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2016年7月 2日 (土)

株主総会の実務をIRやコーポレートガバナンスの面から考える(2)~序の序 株式会社はどこから生まれてきたのか(2)

②フィレンツェ型企業形態~近代資本主義経営の萌芽

おなじ14~15世紀のイタリアでも、フィレンツェはヴェネツィアとは情況を異にしていました。そこでは個人、家族、同族といった身内の範囲にとどまらず、より多くの人々が共同して行なう組合のような経営が支配的になっていました。それは、織物業などが大規模に行なわれるようになっていったことにより、より多くの元手(資本)を必要としたからでした。
 そこでは、他人同士からなる企業のメンバーの間で、もうけを厳密に分配する必要が生じ、期間を区切って企業全体のもうけを把握する計算方法が取られるようになり、期間計算ということが始まったと言われています。
 これはまた、商業形態の変遷と同時並行で変化したともいえます。つまり、ヴェネツィア型の地中海貿易は、ある地域の産物を他の地域に運んで販売し、その代金で購入した産物を持ち帰って販売するという、言うならば遍歴的な商業形態でした。当時の造船や航海技術では船舶の大型化には限界があり輸送量は制約されます。さらにその場限りの当座の航海は継続的に行き来するのとは異なりトータルでの輸送量は制約されます。そのために、商いは高価で軽量な(嵩張らない)商品を多品種、少量にものに限られていました。それに当座企業は、そのように商業形態と企業規模に適していたと言えます。
 しかし、14世紀以降には船舶の大型化やそれに伴う航海技術の向上の影響により貿易量が拡大し、それにより取り使う商品も変化しました。また、同時に通信手段の発達が(遍歴的な商業に対して)定着的な商業の出現を可能にしました。それは、一ヶ所に定着した商人が各地の支店との通信によって取引をすることを可能にしたものでした。そのため、断続的な正確の遍歴的な多品種少量の商業形態から、同種の商品を大量に、という定着的な商業へと変化していったといえます。そして、大量の取引が継続的に行われると口別の計算ではもうけが分かりません。そこで期間計算によるもうけの把握が必要とされることになったわけです。
 この後、16世紀商業の繁栄の中心はイタリアからネーデルランド地方に移ります。初期の中心であったアントヴェルペンでは組合的な企業が主流を占め、期間計算が一般化しました。その繁栄は17世紀にはオランダ商人にひきつがれ、より規模の大きな企業形態がとられるようになり、貿易をアジア地域に拡大していきます。そして、その事業において莫大な資金の必要性から生まれたのが東インド会社であったわけです。個存知の通り、世界最初の株式会社と教科書に説明されている団体です。

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