてしまうのです。だから、本人がある議案に賛成の考えをもっていても委任された人が反対の投票をすることもありうるのです。委任された人は会議に出席するので、上で説明した多数決原理による議論→投票のプロセスに参加するわけです。その際に議論の中で反対の説得に応じる可能性があるのです。その時、委任した人の意向に委任された人は縛られないのです。そうでなければ会議の議論に参加できませんから。だから、委任状の場合は会議の意味がかろうじて保たれることになるわけです。
 こうして見ると、書面投票制度そのような本来の会議の意味を、言わば、端折って、議論に参加することなく事前に書面で議案に対する賛否を投票してしまうということは、会議の趣旨に反する行為のはずです。
 もうすこし根本的として、会議形式で議論をして決議という結果を出すということは、どういうことかを考えて見ましょう。株主総会で言えば、取締役の選任とか会社が今後生き残って成長するために非常に重要なことを決めるわけです。そういうことを決めた選択が会議で多数決で決めたからと言って正しい選択だったとは限らないわけです。では、どうして多数決で決めるのでしょうか。みんなで決めたことだから、と参加者を納得させる(反対者を諦めさせる)ためでしょうか。たしかに、そういう効果もあるでしょう。しかし、それが間違っていたら誰が責任をとるのか、選んだ全員ですか。それでは責任が有耶無耶になってしまいます。そうではなくて、この背景には様々な意見や見方を持った人が集まって意見を出し合って、十分な議論を行うということ、これを熟議といいますが、この結果として生まれた結論は絶対に正しいと確言することはできないかもしれませんが、限りなく正しいに近いものとなるだろうと推測される、ということなのです。だから、会議で一番大切なのは熟議というプロセスのはずなのです。しかし、議論の前に書面で賛否を投票してしまうということは一番大切なはずの熟議を省略してしまうことになってしまいます。それでは株主総会の結果が正しいという根拠が否定されてしまうことになってしまいます。私は研究者ではないので、このような根拠を説明した学説や論文を聞いたことがないのですが、たぶん誰も考えていないのではないかと思います。
 では、どうしてこのような制度が導入されているのかといえば、この制度が導入された昭和56年の商法改正の時点を状況を考えると、当時の株主総会は総会屋と言われる団体が跳梁跋扈していた時代で、彼らの株主総会でのパフォーマンスのひとつに株主から委任状を集めて、ある程度まとまった議決権の委任を受けて、株主総会の決議について、「我々の協力がなければ株主総会の決議は成立しない」と脅しをかけたり、株主総会の議場を混乱させたりするという方法がよくとられていました。それを行なわせないために、株主がたとえ株主総会当日に出席できなくても、他人に委任するのではなく、選挙の不在者投票のように自身の投票を事前に書面で行なわせるという方法を導入したのでした。こうすれば、総会屋は委任状を集めようとしても、同じ程度の労力で自分で投票できるのですから、何も他人に任せることもなくなります。このような制度導入の趣旨を考えれば、総会屋の活動がほとんどなくなったに等しい状態となり、委任状争奪のプロキシファイトもほとんど起こらない、と言うことを考えれば、本来の会議のあり方から外れた書面投票という制度そのものをやめてしまうことを考えてもいいのではないか、思います。
 株主総会に対して、「開かれた総会」ということが謳われて何年もたっていますし、最近のコーポレート・ガバナンス・コードの中でも会社と株主との対話(エンゲージメント)が熱心に説かれていることなどから、株主総会という会議体を本来の会議で議論して結論を出すという形態に戻すことを考えてもいいのではないか。そのためには、株主だって、投資しているのだから自分で足を運んで株主総会に出席するくらいのことは自発的に行なうべきだし、それを前提に株主総会を行なうということを考え直してもいいのではないか、と思います。
 株主総会で事前に書面投票で決議はほとんど成立することになっているなどということが、すでに分かってしまっていれば、わざわざ総会の議場に出向いて決議に参加する意味もなくなってしまうし、そんな状態で、果たして経営者と株主との間で対等な対話ができるかは、甚だ疑問です。
 しかし、会社法により株主数が1,000人以上の上場企業の株主総会は書面投票制度の導入が義務付けられてしまっているので、やめるわけにはいかない。現実的にどうするのかということについては、株主総会の議場に足を運んでもらうための工夫を考えるという、本来的な課題に収斂することになります。そのためには、株主総会に行きたいと思わせる、株主総会に参加することに何らかのメリットを感じさせる総会にする、ということになると思います。

2016年7月23日 (土)

株主総会の実務をIRやコーポレートガバナンスの面から考える(14)~2の1 狭義の招集通知(2)

Row521 招集通知文は続いて、所謂「なお書」があります。サンプルで言えば、フォントが明朝体からゴシック体に変わり太字になって強調されている部分です。ここには、株主総会に出席できない株主に対しても書面投票、電子投票による議決権行使の依頼や委任状用紙の返送依頼の文言を記載しています。その際に、文言を強調するために、ゴシック体にしたり太字にしたり、それ以外にも下線を施したり、赤色にしたり、罫線で囲んだりするケースもあるようです。
 署名投票制度の採用を取締役会の決議で定めた場合には、「株主総会に出席しない株主が、書面により議決権を行使することができる」旨を招集通知に記載することが必要とされ(会社法298条1項3号、299条4項)、その旨とは一般に「なお書」に記載されています。サンプルでは「当日ご出席願えない場合は、書面によって議決権を行使することができます」という部分です。
 さらに、サンプルにはありませんが、電子投票制度の採用を取締役会の決議で定めた場合には、「株主総会に出席しない株主が電磁的方法により議決権を行使することができる」旨を招集通知に記載することが必要で(会社法298条1項4号、299条4項)、このことは書面投票の場合と同じです。一部の会社では、書面投票や電子投票を促進するためにその旨を記載するところもあります。
 このような書面投票や電子投票では、この方法により議決権を行使する(投票する)期限として特定の時を定めた場合には、招集通知にその日時を明記しなければならないとされていますが、この「なお書」の議決権行使依頼のところに記載されるのが一般的です。サンプルの例では「なお書」部分の最後のところ「平成26年6月25日(水曜日)午後5時までに到着するようご返送下さいますようお願い申し上げます。」という文章がこれにあたります。また、このように議決権行使の期限として特定の時を定めない場合には、議決権行使の期限は株主総会の日時の直前の営業時間の終了時、つまり株主総会の前日の営業時間の終了のときが期限となります。なお、議決権行使の期限を特定の日にしない場合も、議決権行使の期限は招集通知に記載することされています。ただし、議決権行使書に明記されていれば、招集通知には記載しなくてもよいとされています。ここでの注意事項ですが、議決権の行使の期限を特定の日に定めには、取締役会の決議が必要で、なおかつ、この特定の日が属する日の2週間前までに招集通知を発送しなければならない。つまり、特定の日の15日前までに招集通知を発送しなければならないことになります。例えば6月27日が株主総会の場合、特定の日を決めなければ6月11日までに招集通知を発送すればいいのですが、議決権行使期限を2日前の24日に決めた場合6月9日にしなければならないことになります。面倒くさいのは、株主総会前日の25日を特定の日とした場合は招集通知の発送はこれで考えれば、10日ということになりますが、特定の日を決めなければ前日の営業終了時ということで、これならば11日までに招集通知を発送すればいいことになり、同じ1日前でも決めるか決めないかで招集通知の発送期限が違うということになります。(会社法311条1項、312条1項、会社法施行規則63条3号)
 このように、書面投票や電子投票の期限を決めなければならないのは、株主総会で決議をしなければならないからです。書面投票と似たような制度として委任状があります。株主は、株主総会に出席できない場合、自分以外の誰か出席できる人に自分の議決権を託して、つまり委任して自分の分も投票してもらうという制度です。書面投票とは法的性格は違いますが、ここではそのことには触れずに行使期限ということに絞りますが、委任状の場合は委任された人が株主総会に出席して決議に参加しなければなりません。その時に委任されたという証拠である委任状を持参していなければ決議に反映されないわけです。だから言うまでもなく、株主総会の決議の時に委任されていなければなりません。これに対して、書面投票や電子投票はそれ自体が投票なのです。株主総会で決議されてしまっても投票はできるのです。ただし、この場合には決議されてしまっているので投票自体は無効となりますが。しかし、電子投票であればインターネットを通じていつでも投票できるわけです。極端な例ですが、株主総会で決議を諮って集計している最中に投票することもできるのです。もしその時、決議結果が微妙で、その電子投票の1票で賛否が決まるようなことがあれば、集計している1秒の違いで結果の賛否が違ってしまうわけです。そうでなくても、実務上のことを考えれば、決議の集計中に後から後から投票が加わってくれば集計できなくなります。ましてや規模の大きな会社で投票する株主数が多数であれば、事前に書面投票や電子投票を集計しておかないと株主総会当日の会場での投票と合わせて集計できません。そのため、書面投票と電子投票の期限を設定しなければならないのです。

2016年7月22日 (金)

株主総会の実務をIRやコーポレートガバナンスの面から考える(13)~2の1 狭義の招集通知(1)

Row521_3 これから、いよいよメインの本番で具体的な実務の説明に入ります。
 株主総会に関連する書類の中で、まず、狭義の招集通知について見て行きましょう。
 見本として、実際に使用された招集通知をサンプルとして、それに即して説明していくことにします。まずは、サンプルの中で赤字で番号を振った項目ごとに説明しますので、サンプルと照らし合わせながら読んでいただきたいと思います。

①証券コード
 上場会社の証券コードです。これは会社法で規定されている法廷記載事項ではありません。だから、記載しなくてもいいのです。法定事項でもないのに記載されているのは、株主や投資家からの要望が強かったからとされています。実際のところは、リーディング・カンパニーと一般に見なされている有名企業が、海外の機関投資家から要望に応えて記載するようになったところ、他の多くの会社が追随して一般的になったものだろうと思われます。とくに、記載しても害になるわけでもなく、記載する労力もかからないのに、これを記載することで海外の機関投資家に配慮しているかのように見えるということから、追随する企業も多かったのでしょう。また、金融商品取引法や証券取引所の上場規則に基づく会社情報の公開、いわゆるディクローズ文書では証券コードの記載が書式化されています。その点から証券コードの記載に抵抗感はなかったのだろうと考えられます。このような証券コードを記載する会社が増えてくると、今度は記載することが一般化して当然記載することになりました。
 証券コードは、このようなサンプルの位置に小さく記載されるのが一般的です。分類のための便宜が主な機能目的ですから。

②発信日付
 これも、①の証券コードと同様に法定記載事項ではありません。サンプルを見て、気がついた人もいると思いますが、招集通知の書式とか記載されている項目は、一般的なビジネス通知文書と同じです。宛名があり、発信者名があり、発信日があって、タイトルが記されて、拝啓で始まる挨拶に続いて、「記」として区切られた本題が「以上」で締められる。そのうち、ビジネス文書では発信日が記されるのが一般的です。それは、いつ発信されたのかを明確にする。いつのことなのかを明確にする機能があるからです。これに対して、株主総会の招集通知は株主総会日の2週間前までに発送しなければならない(会社法299条1項)とされていますから、発信日を記載しなくても、いつのことなのかは分かるので、なくてはならない、というものではないのです。でも、記載されていれば、いつの文書なのは一目瞭然です。しかも、株主総会開催の手続きとして、決められた期間内に招集通知を発送することが義務とされていて、もし守られなかった場合に、株主総会の開会自体が無効とされてしまうことがあります。その際に、招集通知に発信日を記載しておくことで、発信の日付を示しているという効果はあります。(実際には、料金別納郵便として郵便局にもっていった受領印の日付が発送した確認として用いられているので、裁判になった場合などは招集通知の発信日は証拠にはなりません)
 ちなみに招集通知の発信日について確認しておくと、
 ⅰ)一般論として総会日の2週間前(会社法299条1項)
 ⅱ)株主総会の招集決定の取締役会で議決権の行使期限として特定の時を定めた場合は特定の時が属する日の2週間前に発信しなくてはならない。
 なお、このような総会日の2週間前という期間の日数の数え方は民法140条に「日、週、月又は年によって期間を定めたときは、期間の初日は、算入しない。」と規定されている初日不参入の原則に従います。このサンプルで言えば、総会日の2週間前を計算する場合には、総会日である6月26日は初日になるので2週間の期間にいれずに、その前日である25日から2週間、つまり14日と数えて11日が発信日となるわけです。つまりは、2週間前というのは、総会日を入れれば15日前ということになります。
 そもそも、招集通知の発送期限を厳しく定めているのはどうしてなのかといえば、ひとつの考え方として、公開会社では市場に株式が流通するために潜在的に株主か多くなる可能性があり、株主も会社に縁もゆかりもない見ず知らずの人がなる可能性があるだろうから株主総会に出席する権利を持つ会社の所有者である株主の出席の機会を保障するためにはある程度の時間的な猶予が必要であることから少なくとも法は2週間前の招集を要求したものだ、というのがあります。また、実際的なことを考えれば、書面投票制度が機能するためには、ある程度の投票期間が必要となり、招集通知を株主に郵送で発送し、受け取った株主が議決権行使書に記入して、郵送で返送し他のが会社に戻ってくるまで3~4日の期間をみなければならない、ということも考慮すれば二週間程度の期間は最低必要です。

③宛名
 これもまた、①の証券コードや②の発信日と同じように法定記載事項ではありません。しかし、招集通知をビジネスの業務文書のひとつと考えれば、誰に宛てて作成され、発信されたかを記載するのは当たり前のことです。
 株主総会は株主が出席して決議する会議ですから、そこで招集されるのは株主です。したがって株主総会の招集通知は株主に対して発信される文書です。そこで、宛名は「株主各位」とか「株主の皆様へ」と記されるのが一般的です。この場合、株主の個人名をそれぞれ記載して招集通知を株主別に作成するのが理想かもしれませんが、実際上、印刷では無理なので、上場会社ではそこまで手間をかけてはいません。
 なお、招集通知は総会議事に参加してもらうための招集ですから、議決権を行使することのできない株主及び所在不明株主に対しては、通知をする必要がないとされています。

④招集者及び標題
 これもまた、①の証券コードや②の発信日③宛名と同じように法定記載事項ではありません。しかし、株主総会を誰が招集するかを明示することは、会議を招集する場合に常識では必須の項目です。会社法では、296条4項で株主総会の招集権限は取締役会の専属的権限とされ、他の機関にゆだねることができないとし、296条3項において「株主総会は、次条第四項の規定により招集する場合(少数株主が裁判所の許可を得て株主総会を招集する場合)を除き、取締役が招集する。」と招集の執行者を規定しています。一般的な記載のパターンはサンプルにもあるように、会社の所在地、商号そして代表取締役とその氏名を記載するというものです。なお、ここでの会社の所在地は登記上の本店所在地を記載するのが一般的で、実際の本店所在地が異なる場合は両方の住所を併記する場合が多いようです。
 また、標題も法定記載事項ではありませんが、そもそも何のための通知であるのか標題がなければ、一目で理解されるということは難しいと言えます。開催される株主総会が定時株主総会なのか臨時株主総会なのかは、この標題でしか分かりません。そこで、一般的には「第○回(期)定時株主総会招集ご通知」、「臨時株主総会招集ご通知」と記載しています。このうち定時株主総会の場合は、「第○回(期)」のように回(期)数を付して、いつの定時株主総会なのか特定できるようにしているのが一般的です。

⑤招集通知本文
 法定記載事項でありませんが、招集通知をひとつの文書としてみれば、紛れもなく主文です。株主総会を開催する旨とあわせて、その株主総会への出席の要請を記載し、「拝啓」に始まり、「敬具」で締める手紙形式の文章が一般的です。この通知本文には、株主総会の開催日時、場所及び目的事項等の招集の決定事項は記載しないで、「下記のとおり」として、別に「記」以下にまとめて記載し、最後に「以上」で締めくくる形式が一般的です。ここまではもともと形式的な狭義の招集通知のなかでも、とくに型にはまっているところです。ほとんどすべてに近い会社は、ここで独自性をだそうとか工夫をしようとかはせずに、形式を必要十分に満たす、つまり形式通りにミスなく、つくるという姿勢で共通しています。
 形式的なものではありますが、ここで少しく考えたいことがあります。それは、通知本文の株主に対する株主総会への出席要請です。サンプルでは「ご出席下さいますよう」と書かれた部分です。株主総会に出席して決議に参加するというのは株主の権利です。かつて丸山真男が『日本の思想』のなかで「権利の上に眠るものは保護に値せず」というヨーロッパの私権の原則を紹介しましたが、権利あるものは自身が権利を自発的に行使してはじめて生かされるものであるはずです。そうであれば、株主は権利者なのですから、株主総会の開催について連絡してもらわなければ困りますが、それで十分なはずです。株主総会への出席要請などというのは余計なお世話なのです。それにもかかわらず、あえて「ご出席下さいますよう」などという文言を差し挟むというのは株主を見下している態度が見え透いている、私には感じらなくもありません。ここに、経営と所有の両者が対等に議論するという姿勢があるのでしょうか。そもそも、このような出席要請文を挿入した経緯は分かりませんが、現在の株主総会の運営では会議の定足数の確保がだんだん難しくなってきて、株主の出席を促さなければ株主総会そのものが成立しないおそれもあるので、株主に対して出席を促さざるをえない状態にあることも事実です。しかし、それとこれとは別の話で、ここでは、会社(経営)の株主、あるいは株主総会に対する理念のあらわれであるはずのところなのです。IRの観点から言えば、投資する側と投資される側は原則として対等であるはずで、その点からも違和感を禁じえません。これはタテマエかもしれませんが、株主の出席を促す正攻法は、出席したくなる株主総会を運営することのはずなのです。それがIRの視点でもあると思います。

2016年7月20日 (水)

株主総会の実務をIRやコーポレートガバナンスの面から考える(12)~2 株主総会で作成する文書

(1)株主総会関連文書

株主総会の手続全般については述べました。そこでは触れませんでしたが、株主総会では、株主の議決権行使のために次のような文書が必要であるとして会社法及び会社法施行規則、会社計算規則で定められています。

招集通知(広義の招集通知)
 招集通知(狭義の招集通知)
  参考書類
  事業報告
  計算書類
  注記表
  連結計算書類
  連結注記表
  監査報告書(独立会計監査人、監査役会(監査委員会))
 議決権行使書(委任状)

 付属明細書(←株主には送付せず、閲覧希望者があれば閲覧に供する)
 また、上記以外に法令では定められていませんが、慣行により作成されて株主に送付される文書として次のものがあります。これらの文書は株主総会で剰余金の処分議案が承認されたことにより配当金領収書(配当通知)を株主に送付する際に同封されるものです。なお、上記の招集通知は株主総会で議決権を行使できる株主(単元株株主等)に送付されますが、こちらは議決権があろうとなかろうと全株主に送付されます。

決議通知
 株主通信(事業報告、ビジネスレポート等会社によって名称が異なる)

近年、指名委員会等設置会社や会社法改正により取締役会決議により剰余金処分を決定できるようになった会社は、株主総会で剰余金処分議案の承認を受ける必要がなくなったため、配当金領収書を株主総会での承認を待って送付する必要がなくなりました。この場合、配当金領収書を招集通知に同封して送ることにして、株主総会終了後に決議通知と株主通信を送付することをやめてしまうのです。これにより、経費と労力の削減になります。ただし、総会前に送付する招集通知については、以前の株主通信の機能を合わせて持たせるようにカラー化したり写真や図を豊富にいれて、内容を充実させたものにしています。また、決議通知は廃止して、その内容は会社のホームページに掲載して代用させているケースもあります。

2016年7月18日 (月)

株主総会の実務をIRやコーポレートガバナンスの面から考える(11)~1 株主総会の実務(法定事項)

前回までは、株主総会の意味合いとか目的について考えてみました。いわば序説的なことで、株主総会とは、どういうことで、何をするのかを、そもそも論で考えてみたというわけです。それをベースに、今回から、実際に株主総会をどうしていくかを考えていきたいと思います。まず最初に、現在において実際に株主総会の実務として行われていることを概念的に、大雑把に並べてみます。次回以降、このそれぞれについて、個別に細かく見ていくことになります。

(1)株主総会の実務~法定事項
 株主総会を開催し、運営することに関しては会社法とその関連法規(会社法施行規則、会社計算規則)において手続きを細かく規制されています。これは、株主の権利である株主総会の議決権などの権利行使を保障するためという原則です。現在のように議事運営や招集手続などに詳細な規定が設けられたのは昭和56年の商法改正のときからですが、このときは、総会屋が跋扈し、会社と株主の間で、両者を分断させて、株主総会を混乱させることにより利益を得ていたのを規制することを目的としていました。しかし、総会屋を排除するためには会社が株主に対して適正な方法で株主総会を運営しなければならいわけで、そのために一定の基準が必要(株主に対して、どの程度の説明をしなければならないかといったこと)で、それを具体的に示したものと言えます。
 簡単に説明していきましょう。

①株主総会の招集

 1)招集権者
 株主総会は招集権者による招集で開催されます(会社法296条)。その招集権者は原則として代表取締役です。(株主の総意に開催とか、少数株主による招集とか裁判所の命令によるとかありますが、例外的なことなので、ここでは触れません)代表取締役は、取締役会に株主総会招集の決議に基づき、その決議の執行として総会を招集します。もし、この決議なしに招集した場合には、招集手続の法令違反として、株主総会で決議された事項に対して決議取消の訴えを提起される可能性が生じます。
 ※取締役会による株主総会招集決議(会社法298条)
   株主総会の招集決議の内容として、次の事項を決めなければなりません。
    ・株主総会の日時及び場所(前回と著しく異なる場合は、その理由)
    ・株主総会の目的事項(→報告事項と決議事項)
    ・書面投票あるいは電子投票する旨
    ・その他省令で定める事項(議決権の代理行使、不統一行使など)
 この決議の内容は金融商品取引所の適時開示事項になります。また、議題の中に定款変更などの特別な議題があった場合は、そのこと自体が適時開示事項となります。
 多くの上場会社は、この株主総会招集の決議を通期決算発表のときに併せて決議します。そのため、この時の取締役会は決算取締役会と呼ばれることがあります。なぜ、この時期に招集の決議をするのかという理由は、決算発表で開示される決算短信に配当の予定や取締役の異動の予定が記載されるためです。それらは、通常であれば株主総会の議題であるため決算短信に記載するためには決定していなければならず、その決定は株主総会招集の決議で決定されるべきものだからです。テレビや新聞で企業の決算発表と新社長の就任が報じられるのは、このためです。

2)招集の時期

 株主総会には定時株主総会と臨時株主総会がありますが、ここでは定時株主総会に絞って説明していきます。定時株主総会は毎事業年度の終了後、一定の時期に年に1回必ず開催される株主総会のことをいい(会社法296条)、通常は、会社決算後3ヶ月以内に開催するべきとされています。
※定時株主総会の時期
 多くの上場会社が定時株主総会を決算後3ヶ月以内に開催しているは、決算後に財務局への正式な報告である有価証券報告書を提出しなければなりません。その有価証券報告の記載項目(配当金等)について、取締役会や総会で決めておかないと、公的に承認された数字ではなくなってからです。

3)招集土地

4)招集通知

 招集通知を対象株主全員に送らなかった場合、総会開催の2週間以前に送らなかった場合、招集通知の内容が不十分であった等は招集手続の法令違反として決議取消事由になります。
 招集通知は株主総会開催日の2週間以前に株主に向けてはっそうしなければなりません

②株主総会の議事運営
 株主総会の運営は、定款その他の自治規則、または会議体の一般原則に従って運営されます。

1)利益供与の禁止(会社法120条)

 会社は、何人に対しても株主の権利行使に関して財産上の利益を供与することができない。これは総会屋対策として、会社が総会屋に金品を渡すことを実質的に禁止するという内容です。それだけでなく、最近では総会出席者への過度なお土産、株主優待などに関連して問題となる可能性も生じてきました。

2)取締役の説明義務(会社法314条)

 株主が株主総会で会議の目的たる事項について質問することがてき、取締役(または監査役)がそれについて説明する義務で、一応の基準として会議の目的たる事項を合理的に判断するのに客観的に必要と認められる程度は説明しなければならないとされています。また正当な事由があれば説明を拒否することも出来るとされています(会社法施行規則71条)。こり説明義務が尽くされずに決議された場合には決議取消事由となります。
 ここで実際に問題となるのは、株主総会の質疑応答をどの時点で切り上げて議案の採決に移るかというタイミングです。

3)株主総会の議長

 株主総会の議長は定款で定められている会社が多いと思います。通常は代表取締役あるいは社長が務めると規定されています。また、定款の同じ条文には議長に万一のことがあって、議長を務めるのが困難になった場合には、予め取締役会で定めた順番に従って代わりのものが議長を務めると規定されています。そのため、株主総会においてひな壇に取締役が横一列に並んで座りますが、その席順は、この定款の条文にある議長を務める順番に並んでいるはずです。つまり、議長席に近い順に代わって議長を務めることになっているわけです。
 また、会社法315条では議長の権限が定められています。総会の秩序を維持し、議事を整理する権限とされています。具体的には次のような内容です。
    審議の方法、株主の発言時期を指定する権限
    発言者を指定する権限
    発言時間、質問数などを制限する権限
    回答者を指名する権限
    質問の打ち切りをする権限 等

③株主総会の決議
 株主総会の決議には次の3種類があります。

1)普通決議(会社法309条1項)

 次以降の特別決議または特殊決議以外の場合の一般的な決議です。議決権総数の過半数にあたる株式を有する株主が出席して、その出席株主の議決権の過半数の賛成で成立します。

2)特別決議(会社法309条2項)

 議決権総数の過半数にあたる株式を有する株主が出席して、その出席株主の議決権の3分の2以上の賛成で成立する決議です。定款変更議案など、特別決議が必要な場合は会社法で規定されています。

3)特殊決議(会社法309条3、4項)

 個別に特別決議より重い要件が定められている決議です。取締役の責任の免除及び株式譲渡制限の定款変更決議が、これに当たります。

2016年7月13日 (水)

アメリカの銃規制について考える

アメリカで銃の乱射事件があったり、テロがあったりすると、そのたびに銃規制の議論が、話題になります。しかし、憲法で銃を持つ自由が保障されていたり、普通に銃を所持・携行しているというアメリカの実態がテレビや新聞で報道されます。それに対して、厳しい武器の所持に対する規制があって、面倒な手続きをへて、資格をもった一部の人しか持てない現代の日本の状況と比べて、違和感を露わにしています。みんなが銃を持っているのは異常と言わんばかりです。たしかに、日本人の感覚として、私も隣人がショットガンを持っているかもしれないとか、スーパーで後ろに並んでいる人がライフルを担いでいるなどということは、想像をこえています。物騒とか以上のものでしょう。でも、みんなが武器を持って、自分で自分を守るのが当然という社会で、その自衛手段を規制するとすれば、そのかわりに国が自分で守る必要のないくらいに強力に治安を維持し、規制の違反者を取り締まることが出来なければならないでしょう。それをアメリカの警察にできるのか。
 
ふりかえって、日本のことを考えてみれば、過去に、自分で自分を守らなければならない時代もありました。例えば戦国時代です。戦乱の中で、農民と武士の区分は曖昧で、大名同士の戦争から身を守り、野盗からも身を守るなど、みんなで武器をもっていた時代です。それが、天下統一があって、全国的な秩序を立て直し、軍隊の強制力を背景にして豊臣秀吉が刀狩を、ようやく実施することができわけです。しかも、それは徳川幕府になってからも何度も繰り返して行われたというわけです。それ以降、幕府による治安が保たれ、武器の管理を厳重にすることで、ようやく、今のような日本の体制ができている。海外からみれば、例外的な状態ではないかと思います。だから、我々だって、かつてそうだったのですから、アメリカのことを、あれこれ言えるのでしょうか。
 それよりも、そういう例外的な状況にいるということに無頓着で、それを当然と見ているような意識は、防衛論議の平和の考え方にも通底しているようにも思えて、それが現実味を欠いた感情的な議論に留まっていることの、ひとつの理由にも見えてきます。

 

2016年7月12日 (火)

矢野顕子「Watching You」

彼女が出産と育児のブランクから音楽活動に復帰したWelcome Backに収録された曲
 本人のピアノとベースとドラムスというジャズのピアノ・トリオというアコースティックな伴奏をバックに次のように歌う。 

あなたのねがお わたしはみてた
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 少しわたしもねむっておきて
 あなたのねがお まだまだみてた
 よかった あなたがいて よかった あなたといて
 よかった よかった 

あなたのおしり わたしはみてた
 少しやさしくつねってなでて
 あなたのおしり じろじろみてた
 よかった あなたがいて よかった あなたといて
 よかった よかった 

たった ひとつの ちいさな命
 世界中にあふれる命をだきしめる
 この手で 

よかった あなたがいて よかった あなたといて
 よかった よかった 

やがて旅立つ 愛をまとって
 世界中の暗闇の中で灯をともす
 その手で
 あなたのねがお わたしはみてた
 少しわたしもねむっておきて
 あなたのねがお まだまだみてた
 よかった あなたがいて よかった あなたといて
 よかった よかった 

育児から復帰直後の彼女の境遇と曲名から子どもを見守る母性溢れる曲に聴こえる。しかし、メインのフレーズもそうなのだが、歌詞の「た」で脚韻を踏んでいるのが妙に耳に引っ掛かる。もっと耳障りの滑らかな音を使えばいいのにと。神経質すぎるかと思っていたら、この「た」がしつこいほど繰り返されていることは意図的ではないかと思うようになった。つまり、ここで歌われていることはすべて過去形なのだということ。現在形であれば、

“あなたのねがお わたしはみてる”

となるはずだろう。しかし、実際には

“あなたのねがお わたしはみてた”

と歌う。だから、あなたがいてよかったと歌う「あなた」は、すでに、この歌が歌われた時点では、もういないということになる。そうすると、この優しいうたは、実は喪失感を歌った歌なのだ。それをあたかも優しい歌であるかのような歌われるとき、その虚しさは、空々しさとともに寂寥感が半端ではないものとなる。歌を聴きすすめていくと、この“た”と“て”というタ行の音がフレーズの尻に脚韻を踏むようにでてきて、その吃音のようなつっかかる音が繰り返しでてくるたびに、その喪失感、空虚感がダメ押しされるように連続して突きつけられる。愛しい者を失ったあとで、その者があたかも身近にいるかのように幸せそうに他人に語る、その時の本人の寂しさ、それを誰も共有してくれない孤独、それを表に出せない、それがストレートにぶつかってくる。その時の本人の浮かべているであろう微笑を、何も知らない人はほほえましいとか思って見る。そういう絶望的な状態。この歌は、そういうものが塊となって、聴く者を真綿で優しく締め付けるような息苦しさがある。
 そして、バックのメンバーは腕達者揃いで、こんな優しい曲に不相応なほどキリキリ緊張するほどのプレイをしている。凄絶

2016年7月11日 (月)

株主総会の実務をIRやコーポレートガバナンスの面から考える(10)~序の4 日本の株主総会の特徴(2)

④第二次世界大戦後の株式会社の大変革
 1945年に日本は敗戦国となり、連合国軍に占領され、GHQによる占領統治を受けます。このとき、アメリカを中心としたGHQは日本が専制的な体制となって侵略戦争を起こすことがないように、日本の社会政治体制を作り直そうとしました。それが民主化政策と呼ばれるもので、経済の分野に限れば、農地改革で不在地主による大土地所有を解体し自作農を育成し、企業に対しては財閥解体により資本の独占と集中から市場で企業が自由に競争できる環境を作ろうとしました。また戦争協力者の公職追放に関連して大企業のトップ経営者は戦争に協力したとして、その地位から退くことを強制され、経営者の世代交代が一気に進みました。このような動きの一環として、昭和25年に商法大改正があり、会社法関係についてはアメリカの商慣習が大幅に導入され、授権資本制、無額面株式制の採用、社債発行限度の拡張、経営機構合理化のための取締役権限の拡大および株主地位の強化のための諸方策が織り込まれました。これらの諸策は、他方で戦争により枯渇した資金の調達、その一環として外資(主にアメリカ資本)導入の便宜をはかる狙いもありました。
 そして、株主総会については株主の地位強化が図られたという意図とは裏腹に、資本主義経済組織の下での株式会社制度の本来的な機能の一つ、つまり支配集中機構としての機能の発揮を可能にするものとなったと言えます。株主総会については、改正前は、文字通り会社に関する一切のことについて決議することができ、その決議は当然取締役または監査役などの他の機関も拘束することとされ、会社の最高かつ万能とされていました。これが、改正商法では、定款に定めがない限り業務執行に関する権限はなく、法令または定款で株主総会の権限と明記した事項以外のものについては権限がないなど、実質的に権限を制限され、一切の業務権限は取締役会制度を設けて、担わせ。外部監査機関としての監査役の権限を会計監査権限のみに縮少させ、取締役ないし取締役会および代表取締役など会社経営機構の権限を著しく巨大化させました。その反面この巨大化した経営権限なチェックするものとして株主地位の強化を図りました(例えば、株主代表訴訟制度の創設)。
現在、株主総会が形式化していますが、そのスタートはここに始まるというわけです。

⑤高度経済成長と総会屋対策
 日本経済は、敗戦後の混乱から復興経済政策を経て、高度経済成長を遂げ、企業経営についても成熟し、多様化していく一方で、復興のために無理をしてきた弊害も現れてきました。例えば、護送船団方式といって官民一体となって経済発展を進めてきたものが、海外からは閉鎖的とみなされ、日本経済が世界でも一定の地位を占めるようになったからには門戸開放を迫られることとなりました。中でも日本企業の閉鎖性が指摘され、企業の情報開示について企業会計制度にも触れながら根本的な見直しが行なわれた。そして、当時の上場会社の株主総会を跋扈していた総会屋は必要悪とみなされる時期もありましたが、企業の健全な経営を阻害するものとして本格的に対策が始まったのが、この時期でした。
 その一連の商法関連の法改正が昭和56年の商法改正です。主な項目として、総会屋への利益供与を禁止し、株主総会での株主に対して取締役や監査役の説明請求権や提案権を認めた。また、単位株制度を導入し、会社間の株式の相互保有が規制され、子会社による親会社の株式保有を禁止しました。とくに株主総会関係については、株主総会における取締役および監査役の説明義務、株主提案権、監査役の監査権限の強化(会計監査に留まらず取締役の適法性監査の拡大)、会計監査人による監査の拡充強化等を上げることができますが、とくに、営業報告書、附属明細書、監査報告書などの記載方法・事項の充実等による企業内容の開示、つまり企業公開の充実が重要です。
 株主総会に関しては、総会屋対策の一環でもあり、書面投票制度(議決権行使書)が創設され、その書面投票のために参考書類を整備することが義務付けられ、その詳細が参考書類規則に明文化されました。
 いわば、現在の株主総会や情報開示制度は、ここに始まると言えます。

2016年7月10日 (日)

株主総会の実務をIRやコーポレートガバナンスの面から考える(9)~序の4 日本の株主総会の特徴(1)

これまで、全体として企業形態の変遷と、これに伴う株主総会の意味合いの変化を追いかけてきました。ここでは、一般的な株主総会に対して、日本の企業風土や環境によって、どのような特徴のあるものになっているのかを見て行きたいと思います。

①株式会社制度の輸入
 明治政府の開化政策で、欧米では個人では調達することが難しい巨大な資本を終結して事業を営むことが導入されます。その典型が、国立銀行であり、その後鉄道や海運、紡績、保険などの多額の資金、とりわけ設備投資のための長期資金、を必要とする事業で株式会社に類似した団体が作られていきました。この場合、例えば国立銀行条例といった特別法によって官庁の許可制により設立されていました。この動きに続くように1890年商法が制定されますが、会社の設立は、当時の欧米の傾向とは逆に会社設立は特許制がとられました。殖産興業政策を進める明治政府にとって、そのための資金供給者として想定していたのは、次の三つの層でした。第一に江戸時代以来の富を蓄積させてきた商人層、第二に華族層、そして第三に地方を中心に存在する地主層です。明治初期は海外の資金に依存することが少なかったこともあり、長期的な資金調達はなかなか進みませんでした。そのため短期資金を提供する普通銀行が長期資金の提供も担うこととなり、その手法として株式担保金融、株式抵当金融が行なわれました。また、株式の払い込みについても分割払込制度がありました。設立時に引き受けられた株式にいて、株金額の4分の1は最低限遅滞なく払い込む義務があるというもので、会社は資金需要に応じて株主に未払金部分を請求して資金調達を行なうというものでした。この制度を前提とすると、会社が事業を展開する中で新たな資金需要が生じ、株主に対して未払金の払込請求を行う場合、株主は事業の状況や新たな資金によって事業がどうなるのかの成否をよく考えた上で請求に応ずるかどうかを判断し、時には請求に応じない選択もできます。これは、株式会社形態で営まれる事業のリスクが高い反面、これに提供される資金が長期的に固定されると、資金提供者のリスクが最低限にとどめることができます。このリスク回避の観点から見れば、これに株式担保金融が組み合わされて、銀行から資金の融通を受けた投資家が株式を購入し、その株式を銀行への担保にする場合、その投資家はより少ない元手で投資が可能になるわけです。これは、当時の資金の社会的な蓄積が低いレベルであったため仕方のないことだったと言うこともできます。これによって相対的に資金の少ない層でも株式の投資に参加できたわけですから。しかし、このような人々は充分な資産を持っているわけではありませんから、株式投資が熱を帯びれば銀行借り入れによって積極的に株式を取得しますが、ひとたび株価が暴落すれば、担保価値がおちるので直ちに株式を売却します。これでは、株式を投機の対象とすることになってしまい、企業からすれば株式を通じた資金調達が困難になってしまいます。このような株主は、株主総会等で会社の意思決定に関与することなど期待できないわけです。

②日本の資本主義経済の成長
 1904年の日露戦争以降、政府は外債による資金調達によって戦後経営を積極的に進めました。この時期に経済基盤の整備が進み、日清戦争後からの電信電話事業、日露戦争後の電力事業の展開は、鉱山から産出する銅への需要を高め、これに応じて電線製造の事業が勃興します。これに伴うように、機械工業や金属工業等の重工業部門は会社数が著しく増加しました。これらの事業が多額の資金を必要とする性格のもので、そのために株式会社制度が用いられてと言うこともできると思います。この後景気高揚と不景気を循環的に繰り返しながら、ヨーロッパでの第一次世界大戦勃発によって特需景気によって急速な産業発展がもたらされます。
 1899年に商法が改定され、株式会社設立に際して特許主義から準則主義に方針を転換しました。商法の改正はありましたが、株式会社制度についての基本的な思想の点では変化はありませんでした。その大きな特徴として指摘できることは所有と契約の原則が希薄であったと言うことがあげられます。もともとヨーロッパで形成された株式会社という制度は商人が資金を集めて自由に事業活動を展開させていくための団体、制度として発展、変遷してきたものです。これに対して、日本が導入したのは19世紀の産業革命が進んだ準則主義に則って大規模な資金調達によって経済成長を進めていくのに便利な制度となっていた完成形に近い株式会社制度でした。それが、明治政府の殖産興業政策を進めるにあたって民間の企業を育てていくのに便利なツールとして、その形式を導入したという経緯によるものではないか思われます。つまりは、巨大な資金終結機構として、多数の株主が団体を構成するという形態を導入したというわけです。そしてさらに、所有の面で考えれば、出資者の所有に基づく権利が弱く、会社財産は出資者の共有財産という考え方ではなく会社という独立した存在の固有の財産であるという議論が生まれてきます。つまり、出資者個人の権利と機関としての企業に対する権利が切り離されたという特徴を帯びることに成りました。
 そこで株主総会について考えてみると、多額の資金を当時の日本ではそれほど数が多くない資産家層から集めるための便宜として政策的に利用するためのものだったというのが実態と考えられます。そこには契約と所有に基づく株主による自治などというものは経営にとって邪魔でしかなかった、ということです。

③大恐慌後の修正資本主義
 1920年の世界大恐慌に続く長い景気低迷から経済が回復に向かったのは、1932年ごろ、赤字公債の発行を伴う政府の財政出動により有効需要を創出するという政策に基づくもので、支出増大の核は軍需需要の増大でした。この軍事需要に関連する重化学工業が景気回復の牽引役を果たしました。これは事業の大規模化と巨大な資金需要を要するもので、企業集中や統合が活発と成り、結果的に財閥の形成が進みました。
 財閥は頂点に合名会社の財閥本社を置きその下に株式会社化された直系会社もそして傍系会社の網によるコンツェルンが形成され、特徴的な資金の流れを生みました。例えば、傘下企業の資金需要に応じて株式を通じた資金調達を行う場合には、財閥本社に未払込株金の支払請求を行なうか、資本増加の株式を引き受けてもらうことになる。一方、財閥本社にとって、そのための原資は傘下企業株式か、ここからの配当金に限られます。そのため、財閥内の他の傘下企業に資金的余裕がある場合には、その企業から本社に特別配当を行なわせ、その資金を当の傘下企業に払い込む。また他の傘下企業に資金的余裕がない場合には、傘下企業株式を担保にして本社が財閥内の系列銀行から長期借入を受け、この資金を傘下企業に払い込むというものです。これらのうち、配当を資金調達の原資に用いる場合、資金供給者は原則として財閥本社となり、それは大きな目で見れば財閥における内部留保資金による。他方、長期借入で系列銀行を通じて資金調達が為される場合は、その原資は預金であり、その資金供給者は零細な資金を提供した家計だということになります。
 これに対して、非財閥系の企業は昭和期に入ると好景気と軍需による重化学工業の成長が多額の設備投資を招き、そのための資金調達として株式や社債の発行が盛んになりました。この資金の出し手は、従来の資産家層のみならず法人投資家が大きくなってきます。
 このような状況の中で、1938年に商法の大改正が実施されました。これまでの説明の通り、財閥系企業と非財閥系企業では資金調達の構造が全く異なり、両者の「所有と経営」の関係には相違がありました。財閥系企業の場合には、早くから所有と経営の分離が進み、本社は内部昇進者を中心とする傘下企業の経営陣に経営を委ねたうえ、報告を受けた重要案件を審査・決裁するという分権的な制度を採用したのに対して、非財閥系企業では、大株主層が役員をかねるケースが多く見られたといいます。
 このような中での株主総会の位置づけとしては、財閥系企業では、内部での資金配分と専門経営者に経営を委ねるに際して財閥本社の影響力を確保しておく必要があり、非財閥系企業では、経営監視の観点から、大株主が影響力を確保しておく必要がある。このようなニーズの中で株主総会は会議体として位置づけられていたと考えられます。

2016年7月 9日 (土)

株主総会の実務をIRやコーポレートガバナンスの面から考える(8)~序の3 株主総会はどのようにして位置づけられてきたのか(2)

②アメリカにおける株式会社制度の確立

ⅰ)ビジネス・コーポレーション
 イギリスにおいて発達したジョイント-ストック・カンパニーは、アメリカで引き継がれ、資本主義経済の拡大とともに近代的な株式会社として確立していきました。それが、ビジネス・コーポレーションです。ジョイント-ストック・カンパニーは貿易や公共事業といった事業の政治性が濃く、国家が介入することに意味がある事業に特許を賦与されましたが、そうでない製造業は伝統的なパートナーシップの形態で行なわれていました。これは小規模な生産を行なう限りのもので、大量生産にために多額の資金を必要となってくると間に合わなくなります。それを引き継いだのが、ビジネス・コーポレーションと言えます。これはパートナーシップの制約を超えた合本企業の形態です。この制度は、植民地から独立したアメリカで確立し発展していくことになりました。そのことに大きく寄与したのが鉄道業です。鉄道建設には莫大な資金を必要とするもので、公共的な事業であるため特許状を賦与するにたる政治性もありました。しかし、鉄道事業はインフラの建設と整備だけに留まらず、運送事業は私的な契約を基礎として行われました。つまり、公的事業と私的な事業が同一事業体で行われていたわけです。その結果として政治性は希薄化することになります。さらに、大陸横断鉄道がフロンティアである西部に拡大していくと建設資金が桁違いに多額となって、資金調達の対象が大きく拡散し多様化していきます。その結果、株主やその代表者が経営の管理に口出しできなくなっていきます。同時に鉄道会社の管理そのものが複雑多岐になり、常勤の俸給管理者だけがもつ特別な技能と訓練を必要とするものになっていきました。そこで、所有と経営の分離が進んでいくことに成りました。そして、特許状によらず、基本定款の提出によって会社設立を可能とする準則主義への転換が1830年ごろに各州で進み、1870年には一般化しました。
 ビジネス・コーポレーションにおいて政治性が希薄化し、国家による特許から準則主義により認可に変わって言ったベースには、公共目的のために特権を賦与するということでは目的が限定されてしまいます。運送業や製造業といった私的領域は対象となりません。そこで、出資によって団体が形成されるというのは契約に基づく結合であるという所有と契約を基礎とした考え方に変わってくるのです。その契約関係を守るために会社は一定の要件を備えていなければならないわけで、それに従わせるために準則主義が採られるようになっていったということになるわけです。
 この場合の株主総会の制度的形態に関しては、ジョイント-ストック・カンパニーから引き継いだ会議体の形態でした。このベースとなる考え方はビジネス・コーポレーションは、営利目的の存在を前提として出資者の契約によって成立した団体であり、それゆえ団体としての権能も契約者である出資者の意思決定によるというものです。したがって、株主総会における多数決の決議が正統性をもつことになるわけです。

ⅱ)現代に連なる巨大化
 19世紀中盤以降のアメリカでは鉄道の建設で要求される資本の額が巨大であるだけでなく、運営に当たっても、比較にならない複雑な管理業務が生まれてきた。これは株式会社という組織に管理階層が出現したと言える。
 鉄道会社は輸送取扱量の増加を目指して企業間で競争を激化させていきますが、そのために周辺の会社を買収し、内部化させていきます。それにより組織が一段と巨大化、複雑化させていき、専門的な管理者の経営に任す以外になくなっていきます。これは鉄道会社だけに限ったことではなく、19世紀以降の展開は規模と範囲の経済を追求することと、生産における単位費用の減少を図るものとなって行きました。とりわけ、1870年以降、当時の技術革新を基礎として、生産、流通、その管理機構に対する大規模な投資が行なわれました。このような買収などによる統合と巨大化によって、所有と経営の分離は不可避のものとなり、一方で生産から流通にいたる経営上の管理に関する専門家が不可欠であり、他方で、企業活動に必要な資金を個人投資家か集めるようになっていました。このことは、企業において実質的に株主の影響力が希薄化して経営者に権限が集中し、これに対する監督が機能しなくなってきたということでした。ここに、企業の大規模化を認めながら、これに伴う経営監督を考えていく、コーポレート・ガバナンスの議論が始まることになりました。
 このような企業の変化に伴い、株主総会では、とくに議決権のもつ意味合いが変化していきました。そのひとつが一株一議決権の原則です。その大きな理由は企業統合により企業規模が巨大化する中で少量しか出資しない者が会社を支配することへの懸念が生まれたためです。パートナーシップの企業体であれば人的結合体としての性格から株主の頭数応じた議決権の方向に寄っていくことに成ります。これに対して、企業統合が進展するとパートナーシップ的な傾向が希薄化し、一株一議決権の方向に進んでいったのでした。もう一つの理由は、会社の目的の基本的な変更は株主の全員一致が必要とされてきましたが、このような企業の変質に伴い、それでは基本的事項の変更は困難となったため多数決による決議が導入されていくことになりました。このことは、とりもなおさず、株主が会社の所有者だとはいっても会社を自分の思い通りに動かすということは叶わず、経営と所有が分離し、経営者の選解任により経営者をコントロールいる以外にはできなくなっていきました。そのため、経営者の権限濫用を抑えるための役割を株主総会が担っていく(コーポレート・ガバナンスの始まりとして)ことになったわけです。また、株主の側も、パートナーシップの企業形態の実際に経営して者が出資をすることから、個人投資家や機関投資家といった、企業経営の実態とは距離を置いて、投資という企業の事業の現場とは離れ、所有の意味合いも変化するとともに、株主総会では意見のやり取りや議論が形式化していくことになりました。 

参考文献 松井秀征「株主総会制度の基礎理論」

2016年7月 8日 (金)

株主総会の実務をIRやコーポレートガバナンスの面から考える(7)~序の3 株主総会はどのようにして位置づけられてきたのか(1)

株主総会とは、どのようなものかという概要は前節でのべたので、ここでは理解を進めるために、前章で株式会社の歴史的な成り立ちを遡ったように、ここでは株主総会が会社という経営形態のなかで、どのようにして成立してきたかを追いかけてみたいと思います。ここでは、参考文献にも挙げてありますが、松井秀征という人の『株主総会制度の基礎理論』での議論を紹介しながら進めて生きたいと思います。

①イギリスにおける商人ギルドからジョイント-ストック・カンパニーでの起源的な株主総会
 イギリスにおける商人ギルドの発生とレギュレイティッド・カンパニー、ジョイント-ストック・カンパニーへの変遷については、1(2)のところで説明しました。ここでは、それぞれの組織の特徴と株主総会について見て行きたいと思います。

ⅰ)商人ギルド
 商人ギルドは中世都市の中心階層である商人や職人が生活範囲である地域の市場の統制、管理のために形成したものです。そのため強力な排他性、地域性を有していたと言うことができます。もともとのギルドは宗教的・社交的な目的で人々の間から自然発生的に作られた団体でした。しかし、商人ギルドには市場の独占という経済的特権が与えられていました。この根拠は中世都市が領主から与えられた特権を実際の経済の場で扱う機関として役割を果たしていたことに付随したもので、ギルド自体が法人格や特権を持っていたのではなかったのでした。
 このような商人ギルドの内部組織は一定の自律性を確保していました。ギルドの団体としての純粋に私的な人的結合であったことから、団体の意思決定の正統性のために構成員による平等な決議による決議がされていました。さらに団体しての社交的・宗教的性格のゆえに意思決定を行なう会議は、会食を伴い、社交的な構成員の紐帯を確認する場でもありました。

ⅱ)レギュレイティッド・カンパニー
 しかし、イギリスでは毛織物貿易が進展し商人ギルドの排他的な市場の統制が、新たな業者の参入を拒んだり、他の地域から労働者を雇用して生産を拡大することに対する障害となっていました。そこで設立されたのがレギュレイティッド・カンパニーと総称される団体です。この団体は織物工や商人が、従来の都市におけるギルドの地域性から逃れることを目的とした団体です。しかし、組織の主たる目的は構成員でない貿易業者による取引や、規制外の取引を阻止することにあったので、ギルドの排他的性格も残ったものでした。カンパニーへの加入はギルドに比べて緩やかで、加入金の支払イにより加入できたので、排他性はギルドほど厳しいものではなくなっていました。ここに、ギルドという地域に密着した個別的・特殊的な団体形態から定型的・一般的な団体形態への展開の端緒が現れた言うことできます。そして、このレギュレイティッド・カンパニーという団体の制度的な特徴を考えてみると、ギルドが実体は私的に形成されながら自らは法人格を持たず、特定の都市と密接な関わりを有することで地域性や排他性をもつことで都市の経済的特権に依拠していたのに対して、都市の領域を越えたレベルとなったため、都市に権威に依拠することはできず、都市に替わって国家=王室に権限を付与された、つまり特権を許可されるという国家の制度的な基礎付けを与えられた団体となっていました。
 このようなレギュレイティッド・カンパニーは、団体の実体形成の点から見れば、私的性格を残すものでありました。したがって、ギルドと同じように構成員による意思決定のための内部機関を有していました。しかし、ギルドと違って都市との連関が切断されたため、団体内部の社交的・宗教的な要素を維持すべき要請は乏しくなりました。このような、地域との結びつきを失ったレギュレイティッド・カンパニーは、都市という共同体での紐帯を確認する場としての機能は失っていったと言えます。ということは、ギルドでは構成員による意思決定のための総会に求められた場は、レギュレイティッド・カンパニーでは必然性を失い、形式化していくこととなりました。

ⅲ)ジョイント-ストック・カンパニー
 16世紀になるとヨーロッパの植民地進出が本格化します。スペインが新大陸から銀を獲得するために毛織物を輸出しました。実は、その毛織物を生産していたのがイギリスで、新大陸の銀はイギリスにも流入します。このスペイン経由で新大陸に毛織物を輸出していたのは新興のレギュレイティッド・カンパニーの構成員でない闇の商人たちでした。そしてまた、植民地活動と強い関係のもとで商業活動を進めるということは、国家の関与が格段に強化されることになりました。したがって、この闇商人たちを取り込んで活動するジョイント-ストック・カンパニーは国家の政治・外交的な介入がつよまり、その結果として個々の商人の活動が制約され、団体自らが経済活動の主体となっていきました。このことが、対外貿易の必要上、団体に構成員の拠出する財産を集約する、つまりジョイント-ストックすることが必然的になったと言えます。このようなジョイント-ストック・カンパニーという団体の制度的特徴を考えてみると、個別の団体に国王の特許が付与され、特権とともに法人格が付与されていた点はレギュレイティッド・カンパニーと同じです。しかし、団体の実体形成の点で大きな変化がありました。ジョイント-ストック・カンパニーは構成員の出資を受け、団体自体が主体となって事業を行うという事業主体性が新たに備わったところに大きな特徴があります。つまり、団代の存在それ自体もその行使する権限も、いずれも国家による基礎付けを必要としたという制度的状況において、団体は特定の地域から切り離され、当然地域性は希薄化することになります。しかも、事業主体が団体の構成員である個々の商人から団体そのものに吸収されることになり、それ以前の意味での団体の内部の各メンバーの主体的活動に対する統制、すなわちメンバーの利益に向けられた市場独占を守るための排他性も、意味を失っていきました。このようにして、ジョイント-ストック・カンパニーは、ギルドに見られた地域性・排他性に由来する団体の個別的・特殊的性格はさらに後退し、広域性・開放性に由来する団体の定型的・一般的性格が強まりました。
 このようなジョイント-ストック・カンパニーの内部組織は、以前の組織形態を引き継ぎ、出資者による総会で意思決定が行なわれました。そこでは、経営者の選任、定款の作成や配当の決定が行なわれていたと言われています。しかし、ジョイント-ストック・カンパニーの総会では主要出資者の発言力が強くなっていました。それは出資者が個として平等ではなくなり、出資した資本比率により団体の意思決定が左右されるようになっていました。その理由として団体の実体が国家からの特許に依拠してたため、団体の私的性格がなくなり平等な多数決で意思決定する必然性がなくなったということと、社交的・宗教的性格を失い「場」としての意味を失い形式化が進んだことによるものと考えられます。このように、主要出資者の発言力が強くなることに伴い、これと結び付いた経営者の権限の濫用を招くことになりました。そこで、主要出資者に対する牽制が制度化されていきました。そのなかで、実際に経営を動かす取締役の実質的な権限が強まり、総会の機能は形式化していきました。

2016年7月 7日 (木)

他人事だ、冷たいと言われそうだけれど

中高年の管理職が新卒で入社してきたような若い社員の扱いに手を焼いて、指示しなければ動かない、注意して叱りつければ落ち込んでしまう。そればかりか、やれハラスメントとか訴えられ、ストレスとかなってしまう。結局、コミュニケーションがうまくできず、コイツを一人前にしてやらないとと真剣に悩んでも、転職とか転属の希望を出されたりとか。こっちが心配したりして、思っているのに、何で分かってくれないのか。

かなり戯画的な言い方をしたけれど、若い社員をまるで異邦人か宇宙人のようにビジネス紙が書いているのも、そういうところがあるだろう。私も、そっちの側にいる人だけれど、そこではとくに真剣であればあるほど、一方的になって、これだけ思っているのに、どうして理解してくれないのかと、感情的になってしまうのを避けられない。

それと同じことを、先日のバングラデシュのテロの被害に遭った人に対する報道とか論評に表われているように見えてしまう。情緒的すぎるというのか。被害者の人々は皆誠実で、真摯に援助とかに取り組んでいた人だと思う。だからどうして、そういう人が被害に遭うのか。とそれは家族や親しい人が言うのは分かるけれど、報道とか、コメントする人がそういうのは、若い社員に分かってもらえないと感情的になるオッサン管理職と同じようではないか。ひどく突き放したいいかたかもしれないが、こっちがどう思っているから、あっちはそれを全部わかってくれているとは限らない。若い社員から見れば、どんなに心配してやっていても、うざいオッサンたちの一人、つまりその他大勢でしかないのかしれない。こっちは特別でも何でもなく、そこで必要な議論は、どこまで分かってもらえているのか、分かってもらうにはどうしたらいいのか、という具体的な議論ではないかと思う。

犠牲者の人に対して冷たい、他人事のように語っていると言われるかもしれないが。

 

2016年7月 6日 (水)

株主総会の実務をIRやコーポレートガバナンスの面から考える(6)~序の2 株主総会というお約束

本題は株主総会です。前置きとして株式会社のことを書いてきましたが、このことは、いくら書いても十分とは言えないので、さっそく株主総会に目を転じたいと思います。
 最初に株主総会は何かということを簡単に述べておいたほうがよいと思います。会社法等の現在の法的な定義から言うと、株式会社の最高意思決定機関ということになります。「株主」というのは会社の所有者です。株式会社は法人の一種ですが、社団法人とか合資会社とか株式会社以外の法人では「株主」とは言わず「社員」と呼びます。この場合、一般的に会社の社員といえば、従業員、会社法上の言い方では使用人のことを指しますが、法令上では社員=株主です。ですから株主総会は社員総会と言い換えることもできます。株主総会というより、社員総会と言った方が株式会社の最高意思決定機関というイメージを伝え易いのではないかと思います。つまり、法人のメンバーが全員集まって、その総意により重要なことを決めていこうというわけです。
 株主には原則として自益権と共益権に分類される権利をもっていることになっています。自益権とは、会社に対して株主が自分の利益を請求する権利で、代表的なものとして配当を受け取る権利です。これに対して共益権は株主全体の共通の利益のたに会社に対して行使する権利で、株主総会の議決権もこれに入ります。つまり、株主総会というのは、株主の側から見れば権利であるということになります。株主にとって権利であるということは、株主が権利行使をした場合、その対象となるのは会社です。とりわけ、経営者。この経営者は株主の権利行使に対して義務が発生します。つまり、株主総会は会社(経営者)にとっては義務になるのです。
 規模の小さな法人であれば、仲間が資金を出し合って運営をしていく、という形態になるので、その仲間が全員で、今後の方針とか、代表を決めるとか、利益の配分などといった重要事項を話し合い、決めていくというのは当たり前のことです。おそらく、株式会社においても設立間もない規模の小さな会社であれば、株主総会にそのような雰囲気が残されているのではないかと思います。
 しかし会社が大きくなると資本金が増えて、株主の数も増えてきます。最初の仲間内によるものも、しばらくはオーナーのようなものですから大株主として会社を左右させているでしょうが、やがて発行株式数も増えていくと、その大株主の持株比率も落ちていきます。さらに、株主が増えて、株式が分散していけば、大株主が会社の経営に対する影響力はなくなっていきます。それに代わって会社を支配していくのは、創業時の仲間ではない、大企業をマネジメントするスペシャリストである経営者です。これがいわゆる「経営者支配」と言われるものです。それはまた、近代的な企業経営の支配と経営の分離ということのあらわれでもあると言えます。
 こうなると、株主と経営者との権利と義務の関係も逆転に近くなります。とくに日本企業では敗戦からの復興と官民一体となった経済成長政策の中で日本的経営と呼ばれるシステムが形作られ、会社の経営者は従業員(社員ではありません)が昇格して経営者となっていき、まるで従業員の共同体のようになりました。この時、株主はその共同体の外部の人間です。共同体の内側の人間からみれば、どこか外からやってきた見知らぬ人が共同体の経営に口出ししようとするという気持ちになっていきます。その結果、株主総会は外側から株主が攻めてくる場とうけとられ、そこから会社の経営を守るという防衛的な姿勢が形作られたといえます。それが、数年前までの上場している株式会社の姿勢だったといえます。
 一方、株主については、今までお話ししてきたのは、主に個人が出資するという個人株主です。しかし、上場企業の株主構成をみれば、個人株主の割合は半分以下です。では、それイガの大半を占めるのは、どのような株主かといえば、法人株主つまり会社間の株式の持ち合いです。そして、機関投資家が株主となっているケースです。機関投資家は個人投資家から資金を信託されて投資をするので間接的な個人株主という考え方もありますが、純然たる個人でありません。だから、株主のほうでも、上で述べたような原則はタテマエとなっています。
 それが、ここ数年、日本経済が低迷から脱却するための対策として、会社が日本という空間に閉じこもることを止め、ひろく世界に攻勢に出るということが打ち出され、そのためには海外の企業との競争に打ち勝たなければならない、そのためには外資を調達したり、海外の企業と協力する必要も出てくる、その場合、閉鎖的な日本的経営ではうまくいかないというわけです。グローバルスタンダードの経営に適合していかなければならない。その一環として株主との関係、投資家との関係が見直され始めたというわけです。それは上場会社のIR・SR活動とかコーポレート・ガバナンスの整備という動きが活発化してきています。法令関係も商法の一部であった会社法が独立した法律となり、内容も大きく改正されました。

2016年7月 5日 (火)

株主総会の実務をIRやコーポレートガバナンスの面から考える(5)~序の序 株式会社はどこから生まれてきたのか(5)

⑤産業革命~重商主義から産業資本主義へ
 18世紀後半から19世紀前半にかけての時期が、イギリスでは産業革命と呼ばれています。数々の発明によって、生産ラインの自動化が始まり、製造業の生産性が飛躍的に向上し、それまでは考えられなかった大量生産を可能にしました。また石炭を燃料とした蒸気機関の発明によりエネルギーの革命的な変化がおこり、交通インフラが飛躍的に整備され、大量輸送を実現させました。これにより、工場で大量に生産した商品を整備された交通機関による大量輸送で人々に届けることが可能になりました。
 アダム・スミスが株式会社が適しているという社会性の高い、巨額の資本を必要とする事業として鉄道という交通インフラが生まれてきました。また、大量生産時代にはいり、生産施設の大規模化、機械化がはじまり、設備投資という多額の投資が求められることになりました。これは、単に商品を仕入れて転売するという商業形態から、材料や部品を集めて自分で製品をつくり、そして売るという事業にシフトしていきます。その新しい事業を興したのが産業資本家という新しいタイプの資本家たちです。かれらは株式会社の形態を選択しました。たしかに、株式会社にはアダム・スミスの指摘するような非効率性があり、当時もその認識はありました。しかし、時代の環境が、そのデメリット以上に大量の資金調達が可能となるというメリットが大きくクローズアップされたのでした。
 当時のイギリスでは、株式会社の設立はバブル会社禁止法により特許主義の考え方に基づくものでした。つまり、会社の設立は国家による個別の特別な許可を必要とするもので、その具体的な方法としては、特別の立法による許可と国王による勅許によるものでした。それには多額の費用と時間がかかる難事でした。しかし、それでは産業革命より機械化された大規模な工場を建設するためには多額の資本を集める必要性が高まる中で、産業資本家たちは株式会社が自由に設立できることへの要求が切実なものとなっていきました。その結果1844年に株式会社法が制定され。株式会社の設立に際して、あらたに準則主義の考え方が採られるようになりました。準則主義というのは、それ以前の特許主義に対して、あらかじめ法律によって株式会社設立のための一定の要件が規定され、その用件を具備している場合には設立された会社は、当然に法人格を認められるというものです。ただし、通常は、不正な設立を防止する目的と、設立の内容を公示させる目的で登記が要件とされ、つまるところは、たんに登記だけによって法人を設立することができるというものです。そして、1862年に会社に関わる総合的な法規として会社法が制定されます。そこでは準則主義が徹底され、登記制度が近代化され、なおかつ出資者の有限責任が明記されたことにより、近代的な株式会社の要件を備えたものとなり、この法律を機に株式会社が一般化していったと言われています。いわば、現代の株式会社制度のプロトタイプと言えるものでした。 

参考文献 友岡賛「株式会社とは何か」「会計の時代だ」
 大塚久雄「株式会社の発生史論」

 

2016年7月 4日 (月)

株主総会の実務をIRやコーポレートガバナンスの面から考える(4)~序の序 株式会社はどこから生まれてきたのか(4)

④許可制の制限された株式会社~エイジェンシィ・コストの認識
 この当時は株式会社の設立には勅許が必要という許可制がとられ、この形態は一般に普及しませんでした。
 当時の企業形態観としては浩瀚なアダム・スミスの『国富論』で展開されている議論が引き合いにされます。アダム・スミスは富の源泉を労働に求め、個人の利己心の自由な展開が「神の見えざる手」に導かれて社会的な利益や調和をもたらす、として「レッセ・フェール(自由放任主義)」による経済を主張し産業革命の理論的土台というべきものを提供したと言われています。そこで、アダム・スミスは、株式会社のように資本と経営とが分離している企業形態は効率が悪いと指摘します。
 アダム・スミスは資本と経営が分離していない場合と、分離している場合を比較します。まず、資本経営が分離していないということは、自分の財産を使って事業をしているということです。これに対して資本と経営が分離しているということは、他人の財産を使って事業をしているということです。ここでいう財産を使って事業をしているということは、その財産を管理しているということに他なりません。この場合、資本と経営が分離していない場合の経営者は自分の財産を管理しているのに対して、資本と経営が分離している場合の経営者は他人の財産を管理している、ということになります。そこで、アダム・スミスは他人の財産を管理する経営者には、自分の財産を管理する場合と同様の慎重さを期待することはできない。そこには怠慢や浪費などといったものが付きまとうことになる、と言うのです。このことをもって、アダム・スミスは資本と経営が一体となった形態を効率的な企業形態であると結論付けているのです。このことは、後々説明しますが、現代の会社法において、取締役の注意義務が善管注意義務といって、他人から資金を出資してもらった企業の経営に際しての注意義務は自己の財産と同様の注意義務という最高の注意義務ではない、善良な管理者であればこの程度はやらなくてはならんいという程度の注意義務であること(とはいっても、善管注意義務は決して軽いものではありません)に考え方として繋がっていると考えられます。
 さて、このような意味での資本と経営の分離による非効率は、現代においても「代理理論」と言う見方、簡単に言えば「経営者は株主の代理人ではあっても、結局は自分のために行動する」という捉え方です。つまり、資本と経営の分離と言う状態を、本人と代理人という関係に置き換えてみると、エイジェンシィ・コストが発生するのです。財産の所有者本人が自分自身で財産の管理を行なっている場合には、自分のもうけを最大にする行動をとりますが、代理人がそれを行う場合、代理人にとって、その財産は自分のものではなく、代理人は代理人で自分のもうけを最大化しようという欲求を持っています。それは、財産の所有者のもうけの最大化よりも優先されることになります。そこでしょうじる差がエイジェンシィ・コストです。アダム・スミスの言う怠慢や浪費も、このエイジェンシィ・コストに含まれます。そして、このような企業観は産業革命を経て19世紀にいたるまでの実情と適合するものでした。
 ただし、アダム・スミスは、銀行、保険、運河、水道のような社会性が高く、巨額の資本を必要とする事業については、一般の商工業とは違って株式会社の形態が適当であると言っています。

2016年7月 3日 (日)

株主総会の実務をIRやコーポレートガバナンスの面から考える(3)~序の序 株式会社はどこから生まれてきたのか(3)

③東インド会社~株式会社という経営形態の発生

 今から40年前、私の学生時代の歴史の教科書では、1600年にイギリスが設立した東インド会社をもって株式会社の起源と説明されていたのを覚えています。諸説あると思いますが、ここではその記憶を尊重して述べて行きたいと思います。これまで、主にイタリア商人が繁栄していくプロセスで経営形態が継続化と大規模化の要請に応えて変遷してきたことを見てきました。しかし、彼らは株式会社をつくることはありませんでした。14世紀イタリアと17世紀イギリスとの間にはひとつのギャップがあり、それを跳び越えたところに株式会社という経営形態の成立があったと思います。
 イギリスでは、11世紀以降に商人ギルドが生まれました。もともと、ギルドというのは中世のヨーロッパでよく見られた宗教的あるいは社会的な目的で血縁に基づかない職能的な集団です。イギリスでは大規模な荘園において牧羊が発達し、そこで生産された羊毛を大陸に輸出することによって商業が急速な発展をみました。その関係者である富裕な商人や手工業者により商人ギルドが作られるように成りました。中世のキリスト教社会であったがゆえに商人ギルドの当初は宗教的な理念が残されていましたが、次第に商業活動の拡大とともに実利的な面が大きくなっていきました。これに伴い、新たな形態の組合的な企業が、ギルドに取って替わることとなりました。
 この組合的な企業は海外市場の拡大に伴う商業資本主義の成長と新しい形の海外貿易企業へのニーズに適合したもので二種類の形態がありました。その一つはレギュレイティッド・カンパニー(制規組合)と呼ばれる形態です。ここにおいてメンバーの従うべき規則があって、その上で各組合員は、各自の資本でもっとそれぞれの取引を行っていました。各組合員が独立のものとして存在する複数の資本ではあったものの、一種の寄り合い所帯のようなもので、そこに資本を結合するという考えはありませんでした。
 これに対してジョイント-ストック・カンパニー(合本会社)では資本の結合が図られていました。これは、16世紀以降ヨーロッパ諸国による植民地獲得が始まり、その先兵となって商人が貿易を開拓しながら事業を拡大していく重商主義の経済に適合した形態であったと言えます。その中で設立されたのが東インド会社です。企業の主体は民間の事業家である商人でしたが、リスクの軽減及び多額の資金は株式会社に近い企業形態の採用をもたらしました。また、そうした地域との貿易は、ときに国家に等しい立場で外交や軍事などの活動を併せ行なう必要がありました。具体的に言えば、16世紀以降の毛織物業の急速な発展の中、東インド貿易に進出しようとしたイギリス商人は先行するオランダに対抗するために東インド会社を設立しました。しかし、初期の東インド会社は、資本の払い込みを受けることが困難だったため、資本を払い込んだメンバーだけからなる制規組合的な形態にとどまり、1613年の合本の成立によって全メンバーの出資から構成される合本を持つようになり合本会社の形態に進化しました。その後1657年のピューリタン革命による民主化の影響を受け、出資を広く国民一般に開放し、閉鎖的でない株主総会、完全な継続性の成立をもたらしたクロムウェルの改組がありました。ここで注目すべきは、この継続性の確立が配当システムの完成へとつながったことです。つまり、企業が継続していくということは清算による払い戻しをしないということです。そこで、出資部分の払い戻しと配当をはっきりと区別し、もうけの部分だけを分配するものとして確立したのでした。これは、別の面から言えば、出資者は企業が続いている限り払い戻しを受けられないことになり、企業が破産した時に責任を負うこと~逃げられなくなります。その後、王政復古の後1662年の破産者法の成立によって、東インド会社をはじめとする株式会社に対して、全出資者の有限責任が認められました。 

2016年7月 2日 (土)

株主総会の実務をIRやコーポレートガバナンスの面から考える(2)~序の序 株式会社はどこから生まれてきたのか(2)

②フィレンツェ型企業形態~近代資本主義経営の萌芽

おなじ14~15世紀のイタリアでも、フィレンツェはヴェネツィアとは情況を異にしていました。そこでは個人、家族、同族といった身内の範囲にとどまらず、より多くの人々が共同して行なう組合のような経営が支配的になっていました。それは、織物業などが大規模に行なわれるようになっていったことにより、より多くの元手(資本)を必要としたからでした。
 そこでは、他人同士からなる企業のメンバーの間で、もうけを厳密に分配する必要が生じ、期間を区切って企業全体のもうけを把握する計算方法が取られるようになり、期間計算ということが始まったと言われています。
 これはまた、商業形態の変遷と同時並行で変化したともいえます。つまり、ヴェネツィア型の地中海貿易は、ある地域の産物を他の地域に運んで販売し、その代金で購入した産物を持ち帰って販売するという、言うならば遍歴的な商業形態でした。当時の造船や航海技術では船舶の大型化には限界があり輸送量は制約されます。さらにその場限りの当座の航海は継続的に行き来するのとは異なりトータルでの輸送量は制約されます。そのために、商いは高価で軽量な(嵩張らない)商品を多品種、少量にものに限られていました。それに当座企業は、そのように商業形態と企業規模に適していたと言えます。
 しかし、14世紀以降には船舶の大型化やそれに伴う航海技術の向上の影響により貿易量が拡大し、それにより取り使う商品も変化しました。また、同時に通信手段の発達が(遍歴的な商業に対して)定着的な商業の出現を可能にしました。それは、一ヶ所に定着した商人が各地の支店との通信によって取引をすることを可能にしたものでした。そのため、断続的な正確の遍歴的な多品種少量の商業形態から、同種の商品を大量に、という定着的な商業へと変化していったといえます。そして、大量の取引が継続的に行われると口別の計算ではもうけが分かりません。そこで期間計算によるもうけの把握が必要とされることになったわけです。
 この後、16世紀商業の繁栄の中心はイタリアからネーデルランド地方に移ります。初期の中心であったアントヴェルペンでは組合的な企業が主流を占め、期間計算が一般化しました。その繁栄は17世紀にはオランダ商人にひきつがれ、より規模の大きな企業形態がとられるようになり、貿易をアジア地域に拡大していきます。そして、その事業において莫大な資金の必要性から生まれたのが東インド会社であったわけです。個存知の通り、世界最初の株式会社と教科書に説明されている団体です。

2016年7月 1日 (金)

株主総会の実務をIRやコーポレートガバナンスの面から考える(1)~序の序 株式会社はどこから生まれてきたのか(1)

何年か前に従事していた仕事のことを考えていたことから、IRのことをあれこれ投稿していました。そこでひとつやり残したことがあって、ずっと気にかかっていました。それが、実務を担当していた株主総会について、考えていたことや自分なりに実務のことを位置付けたりしたことを、コツコツ覚書みたいにまとめていました。それを、これから発散してすっきりしたいと思います。かなり量が多くなっているので、長くなりますが、断続的に連載みたいなかたちで投稿していきたいと思います。
 まずは、序説として株主総会とはどのようなものかという総論の概説から始めていきます。最初の数回は、そのまた序論で、株主総会をする株式会社とはどんなものかを、まずは経緯から考えて行きたいと思います。 

企業の目的は、端的に儲けることです。そこで、どれだけ儲かっているのかが分かっていないと、経営者は会社がうまく行っているか正確に掴めず、ちゃんとした経営ができません。しかも、株式会社は所有と経営が分離され、株主は資金を企業に投資して経営者に委託するわけですから、その経営がどうなっているかは、儲かっているかを知ることによって分かる、ということになります。
 しかし、その儲けはどうやって計算するか、普通の会社はずっと企業活動を続けているわけです。そこで企業の経営活動を便宜的に一定時間で区切ることになるわけです。それが事業年度ということになるわけです。実は、このような事業年度により期間を区切って儲けを計算する決算を行わざるを得ないような企業形態、それを継続企業といいますが、それが近代的な企業経営の要だったのです。その理解のためにも、少し歴史の話に脱線したいと思います。これについては、あとで参考文献に挙げますが、友岡賛という人の著作での分析にしたがって説明していきたいと思います。

①ヴェネツィア型企業形態
 継続企業という呼び名の企業形態は、当座企業という形態と対照して持ち出されることがあります。この当座企業の当座とは“その場限り”という意味で、当座企業とは、そのような一時的なその場限りの事業のことです。その典型的なものが中世から近代初期に活躍したイタリア商人による地中海貿易です。
 中世のヴェネツィアは地中海貿易の中心地で、商人たちはエジプト、トルコ、シリア等の東方地域に織物やガラス器などのヨーロッパ手工業製品を輸出し、胡椒をはじめとする各種の香辛料などの東方の物産を輸入していました。この貿易路である当時の地中海は、海賊が跳梁跋扈していたり、自然災害もあって、かなり大きなリスクを伴うものでありました。しかし、反面で大きなリスクは大きなもうけを意味するものでもあるわけで、言わば一攫千金の冒険的な(ヴェンチャー)事業とも呼ばれていたそうです。こうした冒険的な事業の企ては、そのひとつひとつの航海が単独で独立したプロジェクトとして、言い換えれば、その場限りのものとして行なわれていました。現代の日本であれば継続した事業をしている海運会社に船を手配して商社が契約を取り仕切るということになります。これに対して、当時は、一航海イコール一企業ともいうべきもので、それが当座企業というものでした。商人たちは航海のたびに任意にパートナーとなって、出資、経営を行いリスクを分担し、もうけを分配していたというわけです。つまり、商人たちは仲間となって元手になる資金を出し合い、船を購入し、乗組員を雇い、輸出品を仕入れ、そして出帆。船は東方地域で取引をして輸入品を持ち帰る。この場合のもうけの計算は、航海ごとに清算されるという形をとる。清算とは、船が帰国して、輸入品を販売し、その船を売り払い、他方で乗組員に賃金を払い、当初出資した元手を出資者に返すと、その差し引き残りが、もうけ、というわけです。この場合のもうけは、企業の全生涯にわたる成果だったと言えます。そして、最後に行なわれるのが、このもうけの分配というわけです。
 これは、継続的に企業活動をする場合でも、口別でもうけを計算する方法にもあてはまることになります。口別とは、企業の中のプロジェクトを独立したものとしてもうけを計算するという方法です。例えば、ある製品を予定量の生産及び販売をして、その生産が終わり売りつくした時点で上記の例と同じように清算するというわけです。この場合、当然期間を区切るという、現在の企業活動とは違う計算になります。この場合には期間ということは考慮されず、かつ、個々の製品が売れた時に、その製品のもうけが分かるというだけで、企業全体のもうけは分からないことになります。
 14~15世紀のヴェネツィアにあって支配的な企業形態は、いわゆる個人企業、家族や同族によって経営されるものでした。そこでは身内の同じメンバーでずっと経営を続け、他人が途中で加わったり脱けることがない経営でした。もしも、途中でメンバーの出入りがあれば、脱退するものに大体の時点でのもうけを計算し、脱退者に分与しなければなりません。この必要がないならば、企業全体のもうけを厳密に計算し、把握する必要がなかったのでした。
 だからこそ、ヴェネツィア商人は地中海貿易を支配し莫大な利益を得ていながら、近代的な資本主義経営による大きな飛躍をすることができず、フィレンツェのメディチ家のような規模の事業経営をする企業は出現しませんでした。

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