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2016年7月10日 (日)

株主総会の実務をIRやコーポレートガバナンスの面から考える(9)~序の4 日本の株主総会の特徴(1)

これまで、全体として企業形態の変遷と、これに伴う株主総会の意味合いの変化を追いかけてきました。ここでは、一般的な株主総会に対して、日本の企業風土や環境によって、どのような特徴のあるものになっているのかを見て行きたいと思います。

①株式会社制度の輸入
 明治政府の開化政策で、欧米では個人では調達することが難しい巨大な資本を終結して事業を営むことが導入されます。その典型が、国立銀行であり、その後鉄道や海運、紡績、保険などの多額の資金、とりわけ設備投資のための長期資金、を必要とする事業で株式会社に類似した団体が作られていきました。この場合、例えば国立銀行条例といった特別法によって官庁の許可制により設立されていました。この動きに続くように1890年商法が制定されますが、会社の設立は、当時の欧米の傾向とは逆に会社設立は特許制がとられました。殖産興業政策を進める明治政府にとって、そのための資金供給者として想定していたのは、次の三つの層でした。第一に江戸時代以来の富を蓄積させてきた商人層、第二に華族層、そして第三に地方を中心に存在する地主層です。明治初期は海外の資金に依存することが少なかったこともあり、長期的な資金調達はなかなか進みませんでした。そのため短期資金を提供する普通銀行が長期資金の提供も担うこととなり、その手法として株式担保金融、株式抵当金融が行なわれました。また、株式の払い込みについても分割払込制度がありました。設立時に引き受けられた株式にいて、株金額の4分の1は最低限遅滞なく払い込む義務があるというもので、会社は資金需要に応じて株主に未払金部分を請求して資金調達を行なうというものでした。この制度を前提とすると、会社が事業を展開する中で新たな資金需要が生じ、株主に対して未払金の払込請求を行う場合、株主は事業の状況や新たな資金によって事業がどうなるのかの成否をよく考えた上で請求に応ずるかどうかを判断し、時には請求に応じない選択もできます。これは、株式会社形態で営まれる事業のリスクが高い反面、これに提供される資金が長期的に固定されると、資金提供者のリスクが最低限にとどめることができます。このリスク回避の観点から見れば、これに株式担保金融が組み合わされて、銀行から資金の融通を受けた投資家が株式を購入し、その株式を銀行への担保にする場合、その投資家はより少ない元手で投資が可能になるわけです。これは、当時の資金の社会的な蓄積が低いレベルであったため仕方のないことだったと言うこともできます。これによって相対的に資金の少ない層でも株式の投資に参加できたわけですから。しかし、このような人々は充分な資産を持っているわけではありませんから、株式投資が熱を帯びれば銀行借り入れによって積極的に株式を取得しますが、ひとたび株価が暴落すれば、担保価値がおちるので直ちに株式を売却します。これでは、株式を投機の対象とすることになってしまい、企業からすれば株式を通じた資金調達が困難になってしまいます。このような株主は、株主総会等で会社の意思決定に関与することなど期待できないわけです。

②日本の資本主義経済の成長
 1904年の日露戦争以降、政府は外債による資金調達によって戦後経営を積極的に進めました。この時期に経済基盤の整備が進み、日清戦争後からの電信電話事業、日露戦争後の電力事業の展開は、鉱山から産出する銅への需要を高め、これに応じて電線製造の事業が勃興します。これに伴うように、機械工業や金属工業等の重工業部門は会社数が著しく増加しました。これらの事業が多額の資金を必要とする性格のもので、そのために株式会社制度が用いられてと言うこともできると思います。この後景気高揚と不景気を循環的に繰り返しながら、ヨーロッパでの第一次世界大戦勃発によって特需景気によって急速な産業発展がもたらされます。
 1899年に商法が改定され、株式会社設立に際して特許主義から準則主義に方針を転換しました。商法の改正はありましたが、株式会社制度についての基本的な思想の点では変化はありませんでした。その大きな特徴として指摘できることは所有と契約の原則が希薄であったと言うことがあげられます。もともとヨーロッパで形成された株式会社という制度は商人が資金を集めて自由に事業活動を展開させていくための団体、制度として発展、変遷してきたものです。これに対して、日本が導入したのは19世紀の産業革命が進んだ準則主義に則って大規模な資金調達によって経済成長を進めていくのに便利な制度となっていた完成形に近い株式会社制度でした。それが、明治政府の殖産興業政策を進めるにあたって民間の企業を育てていくのに便利なツールとして、その形式を導入したという経緯によるものではないか思われます。つまりは、巨大な資金終結機構として、多数の株主が団体を構成するという形態を導入したというわけです。そしてさらに、所有の面で考えれば、出資者の所有に基づく権利が弱く、会社財産は出資者の共有財産という考え方ではなく会社という独立した存在の固有の財産であるという議論が生まれてきます。つまり、出資者個人の権利と機関としての企業に対する権利が切り離されたという特徴を帯びることに成りました。
 そこで株主総会について考えてみると、多額の資金を当時の日本ではそれほど数が多くない資産家層から集めるための便宜として政策的に利用するためのものだったというのが実態と考えられます。そこには契約と所有に基づく株主による自治などというものは経営にとって邪魔でしかなかった、ということです。

③大恐慌後の修正資本主義
 1920年の世界大恐慌に続く長い景気低迷から経済が回復に向かったのは、1932年ごろ、赤字公債の発行を伴う政府の財政出動により有効需要を創出するという政策に基づくもので、支出増大の核は軍需需要の増大でした。この軍事需要に関連する重化学工業が景気回復の牽引役を果たしました。これは事業の大規模化と巨大な資金需要を要するもので、企業集中や統合が活発と成り、結果的に財閥の形成が進みました。
 財閥は頂点に合名会社の財閥本社を置きその下に株式会社化された直系会社もそして傍系会社の網によるコンツェルンが形成され、特徴的な資金の流れを生みました。例えば、傘下企業の資金需要に応じて株式を通じた資金調達を行う場合には、財閥本社に未払込株金の支払請求を行なうか、資本増加の株式を引き受けてもらうことになる。一方、財閥本社にとって、そのための原資は傘下企業株式か、ここからの配当金に限られます。そのため、財閥内の他の傘下企業に資金的余裕がある場合には、その企業から本社に特別配当を行なわせ、その資金を当の傘下企業に払い込む。また他の傘下企業に資金的余裕がない場合には、傘下企業株式を担保にして本社が財閥内の系列銀行から長期借入を受け、この資金を傘下企業に払い込むというものです。これらのうち、配当を資金調達の原資に用いる場合、資金供給者は原則として財閥本社となり、それは大きな目で見れば財閥における内部留保資金による。他方、長期借入で系列銀行を通じて資金調達が為される場合は、その原資は預金であり、その資金供給者は零細な資金を提供した家計だということになります。
 これに対して、非財閥系の企業は昭和期に入ると好景気と軍需による重化学工業の成長が多額の設備投資を招き、そのための資金調達として株式や社債の発行が盛んになりました。この資金の出し手は、従来の資産家層のみならず法人投資家が大きくなってきます。
 このような状況の中で、1938年に商法の大改正が実施されました。これまでの説明の通り、財閥系企業と非財閥系企業では資金調達の構造が全く異なり、両者の「所有と経営」の関係には相違がありました。財閥系企業の場合には、早くから所有と経営の分離が進み、本社は内部昇進者を中心とする傘下企業の経営陣に経営を委ねたうえ、報告を受けた重要案件を審査・決裁するという分権的な制度を採用したのに対して、非財閥系企業では、大株主層が役員をかねるケースが多く見られたといいます。
 このような中での株主総会の位置づけとしては、財閥系企業では、内部での資金配分と専門経営者に経営を委ねるに際して財閥本社の影響力を確保しておく必要があり、非財閥系企業では、経営監視の観点から、大株主が影響力を確保しておく必要がある。このようなニーズの中で株主総会は会議体として位置づけられていたと考えられます。

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