株主総会の実務をIRやコーポレートガバナンスの面から考える(15)~2の1 狭義の招集通知(3)
そもそも議決権行使書という文書は昭和56年の商法改正により導入されたものです。それ以前には、議決権行使書と、このベースとなる書面投票制度というものはありませんでした。株主総会というのは、本来、株主が出席して、その場で議論を交わして熟議の末に投票を行い決議をすることで重要事項を決めるというものです。これは株主総会に関わらず会議というシステムはそれが原則です。例えば国権の最高機関である国会において本会議に出席せず、議案について書面で投票するなどということがあるでしょうか。議案について会議の場で議論を進めることで、自分とは異なる視点の意見や情報を得ることができたり、他人に自分の考えを説明することで再確認したりと議案に対する認識が深まることになるわけです。そのプロセスにおいて、以前に気付かなかったことを知らされ従来の意見を転換する可能性だってあるはずです。それが会議で議論をする意味です。これは、民主主義での多数決を正当化するために様々な議論が議会制民主主義の当初からあって、熟議によって意見が集約の方向に向かい一般意思に近づいていくというモデルが一般に認められるようになっている、というのがベースにあるのです。権威筋を持ち出すなら、公法学のケルゼンやラートブルッフといった人たちによる多数決原理、つまり、多数者による少数者の説得のために両者の討論があり、その結果としての少数者の多数への賛同・承認をたどることを意味するし、さらにいえば、この過程において少数者の意見も多数者の意見に近づくとともに、多数者の意見も少数者の意見に近づき合うという相互のあいだに、多数少数意見が転化しあい、交替し合う可能性が常にあると言う中で多数決による決議に参加者が納得することになるというわけです。
ここで、会議に出席できない人が書面で会議に参加するという点で書面投票に外見上よく似ている委任状について比較のために考えてみましょう。委任とは、自分は会議に参加できないから、会議に参加できる信頼に足る人に自分の分を代理して投票してもらうという内容です。端的に言えば、本人は会議の決議に自分の意志を投票するのではなくて、意志を他人に預けてしまうのです。だから、本人がある議案に賛成の考えをもっていても委任された人が反対の投票をすることもありうるのです。委任された人は会議に出席するので、上で説明した多数決原理による議論→投票のプロセスに参加するわけです。その際に議論の中で反対の説得に応じる可能性があるのです。その時、委任した人の意向に委任された人は縛られないのです。そうでなければ会議の議論に参加できませんから。だから、委任状の場合は会議の意味がかろうじて保たれることになるわけです。
こうして見ると、書面投票制度そのような本来の会議の意味を、言わば、端折って、議論に参加することなく事前に書面で議案に対する賛否を投票してしまうということは、会議の趣旨に反する行為のはずです。
もうすこし根本的として、会議形式で議論をして決議という結果を出すということは、どういうことかを考えて見ましょう。株主総会で言えば、取締役の選任とか会社が今後生き残って成長するために非常に重要なことを決めるわけです。そういうことを決めた選択が会議で多数決で決めたからと言って正しい選択だったとは限らないわけです。では、どうして多数決で決めるのでしょうか。みんなで決めたことだから、と参加者を納得させる(反対者を諦めさせる)ためでしょうか。たしかに、そういう効果もあるでしょう。しかし、それが間違っていたら誰が責任をとるのか、選んだ全員ですか。それでは責任が有耶無耶になってしまいます。そうではなくて、この背景には様々な意見や見方を持った人が集まって意見を出し合って、十分な議論を行うということ、これを熟議といいますが、この結果として生まれた結論は絶対に正しいと確言することはできないかもしれませんが、限りなく正しいに近いものとなるだろうと推測される、ということなのです。だから、会議で一番大切なのは熟議というプロセスのはずなのです。しかし、議論の前に書面で賛否を投票してしまうということは一番大切なはずの熟議を省略してしまうことになってしまいます。それでは株主総会の結果が正しいという根拠が否定されてしまうことになってしまいます。私は研究者ではないので、このような根拠を説明した学説や論文を聞いたことがないのですが、たぶん誰も考えていないのではないかと思います。
では、どうしてこのような制度が導入されているのかといえば、この制度が導入された昭和56年の商法改正の時点を状況を考えると、当時の株主総会は総会屋と言われる団体が跳梁跋扈していた時代で、彼らの株主総会でのパフォーマンスのひとつに株主から委任状を集めて、ある程度まとまった議決権の委任を受けて、株主総会の決議について、「我々の協力がなければ株主総会の決議は成立しない」と脅しをかけたり、株主総会の議場を混乱させたりするという方法がよくとられていました。それを行なわせないために、株主がたとえ株主総会当日に出席できなくても、他人に委任するのではなく、選挙の不在者投票のように自身の投票を事前に書面で行なわせるという方法を導入したのでした。こうすれば、総会屋は委任状を集めようとしても、同じ程度の労力で自分で投票できるのですから、何も他人に任せることもなくなります。このような制度導入の趣旨を考えれば、総会屋の活動がほとんどなくなったに等しい状態となり、委任状争奪のプロキシファイトもほとんど起こらない、と言うことを考えれば、本来の会議のあり方から外れた書面投票という制度そのものをやめてしまうことを考えてもいいのではないか、思います。
株主総会に対して、「開かれた総会」ということが謳われて何年もたっていますし、最近のコーポレート・ガバナンス・コードの中でも会社と株主との対話(エンゲージメント)が熱心に説かれていることなどから、株主総会という会議体を本来の会議で議論して結論を出すという形態に戻すことを考えてもいいのではないか。そのためには、株主だって、投資しているのだから自分で足を運んで株主総会に出席するくらいのことは自発的に行なうべきだし、それを前提に株主総会を行なうということを考え直してもいいのではないか、と思います。
株主総会で事前に書面投票で決議はほとんど成立することになっているなどということが、すでに分かってしまっていれば、わざわざ総会の議場に出向いて決議に参加する意味もなくなってしまうし、そんな状態で、果たして経営者と株主との間で対等な対話ができるかは、甚だ疑問です。
しかし、会社法により株主数が1,000人以上の上場企業の株主総会は書面投票制度の導入が義務付けられてしまっているので、やめるわけにはいかない。現実的にどうするのかということについては、株主総会の議場に足を運んでもらうための工夫を考えるという、本来的な課題に収斂することになります。そのためには、株主総会に行きたいと思わせる、株主総会に参加することに何らかのメリットを感じさせる総会にする、ということになると思います。
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