無料ブログはココログ

« 中原俊監督『櫻の園』の感想 | トップページ | 6年間続きました »

2016年7月30日 (土)

須川栄三監督『蛍川』の感想

D0291816_641911 どうということのない、寧ろ凡庸とすら言い得るようなシーンで、目頭に痛みが疾り、鼻の奥がむず痒くなる。気が付くと溢れ出ようとする涙を堪えるのに必死になっている。宮本輝の芥川賞受賞作が原作の「蛍川」という1987年制作の映画。昭和37年の富山が舞台で、タイトルバックに冬の雪。雪。雪。学校の校庭、一面に積もった雪。移動でゆっくりカメラがまわり、下駄箱に思い詰めたような学ランの中学生。カットが一転して三国連太郎が座敷で大勢の芸者相手に遊び興じている様になる。件の中学生に似た二三才の男の子が所在なげに廊下を往復している。カメラがパンして庭は一面の雪。多分回想のシーンなのか、紗がかかったように映しだされる。次の画面では、また学校、女の子があわてて雪の校庭を走る。行き先は、雪の川原で、そこでは二人の男の子が対峙している。二人は女の子をめぐって喧嘩を始めようとしていた。劣勢の方はカッターを取出し、相手を傷つけてしまう。白一色の雪面に赤い血が点々と。女の子は物陰に隠れたまま、出る機会を失してしまった。この女の子はエイコ、カッターを取り出したのはタッちゃん。二人は幼なじみ。物語の始まりはここから。この間、たったの数分だけれど、雪がとても印象的。風景として美しいのは言うまでもない。その雪が人物に寄り添うように、それぞれのシーンでそれぞれに意味をもってくる。といっても、人物の心理がイメージ化されているという矮小なものではなく、あくまでシーンとしてそれ自体雪なのだ。それがとても美しい。回想の庭の雪、校庭の雪、川原の雪、みんな違う。それは、雪にうつった光の反映なのかも。この映画はそういう光に満ちている。(実は、この雪の白さをそのまま映すのは大変難しい。例えば、今川昌平がカンヌ映画祭でグランプリを獲った「楢山節考」、雪は白になっていなくて、青みがかかってしまっている。)
  今年は多い年であるという。春に大雪が降る年は、夏蛍が大発生する。これは幼なじみの二人が幼い頃聞いた話。しかも、この蛍を見た男女は結婚する運命にある。これが、この映画を貫く一本の太い縦糸となっている。二人はこれをそれぞれに信じている。話は専らタッちゃんの側で進行していく。タッちゃんの家は三国連太郎の父親が事業に失敗して破産寸前。そんなためもあって、それとも思春期独特の含羞なのか、彼はエイコに想いを打ち明けられないでいる。ノートのページ一杯にエイコの文字を書き散らしたり、彼女の赤い傘を握りマスターベイションさえしようとする。(タッちゃんは主人公であるはずなのに他者へのはたらきかけというような行動をおこさない。彼はずっと受け身で、彼の周囲で事態は起こるたけ。他方、エイコは専ら話題にはなるものの存在感は稀薄。)美しい少女となったエイコに想いを寄せる男子生徒は多く、タッちゃんは不安な毎日。現に、親友のケンタも「エイコはいいのう」が口癖。そんな彼にとって、幼い頃の二人で蛍の大群を見ようという約束が唯一の頼みの綱だった。その彼の父親が脳血栓で倒れてしまう。蛍の話を二人に話してきかせたのは、この父親だった。この辺りの語り口は少しばかり退屈で、私は雪を主に見ていました。(主役のタッちゃんとエイコに動きがなく、二人の俳優が上手くないので残念です)諄いようですが、この雪がとてもいい。
 桜が満開の春。外は雪景色。この年は、春の大雪となった。父親は蛍の大発生を保証した。そんな折り、タッちゃんはケンタから、下校途中、エイコの写真を受け取る。ケンタは日頃からエイコへの憧れを広言していた。こっそりと彼女の机の中から頂戴してきたらしい。しかし、ケンタはタッちゃんもまた、エイコに密かに好きなのを気付いていた。友情のしるしとケンタは写真を譲ったのだ。その一方で二人の友情の不変を彼は言う。ケンタはタッちゃんを釣りに誘うが、タッちゃんは断ってしまう。その夜、部屋でエイコの写真に見入るタッちゃん。と、玄関で戸を叩く音。誰かと出てみると、当のエイコが雨に濡れて立ってる。彼女はケンタの死を伝えに来た。あわてて自転車に乗るタッちゃん。このシーンがとても印象的。横なぐりの雨のなか、堤防に沿って自転車を走らすタッちゃんをカメラがパンで追う。カットが代わって自転車を追って走るエイコを正面から捉える。顔面に雨を受け、傘もささずにビショ濡れなって走るエイコ、と降りつけるのは雨だけではなく、桜の花びらが混じっている。ケンタは釣りに行って川に落ちて溺死したらしいことがわかり、タッちゃんは無我夢中で自転車を走らせる。この雨中のシーンは、いくつかのカットに割られているが、その中で雨で渦巻く川の水面をとらえたカットが二三ある。夜で、さらに雨の中ゆえ、川面はほの暗く、そこに散り敷いた桜の花びらはほの白く映ります。この、川面に浮かび、流れで舞っている花びらは、イメージとして、しんしんと降る雪に連なり、そしてクライマックスの蛍の乱舞につながっているように思えてならない。ケンタの死は事故死以外ではないだろう。しかし、タッちゃんはそう言ってすますことはできない。直接的には、直前に誘われた釣りを断っていた。それも、断らなければならない理由などはなかった。あきらかに事故に関わっているのをタッちゃんは自覚している。そこにはまた、同じように共にエイコに恋をしたことがからまり、そして、死の報を持ってきたのが他ならぬエイコであったわけだ。自転車の疾走シーンにはそうした一切が折り重なりあったものとなっている。白の群舞という視覚的イメージが、冬の雪、春の桜、夏の蛍と季節と共にどんどん展開されていく、ここには生と死が性がこめられている。そして、これらが「蛍川」というタイトルの蛍の川のような群舞というラストのクライマックスに一気に収斂していく。冷静にみれば、構図は凡庸ですらある。蛍というのは青白く光るものだが、ここではグリーンがかってしまっている。しかし、森の奥で蛍の大群が乱舞する光景は、そういったスペクタクルだけで目を瞠らせるわけではない。蛍が数日という短い命のあいだに、次の命を生むべく、狂ったように相手を求めて交尾をするということが、ここまでずっと描かれてきたものを高らかに謳いあげるのがすばらしい。ラストの蛍の乱舞の中、タッちゃんとエイコの抱擁する様子が次第に蛍のように光輝いていくのは、エロスという以外に言いようがない。春になってからの約1時間は、胸がジーンとなり放しで、小さいエピソードがどんどん二人を蛍を見る以外にない状況へ追い込んでいく。この作品は、沢山の小さいエピソードが全部伏線となってストーリー全体にからまっていて、それが生と死のテーマに繋がっていく、とても骨太の構造をもっています。それがこのラストで一気に花開く。たぶん、この作品は傑作でも名作でもない、けれど私には心に残る作品のひとつ。

 

« 中原俊監督『櫻の園』の感想 | トップページ | 6年間続きました »

映画・テレビ」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 須川栄三監督『蛍川』の感想:

« 中原俊監督『櫻の園』の感想 | トップページ | 6年間続きました »